2020年3月2日月曜日

日本海縦貫線荷物列車の運用標

1986年10月 大阪発青森行きの急行荷物列車4031レに連結されたマニ44型についていた運用標。大荷253はパレット式荷物車の運用だった。マニ44、ワキ8000、マニ37がパレット式で運用番号が200番代となっていて一般の荷物車と区別されていた。

大航2 青函連絡船に客車ごと乗り込み北海道へ向かう列車。最終目的地は釧路。
大荷54 大阪~青森間の運用 マニ50で運用されていた。

大阪~青森間急荷4031~4032レは縦貫線の歴史ある荷物列車だったが1986年11月1日のダイヤ改正で廃止された。

荷物車の運用は多数存在したが1980年10月から1982年11月14日まで存在した運用に北陸地方~山陽地方のものもあり長岡~米原~京都~下関の区間に運用された広荷1(下関運転所の荷物車使用)があった。長岡~米原間はローカル列車522レ(長岡行き523レ)で米原まで走り米原から下関運用は荷4046レさらに京都で急行荷物33レで下関へ。一方の長岡方面は下関から急荷36レで米原へそこから普通列車に併結523レで深夜の長岡にやってくる運用だった。
1980年10月改正までは新荷11という運用だったものが下関に移管された。この当時長岡にも荷物車が配置されていたが2両が下関に転属そのほかは酒田などに転属だった。
マニ362221が下関に転属後も配置されていた。