2017年12月31日日曜日

暮れの115系三態

2017年12月30日  弥彦線東三条  N37編成
10月に復刻した第一次新潟色  227M
保内駅の115系 N38 447M 最後部  懐かしの70系新潟色と湘南色の編成。
懐かしの70系新潟色はN40編成 
越後線内野駅の115系N40編成 1546M  秋まで湘南色だった編成で大宮工場で懐かしの70系新潟色に変更。未更新のため車内はほぼ国鉄時代のまま。
吉田からの155Mと交換の際にN3編成と並び同じ色が2つ揃う珍事となった。
撮影者各位は大喜びだった。

雪こそないが曇り空で冷たい空気の覆われた師走。かつて山口県内で旧型国電(クモハ60やクハ55、クモハ42など)を撮影していたころを思い出ししまった。
このころは115系は最新鋭であり置き換える側であった。

2017年12月19日火曜日

E231系~大宮にて

2017年1月28日 大宮  E231系電車 全盛時代を謳歌している電車。国鉄時代あれだけあった115系も消えてから相当経つ 。首都圏大動脈の輸送の重責を担い走り続けている。長大編成で次々にやってくる光景に凄みを感じるそして車内も大混雑。高齢化と衰退の地方とは異なり成長が著しい首都圏の象徴。

国鉄時代には115系に混じって 急行型電車や客車列車も多数入っていた。
1982年の時点で上野~高崎間午前下り普通列車と 夜間の上り高碕~上野間の列車があった。EF58牽引で旧型客車だった。

くびき野レールパーク

2017年10月14日  上越市頸城区 百間町くびき野レールパーク
ホジ3と有蓋車2両の展示。

本年の収穫はなかなか重い腰のあがらなかったこの保存鉄道の訪問だった。
廃止から40年以上経過して周辺も近代的な様相となった現在往時をしのぶことも極めて難しくなったが保存会の方々の努力によりこれらの車両たちが走り回る光景は感動的であった。本年はくびきのお宝のこす会設立10周年の節目の年であったがその年に訪れることができたのはうれしいことであった。

115系N3~吉田にて

2017年12月10日  吉田  弥彦線東三条からの編成。新潟へ向かうまでの間しばしの休息。本年1月21日より登場した本編成も間もなく1周年である。
本来の70系新潟色の方はまだ越後線・弥彦線ともに電化されない1978年8月23日に営業を終了している。それから39年経過し、引退を前に過ぎ去った時代へのオマージュとして115系に本塗装が登場した。

越後線・弥彦線電化の際にやってきた115系改造車たちもすでにこの世になく115系の残りは 長野転入組と1978年の70系置き換え組などが少々残って最後の活躍をしている。
次回ダイヤ改正では新井快速もなくなりごく限られた区間での運用となってしまう。
そのなかでこれら復刻塗装の編成が最後の輝きを放っていくことになる。

この場所はかつてキハ35系気動車の車庫=新潟運転所吉田支所の跡地だった場所で住宅地になっているがわずかな隙間から狙った1カットである。
(NikonFA 35~105㎜ F3.5~4.5 富士スペリア ISO400 1/500 F8)

2017年12月18日月曜日

弥彦線 東三条発寺泊行き普通

2017年11月26日 弥彦線 吉田~西燕間を走る115系3連 この電車は寺泊~出雲崎間で発生した架線トラブルで吉田~寺泊間運休となって柏崎から来る東三条行きも運休よってすぐに折り返して東三条に戻った。

越後線 越後曾根発村上行き115系6連

2017年11月26日  115系更新車の6連 2018年3月のダイヤ改正ではE129系が追加され115系の運用は減少する(詳細はJR東日本 新潟支社サイトを)
運用区間は新潟~長岡間と越後線などの一部が残存する程度となるらしい・・・・
(NikonFA  Ai35~105㎜ 250分の1 F2.8 富士ネガカラ― ISO400)

