2020年9月12日土曜日

殺気!~新津駅・新潟市新津鉄道資料館にて

2020年9月12日 新津駅 磐越西線キハ110系


 

115系N36編成 快速3841M新潟行き

EF510-504牽引の遅れてきた4060レ

この日通院のため新潟市西区の医院に治療に行った帰り新津鉄道資料館にて企画展示「新潟の特急・急行~優等列車の地域史」が行われているので見学に。南区からの県道跨線橋からEF510の姿が見えたので撮影することにした。遅れている羽越本線からの貨物列車4060レ。連日の悪天候で遅れていたようだ。この日は天気も良く人道橋では年配の女性たちがたむろして世間話に花を咲かせていた。比較的通りがあり「ばんえつ物語」の発車を楽しむ最適な場所で見学者も多い。

115系N36編成と遅れ貨物を押さえた後新津鉄道資料館へ。

鉄道資料館はJAFの割引で入館(係の人に会員証を提示し団体のボタンを押す 300円が240円になる)

特別展示は165系と181系の並びがあり鉄道友の会新潟支部会員が提供した各年代の写真や資料館の秘蔵品などが多数。まずまずの内容だった。このコーナーはなぜか家族連れの方は少なく「その筋」の方々が多かったようだ。背に稲妻が走ったような感触があり、HOゲージの有るコーナーへ移動。ここは新津鉄道資料館では唯一飲食が許されている場所で飲み物の自販機もある。何名かの家族連れがプラレールや模型を楽しんでいたが隣の部屋で企画展示がされているためか「その筋」の方も多く西部劇の酒場のような雰囲気が漂う。

背筋に殺気を感じたので館外へ脱出。出口でどこか怪しい男女に遭遇。この各位も「その筋」の方々らしい。

灌漑に出ると車内が公開されていた115系の内部で一息を入れ、次の目的場所新津図書館へ。ここで新潟支社三十年史を閲覧した・・・



2020年9月5日土曜日

暁の銀ガマ~甲種


 2020年9月5日 EF510-510牽引 8561レ 後ろに従うのはJR北海道向けの電気式気動車。

最後部は秋田地区のGV-E400 残るキハ40系をすべて淘汰する。家事の合間に撮影した何年かぶりの甲種輸送。

2020年8月9日日曜日

2020(令和2年度)ばんえつ物語運転開始


2020年8月9日 新津駅を発車したC57180 ばんえつ物語 盛夏であったがこの日は雨模様。おかげで煙を楽しめた。

2020年7月20日月曜日

新潟第一運転所での200系

1993年9月 新潟市の上越新幹線第一運転所 200系編成
この日基地の公開が行われ展示されている200系編成のビュッフェでコーヒーを頂き、
そとに展示のE952及び953の車両を見学した。
ふだんはいることのできない新幹線の基地を見学できたことはよかった。

2020年7月19日日曜日

大糸線キハ58

1990年1月 JR西日本大糸線 頸城大野 キハ58系大糸線色
JR西日本では急速に独自色への変更が進んで各路線で気動車の色が異なることになった。
キハ52に置き換えられるまでの間大糸線では画像の色が活躍していた。
1992年に越美北線にキハ120が投入されると置き換えられたキハ52が転入しキハ58は廃車になっていった。

2020年7月18日土曜日

C57180 まもなく

2018年3月25日 羽越本線坂町駅
「SL村上ひな街道」の運転で村上到着後方向転換をするため坂町駅近くの機関区跡地に残る転車台にやってきて方向転換されるところ。
大勢の見学者が集まり賑わっていた。
羽越本線の当列車は春の風物詩であった。
翌2019年はEF81とEF641000番代での運転。C57180は検査入場のためである。
本年は気動車で予定されていたが新型コロナウィルスの影響で運転されなかった。

C57180は8月1日より「ばんえつ物語」の運転が開始されることになっている。
運転開始を待っておられた方々も多いと思われる。
ただ再び新型コロナウィルスの感染者が増加傾向にあり運転再開後の悪影響が懸念される。

2020年7月15日水曜日

上越線EH200貨物列車

2020年7月3日 EH200‐20 2092レ 八色付近
朝方運転の貨物列車。上り貨物列車は夕方の6082レまでない。
EH200-6 2071レ 南長岡で機関車を付け替えて北陸に向かう列車。南長岡から70レという列車番号に変わる。上越線経由では唯一の北陸連絡貨物。
EH200-8 6082レ 焼島~隅田川間のコンテナ。 紙列車。週末と祝日は運休。

