青空と黄色い水田。稲を刈った後再び実る。これはひこばえと言い、穂に中には実は入っていないという。これが見られると晩秋である。
トランスイート四季島はゆっくりと晩秋の越後平野を走り去っていった。
トランスイート四季島はゆっくりと晩秋の越後平野を走り去っていった。
振替休日の朝の貨物列車はこの1本だけ。4076レと4075レは運休となっている。
稲刈りが終わった水田地帯。枯れ野に変わってもうすぐ積雪で白くなる越後平野。わずかなひとときを列車は走る。毎年繰り返される季節の移ろい。
丘の上から列車を眺めるが空気が澄んでいるのか踏切りの音も、列車の走る息遣いも感じることができる。
永明寺展望台から 本来であれば通勤時間帯なのであろうが眼下を見ても混雑は少ない。晩秋の休日。黄色く実った大地は枯れ野のようにかわった越後平野。
展望台からは見附、長岡方面を見ているが、こちら側は人家も少ない秘境のように感じというより一歩手前なのであるが少し行くと郊外型商業地や、工業地帯、倉庫群などに突き当たる。
国道に沿って産業が開け、山すそは衰退して活気が失われている。地方の特徴と言える。この一帯は生産が中心で観光には乏しい。
ただそんな中にも知られざるものがいくつか存在してそれらを見聞することも楽しい。
文化の日は「晴れの特異日」という。秋が深まって日本海側では冬の走りが見られるまでのわずかな期間秋晴れが長く続くことがあり、そのころを現していたのかもしれない。
週間予報では雨は朝までで、7時ころは霧が立ち込め、雲が消えていった。この日は鮮やかな夕景が望めた。冬囲いなどにはうってつけでありそろそろ紅葉も見ごろなのかもしれない。
三条市の永明寺山から長岡方面。朝霧の彼方からE129系425Mが。
ここは明治期に日食の観測が行われた場所で。周辺に記念碑がある。また春の桜を愛でつつ越後平野を展望し、日没から夜間(20時以降は立ち入りできない)の夜景も最近「日本夜景遺産」に選定されている。
国鉄型485系やEF81貨物、EF81トワイライトエクスプレスを見送ったのもいい思い出である。幼少の頃はキハ82系「白鳥」もここで見ている。
鉄道ファンの特集に211系顔の車両たちが取り上げられている。
211系が登場したのは1985年度であり暖地向き0番台、ロングシート2000番台、寒冷地向け1000番台、ロングシート3000番台。以降JR東海の5000番台である。
鋼製の113系や115系を見慣れた者にとっては新時代の訪れを感じさせる車両であった。ただ、ロングシート近郊型には少々違和感があったが。
これら211系は在来の113系や115系とともに首都圏の輸送を支えたが2001年にE231系が登場すると脇役に回ることとなった。もちろん113系や115系は引退への花道を進むが。
いまは211系も北関東と長野県の中央本線などの運用が中心で編成も短く全盛期の勢いはない。ただ、風光明媚な地域を走る光景は秀逸と言えよう。
話題にならぬうちに攻めてみたいところである。