2017年2月28日火曜日

京成電鉄の記憶

2016年12月28日 京成上野駅 成田空港行きの特急列車。3400型の編成。
特急といえど通勤車でロングシート。それでも発車後は停車駅と到着時刻の案内があった。
それにこの3400型は初代スカイライナーのAEの下回りを流用しているらしい・・・・
上野~日暮里間は回送なみの乗車状況だが日暮里からは多数の乗り込みがあり立ちが出る状況。
このまま空港第2ビルまで 続いた。
行は急がないので運賃の安い京成本線経由で・・・・

さてこの京成本線は小学生の頃乗ったことがある。
1972年8月急行佐渡で上京して京成上野から京成線に乗車し実籾駅(または大久保かもしれない)まで乗車した。そこに親戚があり3泊ほどした。翌日谷津遊園、その次の日は成田山そして夜東京に。東京タワーと銀座に行った。

谷津遊園はその後オリエンタルランド つまり東京ディズニーランドを傘下にしたため廃止。なので貴重な体験だったかもしれない。 これら観光地はすべて京成電車だった。
当時の京成電鉄の電車の車体は赤とクリームのものと青系のものがあった。
赤とクリームの電車はどこか気動車を思わせた。ただやってくる電車たちが この二つだけだったのでそれほど関心を持たずむしろ初めて眺める首都圏の風情に圧倒されていたようだった。遊園地の観覧車や東京タワーから見たくすんだ空(とにかく東京の空はきれいではなかった)銀座の人込みと怪しい人たち・・・・

最終日は習志野市内の親戚の家にいたが退屈なのでどこかに遊びに出たのかもしれない。
京成の線路沿いの道を歩いていると中学生くらいの人と雑談する機会に恵まれた。
だいたいがアニメや特撮などのテレビ番組の話題だったようだった。
さて通勤電車しか来ない京成電鉄であるが見慣れない 電車がやってきたクリーム色に窓周りが茶色の電車で扉の少ない・・・・つまり特急型だった。それは「スカイライナー」としてのちにはしることになる電車だった。通勤型とはことなる外観は鶏群の一鶴であった。強烈なインパクトであったが帰宅するとその記憶も薄れていった。このころはそれほど鉄道に関心があったわけではなかったので。
ちなみに特急は「開運」号が上野と成田の区間を走っていた。前面にまるいサボをつけていたが列車そのものは通勤型だった・・・・

その後鉄道に関心を持つようになり1980年代は時折上京し上野界隈で撮影などをすることもあったが主体は国鉄であり京成電鉄に関心を持つことはなかった。