2020年6月30日火曜日

快速あいづ~オハフ612752

2020年6月20日 猪苗代~川桁 E721系 快速「あいづ」1号
今年のダイヤ改正で一部指定席が導入。最後部の一部に指定席を示すラッピングが。
ラッピングのほかヘッドマークも取り付けられている(指定席車のある編成に限る)
かつて455系の快速「ばんだい」に一部グリーン席と座席指定を設置した時代があったが455系の引退とともに消えた。今回の指定席はそれ以来ということになる。
快速あいづを見聞後は喜多方市の「日中線記念館」へ。ここでオハフ612752を。
現役時代よりきれいな熱塩駅舎と保存の客車たち。
タチアオイが咲いていた。前回は桜が終わったころなので1年以上経過したことになる。
オハフ612752の内部。列車の走行音を聞くことができる。遠い蒸気時代の日中線のものであろう。スイッチを入れると一部の室内灯が点灯し現役の頃を思わせた。
木製の背摺りの客車は快適ではなかった。ただ昭和の頃はこんな編成が当たり前だったようで磐越西線ではよく見かけた鋼体化改造車だった。
日中線記念館にここで挙式された方のアルバムがあり新郎新婦がオハフ612752の内部で撮影された写真が展示されていた。おそらく鋼体化客車の現役時代を見たことが無かった世代の方かもしれない・・・・渋く決まっていた婚礼画像だった。
最後は一の戸橋梁でキハ110系の画像を・・・「ばんえつ物語」という主役が不在で、国鉄型気動車もすべて潰えた磐越西線であるが明治から大正に造られた古典的な橋梁たちは健在である。遠景に飯豊連峰をあしらって・・・


 原則として撮影者の集まる「ネタモノ」から足を洗い今は鉄道史を楽しんでいるので人ごみのないこの時期は最高の遠征だった・・・最近は図書館などで地方史の資料を見たして過ごすことが多い・・・







2020年6月29日月曜日

明治のレンガ庫と平成の電機

2020年6月28日 EF510-506 4091レ 45分程度の遅れ 三条駅
レンガの建物はランプ小屋で油脂類を保管する倉庫だった。まだ客車に電燈が無かったころランプで明かりをつけていたそんな時代

 信越本線の機関車も蒸気機関車からEF15、EF16、EF58など旧型機関車がかつて主力だった。EF16も上越国境だけではなく新潟までの貨物列車や一部の旅客列車も昭和40年代までは担当していた(長岡第二機関区の運用)。
昭和40年代前半はDF50の牽引する客車列車などもあった。
 

時代が進んで電化区間が北陸方面につながるとEF81がやってきた。さらにEF15やEF16、EF58をEF641000番代が置き換えていったがEF64は信越本線のこのあたりでは主役になることはなかった。一部の上越線からの列車の先頭に立つにとどまっていた。

国鉄からJRに変わり30年経過。今はEF510とEH200の二大勢力となっている。EF510は下積みが長く主力になるには時間がかかったがEH200は突如やってきて勢力を広げた感がある。

三条駅のレンガのランプ小屋はそんな移ろいをみながらたたずんでいる。

梅雨空を走る~115系N40編成

2020年6月28日  寺泊行き普通列車 115系N40編成
小雨が降る中やってきた。懐かしの70系新潟色も登場して3年以上が過ぎた。
思えば先達の70系は弥彦線を走ることはできなかった。電化されていないので当たり前だが。70系を置き替えた115系はすでになく2014年以降長野からやってきた115系たちが最後の活躍をしている。遠く過ぎ去った時代へのオマージュを描きながら・・・


2020年6月28日日曜日

高原列車はゆく~沼尻軽便鉄道 その2

2020年6月20日 JR磐越西線川桁駅前  日本硫黄沼尻軽便鉄道はこの駅から出ていた。
終点の沼尻まで15.6kmの軽便鉄道だった。 開業が1913年(大正2年)で耶麻軌道と称し日本硫黄の子会社で硫黄鉱石輸送が中心だった。
戦後は石油精製から硫黄を得る技術が発達しコストのかかる硫黄採掘が敬遠され閉山。1967年(昭和42年)9月1日鉄道部門は磐梯急行電鉄として独立したが1968年(昭和43年)10月14日営業を休止しその後1969年(昭和44年)3月27日廃線となった。
川桁駅前にある石碑の裏側には沼尻軽便鉄道の歩み・・・経歴が刻まれている。

