2018年9月30日日曜日

EF510-501 下り貨物4061レ

2018年9月29日  下り4061レ  手前の稲も間もなく刈り取られて収穫の秋も終わる。

2018年9月28日金曜日

115系N36編成まもなく第二次弥彦線色に

2018年9月15日 3374M 新井快速115系N36編成
115系N36編成のこの色も間もなく見納め。11月3~4日に本編成が弥彦線色(2015年に廃車になるまで走っていた塗装)となり新潟~弥彦~吉田~東三条~新津~新発田~新潟の経路で臨時運転される。(時刻は新潟支社のサイトに)
この第三次新潟色もN34編成だけになる。N35編成は第二次新潟色となってすでに運転している。しばらくは各種塗装で楽しめる。

復刻版の第二次弥彦線色は弥彦線に運用があるので3両編成であるが往時を思い起こすことができると思う。(ワンマン化はされないようだ)

2018年9月26日水曜日

115系N38編成~燕にて

2018年9月23日 222M 弥彦線燕にて 115系N38編成が走る。
227Mは115系N37編成とN34編成であった。
E127系 224M

右手の道路は新潟交通電車線の廃線を利用したものである。快晴ではあるが海側方面は霧に覆われていたようだ。

おまけ
新潟市西蒲区の上堰潟公園の稲わらアート 象?
かば?




上堰潟・・・新潟市内にある潟湖 公園は大勢の人で賑わっているが湖面は静けさが漂う。

コスモスもあったがあまり多くなかった。





2018年9月25日火曜日

EH200-16牽引2092レ

2018年9月24日 彼岸を過ぎて夜の時間が長くなり明るくなるのが遅くなった。夜が明けてしばらくたったころEH200-16牽引の2092レが通過していった。

2018年9月24日月曜日

弥彦線弥彦駅

2018年9月23日 弥彦線弥彦駅  月潟の後は午後から西蒲区へ
弥彦駅前は廃墟だったホテルが取り壊されて駐車場と足湯が新設されていた。
JRの列車を降りて駅からすぐに弥彦山を眺めることが可能となった。
大正時代の弥彦駅前 すでに旅館などが多数並んでいる。手前側が弥彦公園。
大正時代の弥彦駅舎 今と変わっていないが正面の屋根が少し違っているのと今よりあっさり目に見える。
弥彦駅のあゆみ~開業から現在までの歴史が記載。

これら資料は弥彦駅の玄関の右手の壁に掲示されていた。
弥彦駅コンコース 列車まで間があり人の気配はない。キオスクも16時に閉店した。
弥彦公園の久須美東馬(1877~1947)の銅像.北越鉄道(現信越本線の直江津~新潟間)に尽力した父の久須美秀三郎とともに越後鉄道を創設し鉄道経営を行った。弥彦公園も越後鉄道によって造られた。桜、新緑と紅葉の頃は賑わいを見せ臨時列車の運転も行われる。
久須美父子は越後線の小島谷出身で駅から与板方面にしばらく進んだところに住雲園という庭園を持つ旧宅が生家である。





新潟交通保存電車~たそがれの商店街賑わう~新潟市南区月潟

2018年9月23日 南区月潟 新潟交通月潟駅近く 普段は閑散として人通りの少ないこの付近「月潟大道芸フェステバル」が行われるためか賑わっていた。左側の祭りの旗が華やかさを添える。
商店街中心部の様子 野菜を販売する出店。ほか木工や衣料、血圧測定などもあった。
月潟名物の保存電車 この日はトロッコの運行日だった。ごくわずかな距離を残っている線路上を手製トロッコが走る。
コスモスの中からトロッコ折り返しの駅名標 

保存電車モハ11 ホーム奥に売店があり菓子類が多数発売されていたので彼岸の仏前用に買い求めた。
モワ51内部 電動貨車である 廃止駅の駅名標が展示
月潟駅の窓口 

時間の関係で「大道芸」を見ることはできなかったが大勢の人が歩く月潟の商店街の賑わいを見ることができた。




2018年9月21日金曜日

稲刈りももうすぐ終わる

2018年9月17日 長岡快速3481M 115系N38編成 湘南色
入れ違いに現れたE653系 「しらゆき4号」 

暑い夏も終わってまもなく彼岸。稲刈りも進んで季節が足早に動いている。
 

2018年9月19日水曜日

115系N35編成~第二次新潟色

2018年9月17日 「私と通勤・通学電車」~みんなで選ぼう115系車両デザイン~が本年の2月行われ最も人気が高かったのがこの塗装となった。ちなみに後部の115系N40編成の懐かしの新潟色(旧70系色)は人気がなく下位の方から数えた方が早いレベルだった。

