2020年5月31日日曜日

薔薇に彩られて~蒲原鉄道保存車両

2020年5月31日 加茂市冬鳥越 スキーガーデン
薔薇の季節となったが5月の寒い気候のためか咲いているのはまばらだった。
それでも結構な人々が薔薇を楽しんでいた。

スキーガーデンのトイレと自販機以外は閉鎖。蒲原鉄道の車両たちも閉鎖となっていた。

115系N40編成 222M

2020年5月31日 115系N40編成 寺泊行き
田植も終わって水田の緑が濃くなってきた。
柏崎からの115系N36編成+N38編成湘南色

梅雨に入る前の青空と水田の風景。


2020年5月30日土曜日

EH200-24 2081レ

2020年5月30日 EH200-24 2081レ
未だ寝静まる夜が明けたばかりの薄闇を通過。AM4:30
朝焼けに向かって走る。
列車が走り去った後尾灯の赤が山間へ消えていった。

2020年5月29日金曜日

EH200‐5 6082レ

2020年5月28日 EH200‐5 6082レ 午後の晴天の空を背に走る。
2010年の10月に一部が二軸貨車で運転されていたものが完全なコンテナ列車となった。
この列車のコンテナには紙のロールが積み込まれていて、焼島~新潟貨物~隅田川の運転となっている。

2020年5月28日木曜日

115系N34編成 225M

2020年5月28日 115系N34編成 225M 乗り込む人々はみんなマスク姿。

本日より実施されるはずだった上越新幹線の減便ダイヤは回避された。

2020年5月26日火曜日

鉄道ピクトリアルの特集はムーンライト

2013年1月2日 長岡で発車待ちの臨時快速「ムーンライトえちご」
この時代はすでに上越線経由の夜行は寝台特急「あけぼの」のみ。北陸と能登は廃止されていた。また日本海縦貫線「きたぐに」「日本海」も最後の冬を走っていた。こちらも臨時に格下げられていたが利用は低迷しダイヤ改正で運転そのものが無くなっている。

ムーンライトえちごよりはきたぐにの利用の方が多かった。自由席ありのためか利用しやすかったからであろう。
ムーンライトえちごは165系時代、485系時代とも年に1回程度の利用であった。
ひたすら闇の中の上越線や高崎線の光景が記憶に残っている。

これらが消滅した後は遠征もすることもなくなり出かけても新幹線利用となっている。

ほかムーンライトと名の付く列車はムーンライト八重垣だけでこちらは京都~出雲市の利用で目が覚めたらみしらぬ山陰の街を走っている情景がよかった。14系の改座車も乗り心地がよくよく眠れた。夜が明けてからの宍道湖や松江の街並みも印象深かった。

ムーンライトながらは乗車歴はないが大垣夜行の上りの世話によくなっていた。
東京4時40分台着は結構きつい時間帯だったが・・・・
こちらは行くことが無くなってから20年以上が経過した。

関西や山陽方面に行くことが無くなって9年近くになるがこれからも行くことはできないのであろう・・・

2020年5月25日月曜日

EH200牽引2092レ

EH200‐19 牽引の2092レ  日曜発はコンテナが少ない。
田植えの終わった水田を見ながら快走。

5月28日から予定されていたJR東日本新幹線の減便は緊急事態宣言が解除されたことで行われないことのなった。

2020年5月20日水曜日

上越新幹線MAXとき306号

2020年5月16日 上越新幹線 ここ10年以上上越新幹線以外に乗車しなくなって久しい。
東京での公官署での書類申請に昨年の8月に乗っただけで今年は新幹線にのる所用は発生していないしコロナウィルスの影響で不要不急の外出特に県をまたぐ遠征は自粛すべきということで本年は乗車の機会はない。

さて新幹線撮影は和南津の峠の 魚野川をまたぐ付近に1か所あるので10年ぶりに訪ねてみた。棚田が点在するのどかな場所である。
ちょうど農家の方々が田植えをされていた。それ以外には通行される方もなく無人地帯にいる感じだった。

この和南津付近は上越線、上越新幹線、国道17号線、関越自動車の動脈が交わる地点である。上越新幹線と上越線は橋梁で、国道17号線は橋梁とトンネルで、関越自動車道も高所を通過してそれぞれ難所を通っていく。