2017年12月10日日曜日

115系N3と115系N35~弥彦線

2017年12月10日 いよいよ2017年の終わりが見えてきた。今年の冬のさなかに登場した懐かしの70系新潟色N3編成と第三次新潟色N35の編成。朝の1本のみの弥彦線3+3の編成である。
西燕駅での115系N35編成。 

115系N38とN33

2017年11月26日 434M 115系N38編成と115系N33編成

ことし湘南色に復活した115系1001番の編成。後ろには115系N33編成が。第二次新潟色は長野から来た編成が残るのみとなった。あれだけあった第二次新潟色が消え去ったのは感慨深い。
ススキの中を115系N33が。

この画像はフイルムカメラNikonFAで撮影した。
ふとしたきっかけで手ごろな価格で入手でき休眠状態だったレンズ資産が生かせることになった。

2017年12月3日日曜日

長野県須坂市でみかけた車掌車

2017年8月13日 長野県須坂市井上付近 ラーメン屋の手前に車掌車が2両。ステップに鎖があり立ち入りはできない。以前は店舗だった。
手前のものはかなりデッキ部分の梁が歪んでいるように見えるがコードがまかれているための様だった。

車掌車は1985年頃から連結が廃止されてご覧のように廃車後売却され線路から離れた場所で見かけるようになった。(緩急車もふくむ)
国鉄改革の落とし子。

現在入場中~115系N40編成

先月29日115系N40編成がJR東日本大宮工場に入場した。枯れた湘南色の編成であるが美しくなって戻ってくることを願う。この編成はJRマークはありません。

2017年11月19日日曜日

米坂線越後金丸付近を行くキハ22

1985年6月 米坂線越後金丸付近を走るキハ22、キハ40、キハ58の3連
当時の山形機関区の気動車で急行を除き山形が米坂線の運用を行っていた。
キハ22は北海道の印象が強いが東北地方でも配置があり山形のものが米坂線、奥羽本線、陸羽西線、鼠ヶ関までの羽越本線で見かけた。

EF64 1001 貨物1985年6月

EF641001〔高崎第二〕牽引の貨物列車 1985年は大規模ダイヤ改正で
貨物列車も大幅削減され主流はEF81牽引となった。そんななかで午後2往復EF64の運用があった。1987年2月には茶色に塗装変更されることになるEF641001もこのころはごく一般的な運用だった。長年茶色だったEF641001も最近この塗装に戻ったらしいが当地では首都圏方面の貨物はEH200、日本海縦貫はEF510となり国鉄型機関車が貨物の先頭に立つことはない。
EF641001の後ろに写っている緑のC20コンテナも今は無い。

新津運輸区で見かけたJR長野支社飯山線色キハ52 121

1999年4月 新津運輸区で見かけた飯山線色キハ52 121  
秋田新幹線開業に伴いそれまで走っていたキハ110系300番代を長野に転出させて飯山線に配置そして余剰になったキハ52は新津へ。キハ58の置き換えに回った。
1997年4月時点で長野にはキハ52が10両(101、102、117、120121122123127、135、137)下線は実際に羽越本線、米坂線などで運用されたもので、下線無は運用されないで廃車になったものである。

キハ58系はキハ28とキハ58合わせて23両あってキハ52の転入によってキハ282371、キハ58677、キハ581022を除いて運用から離脱することとなった。

飯山線色もわずかな期間見ることができただけで新潟色に変更された。

キハ52のうち122、127、137は国鉄一般色に復元されて人気を博した。
2009年の3月ダイヤ改正でキハE120の導入でキハ58とキハ28は廃車解体、キハ52はフィリピンへ転出した。


2017年11月17日金曜日

すすきと鮭の帰ってきた川を渡る

2017年11月12日 加茂川を渡る115系N3編成 447M
加茂川はすすきに覆われ鉄橋の向こうにはさかのぼってきた鮭を捕らえる仕掛が用意されている。
背後の低山にも紅葉が・・・・・晩秋を行く「懐かしの70系新潟色 」115系N3編成。

