2025年7月12日 男鹿駅前 大漁旗が多数舞う 操る女性たちも見後である。
なまはげも見かけたが撮影はかなわず
船越水道 日本海の方向八郎潟方向
寒風山と風力発電機船川港
ふと思い立って秋田まで強行軍をしてもう1か月近くになった・・・
2025年7月12日 男鹿駅前 大漁旗が多数舞う 操る女性たちも見後である。
なまはげも見かけたが撮影はかなわず
船越水道 日本海の方向八郎潟方向
寒風山と風力発電機船川港
ふと思い立って秋田まで強行軍をしてもう1か月近くになった・・・
2025年8月2日 E653系 長岡花火団体臨時列車 上沼垂回送 回9451M
先週は柏崎花火臨時団体で運用され2週連続の運用である。 色づいた水田地帯を走り抜ける擬似国鉄色。特急「白鳥」や「いなほ」を思い浮かべる。
新潟方面は通り雨の下・・・久しぶりに雨が降った。雨上がりE257系の団体臨時列車 E257系9連 貫通側夕陽を受ける非貫通側・・・ 回9473MこのほかE129系の普通列車も多数運転され首都圏並みの混雑であった。 普段見ることができない長大編成の特急型電車を楽しんだ。
かつての男鹿線はDD51牽引の20系快速、一般客車列車、DD51牽引原油輸送、最近まではキハ40型の7連などで知られていたが、今は架線のない区間を走る電車の時代となっている。
この区間に蒸気機関車が定期で残っていたのは1968年ころまでだろうと思われる。55年以上の過去のことだ・・・・
この時代は二軸貨車が主体でコンテナなどまだわずかな時代 。そんな貨物列車がひっきりなしに通過していった。
男鹿行きのEV-E801‐3の車内から 土崎で待機中の4061レ
交流電化区間に付き前のパンタグラフを下ろしている。
海岸部の羽越本線を離れ内陸の奥羽本線を北上 して東青森までがEF510-1の行路。4061レはEH800に牽引されて青函トンネルを経由して札幌貨物ターミナルに向かう。
夏の朝、農家の方々は野菜の収穫や水田の水の見回りに余念がない。朝はいくらか涼しいがすぐに高温になってしまう。
この日は親族の初盆のため寺院へ。読経、法話、お斎と行われた。蒸し暑い一日で少し厳しかったが無事にお勤めが終わった。
法話後にふるまわれた精進料理 手前から豆腐、野菜天ぷら、野菜と車麩と油揚げ煮付け、豆腐の味噌汁、一番奥はキュウリからし漬け、たくあんこのほかにご飯である。
冷房の効いた庫裡で参列者各位と静かに頂いた。精進料理は肉や魚を用いないが日常生活では食べる機会はない。葬儀でも肉が出るご時世となってしまった・・・・
2025年7月26日 E653系「しらゆき」92号柏崎行き 全車指定席 花火の観客で混んでいたようだった。臨時「しらゆき」本年最初の運転となる。
ことしの春の高田観桜会関連では臨時「しらゆき」はなかった。
気が付くと水田の稲には穂が出て、あと1ケ月で収穫をする時期が来ることを知らせていた。
しょうしょう 残念ではある。しかし久しぶりにきれいなEF510-509を見ることができ良かった。
秋田総合車両センターでポツンと1両583系クハネ583が。引退はかなり昔と思うがまで解体されないで残っていた。左手には直流電車E233系中央線色も。ほかに255系やE701系の中間車らしきものも・・・・
かつては国鉄色電気機関車もこの付近で見かけることがあったようである。JR東日本移行後は工場に関しては直流や交流の区別を行っていないようで首都圏を走る列車が入場して修繕や改造を受けることは当たり前に行われているという。
羽後亀田は映画「砂の器」に登場する駅。東京の蒲田で起きた殺人事件を羽後亀田まで捜査のために訪れると設定。実際には山陰の木次線「亀嵩」であった・・・・
東北の訛りのある声で「カメダは相変わらずか・・・」という発言を手掛かりに操作する刑事・・・
羽後亀田の駅舎は映画「砂の器」のロケで行われたころと同じ木造駅舎のままだった。
ミニ新幹線である秋田新幹線E6系「こまち」が一路東京へ向かう。秋田と首都圏をつなぐ最重要路線である。かつて485系特急「たざわ」が果たしていた役割は1997年3月22日ミニ新幹線としてスタートした。盛岡乗り換えが東京直通となって利便性が向上した。しかし、メインから外れた奥羽本線や羽越本線は特急減便となった。
会津鉄道お座トロ 会津田島行き AT350型
最後尾はキハ40からの改造 AT400型この季節あえて冷房のない車両に揺られ、開け放たれた窓からの風を感じながら走るのは気持ちがいいことであろう。
停車駅は東能代、鷹ノ巣、大舘、弘前、新青森、青森となっている。
山間部は夕立に見舞われているようだ。
新潟から特急「いなほ1号」2011M7時20分発秋田11時24分着そして青森行きの急行「むつ」613Dは秋田11時28分発 青森14時35分着。このダイヤで移動していたがDD51661〔秋〕牽引の20系がやってきたのを撮影してすぐに急行「むつ」に乗り換えた。
秋田駅8番乗り場はご覧の写真を撮影するしかなく、編成などを入れることは困難だった。
このDD51661牽引の 20系客車は季節急行「おが」であり、上野21時24分発6401レ秋田着8時34分秋田から8131レとなって9時発で男鹿着は10時9分。男鹿を10時24分発8132レ秋田着11時26分着の運用だった。上りは男鹿18時36分上野着6時54分である。男鹿線内は普通列車で一部通過駅ありであった。
運用番号は北東1で尾久客貨車区受け持ちで、車両は1980年10月改正まで10系寝台車(A寝台あり)と旧型客車、1980年10月改正以降14系10両編成で運転、1983年7月1日より急行「津軽」の混雑緩和のため「津軽」に使用している20系と交換した。男鹿線の乗り入れは1985年3月14日改正で終了し秋田~上野間の急行「おが」としてJR東日本に引き継がれた。
参考までに手持ちの1992年7月時刻表によると上野22時23分発9405レ北上発5時50分、秋田着は8時49分着 。秋田20時発9406レ北上23時1分、上野到着6時54分であった。すでに山形新幹線があり北上線経由となった。運転日数も少なく旧盆や年末年始の運転であった。
*20系客車としては1992年春臨までで、以降14系に置き換わったものの1994年冬で運転を終えたようだった。最晩年は14系の寝台と座席の混合だった。
参考資料 国鉄客車ガイド 1983年交通新聞社、時刻表各号