さて大宮工場を出場して鮮やかな色での運転。この色は本来未更新の編成だったが今となってはそんなことも過去の話となった。
115系N36編成は現在第三次新潟色で運転しているがこちらは第二次弥彦線色となる予定である。

最後の115系7編成のうち複数の色は第二次新潟色でそれ以外は各色1編成となる。

2018年9月18日火曜日

灯りに彩られる伝説

1999年10月 蒲原鉄道五泉 モハ61電車 撮影は廃止1週間前
2018年9月15日  あかりば2018 展示されたあかりの中から・・・・
加茂市冬鳥越展示のモハ61 加茂~村松間廃止は1985年3月31日 廃止からもう33年が経過してしまった。
いまは保存電車として余生を送っている。春の桜、初夏のバラ、秋の紅葉、冬は一面の雪原 過酷な豪雪地であるが自然を楽しめるので多くの人が訪れる。


蒲原鉄道・・・・山あいをのどかに走り続けた時代は遠くになったがいまも人々の記憶に残る鉄道。

参考 AKARIBA2018(あかりば)
2018年9月15日 加茂市青海神社 にて だるま
 猫
ライトアップされた青海神社拝殿
野外ステージのキャンドル
神池のあかりの和傘
青海神社の門前宮大門のあかり
あかりの結婚式 (公募されたカップルが勤める 衣装を着たまま急こう配の上り下りがあり暗くて見通しの悪い野外を通過するので相当きつい挙式である)
加茂駅前の通りのジャズフェスティバル  フードコートが設置されるのでのんびり過ごすのも楽しいかも。







2018年9月16日日曜日

石打のEF5861と115系

1994年9月 上越線石打にて 到着した団体列車から切り離されたEF5861が入れ替えのため構内を移動。右手には115系が待機。
現在の石打駅はこの115系が停車している1番線がなくなり上り本線(EF5861が入れ替えをしている2番線)と下り本線(3番線)だけになっている。ほか引き上げ線と留置線がわずかに残るだけとなっている。この駅での機関車の付け替えも今は不可能である。

石打はかつて国境越え列車の補助機関車連結と切り離しを行う駅として知られていたが国鉄がJRに移行後は切り離しが南長岡(宮内を含む)に変更されのちには水上も高崎に変更され一部は新潟貨物ターミナルまで重連で通すこととなった。
機関車牽引の列車も削減が進んだ関係か石打での機関車連結や切り離しもなくなったためか構造が簡素化されるに至った。
かつては一日中補助機関車の連結切り離しで明け暮れた時代も今は遠い記憶となってしまった。

2018年9月14日金曜日

羽越本線酒田行き普通列車 843D 

1983年5月 羽越本線新発田 新潟から酒田に向かう普通列車。キハ40系とキハ35の編成。キハ35は暖地型55号で1979年に老朽化したキハニ15の置き換えに入った。
通常は半室荷物車扱いで運用は固定されていた。車内はアコーデオンカーテンで仕切られ扉に荷物のシールがされていて車内に荷役車掌が乗務していた。
返しは吹浦~新潟間826Dであり酒田~吹浦間は秋田管内でキハ35系では最北限だったようだ。羽越本線の庄内地方ではキハ22も多数運用に入っていたので二重窓極寒冷地型と暖地型通勤車が顔を合わす場面があったと考えられる。
1984年4月 羽越本線の運用が無くなり休車となった。

2018年9月13日木曜日

赤谷線 東赤谷

1983年5月 赤谷線東赤谷にて 新発田から乗った東赤谷行きの列車。
駅構内と赤谷線の「本線」 終着駅「東赤谷駅」はスイッチバックでありさらに赤谷駅から1000分の33の勾配があることで知られていた。
新発田からのった列車も赤谷までは平凡な風景であるが赤谷を出ると人家が無くなり加治川の渓流にそって走る。急こう配をあえぎ登っていったんスイッチバックして東赤谷に到着。
赤谷線は1984年3月31日に廃止されている。
いまこの付近は全ての人の営みは消えて無人の地に還っている。
ことしからバスも運転されていない。

2018年9月12日水曜日

遅れてきた春を走る

1984年4月 弥彦線越後大崎駅~大浦駅の区間 夕方の越後長沢へ向かう列車。
桜の木が写っているが三条水道局の浄水場である。
1984年の4月は寒い日が多く桜が満開になったのは下旬になってからである。