2010年頃は日中にも貨物列車があったが現在は朝と夕のみ。


2020年7月12日日曜日

白き湖底の町にて~宮脇俊三著線路のない時刻表

2020年7月12日 ブックオフで見つけた名著。宮脇俊三著「線路のない時刻表」
この本は開通する前の主に第三セクターとして現在開業している路線を「架空時刻表」を用いてで紹介した作品。
智頭線=智頭急行、北越北線=北越急行、三陸縦貫線=三陸鉄道、樽見線=樽見鉄道、宿毛線=土佐くろしお鉄道宿毛線、瀬戸大橋、青函トンネル 以上の路線が紹介。
取材は1980年~1981年頃頃おこなわれていて青函トンネルと瀬戸大橋を除いて国鉄改革の荒波を受け廃止の危機を乗り越えて第三セクターとして開業した路線である。

北越北線は「白き湖底の町にて」で紹介され国鉄非監修の時刻表がついている。
この作品の時点で北越北線は工事凍結の直前であった。著者は十日町、松代を取材してこの作品を仕上げている。
このころ冬は豪雪で陸の孤島となる東頸地域に取材している。1981年は豪雪の年で十日町で4mの積雪を記録している。
十日町から松代へは車で柏崎へ出て急行赤倉で直江津そこから国道253号の経路で取材に入ったと記されている。豪雪で十日町~松代間の薬師峠が通行できなかったことによる。
松代に到着したのは14時、ここで当時の松代町の町長と面会している。
取材は難工事の鍋立山トンネルの内部の見学が行われている。トロッコで粘板岩で押し出されて一向に進まない工事現場の取材がされた。
その後松之山へ向かって温泉に入る記述もあった。

まつだいの駅前に石碑があるようにこの地域での鉄道への悲願は相当強いものだったようだ。自動車があっても道悪で除雪技術がないころ鉄道が望まれたが開通は平成9年(1997年)1931年に窮状を申し上げてから66年も経過した後だった。

当方も1982年にこの地に迷い込んだが国道の方もかなりひどいもので 現在立派な道路に生まれ変わったことが信じられない・・・

さて時刻表であるが越後湯沢乗り継ぎ特急「ゆきぐに」3本と上野からの急行「まつのやま」1本、特急「新雪」1本、全区間を走る普通列車が6本、松代までの区間列車2本という内容だった。宮脇氏は国鉄改革を見据えたダイヤ構成をとっているようだ。(この路線が国鉄によって開通した場合を考えて)

結果は第三セクターとなり1984年に「北越急行株式会社」として1980年で途絶えた工事が1985年に再開し高規格化鉄道への流れとなっていくのである・・・・


弥彦線 北三条朝市

2020年7月12日 弥彦線北三条駅高架下 六斎市。
115系 運用 225M N34編成 227M N33編成+N38編成湘南色

撮影後は仏前に供える大福を買いに六斎市へ。梅雨末期の雨の中であるが結構混雑していた。行きつけのお餅屋さんに行くといつもの威勢のいい若旦那ではなく女性2名にメンバーが入れ替わっていた。年配の方と若い方のペア。
いつもの大福を買ってから・・・
「男性陣はどうされたんですか?」
「実は先月亡くなりまして・・・交通事故でちょうど1か月です・・」
一瞬声が出なくなった。
「それは残念でした・・・(以下声にならず)」

商品の前に生前の若旦那の写真が・・・・若い方は奥様だった。
家族を残してこの世を去らなければならないのは言いようのない悲しみであったと思う。
若奥様「またよろしくお願いします」
合掌して二言三言雑談をして隣の野菜のおばさんのところへ移動した。
トマトの出来が今ひとつなのでトマトを買ったが・・・
ちょうど隣に買い求めている女性がいたのでアドバイスをしていただいた。




2020年7月11日土曜日

只見線 キハ40系

2020年7月3日 只見線越後須原付近 キハ402020とキハ402023
どちらも当初高崎に配置されて足尾線や八高線で走っていたがその後東北へ移り、2013年前後新津にやってきた。磐越西線や羽越本線の運用が消滅後も最後の活躍をしていたが間もなくキハ110と交代するようだ。