2017年11月12日日曜日

115系N3編成 434M

2017年11月12日 115系N3編成 里にも紅葉が下りてきた。低山を背に1カット。
N3の「懐かしの70系新潟色」が登場したのが厳冬期本年1月21日であるからそろそろ季節が一周したことになる。 色が塗り替えられたから115系電車が70系電車に見えるということはないが70系が引退した時代を思い出すことができるのかもしれない。
115系の方も各種塗装のラインナップが増えて絢爛たる状況である。
消え去る前の最後の輝きと言える。

鹿島鉄道キハ600型~旧キハ42000系(07系)

1987年8月15日 鹿島鉄道線 後ろには霞ヶ浦が見える。
少しわかりにくい撮影方法となったがこの形式は国鉄キハ42000系(キハ07系)からの改造である。

キハ42000系(キハ07)は九州鉄道記念館に保存車があるが前面は丸みのある外観が特徴である。
この気動車キハ600型は関東鉄道時代に国鉄よりゆずりうけて改造したものである。
1972年に前面の平妻化と車内のロングシート化さらに機械式から液体式に変更など。
キハ42000系時代の面影は車体側面の3つ扉と窓割に残るのみとなっていた。
鹿島鉄道は2007年に廃止になるが1994年に冷房が取り付けられ、塗装は急行型気動車のような塗りわけとなって生涯を終えている。

キハ600型601は1936年川崎車輛     キハ42032(キハ0729)・・鹿島参宮鉄道キハ42503・・・
                関東鉄道キハ42503・・・関東鉄道キハ601・・・鹿島鉄道キハ601
        602は1937年鉄道省大宮工場 キハ42032(キハ0732)・・鹿島参宮鉄道キハ42504・・・
                関東鉄道キハ42504・・・関東鉄道キハ602・・・鹿島鉄道キハ602

本形式については詳細な解説を行っている文献やサイトがあるのでそちらをご覧ください。

2017年11月11日土曜日

新潟交通の機械式気動車改造のクハ37

1981年6月 弥彦山を背に走る左がクハ37と右が日車標準型モハの編成。

クハ37の前身はキハ41080で1934年3月28日に新潟鉄工で落成して大館機関区に。
終戦間近の1944年7月22日新潟交通入りしている。
当面は気動車の姿で走っていたがのちに正面を2枚窓にして側面も改造されている。
この手の改造車は関東鉄道を思い出させるが新潟交通にも存在した。
1989年に廃車になっている。

2017年11月8日水曜日

屋根に雪を乗せて海沿いを走る~EF81牽引旧型客車

1982年11月 EF81牽引の旧型客車編成。ダイヤ改正まで急行「妙高」に使われた編成で14系に編成替えのためお役御免。11月13日と上野に着いた編成はいったん石打に留置されてその後所属地の直江津に向かった。1982年は雪が早かったようで11月には山間部にはかなりの雪が積もった。

2017年11月7日火曜日

115系N40~鮭が帰った川を渡る

2017年11月5日 434M 115系N40編成  だいぶくすんできた湘南色。こちらはN38編成と異なりJRマークは貼られていない。
115系N40編成先頭の447M  加茂川を渡る。加茂川には鮭が多数上ってきていた。
深まる秋を走る。

2017年11月6日月曜日

115系 N38編成

2017年11月5日 東三条 弥彦線の115系6連 N38編成が湘南色に復元されて帰ってきた。
クモハ115‐1001 1977年に造られた115系1000番代のトップナンバー。
 登場してからもう40年が経過した。 
クモハ115‐1001車内は更新改造されているのでそれほど古いという感じはない。
銘板が4枚 長期にわたって活躍した車両特有といえる。

鮮やかな湘南色となって帰ってきた115系1000番代トップナンバー編成N38 しばらく楽しめよう!