駅前の建物・・・・ちかくに沼尻鉄道の駅舎があったと思われる。左の建物もどこか旅館のような雰囲気があった・・・・


この沼尻鉄道を知ったのは1993年(平成5年)の鉄道ダイヤ情報が「磐越西線」の特集を組みその一環として紹介がされてた。
この記事の中にはかつて運転士だった男性と乗客だった女性が廃止後同じ職場に勤務するという記述があり胸を熱くした覚えがあった。

沼尻の保存車両が見たくて磐越西線の列車を撮影したあと(朝方は貨物列車、客車列車が運転されていた)沼尻までドライブをしたが保存車を見つけることができず戻ってきて保存車が沼尻ではなく猪苗代の磐梯山のふもと側にあることを聞いてそちらに向かった。
白津駅の停車場跡 文章の一部が欠落・・・停車場跡は道に面していた。かなり道路わきを走る区間があるようだ。今回は探索をしなかったのでここまでである。(違う目的もあるので今回はここでおしまい)
まだ沼尻駅の元駅舎が残っているようなので機会を作って訪れてみたい。
記念碑の表側 古関裕而作曲の「高原列車はゆく」の歌詞が表示。
 この歌が沼尻鉄道沿線だとわかったのはつい最近だった。(朝ドラ エール)
それまでは高原=信州と思い込んでいたので良い発見だったと思う。
併用軌道から終点に近づくと磐梯山が背後に見えて高原のような地形のところを走る。。
 DC121や客車たちの姿も沼尻付近の風景によく映えていたと言われている。
 硫黄の輸送のほかは中ノ沢温泉や沼尻温泉に向かう観光客や沼尻スキー場に向かう乗客に  愛されていた・・・・
 現在は静まり返った川桁の駅前であるが沼尻鉄道があった時代は線路が多数入り組んでにぎやかだったようだ。
客車のほかは気動車も保有していた。(ガソ101型 雨宮製作所の単短式二軸ガソリン車)さらに1968年(昭和43年)廃止になった仙北鉄道から気動車キハ2401、キハ2402、DC103も入線している。(参考文献 軽便鉄道 松本典久著 保育社 1983年 P9)

川桁駅前に桜の木が多数ありさらに小川が流れているが保育社のカラーブックスのP6~P8には桜並木とDC121牽引の客車2両が小川を渡りバックに残雪の山が見える写真が出ていた。一度は見てみたかった場面である・・・
磐梯山とE721系の列車。この日梅雨前線の北側に東北地方が入ったためか乾いた冷たい風が磐梯山の方角から吹いていた。稲は緑が濃くなり、夏蕎麦の花も咲いているのが確認できた。盆地のへりのこのあたりでも高原列車的な風情を楽しめた。このあたり冬が厳しいのでトタン屋根の住宅が多く北海道にいる気分だった。
軽便は無理でも最新鋭の電車と磐梯山で・・・ここも春は桜が見事のようだ・・・
(E721系ばかりの磐越西線は撮影者を見かけることもない・・・騒がしくなくてありがたい・・・なお東日本大震災で1番の編成と19番の編成が被災して廃車となっている。最新鋭であっても不慮の事故や災害で命を落とすことを忘れてはならない)
このあと磐梯山を愛でながら熱塩駅跡へ向かった。

参考文献 軽便鉄道 松本典久 1983年 保育社カラーブックス
     会津路ローカル線物語 1981年 金田善一監修 歴史春秋社
 









EF510-1 3093レ

2020年6月28日 EF510-1 3093レ 全般検査でJRFの文字が消された。側面は特に何もない状態になった。本機はRed Tenderのイラストは無い。
EF510-1とE129系普通列車  3093レは本年のダイヤ改正で3時間程度遅くなり午後の通過となっている。


2020年6月26日金曜日

高原列車はゆく~沼尻軽便鉄道 その1

2020年6月20日 福島県猪苗代町 緑の村  6月19日で県またぎの移動制限が緩和なので前々から見たかった沼尻鉄道の車両たちを・・・
NHK朝ドラ「エール」主人公古山裕一こと古関裕而の名曲「高原列車は行く」のモデルとなったのが沼尻鉄道の列車だ。硫黄を運んだ鉄道で高原列車という印象が持ちにくいが・・・