和南津では新幹線を中心に眺めていた。東海道新幹線のようにひっきりなしに通過はしないが時折轟音を響かせて走る列車は高速鉄道であることを実感する。

MAXときのE4系は昨年の台風19号災害で10編成が被災したため上越新幹線に投入予定だったE7系を北陸新幹線に振り向けざるを得ず、E4系の当面の延命が決まった。
コロナウィルスの影響で自粛が求められる中輸送量が大幅減少となって厳しい状況が続いているいま、経費削減のためもしかしたらさらにE4系の延命が続くのかもしれないがもちろん不確実な予想に過ぎない。


2020年5月19日火曜日

越後駒ケ岳とE129系

2020年5月16日 越後堀の内 残雪の越後駒ヶ岳
新型電車だけが走り配給輸送でもない限り沿線で撮影者を見かけない上越線。
それでも魚沼界隈の風景は変わっていない。静かに往時を思い出して向き合うのも悪くはない。

2020年5月18日月曜日

弥彦線115系N34編成+N37編成

2020年5月17日 115系N34編成+N37編成 226M
燕でE127系と交換。
N37編成 雨が強くなってきたので短時間で切り上げた。

2020年5月17日日曜日

只見線越後須原付近のキハ48の2連

2020年5月16日 越後須原~上条間の下り只見行きキハ48の2連 2426D
越後須原駅の只見線キハありがとう!の幟。季節を走る列車たちの写真が用いられていた。また待合室には地元の小学生が描いた只見線列車の絵が飾られていた。

越後須原は無人駅であり人の気配はなかった。
駅前にはエーコープの店があり買い物客でにぎわっていた。ここで地酒を買い求めた。
なお不織布マスクが何箱かあった。買い求めている方もおられた。


2020年5月16日土曜日

只見線 キハ40水鏡風

2020年5月16日 只見線薮神 キハ402020とキハ40587  
発車の汽笛が鳴りしばらくして現れた。列車内に乗客の姿は見えなかった。
周辺の水田では田植が行われ田植え機が動き回っていた。

もう少し水鏡を強調したかったがすでに若いカップルが撮影にいそしんでいたので少し下がったこのあたりから。
無人踏切と半欠けの水鏡を入れて 。
八海山と魚沼の街 水田は田植え機がうなる。只見線ではまだ平凡な地形のこのあたりだが残雪の頃は越後三山を望める絶景が楽しめる。

5月14日に緊急事態宣言は新潟県では解除されたが「密」にならないよう努めなければことに変わりがない。

2020年5月14日木曜日

5月28日から新幹線の大幅減便が始まる

2019年8月19日 E2系 長岡~新潟間の491号運転のための回送列車。
燕三条駅13番線でしばらく停車して長岡に向かった。

コロナウィルスの影響でJR各社の輸送量は大幅減少となった。緊急事態宣言による自粛要請で利用者が大幅に減少し鉄道事業そのものの収益性が悪化。
そのため5月28日より上越新幹線では4割削減。一日17往復程度の運転となる。
また「乗って楽しい列車」という「SLばんえつ物語」や「shu*kura」「海里」「現美新幹線」の運休も継続となる。
イベント列車や観光列車もコロナウイルスの感染を拡大する要因となるため、さらに生活と関連の薄い不要不急のものであるため真っ先に切られた。(撮影者が感染地域からやってきたり列車内の密の派生が考えられたりする)


これからも明るい話題があることは考えにくくこの状況が長期化すると運賃の値上げやローカル列車の一部の運転見直しやさらに最悪一部のローカル線の路線廃止などの議論も発生すると考えた方がいいのかもしれないがそうならないことを切に願う。

2020年5月13日水曜日

特急「谷川」の残影

石打駅で見かけた特急「谷川」の14時35分発の看板。 1982年11月15日に上越線水上~上野間の特急として登場したがスキーの輸送で石打まで乗り入れていた時代があった。
1982年11月15日ダイヤ改正では石打14時27分で越後湯沢発14時35分上野到着17時30分。3時間程度の道中だった。