2017年11月5日日曜日

蒲原鉄道クハ10~旧国鉄気動車キハ41120

1999年7月 蒲原鉄道村松駅  クハ10とモハ71の2連  貸切乗車会のための臨時列車。
この写真撮影後10月3日蒲原鉄道は鉄道線の歴史を終えている。

目的はなかなか乗ることのできない旧国鉄機械式気動車キハ 41120改造のクハ10の乗車だった。
後ろのモハ71は村松町内の保育園が貸し切っていた。

国鉄大館機関区で廃車となったキハ41120は1950年(昭和25年)7月に蒲原鉄道にやってきた。
当初は原型のまま(エンジンなどは撤去)はしっていた。
参考のため 原型のキハ41307を 2013年1月2日 大宮の鉄道博物館にて
(なおミッションは機械式から液体式に変わってますので原型ではありません 旧筑波鉄道461号)
モハ71と編成を組むクハ10(2両目)

キハ41120は1930年(昭和5年)川崎車輛で造られて大舘に配置1949年(昭和24年)廃車
1950年(昭和25年)7月蒲原鉄道に。1958年(昭和33年)暖房取り付け。
1961年1月西武鉄道所沢工場で不燃化、片側運転台に改造し貫通扉設置、残った運転台の正面窓が4枚から3枚になった。 乗務員の扉が設置され車内のロングシート部分が拡大された。
1967年6月に窓枠がアルミサッシとなっている。
この姿で蒲原鉄道唯一のクハそしてクロスシート車両として走り続けた。

通常このクハ10は朝の通勤時間帯のみ運転だったようでそれが終わるといつも村松で お休みになっていた。日中は増結しなければならない状況が発生した(団体輸送など)に限られていて、冬以外は加茂線では見かけなかった。
加茂線では冬のスキー列車の増結で一度見ている。3両編成の中間に挟まれて唯一のクロスシートだったので「??!」という感情に襲われた。それまではすべてロングシートだと思っていたので。

さて乗車することがかなったクハ10であるが村松と五泉のわずかな距離を走るのみであり風景は単調で乗り心地は特に悪いということもなかった。(線路が40キログラムレール主流?)
座席が小さくてせまっ苦しいだけが問題なのであるがこれも時代物の車輛ゆえ往時をしのぶアイテムでありむしろ好ましく感じた。
さて、クハ10の相方だったモハ71は旧武蔵野鉄道の デハ1322で(のちの西武鉄道モハ221→モハ215→クハ1211/1927年(昭和2年)日本車両で造られている。1965年7月西武所沢工場で単行仕様に改造されて蒲原鉄道にやってきた。幌をセットしてクハ10と走ることが多かった。

乗車会の時も園児さんたちが幌の向こうからやってきて保母さんに引き戻される光景に遭遇した。

この2両は路線廃止後村松町内の方が村松駅のホーム屋根や架線柱などとともに引き取ったが、2012年ご逝去され保存の難しさから2013年6月解体撤去された。


2017年11月4日土曜日

機械式気動車 南部縦貫鉄道キハ101、キハ102

1984年5月5日 南部縦貫鉄道七戸駅 キハ102型レールバス

唯一乗車経験がある営業用の機械式気動車 バスの車体が線路を走るといったイメージ。
東北本線野辺地から終点七戸まで乗車。混雑する東北本線の客車列車を降りて南部縦貫鉄道の乗り場に。ようやく春が訪れたばかりの青森県。緑は少なく荒涼とした荒れ地や森林を見ながら七戸まで乗車。レールバスは二軸車輛のため線路の振動をそのまま拾ってくるため乗り心地は悪かったがこれがレールバスの乗り心地ということで納得していた。ドツンドツンした走行状態を楽しみながら北国の風景を眺めていた。水田は少なく畑または荒れ地・・・・北海道の風景に類似していた。小さな車体から見る荒野は旅愁をそそっていた。さて肝心な機械式気動車の運転操作はあまり見ないで風景ばかり楽しんでいたようだったので記憶がありませんが気動車の運転席にはちゃんとシフトレバーとクラッチペダルがありました。

