2025年6月14日 E001トランスイート四季島
桜の頃に運転が始まったトランスイート四季島であるが今は梅雨の頃。乗客たちは梅雨空の水田地帯を眺め秋の収穫に思いを寄せるのであろう。
E001トランスイート四季島はゆったりした速度で越後路を走る。
桜の頃に運転が始まったトランスイート四季島であるが今は梅雨の頃。乗客たちは梅雨空の水田地帯を眺め秋の収穫に思いを寄せるのであろう。
E001トランスイート四季島はゆったりした速度で越後路を走る。
梅雨空で湿度の高い日。週末運転「ばんえつ物語」が煙を上げて通過。かわり映えしない画像であるが蒸気機関車は煙の出具合で画像のイメージが変わる。通過数分前まで誰もいなかったが、通過間際に数名家族連れが現れて手を振る光景が見られた。体全体を振って手を振る人も。蒸気の人気は衰えない・・・・
考えてみれば蒸気機関車や客車を令和の現在でも眺めることは極めてありがたいことだ。
この付近は第4種踏切りが多くタイフォンを鳴らして通過していった。この日の午前は梅雨空だったが午後に雨が止んだ。
わずかな時間に多数の列車が通過した。梅雨空も収まったひと時。
2025年6月14日 加茂市冬鳥越 スキーガーデン併設のバラ園蒲原鉄道ED1とバラとの組み合わせも今年で最後ED1のほかにモハ61とモハ1も 数年前にモハ1は屋根の下になって印象が変わった。
ED1の後ろにバラ園を入れてみる。
バラ園・・・咲いてから時間がたっていたんだものも見受けられた。バラ園はかなり広い面積を持ちモハ61とモハ1を入れることも可能である・・・この日イベントが行われるようで大勢の人がやってきていた。この賑わいもこれで最後である。7月以降バラはすべて撤去されるという。跡地はどうなるのか?蒲原鉄道の車両たちと共演してきたバラを来年以降は見ることはかなわなくなる。
梅雨に入って蒸し暑い日が続く・・・この界隈の田植えはようやく終わったようだ。
2081レのEH200-24はこの日の午後配給を牽引して高崎に帰っていった。
配8788レ EH200-24とDD200-901DD200-901 新潟貨物ターミナルの入れ替えに奮闘していた・・・配8788レは先週に続いて2週連続の運転・・・一方北越コーポレーションの6082レは運休となっている。いつ復活するか?
梅雨が明けることであろうか?
朝もやも消えて快晴の空が広がる。梅雨入り前の貴重な快晴。雨の季節を前に走り抜ける列車たちを眺める。 この区間から定期特急「はくたか」が消えて10年経過して列車本数は減少したが風光明媚な風景はそのまま残っている。車両のことはひとまず忘れて風景を愛でる。
どういう用途の機材なのか?だいぶくたびれた印象の機材である。
通勤時に気になっていたので越後湯沢に行く道中眺めてみた・・・
周りはまだ寝静まったまま・・・夜が明けるまで間もなく。 静寂を切り裂いて首都圏からの貨物列車が走り抜ける。毎日繰り返される光景・・・・列車が通過すると静寂が戻った。
EF81 134他 旧長岡車両センター
大沢で撮影にいそしむ各位に謝辞を伝え、六日町へ。ここで復刻塗装のHK100を目撃。従業員ではなさそうな人が車庫にいるが、帰宅後調べたら雪月花の乗客のイベントだったようだ。雪月花も片道7000円と安い(食事はなくスイーツのみ)こういう機会があれば乗車できそうだが・・・
梅雨入り前の午後越後三山が残雪を頂き、きれいに望める。上越線列車と絡めてみたいが、夕方の貨物列車も狙いたいので折り合いを・・・
上越線では六日町~五日町間がきわめて迫力を感じる、また大沢で出会った各位は北越急行ほくほく線魚沼丘陵へ行くとも言っていたが・・・
六日町から浦佐の区間はアップダウンのある盆地・・・上越新幹線が五日町を通過すると現れる。浦佐駅近くに越後三山を絡められる場所がありそこで上り新幹線を。E7系の編成が残雪の山の前をゆったりと走り抜けてトンネルへ消えていった。
小出で只見線キハを眺めて南長岡へ。ここでしばらくぶりに配8788レの牽引機EH200‐6が発車待ちする場面を眺める。他引退が近いEF81などを遠めに見て北長岡付近で水田地帯を走るEF510の3098レを下り3097レは遅れているのか来ないのでそのまま買い物をして帰宅した。 久しぶりに晴れの週末を楽しめた。梅雨入り前の乾いた空気に包まれた山岳地や盆地のたたずまいを堪能できた。
団体客を乗せて越後湯沢に向かう土休日にトキ鉄以外に進出するのは珍しい。
岩原スキー場前でE257系に振られたあとは四季島を狙うこととし、越後湯沢から国道17号を北上する。5月はすべての週末が雨にたたられた異常な5月だったが6月になりそのパターンが崩れた。乾いた晴天で山がよく見える(雨でも山がよく見えることもあるが)
四季島は小出で13時45分くらいなので、六日町の先まで行こうとすると追いつかれてしまうので石打~大沢の区間で折り合いをつけるしかなかった。大沢の集落を通って大沢駅へ。
ここでは列車利用の男性2名で関東方面の方、駅舎で休む男性でライダーさん、そして農家の男性が軽トラックで駆けつける・・・・
「特急列車が通過します」の放送を聴き特急ってなんだ?と関東の各位。これは「四季島」のことだと伝えると納得されたようで、ライダーさん、農家さん4名で四季島を撃つ !
