2024年4月25日木曜日

斜光EH200-11 2088レ

2024年4月21日 斜光を側面に受けてEH200-11 2088レ通過。桜も終わって水田には代掻きのための水が入る。
 

2024年4月23日火曜日

キヤE195系 

2024年4月20日 国道289号線下
国道289号線下の側線にレールの降ろし場所がありここにキヤE195系が待機していた。

短尺レールの降ろし場所で多数あったことから深夜のレール交換に使われるのであろう。
 

2024年4月22日月曜日

四季島始動!

2024年4月20日 下り四季島 E001


桜との組み合わせは本年もできなかった。

 EH200-10 配8788レ  DD200の連結はない

E653系H02編成が上沼垂色に変更された。今後の楽しみである。

2024年4月21日日曜日

白い花桃

2024年4月21日 EF510-2 4059レ
E129系下り普通 
EF510-6   4061レ

桜の季節も終盤。そんななか花桃が彩を添えていた。
 

2024年4月20日土曜日

花の命は短い~ソメイヨシノから八重桜

2024年4月14日 EH200-6  2088レ

 EF510-5 4059レ 日曜日朝は北越コーポレーションコンテナは原則載らない。

このあと30度越え猛暑の日があり壊滅的な散り方でソメイヨシノは終わった。但しヤマザクラ、八重桜は今は盛りである。水田もしろかきが始まって5月初旬の田植えを目指して農家の奮闘が続いている。

2024年4月18日木曜日

EF510-511 3093レ けやき

2024年4月14日 EF510-511 3093レ

桜が散りはじめ、新緑が始まる。これもわずかな間のこと。
 

2024年4月16日火曜日

キヤE195系 春霞

 


2024年4月14日 キヤE195系

レールを降ろして返空。エンジンの音が丘の上からも聞こえる。春霞のなか走り去っていった。この列車を見かけたとき冬が完全に終わったことを知る。

今年の4月は花冷えではなく高温になった。この時期雪が舞うことが多いが、本年は真夏のようになった・・・・

2024年4月15日月曜日

柳都shukura~春爛漫を走る


2024年4月14日 下り柳都shukura
爆発的に満開になった桜も少しづつ散り始めていた。数日するとすべて散ってしまうのであろう。短い花の季節。

2024年4月14日日曜日

行く春~満開の桜2024年春

2024年4月13日 EF510-503 4059レ 北越コンテナ多数。最高時速は100キロであり、かつての寝台特急の姿を思い出す。


 

EF510-502 4076レ 桜の花越しに・・・

EF510-18 4075レ

ようやく待ちわびた桜満開。しかしその時間は極めて短い。朝のひととき貨物列車と満開の桜を楽しむ。

桜のころを待ち望むのはつらく厳しい冬があってこそ。ひと月前は雪煙を上げて列車が走っていた。その後も寒い日ばかりで4月初旬後半にようやく開花してその後の初夏のような陽気で一気に満開になった。
 


2024年4月13日土曜日

ばんえつ物語12系車軸発電機


 2024年4月6日   ばんえつ物語12系 車軸発電機

 12系客車は車内の冷暖房などサービス電源はスハフ12(この編成ではスロフ12も含む)のディーゼル発電機で行うが室内灯、保安機器は車軸発電機による。台車にベルトがあり発電した電気は蓄電池に蓄えられる。KS3N交流発電サイリスタ制御とされている。

14系以降の車両は省略されている。

 

2024年4月11日木曜日

EF510-510 3093レ

2024年4月6日 EF510-510 3093レ

逆光に沈む銀色の車体。銀色と言えば九州地区のEF510-300番台もすでに8両が造られ運用に入っているという。残りは本年度末と言われ九州もEF510が集うことになる。300番台もレッドサンダーを継承しているが銀色の車体。 

検査は広島で行われるためEH500のように当地で見かけることはない。

2024年4月10日水曜日

EH200-19+DD200-13

 2024年4月6日 EH200-19+DD200-13 配8788レ

晴れた午後をのどかに走る。

2024年4月9日火曜日

高田観桜会「しらゆき」96号


 2024年4月6日 E653系 「しらゆき」96号

高田観桜会への列車。ようやく見ごろになった桜見物のアクセス輸送。

2024年4月8日月曜日

越後線・弥彦線電化開業40周年

2024年1月1日 弥彦線 本年で電化開業から40年経過。越後線とともに輸送力増強が必要なく優等列車の運転もない地方交通線のため簡略化された電化方式が採用された。

コンクリートポールをやめてH型鋼柱の架線柱、懸垂碍子をやめて長管碍子を架線柱に直接取り付け、トロリー線のみの直接吊架方式の架線。国鉄らしからぬ異様な電化方式だった。