2020年7月9日木曜日

まつだいの記憶

2017年6月17日 東頸バス本社 建物は頸城鉄道(現頚城自動車)の浦川原駅跡

1982年夏妙高方面から帰る途中、頸城村内で工事に出くわし国道253号線を迂回することになった、迂回路の合流地点を間違え浦川原に来てしまった・・・
鉄道の駅風の建物におどろきここがかつての頸城鉄道の浦川原の駅だったのであろうと思いさらに進路を進めると次第に道が狭くなりすれ違いも困難なくらいになってきた。
集落もあまりなく気が付くと「松代町」の標識が・・・人里離れた険しい道を走ってきたためか随分立派な町に見えた記憶がある。
しばらくして柏崎の標識があったので左折しておそらく今の国道403号線のルート(ひどい悪路)と思う道を経由し柏崎のはずれから塚山峠を越えて長岡を経由して帰宅の途に就いた。

2020年7月4日 北越急行 まつだい HK100型電車
この悪路も平成の頃に改修が進んで今は快適な道となっているところに時間の経過を感じた。
先日走った時は新道から古いかつての道を見つけたが極めて細い道でかつてこの道路を通って松代の町はずれを通過したことを思い出した。

雨の朝を走る

2020年7月4日 西燕 E127系 土曜のためわずかな乗客。梅雨空が広がり小雨が舞っていた。

2020年7月7日火曜日

ほくほく線「まつだい」点描

2020年7月3日 北越急行ほくほく線 まつだい HK100型の2連 超快速「スノーラビット」3830M自由席のみなので1号とか2号という呼び方は無い。
この列車はまつだい駅停車。越後湯沢9時14分発で直江津着は10時14分 このあとの快速3832Mは途中十日町のみ停車で越後湯沢9時56分発で直江津着10時53分着で表定速度88.6km/h。485系で運転していた「はくたか」より早い表定速度である。
北越急行ほくほく線の意地を感じる列車。
2015年の北陸新幹線ダイヤ改正で 特急「はくたか」を失った北越急行が放つ在来線の普通列車・快速列車では最高の速さを誇る。なおパロディで低速列車「スノータートル」号というイベント列車もあるが本年はコロナ騒ぎのため走るかどうか不明。
まつだい駅 ほくほく線発祥の地の石碑。 まつだい駅は道の駅もあり内部には店舗も複数あり賑わっていた。バスは東頚バスが浦川原方面からやってくる。終点は十日町である。国道253号線でも30分近くかかるのでまつだいから電車が便利かもしれない。
ただイオンなど大型商業地は信濃川沿いにある。
移動コンビニ?セブンイレブンの販売車。まつだいはコンビニが2店舗ある。駅近くのセブンイレブンと道の駅内のファミリーマート。
他はコメリが近くにある。衣料品系の店はなかった。しまむらあたりがあると便利なのだが・・・
道の駅の中にある681系スノーラビットの模型。
野菜売り場から681系スノーラビットと歓談する方々を・・・
どこか大地の芸術祭的な風情を感じる。
まつだい駅裏手の棚田にある常設展示の大地の芸術祭の作品。棚田の苦労がしのばれる。
まつだい駅から20分程度の「星峠」 人気の棚田である。展望台やトイレもある。
早朝は撮影者が集結するポイントだが農家とトラブルが多いとも聞く。
眺めていると首都圏から大勢やってこられたがマスク無しの方がほとんど・・
星峠から戻ってくると珍客が・・・ET122系「雪月花」がアイドリングしながら待機をしていた。星峠付近で大型バス2台とすれ違ったのでもしかしたらこの列車の乗客かもしれない・・眺めているとスタッフの方々もおりてこられたので長時間待機かもしれない。

手前は681系「はくたか」のベンチのようだ・・・引退から5年以上が過ぎた。







2020年7月6日月曜日

只見線仕様のキハ110

2020年7月3日 長岡車両センター キハ110‐214 新津
只見線仕様。このキハ110系と入れ替えにキハ40系の運用が終了する。


2020年7月5日日曜日

六日町を通過する681系2000番代スノーラビットの「はくたか」

2006年8月5日 上越線六日町 越後湯沢に向かう681系2000番代「はくたか」が通過する。北越急行所有のスノーラビット編成。

2015年3月のダイヤ改正で在来線の「はくたか」は北陸新幹線に列車名が転用された。681系も北越急行からJR西日本へ売却されこの塗装も見納めになっている。

現在超快速「スノーラビット」が運転されているが越後湯沢10時台に発車する列車は485系で運転されていた「はくたか」を上回る速さだという。

2020年7月3日金曜日

梅雨の花に彩られる

2020年6月21日 E129系 タチアオイ越しに。
あじさい越しにE129系
はなみずきの葉とE653系

2020年7月1日水曜日

115系N37編成とN36編成

2020年6月27日 柏崎発東三条行き 125M~227M 
コロナ騒ぎが始まったころは冬枯れだったが今は稲の緑がじゅうたんのようになっている。最近いままでと異なった編成パターンが出始めた115系。
以前はN36編成が新潟寄りで次にN37編成の組み合わせが長く続いたがこんどはN37編成が新潟寄りに来るパターンも発生した。