現在は上越線には特急列車の運転は「草津」の乗り入れのみで水上方面への運転はない。
石打の特急「谷川」の看板もよき時代の遺構である。 この看板は石打駅にあったものかどうかはわからないが・・・
JR東日本移行後の昭和63年ダイヤ改正後の新特急谷川6号のものだった。石打の発車は14時36分で上野到着17時35分で看板の時間と一致する。この列車はスキーシーズンの3月13日と19日から21日の運転時刻となっていた。豪雪地帯のこのあたりまだまだスキーは可能で利用も多かったかもしれない。


この谷川号の看板の裏手には
こちらの階段をご利用くださいとあるので「谷川」の看板は廃品利用である。

上越新幹線開業で石打の地位は低下して昨今のスキーの不振もあって低迷しているようだ。
現在、駅前の土産物店は全て廃業している。石打の界隈でお店が開いているのは石打丸山スキー場の近くだけになってしまった。

国鉄時代の上越新幹線開業前も石打はスキーシーズン以外は閑散としていたがそれでも1件だけは店が開いていた記憶がある。集団で石打で列車撮影会を行い 次の大沢駅付近で降りて撮影会の続きをするツアーに参加したが参加者の多くは駅前の店でカップ麺を買い列車に乗り込み次の大沢で降りて食べる段取りだった。一般の客からは奇妙な光景に見えたと思う。
今では懐かしい記憶。いまは店が無いので何かを買って乗り込むこともできない。

*急こう配の有る水上と石打の区間には補助機関車運用があり石打では開放や連結があった。運用を終えた機関車についてつぎの運用までの間撮影が許可された。もちろん許可新線を行ったうえで。
この時代も貨物列車は夜間が多く日中はそれほど多くはなかった。それでも11時から16時の間までで4~5本運転を見かけたが。
石打の補助機関車の連結は1988年のダイヤ改正まで続いていたがその後南長岡に変更され石打での連結はなくなった。
上越線の補助機関車の話も貨物列車はEH200型がらくらく走破する今となっては 遠い時代の話題に過ぎない。


2020年5月12日火曜日

ふたつの心臓を持つ大川(Big two‐Hearted River)

上越線土樽駅近く この奥には上越線土樽駅と清水トンネルがある。
緑中の川と渓流釣りを楽しむ人・・・
自然の豊かな場所だが 近くを関越自動車道も通っているのであまりのどかではないかもしれない。
アーネストヘミングウェイの短編「二つの心臓を持つ大川」(Big two‐Hearted River)
列車で降りた青年がひとり鱒釣りを楽しむはなし。
駅を降りると火事で焼け落ちた村があり焼けた村を通って川へ向かう。
そこで見つけたバッタも真っ黒け。
ひとり荷物を背負った青年は川にたどり着き野営をして食事を作り鱒釣りを楽しむ。
とくに夕食のスパゲッティを作って食べるあたりの下りが印象的である。
この作品はこのスタンスが続いていて明るい光景が心地よい・・・
翌日は釣りに没頭する。

最初のこの作品を読んだときは川に鱒が泳いでいるあたり???だったがアメリカや欧州では珍しいことではないらしい・・・・

この作品は一見明るいアウトドア指南の書に見えるが列車を降りたら焼け跡だったり黒く焼け焦げたバッタは作者アーネストヘミングウェイの戦争体験に由来するものだと言われている・・・・

越後中里の旧型客車

上越線越後中里駅裏手のスキー場の無料休憩所はスハフ42、スハ43、オハ47の客車であり1984年の冬から使用され今日に至っている。休憩所内はシーズン以外には立ち入ることができないが公道から遠望することができる。まだまだ「現役」の客車たちの姿を見ることができる。

2020年5月10日日曜日

田植の終わった水田を見ながら走る115系N38編成湘南色

2020年5月10日 115系N38編成湘南色 3481M
乗客の数は少ない。
水かがみになったが水田には稲が植えられあまりすっきりしない。

障子張りですごした連休

2018年8月13日 碓氷峠鉄道文化むら かつてのお座敷列車「くつろぎ」内部。
お座敷車であったがいす席もあったのでしばらくここで休憩したときのカット。
お座敷列車でおくつろぎになる方々・・・
テーブルにごちそうを乗せて足を延ばす家族連れの方々。楽しそうな場面。
そとは雷雨なのでゆっくり座敷内でくつろぐのが最適だったと思う。

ゴールデンウイークは不要不急の外出自粛であり破れたり劣化した障子の張替をして過ごした。障子を張り替えただけで気分が違うものである。


2020年5月7日木曜日

日本の夏・茨城交通の夏!