この電化で恩恵があったのは新潟~内野間の越後線新潟市内のみ。直接吊架方式の架線がある区間では列車本数は増えず、減便されたりした。

主力は115系初期型が中心で中間車に運転台を取り付けたものが多数集結して国鉄末期を走っていた。

それから40年、新潟市内は新駅が誕生するがそれ以外の区間は短編成のワンマン列車がはしり合理化も進んでしまった。


 

2024年4月7日日曜日

ばんえつ物語2024年度開始


 2024年4月6日 新津 DE101700〔新潟〕 

12系客車の送り込み。

スロフ12他 客車編成 客車の大方は歴史の彼方に消えたが当地ではまだ見ることができるのがうれしい!

C57180〔新潟〕 満を持して現れた役者。新鋭GV-E400を背に。


 多くの人々が見守る。

現役時代をイメージして。



2024年4月5日金曜日

蒲原鉄道七谷駅跡の春


 2023年4月9日 蒲原鉄道七谷駅跡 春先はホームの跡と桜を楽しむことができる。

昨年は開花が異常に早かったが、今年は3月の寒さが続いたため遅れているようだ。

2024年4月2日火曜日

オハ472296~1983年9月

1983年9月 会津若松 新津行き普通 1233レ

会津若松15時46分発新津18時36分着の客車列車。

この日はオハフ33、スハフ32、オハ47、スハフ32 スユニ50の編成。

2両目のスハフ322357に揺られて秋の磐越西線を楽しんだ。新津付近は日没を迎え夕焼けがきれいだったことを記憶している。

オハ472296は当時仙台運転所の所属だったが借入車となって郡山にいたようだった。

客車扉はHゴム大型タイプでオハ47ではこれが標準だったようで、直江津のオハ472029のような木製扉は例外だったという。近代化工事時点ではHゴム扉に交換することになっていたが客車の廃車が進むにつれ余剰が出てときに近代化工事が行われていてもこれらの扉に帰られることがあったという。さらに履歴票にも記載される項目でもないためいつから変更されたかもわからないという。

昨日の研究会のオンラインでの発表はなんとかこなせたが、先輩各位のようなあか抜けた発表はできなかった・・・・

2024年4月1日月曜日

新潟駅前旧バスターミナルの終焉


 2021年8月7日 新潟駅前バスターミナル 案内所

バスターミナルは広くゆったりしていた。ベンチで乗車予定のバスを待つ人々。
バスはバックで入ってくる。誘導員の笛が乗り場に響く。

鉄材を組み合わせて作られたターミナルの上屋。どこか鉄道駅を感じさせる風情。

多くの人が利用したこの旧バスターミナルは新しい場所に移転し3月30日その歴史を閉じたという。またBRTの標記はBUSに変更されている。
 

2024年3月31日日曜日

桜はまだ咲いてはいない

2023年4月2日 臨時特急「しらゆき96号」 

年々桜の開花が早まり3月末に桜が満開となった2023年。高田公園の観桜会も早い開催となっている。

暖冬といわれた本年であるが梅がようやく見ごろ、桜は早咲きの河津桜が5分咲き位となっている。ソメイヨシノはあと数日後といったところ。

本年は3月に入って寒い日が多くなり山間部では彼岸過ぎの大雪に見舞われたところもあった。そのため桜の開花もそれほど早くはならなかった。つぼみがいくらか大きくなりかかっている程度。

観桜会への列車も特急に格上げされ「しらゆき95~96号」が割り振られている。通常の「しらゆき」編成ではなく「いなほ」編成が単調な当地に華を添えている。

2024年3月30日土曜日

越後線の春~線路沿いの紅梅

2023年4月1日 越後線

すでに115系はすべて引退。残ったE129系が走り回る。撮影に訪れる人もなく、静かな春のひと時が過ぎていく。遠くにはトラクタが動き、田起こしが行われていた。沿線で見かけた紅梅とE129系。
 

2024年3月29日金曜日

長岡車両センター留置線

2009年4月8日 長岡車両センター留置線

廃車となったEF81127、JR貨物EF510-6、115系訓練車

EF510以外は引退している。EF510もこの付近まで来ることはいまあるのだろうか?