大沢の駅は山間と盆地のへりにある駅でロケーションは最高である。山越えと里のいいとこどりの駅である(ただし食事をする場所は無いので17号線へ)
E001トランスイート四季島はミュージックホーンを鳴らしてゆったりと通過していった。平和な光景である。農家さん曰く「四季島」のフラグを振るとミュージックホーンを鳴らしてくれるとの事。
そしてもうすぐ「雪月花」ET122系が来るとの頃。いい情報を頂いたのでご相伴にあずかる。後でわかったことだが北越急行とタイアップした列車だった。
上越線で雪月花というレアな場面を見ることができたことを感謝し、情報をくれた各位にお礼を言って大沢を後にした。この各位とも一期一会なのであろう・・・・
ここでは「ネタ系」しか撮影できなかったので今度はEH200、E129系、HK100のレギュラーたちも記録しなければならないところ。
杉林を入れてスキー場を隠す。奥羽本線の庭坂のような雰囲気となる。
ここでは険しい山越えをイメージして。奥羽本線庭坂は純然な山岳路線で華は無いがここ上越線岩原スキー場前のカーブはスキー場銀座で冬はスキーヤーでにぎわい山岳路線の厳しさが幾分霞む感じとなる。今は海外のスキーヤーも多数訪れているという。さらにこの界隈のリゾートマンションを購入して住んでいる海外の人も。ただその一方で一時あったスキーの衰退期に廃業された民宿などがあり今年の豪雪で倒壊した建物が越後中里駅近くにあった。華やかなようであるが過疎化高齢化が容赦なく襲い掛かり厳しい試練に見舞われている今の時代を垣間見ることができる。
水上行きのワンマン2連 この区間はこんな列車でも絵になる最高場所。上越線が幹線の座を降りて40年が経過・・・今は短い列車が走るだけで特急も急行も走らない。貨物列車も多くはない。新幹線と高速道路に使命を譲り余生を送る・・・
ここで観光特急「谷川岳もぐら」のE257系の回送を待っていたが回送先が石打になっていたという。ならばE001「トランスイート四季島 」をここで見るのも一興と思ったが、帰宅して家事をする関係であきらめざるを得なかった・・・トランスイート四季島は結局大沢にて押さえることになったがここにいた若い愛好家各位より面白い話題を頂き・・・
昨年秋まで185系だった「谷川岳もぐら」「谷川岳ループ」は現在E257系に置き換わった。そのため撮影者の姿もほとんどなかったが遠く埼玉県からお越しの男性がおられたので、談話しながら撮影を楽しんだ・・・話の始まりは包丁の件で・・・燕三条の物産施設で包丁をお買い求めだったがまだ使う機会がないとかで・・・その後は上越線の話題で楽しい時間を過ごした。無線レシーバーご持参のため接近放送を聴きながら列車の接近を待った。
E257系「谷川岳もぐら」」の乗客はかなり多くこの方々が越後湯沢に向かわれたようだ。
臨時快速「喜多方レトロ満喫号」
キハ110系の初期車はパイプスカートがトレードマーク。当初急行「陸中」で使用していたためリクライニングシートを装備していた。
リクライニングシートが並ぶキハ111‐3の内部。特急型と言っても過言ではない車内。
以降出てくる一般型キハ110系とは別格であり、特急並みの装備で走る急行であった。「陸中」の運用消滅後は快速などでの運用となっている。
リクライニングシート装備のキハ110系は300番台が1996年から1997年のわずか1年「秋田リレー」として走破し、秋田新幹線開業とともに一般車に格下げとなって今日に至っている。
本年7 月から9月毎週金曜日限定で全車座席指定の特急「イブニングウェイ」
1号が仙台18時15分発小牛田18時51分着(鹿島台、松山町停車)と仙台20時34分発石越21時36分着(鹿島台~石越各駅に)停車の下り2本。
1996年「秋田リレー」以来のキハ110系の 気動車特急の登場である。もっとも特急と言ってもかつてあった「ライナー」列車の再来と言えるかもしれない。