2019年9月8日日曜日

クハ181-45 越後中里

1982年6月 181系「とき」2010M  スカート部分に丸い穴があって161系の設計であることがわかる。(ただしクハ181-44と45は161系の履歴を持たないで181系40番代として登場した.以後は181系100番代が増備される。
181系特急「とき」も日本海側と太平洋側・首都圏を短時間で結ぶ交通革命の象徴だった。それまで不可能だった日帰りが可能となったためである。
1962年の時点で新潟8時30分→上野13時10分 上野16時50分→新潟21時30分 4時間40分の乗車時間である。
3時間程度の滞在だったが都内での所用をすますことはできたかもしれない。14時から16時までの会議など・・・

1982年の時点ですでに特急「とき」は上野~新潟間を4時間10分程度で走っていた。(1978年10月ダイヤ改正以前は3時間55分で走っていたこともあった)
4時間だとやはり旅行のイメージになってしまい日常の延長ではないようだ。
「とき」に用いられた181系電車は老朽化するのが早く1958年製の151系改造車が1978年までにそれ以外も1982年の上越新幹線開業で役割を終えている。(一部は首都圏や九州で用いられたが)
冬の豪雪地での耐寒耐雪の問題で寿命を縮めたのであろう。
1975年には183系1000番代が登場し1978年ダイヤ改正までに主流となっている。



現在上越新幹線では東京~新潟間で大宮停車だけのものは2時間を切り、それ以外のものでも2時間10分程度のものが中心である。
首都への移動は利便性を増した。また新潟や長岡の発展にも寄与したと考えてよい。

まだ新幹線が工事中だったころ教員の方から今は4時間くらいかかる東京までの時間が半分になって午前中に東京で用務を行って午後に戻ってきて新潟で仕事をすることができる時代が来るという話を聞いた記憶がある。

先日東京に所用がありある役所にあることの申請をしに出た。行きとき302号~地下鉄で港区。帰りとき321号というコースで東京の滞在は3時間程度だった。ゆっくりしたかったがそれができない環境でとんぼ返りとなった。新潟市内には15時過ぎに戻っていた。
先に記した教員の方の話をそのまま実現したかたちになった。
所用だけを処理しよけいなことはせずに帰ってきた。
こうなると日常生活の延長(単距離の電車利用とおなじ)となってしまい旅の要素はないがそれでも2時間だと都会~山岳地帯(トンネルばっかり)~平野の風景の変化を見ることになり日常的な通勤電車と異なっていることは間違いはない。
この方法は新幹線の威力を最大限活用したことである。
もし、在来線利用や車利用の場合経費は安くなるものの万一の事故のリスクが大きくなるため確実に所用を処理するため新幹線利用とした保険の意味もあった。