DC121・・・協三工業の機関車である。
ボサハ12という表記がされた客車たち・・・
軽便の車両らしくそれほど大きくはない。
客車内部・・・暖房は無く冬は火鉢が置かれていた。(参考文献 会津路ローカル線物語)
列車は川桁から沼尻まで16km 所要時間は約1時間、一日8往復の運行。 川桁駅には事務所と機関庫が設けられ蒸気機関車が3両、客車が10両、貨車が60両ほど配置されていた。(蒸気機関車は1953年からDC12型に交代)
この小さな列車が磐梯山のふもとの高原を走る光景は牧歌的だったと言われている
1981年に刊行されたこの本には混みあう車内の写真が掲載されていた。
大きな垂れ幕が・・・猪苗代の皆さんの期待の大きさを感じる。
朝ドラはコロナウィルスの影響でドラマも収録が遅れるという状況である。
高原列車は行くの舞台が福島県だと知らされたのがこの番組だった・・(汗

人影の少ない緑の村を後に川桁へ向かった・・・



参考文献 沖田祐作著 機関車表から
 所 在 地 福島県耶麻郡猪苗代町大字長田字東東中丸344-4(電話;0242-65-2841)
記 事 猪苗代駅より車10分 ボサハ12・ボサハ13
掲 載 誌 協三リスト Rail fan=555
機関車情報
番号 製造所=製番 製造日 種別
DC121 協三工業=12069[73] 1953-00-00 D12tC(762)
車歴;1953-00-00製造(前C121=Porter/1920-11-00=6593/12tCt改造=
仙北鉄道C133→1949-06-13譲渡;日本硫黄沼尻鉄道C121→1953-04-18廃車→
協三工業SD改造)→納入;日本硫黄沼尻鉄道(福島県);DC121→
改称;磐梯急行電鉄(福島県);DC121→廃車→
保管;福島県沼尻町中丿沢温泉西村屋(福島県);DC121→
保存;福島県耶麻郡木地小屋駅跡(福島県);DC121→
移管(改称?)保存;福島県耶麻郡猪苗代町緑の村(福島県);DC121





2020年6月25日木曜日

2020年6月21日日曜日

只見線 会津坂下



2020年6月20日 只見線会津坂下 木造駅舎で丸ポストがある。 猪苗代にある「緑の村」に保存されている沼尻鉄道の車両たちが見たくなったので、県をまたぐ移動規制が緩和されたので出かけてみた。国道49号を走って会津坂下に差し掛かった時会津坂下駅舎が木造駅だったことを思い出して立ち寄ることにした。



跨線橋のない駅で列車を見ながら改札口に向かう生徒たち。新型コロナウィルスの影響でようやく授業が再開。遅れを取り戻すため土曜も授業を行い夏休みも短縮という厳しい状況となったようだ。
改札を出た生徒たちは列車の見える「歩道橋」を渡り高校へ向かっていった。
車輛はキハE120でダイヤ改正で新津運輸区から郡山(会津若松運輸区)に転属した編成。左が424D会津若松行き、右が425D会津川口行き。

この駅は自動信号化されているが駅員がたって列車を見送っていた。どこか国鉄の時代を思い出させる光景だった。
列車交換は会津川口までに途中会津宮下が交換可能であるほかは交換設備は無い。
会津坂下駅の改札口 自動改札でもSuicaでもない。昔からある改札ラッチ。
この駅には跨線橋は無くホームから線路にある踏切を歩いて渡る方式である。
階段が苦手なお年寄りには喜ばれよう。

沿革誌や通表閉そくの装置が展示・・・奥に見えるのは待合室。国鉄の頃のローカル線を思い出す。
会津川口に向けて走り去っていく列車・・・・キハE120もこの地域になじみつつある。
会津坂下駅は車両より人々の営みを見聞する方が楽しめる・・・
そんな思いであとにした。

   



2020年6月20日土曜日

E217系と京成スカイライナーAE

2016年12月29日 成田空港 渡航のため降り立った京成線のホーム
成田線のE217系と京成スカイライナーAEの並び。 都合上先頭車両を並べて撮影できないようだったし搭乗手続きの関係でそそくさと空港内へ向かった。
E217系も後進のE235系に置き換わっていくようで終幕が見えつつある。

