2019年8月25日日曜日

文豪たちの鉄道旅


新潟市新津鉄道資料館で「鉄道で旅する新潟~鉄道旅行と観光列車~」という企画展が開催されている」(2019年9月2日まで)
先日見学したのだが興味深いものがあったので紹介したい。

森鴎外の旅 1882年(明治15年)山椒大夫などの名作で知られる鴎外は当時軍医であり、その年の2月13日から3月29日にかけ東京から古河、栃木、太田、前橋、安中、追分、上田、川中島、長野、牟礼、関川、高田、柿崎、青海川、柏崎、妙法寺山、長岡(ここで3月11日)新潟、新発田 新発田、新潟、長岡、五日町、六日町、三俣、三国峠、渋川、高崎、東京(3月29日着)
ほぼ徒歩と考えられるが一部区間蒸気船など利用。
利根川水系が通運丸、信濃川が豊丸、安全丸、通船川、加治川も舟運利用。
峠区間は馬車の記述もあった。(軽井沢付近)

経路はざっくり東北道、北関東道、上信越道、北陸道、日東道、関越道の各高速道路をイメージ。
鴎外の旅の目的は北関東と信越地方の徴兵に関する用務とされる。

鉄道は1893年(明治31年)12月に北越鉄道が開業し関東と新潟県が結ばれる。
それ以前は厳しい徒歩中心の旅だったようだ。
2018年8月13日 碓氷峠鉄道文化むら ラックレール模型

尾崎紅葉 1899(明治32年)年7月 療養のための旅行。
経路は日本鉄道、官設鉄道直江津線

尾崎紅葉は名作「金色夜叉」で知られている。

7月1日上野6時(日本鉄道線=今の高崎線)高崎(官設鉄道)田口(今の妙高高原)17時
人力車で赤倉鉱泉泊 香嶽楼2泊

主な記述
2019年8月19日 JR東日本上野駅

上野駅で水害のため田中以北は不通の掲示
日本鉄道車内で熊谷名産の御家宝を食べる
官設鉄道は車両が汚く取り扱いが不親切
アプト式に言及




2006年8月5日 信越本線妙高高原駅(旧駅名 田口 )現えちごトキめき鉄道


7月3日は田口(7時53分)~直江津~人力車~春日新田9時35分~沼垂15時10分(新潟泊)
2017年5月5日 信越本線 右手の単線トンネルが北越鉄道で造られたもの
米山峠のトンネル
長岡以北の水害に言及
*この時代未だ沼垂までで新潟までは1904年5月3日に開通。また1907年8月1日には鉄道国有法により国有化されている。譲渡額は7,776,887円

7月8日に佐渡へ

令和の今 同じコースをたどると
上野5時43分~高崎~横川バスで軽井沢~(しなの鉄道線)長野~(しなの鉄道線)妙高高原11時26分
今も新幹線開業により一部廃線や経営分離でJRと第三セクターに分かれてしまったが高崎から妙高高原は信越本線だった。
時間的には普通列車のみでも大幅時間短縮でまるで急行で移動したような感じになる。

*北越鉄道は客車はすべて2軸車で売店付き客車があった。座席は1等、2等がロングシートで3等がクロスシートだった。
機関車は重油専燃式が主流だった。
参考 国会図書館デジタルコレクション