2020年6月30日火曜日

快速あいづ~オハフ612752

2020年6月20日 猪苗代~川桁 E721系 快速「あいづ」1号
今年のダイヤ改正で一部指定席が導入。最後部の一部に指定席を示すラッピングが。
ラッピングのほかヘッドマークも取り付けられている(指定席車のある編成に限る)
かつて455系の快速「ばんだい」に一部グリーン席と座席指定を設置した時代があったが455系の引退とともに消えた。今回の指定席はそれ以来ということになる。
快速あいづを見聞後は喜多方市の「日中線記念館」へ。ここでオハフ612752を。
現役時代よりきれいな熱塩駅舎と保存の客車たち。
タチアオイが咲いていた。前回は桜が終わったころなので1年以上経過したことになる。
オハフ612752の内部。列車の走行音を聞くことができる。遠い蒸気時代の日中線のものであろう。スイッチを入れると一部の室内灯が点灯し現役の頃を思わせた。
木製の背摺りの客車は快適ではなかった。ただ昭和の頃はこんな編成が当たり前だったようで磐越西線ではよく見かけた鋼体化改造車だった。
日中線記念館にここで挙式された方のアルバムがあり新郎新婦がオハフ612752の内部で撮影された写真が展示されていた。おそらく鋼体化客車の現役時代を見たことが無かった世代の方かもしれない・・・・渋く決まっていた婚礼画像だった。
最後は一の戸橋梁でキハ110系の画像を・・・「ばんえつ物語」という主役が不在で、国鉄型気動車もすべて潰えた磐越西線であるが明治から大正に造られた古典的な橋梁たちは健在である。遠景に飯豊連峰をあしらって・・・


 原則として撮影者の集まる「ネタモノ」から足を洗い今は鉄道史を楽しんでいるので人ごみのないこの時期は最高の遠征だった・・・最近は図書館などで地方史の資料を見たして過ごすことが多い・・・







2020年6月29日月曜日

明治のレンガ庫と平成の電機

2020年6月28日 EF510-506 4091レ 45分程度の遅れ 三条駅
レンガの建物はランプ小屋で油脂類を保管する倉庫だった。まだ客車に電燈が無かったころランプで明かりをつけていたそんな時代

 信越本線の機関車も蒸気機関車からEF15、EF16、EF58など旧型機関車がかつて主力だった。EF16も上越国境だけではなく新潟までの貨物列車や一部の旅客列車も昭和40年代までは担当していた(長岡第二機関区の運用)。
昭和40年代前半はDF50の牽引する客車列車などもあった。
 

時代が進んで電化区間が北陸方面につながるとEF81がやってきた。さらにEF15やEF16、EF58をEF641000番代が置き換えていったがEF64は信越本線のこのあたりでは主役になることはなかった。一部の上越線からの列車の先頭に立つにとどまっていた。

国鉄からJRに変わり30年経過。今はEF510とEH200の二大勢力となっている。EF510は下積みが長く主力になるには時間がかかったがEH200は突如やってきて勢力を広げた感がある。

三条駅のレンガのランプ小屋はそんな移ろいをみながらたたずんでいる。

梅雨空を走る~115系N40編成

2020年6月28日  寺泊行き普通列車 115系N40編成
小雨が降る中やってきた。懐かしの70系新潟色も登場して3年以上が過ぎた。
思えば先達の70系は弥彦線を走ることはできなかった。電化されていないので当たり前だが。70系を置き替えた115系はすでになく2014年以降長野からやってきた115系たちが最後の活躍をしている。遠く過ぎ去った時代へのオマージュを描きながら・・・