1980年代ともなると機械式気動車はもう南部縦貫鉄道のレールバスだけだったのかもしれない。
筑波鉄道にはキハ410000型そのままに走っている物もあったがすでに液体式になっていたし・・・

2017年11月3日金曜日

EF81 60牽引荷物列車

1984年9月14日 EF8160〔酒田〕牽引上り大阪方面荷物列車 新発田から白新線経由で運転。

2017年11月2日木曜日

115系N37越後線

2017年11月2日 越後曾根発村上行きの普通列車 先頭はN37編成第一次新潟色
最近N38編成も湘南色になった。

2017年11月1日水曜日

EF81138牽引寝台特急「あけぼの」青森行き



2010年12月23日 寝静まった深夜の新津駅に発車を待つ2011レ寝台特急「あけぼの」

2017年10月31日火曜日

リゾートやまどりはかつてはときだった!

2017年10月8日 新津に到着した臨時列車。高崎の485系リゾートやまどりである。
先頭新潟よりはクハ485-703  かつてはクハ481-1105という経歴があり、さらにさかのぼると、
サロ481-1504さらにさかのぼるとサロ181-1102となる。サロ181-1102は1978年秋に181系電車の新車として登場した。
特急「とき」181系編成に用いられ、それまでの181系食堂車や電動車のグリーン車を置き換えて183系編成に合わせるため登場した。外観はグリーン車のみが目立つ凸凹編成であった。1982年11月15日ダイヤ改正で181系は任を解かれてサロ181-1100番代はすべて485系の編成に転用された。
当初から転用することを前提に造られた。サロ181-1102はサロ481-1502となりその後先頭車改造されてクハ481-1105となった。
その後リゾート
列車の種車となりクロ485-5(お座敷せせらぎ)そしてリゾートやまどりとなっている。

一番後ろのクハ485-クハ484-703もかつてはお座敷車両せせらぎのクロ484-7その前がクハ481-1107であった。こちらもサロ181-1104で1982年11月15日改正後は当初の予定通りサロ481‐1504として走りさらに先頭改造されクハ481-1107となっている。

車体は東急車輛製造で改造を受けているためかつての面影は全然ないが・・・・






2017年10月30日月曜日

月潟晩秋~新潟交通保存車両




2017年10月29日  月潟にて  桜やダウダンツツジが色づいた。


冷たい雨に濡れるモハ11  桜の木も黄色くなっていた。

キ116の屋根の上では作業をする人が。まもなく冬を迎える。




雨の日であっても見学者がやってくる。撮影後家族連れが駅舎の方に・・・・

駅舎は開いていたので往時をしのぶことができる。

2017年10月29日日曜日

機械式気動車

2017年5月5日 くびき野レールパーク 機械式気動車ホジ3  いまでは希少価値の高い機械式気動車。クラッチとシフトレバーで変速するマニュアル車。(DB92も含む) くびきのお宝のこす会の古参の方によると相当な貴重品との事であった。
ホジ3の運転席  左側にシフトレバー 中央にクラッチペダルがある。

鉄道博物館のキハ41307  キハ41000型は機械式気動車でガソリンカーであった。
昭和の初期から活躍を開始している。
機械式気動車内部  座席間隔の狭い小さなボックス席が並ぶ。
鉄道博物館のものは筑波鉄道から引き取られたもので1987年3月31日廃止。
すでに液体式気動車に改造されていたと思われる。