成田空港はついつい京成で行ってしまうことが多くE217系や成田エクスプレスも乗ることはない。
京成スカイライナーも走行を見てみたいが・・・・

2020年6月18日木曜日

115系N33編成

2020年6月14日 227M 115系N33編成
進行方向の粟ヶ岳は霧雲が漂う。

2020年6月17日水曜日

115系N35編成+N33編成

2020年6月14日 115系N35編成とN33編成 227M この日の午前はまずまずの天気だったが午後から大雨となった。

2020年6月15日月曜日

EH200-1 2092レ

2020年6月14日 EH200-1 2092レ 曇り空を背に走る。
JRFの表記が消されていた。

2020年6月14日日曜日

残雪と屋敷林

2020年6月14日 弥彦線 背後の山は守門岳 手前に屋敷林のある農家。
奥には燕の工業団地が広がるものづくり地帯。
115系N37編成第一次新潟色が吉田方面に向かって走り去る。

2020年6月12日金曜日

上越線清水トンネルに街が出現していたころ

2020年5月9日 上越線土樽  
今はわずか5往復の列車が発着するだけのローカル線となったこの区間。
通過線を発着線にして列車の乗り降りをするように変更されもう10年になった。

かつてはこの駅で普通列車や速度の遅い列車を待避させて特急などが走り抜けていった。
土樽は清水トンネルの最寄であり、大正時代から昭和初期にかけて越後湯沢から軽便鉄道による輸送線が敷かれ、工事関係者でにぎわった。
清水トンネルの土樽坑口と松川トンネル坑口付近には事務所、職員官舎、購買所、倉庫、修理工場、機械工場、木工所、砕石所、火薬庫、ブロック工場など。
さらに現場で働く労務者用の飯場などが軒を連ねて一大市街を形成していた。
小学校の分教所(分校?)も設置されていた。
これらはトンネル完成まで存在した。
参考文献「湯沢町誌」P580

この日土樽駅の長岡よりにある発電所の改修工事を見聞したが比較的大きな仮設の建物が多数あった。ときどき工事の車両が出入りしていた。静かな山間のこのあたりも幾分にぎやかに感じていたが清水トンネルの工事の時にはもちろん及ばない。

さて湯沢から土樽までの軽便鉄道どんな印象だったか?写真はそこそこ公開されていて見ることができる。主に電気機関車が運財を運んでいたようだ・・・

写真は新清水トンネルで清水トンネルは左に見えているトンネルである。
川端康成の「雪国」に出てくる「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった ・・・」は左手の上りのトンネルのことである。



2020年6月10日水曜日

糸魚川駅キハ52156待合室

2020年6月6日 糸魚川駅  キハ52156
駅構内で余生を送るキハ52156 (車体は金ホク) 旧国鉄色ツートンカラー。
うしろにはトワイライトエクスプレスの文字が・・・
かつて走っていたトワイライトエクスプレスの調度品が展示される予定になっているようだ。
キハ52156の内部 現役時代のまま
晩年は単行で沿線地域の輸送を支えた。バブル時代にはJR西日本自慢の14系やキハ181系長大編成が夏の臨時列車やシュプール号として走り抜けたこともあったが2003年以降は運転されず本来ローカル線に戻った。わずかに残った国鉄型気動車が沿線の風光に似合ったのか多くの人々に愛された。しかし車両の老朽化や輸送量の大幅減少で小型のキハ120型に交代してキハ52は廃車となった。キハ52156はそのうちの1両である。

いまは待合室として余生を送っている。この日は人影もまばらだったのでゆったりと往年を思い起こすことができた。



2020年6月9日火曜日

たまには高速道路はいかが・・・

2020年6月6日 北陸自動車道 能生インター~名立谷浜インター
えちごトキめき鉄道(旧JR西日本北陸本線 筒石駅近く)
 北陸自動車道の上りトンネル出口 山間を走る道路橋も優美。
鉄道撮影と異なり橋だけを表現したいので車がいないすきに一発。

北陸自動車道の開通はこの地域にとっても福音だった。
地滑りに悩まされさらに豪雪に悩まされ・・・・
1980年代には地滑りや雪崩で惨事が起きていた。そのため当時の国鉄は不通になった国道8号が復旧するまで臨時列車を走らせたこともあった。