1987年8月14日 茨城交通金上~中根をゆく気動車4連 お盆の帰省輸送か海水浴の輸送か不明だが4連の長大編成がひっきりなし。この編成はJRに引き継がれなかったキハ10系が3両と北海道から来た湘南顔の気動車の計4連。
これらが国鉄色2色だったら 大いに興奮したかもしれない編成。国鉄では電気式気動車が湘南顔で走っていたが昭和50年代には液体式にされほとんどが荷物車になっていたようだ。廃車も早く伝説の車両だった。

もっともこの湘南顔は北海道から来た私鉄車輛だということは知っていたので特に興奮することなく粛々と撮影を遂行していた。キハ10系も特に好きだというわけでもないし。
阿字ヶ浦付近を走る 広大な畑を突っ切って走る光景は北海道を思わせた。
ここのキハ10系のうちの1両は大宮の鉄道博物館で見ることができる。


2020年5月6日水曜日

聖地上越線



1985年3月31日 EF15200とEF15165牽引12系 1985年3月14日のダイヤ改正で運用を消滅したEF15のお別れ運転。現在碓氷峠鉄道文化むらにEF15165が保存されている。

さて連休期間は掃除や家庭菜園の苗の買い出しなど家事雑用ですごした。列車見聞は朝の弥彦線のみ。本日は時間ができたので上越線のDVDを眺めてみた。

2009年から2010年頃に「真夏の風」様より購入した上越線のDVDをゆっくり見る機会ができたので往時を思い出しつつ観賞した。
2009年は当時夜間運転のみだった貨物列車が日中の上越線に復活した年である。2015年3月に消滅するまでの間南長岡~越後湯沢間でも7~8本は見かけることがあった。
一部にはEF64の運用が組まれ賑わいを見せたことがあった。そんな時代。
夜行列車も本数が多く寝台特急2往復、急行1往復、快速1往復 それに臨時運転も加わるという平成の黄金時代(昭和の黄金時代もあったが平成のそれは新幹線網の延伸で枠が上越線に振り向けられたことにおいて実現した。特急「あけぼの」は秋田新幹線、急行「能登」は長野新幹線(現:北陸新幹線)で行き場がなくなった夜行列車が上越線に集結した。

貨物列車も原色重連のEF641000番代、旅客は特急が185系、普通列車は115系メインで一部107系という時代。何気ない日常だったがそれがいまでは貴重になっている。
今は見ることのできない光景がほどんどでありDVDをとおして過ぎ去った時代へ旅をすることができてよかった。


2020年5月5日火曜日

新緑を走る115系N38編成湘南色

2020年5月4日 緑の日  115系N38編成湘南色 3481M
混雑はなく空席が目立った状態で通過・・・
花の季節から新緑へ季節が移った。まぶしい新緑とE653系
家事雑用の合間に・・・・
青空に映える新緑だけを・・・気温は25℃を超えて夏日になった。
夕方職場の関係者と寺泊へ・・港から見た光景。
ISLANDS IN STREAM

帰宅後モヒートとアジの刺身を楽しんだ。




2020年5月4日月曜日

季節はいきなり夏に・・・

2014年1月1日 小湊鉄道五井 駅のホームから機関区を

 かねてから予定していた家事雑用を・・・
通勤経路が水田地帯のため農家が落としていったトラクタの泥が車体にぺったりまずは洗車、次は友人や親せきに米の発送、障子の張替、あいまに風呂掃除に食事造り。

列車撮影も若干入れて・・・貨物は全て運休なのでわずかに残る115系を。
弥彦線寺泊便はN34で柏崎からの6連は東三条寄りに湘南色N38吉田よりN35、信越本線下り快速は弥彦線第一次N33という陣容。夕方の新井快速は115系湘南N38で順当に流れている。越後線の出雲崎付近では撮影者が多数集結していて農家とトラブルを起こしているということだった・・・なので邪魔にならないよう無名撮影場所でも注意する必要がある。