現在この場所は国道289号線に転用されている。

2018年9月9日日曜日

懐かし写真館~三条市大崎公民館 旧弥彦線越後大崎駅付近

1985年3月 弥彦線大浦~越後大崎 現国道289号線清流大橋付近
本来越後線・弥彦線東三条~弥彦間電化開業時に廃止される計画であったが1年延びて1985年3月31日限りでの廃止となった。主力のキハ30系は転属や休車となりキハ58系に置き換えてわずか1年であるが運転された。この区間は前身の越後鉄道が国有化される際に有利になるように延長したものだと言われている。ttps://ja.wikipedia.org/wiki/越後鉄道疑獄事件
免許は越後鉄道が八木前まで取得していたが国有化の際に失効している。
東三条と越後長沢の区間は利用者が少なく戦前1944年にいったん路線休止となり1946年復活している。以降1985年まで運転されたが末期は日中の運転は無く朝と夕方の通学時間帯のみとなっていた。

さて越後大崎駅跡近くの三条市大崎公民館に写真展が行われ越後大崎付近の写真も多数展示ということで鑑賞に出てみた。雨のためかがらんとしていたが講義室には多数の写真が展示されていた。弥彦線の越後大崎界隈の写真は入り口付近に多数あり廃止当日の越後大崎駅の様子も克明に記録されていた。
最終日東三条で列車が到着する光景を見ていたが6両編成の気動車から大勢の人が別れを惜しんで降りてきたのが印象に残っている。

入り口付近の様子 民具が展示 写真はほかに三条祭り、農作業の様子、ほかに信越本線の俯瞰撮影の蒸気機関車列車もあった。
協賛で大島地区の写真も展示され、新潟県県央地域のの資料も展示されて自由に閲覧することができた。

はさ木が並び稲が干され、濠には刈り取られた稲を積んだ小舟があり、田を耕す牛の姿・・原風景的な写真が多くあったのが印象深かった。

最後の国鉄電車ガイドブック

昨日購入した書籍である。手持ちの資料の棚を調べたら国鉄電車のうち「旧型国鉄電車ガイドブック」や「国鉄電気機関車ガイドブック」「国鉄気動車ガイドブック」はあるものの新性能電車といわれたモハ90系=101系通勤型電車以降の資料が無いので・・・

この書籍は1987年4月1日に国鉄からJR各社に引き継がれた形式だけが記載されているがそれでも400ページを超える分厚い資料となっている。
出版は誠文堂新光社でガイドブックシリーズを手掛けていることで知られている。
写真は広田尚敬氏で情景作品のイメージが強いが本来は「形式写真」が出発点であったことが冒頭に記されている。

掲載されている形式は1987年4月1日現在に在籍している車両のためそれ以前に形式が消滅した151系、161系、181系の「こだま」型特急電車、153系「東海型」、155系、159系の「修学旅行」電車、157系「日光型」の一般車は記載されていない。
これらは違う資料を調べる必要がある。

一方201~207系、211~213系、121~123系と713~715系交流電車、100系新幹線、200系新幹線といった1980年代以降に登場したものが記載されている。
(新性能電車ガイドブックは1970年代に出版されているので上記は当然記載がない)

残存系列でも1987年4月1日までに消滅したサハシ165、169、サシ581、サロ451、サロ455、クモユ141、143は記載されていない。

この書籍に記載されている形式もほとんどが消滅または消滅間近。また塗装も最後の国鉄色のものが記載されている。
購入した目的は車内の構造を記した図面が見たかったためである。

この書籍の値段は税込みで3700円弱であったがかつては2分冊でたしか1冊2000円くらいだったので異常に高額ではないと思う。サイズもB6判で以前のガイドブックと並べて保管できる。

新性能電車ガイドブックを購入しなかったのは新性能電車に思い入れが無くどこにでもある当たり前の車両と考えていたため。

秋雨前線の下を走る115系N37編成

2018年9月8日 3481M 満員の乗客を乗せて走る。水田は黄色く色づいて刈られるのを待つ状態になっているがあいにくの雨で稲刈りができない状況にある。

2018年9月8日土曜日

稲刈りが進むころ

1983年9月 蒲原鉄道 七谷~狭口 モハ41


農家は稲刈りの真っ最中。まだはさ木に稲をかけて天日干しする光景が珍しくなかった時代。モハ41ものどかに走っていた。

2018年9月5日水曜日

御召機関車の並び

1986年7月 東北本線小山機関区 EF5861、EF8181、DD51842 の並び
国鉄末期の大盤振る舞いだった。
先月東京の大井工場でEF5861が公開されたようである。近年は動くこともなくなり車庫内で保管されていたが久しぶりに外の空気を吸えたようだ。
EF8181も現在は写真の塗装に戻っているがすでに1号御料車が現役を退いているためお召し列車の先頭に立つことはなさそうである。