この年のダイヤ改正で上越線の機関車運用を合理化するため貨物列車の一部を日中に運転することになった。長岡車両センターでも運用がないEF64などが留め置かれていたが、上越線の貨物列車が日中に運転を開始した関係で見かけなくなった。
 

2024年3月28日木曜日

信越本線高速化

2023年5月6日 信越本線  51M

2015年3月ダイヤ改正で日本海縦貫線を失い、この区間は実質直江津駅で終りのような状況となった。さらに北陸新幹線敦賀延伸で新幹線同士の乗り換えも必要となり、日本海縦貫線の痕跡は消滅に至った。「つるぎ」は関西方面接続、「はくたか」「かがやき」は関東方面接続の2点に絞られ日本海縦貫線区間の機能はもうない。

現在新潟市~上越市方面の高速化やミニ新幹線、北越急行「ほくほく線」改良などでアクセスを向上させる案につき議論が行われているようだが1200億~2000億円ほど費用が見込まれるほか工期も7~10年かかるとも試算されている。

これらの費用、期間をかけても効果はあるのか・・・・

 

 


 

2024年3月26日火曜日

魚沼の春

2009年4月8日 上越線

雪の季節が終わってようやく春が始まったころ。115系の普通列車が走り去っていく。

手前の水田にトラクタが入って耕作が始まる少し前の時期。

2024年3月25日月曜日

旧型客車の窓枠金属化

1984年2月19日 オハ47 2029
オハ47 2102
オハ472172
 1984年2月に直江津駅で撮影したオハ47型。客車履歴票の写しを眺めていると窓枠金属化の記載がある。

オハ472029 窓枠金属化は1978年7月8日 長野工場

オハ472102 窓枠金属化は1978年3月9日他に室内仕上げ材交換も施行 長野工場

オハ472172 窓枠金属化は1980年5月30日 長野工場

かなり遅い時期まで行われていたことがわかる。これら3両は近代化工事と体質改善工事は行われていてそれよりもあとに窓枠金属化されたことになる。

運用終了は1985年3月ダイヤ改正。

2024年3月24日日曜日

旧型客車の台車TR23とTR47

2019年10月 オハ47の台車TR23 オハ47はTR47を履いたスハ43からTR23に交換して軽量化をした客車。TR23は戦前のオハ35系などで多く用いられていた。
スハフ42の台車 TR47 乗り心地の良い台車であり戦後の特急、急行型車両というべきスハ43系につかわれた。

スハ43に用いられるTR47は重いのが欠点。TR23に替えるだけで3トンちかく軽量化できる。またスハ43も徐々に軽量のものが作られてこれはオハ46となった。

TR23は スハ43に使われる際心皿を合わせる必要がありTR23Fといわれ、コロ軸受けを用いたTR23Hに改良されていった。乗り心地TR47と比べて幾分堅かったとされる。

当方の旧型客車の記憶は台車の揺れより列車が動き出す時の連結器の激しい振動のことの方が記憶に残っている。これは恐怖を感じるほどのものだった。粗雑運転と言われている。

戦後復興期列車の需要が目覚ましかったころの産物である。

*ついに研究会から会報が送られてきた。最初の発表である。(競馬の1レース未勝利戦、落語の前座といったところか?)会報を見るとレベルの高い文章が多数である。極めて厳しい展開になりそうだが先輩各位の胸を借りるつもりで挑戦してみたい。

2024年3月23日土曜日

115系原型座席車の終焉

2022年3月6日 越後線吉田  115系N40編成懐かしの新潟色とN33編弥彦線色が並ぶ。

終焉の数日前の光景。3月11日をもって115系は全て運用が終わる。


 115系N33編成とN40編成懐かしの新潟色の車内は更新がされずほぼ原形だった。115系1000番台はそれまでの0番台や300番台と異なり座席間隔を広げたため比較的ゆったりして座り心地はよかった。またモケットが原型なのは昭和の国鉄時代を偲ぶ重要なアイテムであった。走る鉄道史料的な存在だったが保存されることなく解体となったのは残念ではある。もっとも晩年の115系はすべてE127系のえちごトキめき鉄道への転用の穴を埋める目的で長野から転属してきたもので新潟生え抜きではないこととすでに新津鉄道資料館にて保存車があるためそのような話題もなかった。


 

2024年3月22日金曜日

115系が引退してすでに2年が過ぎた

2022年3月6日 快速3481M 115系N38編成湘南色

この年のダイヤ改正で115系の運用が終わった。何の予告もない静かな幕引きであり、地道に走り続けた115系にふさわしい最後であった。以降はイベント運用もなく、有料撮影会を行った後解体されていった。

すでに2年が経過して115系のことも記憶から消えつつある。それでも1日1往復の快速列車の活躍は忘れえないものがある。
 

2024年3月21日木曜日

2014年3月22日 只見線はまだ深い雪が残っていた

2014年3月22日 只見線越後須原

盛岡色と東北色のキハ48の2連が越後須原付近を走る。豪雪地のこの付近は3月22日でもこれだけの雪があった。