2020年6月28日日曜日

高原列車はゆく~沼尻軽便鉄道 その2

2020年6月20日 JR磐越西線川桁駅前  日本硫黄沼尻軽便鉄道はこの駅から出ていた。
終点の沼尻まで15.6kmの軽便鉄道だった。 開業が1913年(大正2年)で耶麻軌道と称し日本硫黄の子会社で硫黄鉱石輸送が中心だった。
戦後は石油精製から硫黄を得る技術が発達しコストのかかる硫黄採掘が敬遠され閉山。1967年(昭和42年)9月1日鉄道部門は磐梯急行電鉄として独立したが1968年(昭和43年)10月14日営業を休止しその後1969年(昭和44年)3月27日廃線となった。
川桁駅前にある石碑の裏側には沼尻軽便鉄道の歩み・・・経歴が刻まれている。

駅前の建物・・・・ちかくに沼尻鉄道の駅舎があったと思われる。左の建物もどこか旅館のような雰囲気があった・・・・


この沼尻鉄道を知ったのは1993年(平成5年)の鉄道ダイヤ情報が「磐越西線」の特集を組みその一環として紹介がされてた。
この記事の中にはかつて運転士だった男性と乗客だった女性が廃止後同じ職場に勤務するという記述があり胸を熱くした覚えがあった。

沼尻の保存車両が見たくて磐越西線の列車を撮影したあと(朝方は貨物列車、客車列車が運転されていた)沼尻までドライブをしたが保存車を見つけることができず戻ってきて保存車が沼尻ではなく猪苗代の磐梯山のふもと側にあることを聞いてそちらに向かった。
白津駅の停車場跡 文章の一部が欠落・・・停車場跡は道に面していた。かなり道路わきを走る区間があるようだ。今回は探索をしなかったのでここまでである。(違う目的もあるので今回はここでおしまい)
まだ沼尻駅の元駅舎が残っているようなので機会を作って訪れてみたい。
記念碑の表側 古関裕而作曲の「高原列車はゆく」の歌詞が表示。
 この歌が沼尻鉄道沿線だとわかったのはつい最近だった。(朝ドラ エール)
それまでは高原=信州と思い込んでいたので良い発見だったと思う。
併用軌道から終点に近づくと磐梯山が背後に見えて高原のような地形のところを走る。。
 DC121や客車たちの姿も沼尻付近の風景によく映えていたと言われている。
 硫黄の輸送のほかは中ノ沢温泉や沼尻温泉に向かう観光客や沼尻スキー場に向かう乗客に  愛されていた・・・・
 現在は静まり返った川桁の駅前であるが沼尻鉄道があった時代は線路が多数入り組んでにぎやかだったようだ。
客車のほかは気動車も保有していた。(ガソ101型 雨宮製作所の単短式二軸ガソリン車)さらに1968年(昭和43年)廃止になった仙北鉄道から気動車キハ2401、キハ2402、DC103も入線している。(参考文献 軽便鉄道 松本典久著 保育社 1983年 P9)

川桁駅前に桜の木が多数ありさらに小川が流れているが保育社のカラーブックスのP6~P8には桜並木とDC121牽引の客車2両が小川を渡りバックに残雪の山が見える写真が出ていた。一度は見てみたかった場面である・・・
磐梯山とE721系の列車。この日梅雨前線の北側に東北地方が入ったためか乾いた冷たい風が磐梯山の方角から吹いていた。稲は緑が濃くなり、夏蕎麦の花も咲いているのが確認できた。盆地のへりのこのあたりでも高原列車的な風情を楽しめた。このあたり冬が厳しいのでトタン屋根の住宅が多く北海道にいる気分だった。
軽便は無理でも最新鋭の電車と磐梯山で・・・ここも春は桜が見事のようだ・・・
(E721系ばかりの磐越西線は撮影者を見かけることもない・・・騒がしくなくてありがたい・・・なお東日本大震災で1番の編成と19番の編成が被災して廃車となっている。最新鋭であっても不慮の事故や災害で命を落とすことを忘れてはならない)
このあと磐梯山を愛でながら熱塩駅跡へ向かった。

参考文献 軽便鉄道 松本典久 1983年 保育社カラーブックス
     会津路ローカル線物語 1981年 金田善一監修 歴史春秋社
 









EF510-1 3093レ

2020年6月28日 EF510-1 3093レ 全般検査でJRFの文字が消された。側面は特に何もない状態になった。本機はRed Tenderのイラストは無い。
EF510-1とE129系普通列車  3093レは本年のダイヤ改正で3時間程度遅くなり午後の通過となっている。