険しい地形の最果てのこの地域も高速道の開通で変化をしていったがいまはそれがあだになって過疎化や人口減少に拍車がかかった状態となっている。




焼島で見たDD200-5

2020年6月4日 信越貨物線 焼島 DD200-5 〔愛知〕液体式ディゼル機関車DE10に代わって電気式DD200-5が姿を見せていた。
新潟貨物ターミナルまでのわずかな区間と入れ替えなどで使われているようだった。
印象はDE10とDD51を掛け合わせたような雰囲気。DE10と異なり高速運転できるのが強みのようだ。(DE10は85キロまで DD200は110キロまで可能 )

2020年6月8日月曜日

梅雨入り前

2020年6月7日 EF510-5牽引 3098レ
北海道札幌と九州福岡を結ぶ長距離コンテナ列車。梅雨の前後は貨物の流動が少なくコンテナも少ない。1編成20両のコンテナ車に乗っていたコンテナは20個ほど。

この列車が本領を発揮するのは夏から秋~冬のあいだ。
いまは少ない貨物量をじっと耐えているようだった。
水田の稲の色も濃くなり、背後の山にはもう残雪はない。そとを吹く風は爽やかだった。
梅雨に入る前のひと時・・・

2020年6月7日日曜日

昼顔

2020年6月4日 東新潟港 信越貨物支線焼島~東新潟港の区間は2002年6月1日に休止となり現在に至っている。

新潟市内の病院に行って診察が終わった足でちょっと道草。
線路はまだ残っていたがほとんどが夏草の中であった。
ポイントにも昼顔が淡い花を咲かせていた。
線路内が花畑になっている不思議な光景を眺めた・・・
1998年11月18日まではは新潟鐵工所の大山工場があって各地へ新型気動車が出荷されていったが聖籠へ移転し新車の出荷風景を見ることもなくなった。
また石油や化学薬品も扱っていたがそれらも同じころ無くなっている。

弥彦線朝練と北三条駅前の定期市

2020年6月7日 弥彦線227M 湘南色N38編成が第二次新潟色N35編成に入れ替わっていた。
 白と緑+赤と黄色のコントラストである。
それはともかくひんやりした天気となった。前日は蒸し暑い曇りだったが夕方から晴れ間が広がった。夕焼けは西の空が真っ赤に染まった。

朝は雲が取れ始め天候の回復を告げていた。
日曜のルーティンを開始・・・
水田の緑と積雲が漂う空を背に115系の6連が線路の継ぎ目の音を響かせて走り去っていった。
北三条駅前の定期市(二と七の市)
天気がいいので多くの市民が買い物に訪れていた。
いつものように餅屋さんで大福を買い求めた。
売れ行きが良くて店頭にはいくつも残っていなかった。
「おかげさまでほとんど売れてしまって」とはお店の人の一言だった。
定期市というと年配者の割合が多かったが10~20歳代のカップルさんが買い物をしていた。ちかくに「ステージえんがわ」がありそこで食事されて終わった後買い物をされたのかもしれない。

2020年6月4日木曜日

115系N37編成 快速列車

2020年6月4日 115系N37編成 3374M 新井行き

夕方の通勤時間帯。乗車はそこそこあった。

2020年6月2日火曜日

夜明けの空に向かって走る

2020年5月31日 EH200-2 2081レ
いつも起き掛けにきく踏切りの音と貨物列車の通り過ぎる音・・・
首都圏から新潟を目指す貨物列車2081レの音である。
早暁の通過で見ることもなかったが晴天で光量もあるようなので見に行くことにした。
すぐに支度を整え夜が明けたばかりの道を走る。
いつもの無人駅のホームに立って2081レが通過するところを待っていた。
無人駅から進行方向は赤い空となっていた。日中は見映えのしない光景も早暁のこの時間は日中とは全く異なった世界となっていた。単なる架線柱も赤い空を背にするとどこか旅情を感じさせるものに見える。
夜明けの空に向かって走る。日は信号機の見える左手から昇る。列車はただ寡黙に走り去る。機関車とその後ろに連なる貨車の走り抜ける音が響き渡り無人の駅のホームから外れると次第に小さくなっていた。
 今となってはこれら貨物列車がかつて存在していた夜行列車の残影である。
 最後尾の貨車の尾灯が見えなくなるころ休日の一日が始まる。