新潟県内では戦前から気動車の運転が始まっている。昭和11年(1936年)4月1日越後線及び弥彦線に気動車を運転する(写真集新潟の鉄道百年 年表より 1978年新潟日報事業社)
さらに戦時中の昭和18年(1943年)11月1日 信越本線貨物線が新潟~越後線関屋間開通。越後線と信越本線の区間に貨物列車の運転が開始。臨港地帯の工場労働者の輸送のため越後線から東新潟港まで旅客列車の運転が開始( 越後の停車場 朝日新聞新潟支局編  朝日新聞社 1981年)
この運転に使われたのがキハ41000型機械式気動車だった。 写真集 新潟の鉄道百年 P79には戦前のキハ41103の写真が。気動車の前には女性車掌3名も。
機動性に優れた機械式気動車は昭和26年(1951年)4月1日 新潟~新津~新発田~馬下に天然ガス気動車の運転を開始してさらに越後線などにも運用を拡大している。
昭和26年12月15日 信越本線貨物線新潟~関屋間は越後線に編入、従来の関屋~白山の区間は廃止された。12月31日白山機関区廃止で翌年1月1日西吉田機関区を新設。昭和29年5月1日には越後線はすべて気動車になった(貨物列車と他線区から関屋に乗り入れる列車を除く)

 西吉田の機械式気動車はキハ41614~41619とキハ42523と42538が配置されていた(鉄道ピクトリアル938 2017年11月号 P152 絵葉書の中の国鉄ローカル線 第33回 弥彦線 白土貞夫)
これらは昭和31年(1956年)キハ45000系(キハ17系)に置き換えられている。

さて機械式気動車は私鉄に引き取られることも多かったが
新潟交通のクハ37はキハ41080で1934年3月28日新潟鉄工にて製造され大館機関区に1944年7月22日には新潟交通に。

蒲原鉄道のクハ10はキハ41120で1935年9月 川崎で製造され大館へ1949年9月30日蒲原鉄道へ。

新潟交通の方はロングシートだったが蒲原鉄道はクロスシートで廃車まで勤めている。

現在どちらも解体されて現存していない。



2017年10月28日土曜日

EF65535~新津にて

2010年10月  新津駅で発車待ちのEF655358〔高崎機〕DD51822(愛知〕 東新潟機関区の一般公開のため遠路はるばるやってきた。上越線経由で帰すこととなったが牽引は南長岡までEF510牽引。
 

2017年10月27日金曜日

只見線 第二鉄橋

2007年6月 只見線第二只見川鉄橋 会津西方~会津宮下  キハ48とキハ40の2連。

2017年10月26日木曜日

EF641005牽引車扱い貨物列車

1985年信越本線 EF641005が牽引する今は無い車扱い貨物列車。 この時代はヤード系が廃止されて解結貨物列車などはなくなり車扱いは拠点区間を走る直行と集配に再編された。JR移行後専用貨物列車となった。ただ専用貨物列車といってもセメントや石油専用のピストン輸送タイプと異なり一部貸し切りのような性格であった。そのため旧来の貨物列車のイメージをそのまま引きずっていたが2007年以降高速化の妨げとなるためかコンテナ列車となるかもしくは廃止されるかとなった。
現在はこのような列車の姿を見ることはできない。

2017年10月25日水曜日

EF81 103牽引12系団体列車

1988年1月1日 EF81103〔敦賀〕牽引12系6連の団体列車。 12系は姫路の所属だった。
この12系は12月30日新潟到着の臨時夜行急行「越後」の編成であった。
冬にしては雪のない真っ青な空を背に走る編成はまるで常磐線の様だった。
EF81103は1989年(平成元年)トワイライトエクスプレスの運転開始に伴い塗装変更がされる。

2017年10月24日火曜日

快晴の越後平野を走る115系第一次新潟色

1988年1月1日 115系第一次新潟色と湘南色の編成 長岡行き普通列車。
1987年4月1日に国鉄が分割民営化された。当初は湘南色で引き継がれた115系も徐々に第一次新潟色への変更が進んでいった。

この日はこの列車のすぐ後にやってくるEF81103〔敦賀〕牽引の12系団臨を撮影するためにこの場所に立っていた。穏やかな年の始まりを喜びつつ撮影した1カット。