天候も良く気温も適度で快適な連休の始まりであった。撮影後イオンでスペアミントを。
モヒートを買ったのでそれに入れるためである。
 モヒートである。ラム酒とライムがすでに配合済み。
本来ラム酒と砂糖、ライムを混ぜ、グラスにミントを入れ氷を入れて楽しむ・・・
文豪ヘミングウェイが好んで飲んだカクテルらしい・・・

イオンの駐車場でNHK小さな旅を・・・「鉄路の花ひらくとき」小湊鉄道が取り上げられていた。先月取材のようで満開の桜と菜の花を走る気動車が出ていた。昨年秋の台風で被害が出た沿線・・・駅ごとで花畑の手入れをする方々、オートバイ改造の軌道バイクと保線員の方々、そしてコロナウイルスで卒業式もままならない中で思い出の桜の木の下で仲間たちと再会する中学生・・・・

一番上の画像は五井駅のキハ200型 五井は千葉近郊の住宅街だったが少し進むと山林になる。春の菜の花は人気がある・・・

行くことができないエリアなので番組を見ることができてよかった・・・・
その後の番組は中井貴一のサラメシで兵庫県のはさみの職人さんたちが取り上げられていた。
理美容師のはさみの職人たちの奮闘が紹介されているがBGMはイタリア西部劇「夕陽のガンマンのテーマ曲」エンニオ・モリコーネの名曲だが厳しい職人たちの闘いの場面にマッチングしていた・・・

帰宅後は愛車を高圧洗浄して中も掃除・・・久しぶりにすっきりした。米を出荷して、115系N33編成快速を追撃、そのあと一息ついて障子など買い出しして障子張り替え・・・(気温は夏日になったが夜になると蚊が出てきた)

 夕食はたけのことこんにゃくの煮物を作ってみた。ほかにカレーチャーハンも。
 そういえばNHK中井貴一のサラメシではさみ職人の一人がエスニック系のワンプレートを食べていたのを思い出した・・・・

追記:エンニオ・モリコーネ氏は2020年7月6日91歳にてご逝去されました。哀悼の意を申し上げます。(2020年7月12日)


下積み時代のEF510

2004年8月4日 EF510-2他 EF81とEF641000も後ろに着く。さらに化学薬品タンクとセメント、コンテナが連なる・・・
EF510もようやく花開いたころの一幕。 JR貨物は新型機関車の増備は東海道本線のEF210の方を急ぎさらに中央本線のEH200や東北本線のEH500の整備に力を注いだため縦貫線は後回しにされることとなった。主力はまだまだEF81で老体に鞭を入れて走り続ける結果となりさらにEF81400番代や450番代も駆けつけることになる。

2020年5月2日土曜日

485系特急「たざわ」

1991年1月1日 秋田 485系国鉄色7連 左手にキハ40系
古びた跨線橋が国鉄を思い出させる。
特急「たざわ」は7連になっているが通常は3連だったので臨時増結されていたのかもしれない。年末年始の帰省シーズンで混雑する時期だったため。

この時代の秋田駅は国鉄時代の雰囲気を残していた。イメージが大きく変わるのは1993年の701系電車投入からであろう。さらに1997年には秋田新幹線の新在直通も始まる。
独自色もキハ40の一部にようやく出始めたころで客車列車も多く残っていた。

さてようやく6日間の勤務が終わって短い連休となるがすでに承知の通り自粛連休となる。そとになるべく出ない「撮らない鉄」に励まなければならない。
読む本もたくさんあるし掃除するところも多数あるのでそれらが優先。

鉄道はと言えば現状はテレワーク導入と5月連休の書き入れ時の輸送をすべて失い減便ダイヤ。新幹線も在来線も空車状態・・・長引くと大幅赤字発生そして路線廃止の流れが起こらないか心配である・・・

2020年5月1日金曜日

越後線湘南色3編成並び

1984年4月 越後線吉田 115系の3編成並び 左が弥彦線東三条行き、中央が越後線新潟からの到着列車(または柏崎行き)右手が新潟行き列車。


115系は 各地からの転入車両で初期型が多かった。前照灯の大きな初期型クハは一部が残ったが廃車となってJRに引き継がれなかったものもあった。