2019年10月20日日曜日

EH200牽引の信越本線黒井貨物80レ(前川の記憶)

2019年10月20日 信越本線 前川付近 南長岡~黒井貨物の牽引が一時的に80レ~85レに戻ったので見聞に。鯨波付近も検討したが天候不良で海がすっきりしないのとケーブルの処理などで難しいと判断して以前よく行ってた前川付近に。駅前はかなり住宅が立ち込めたが駅間はそこそこ余裕があり昔と変わらない。長岡では比較的有名なポイントである。

この界隈に一番最初に来たのは40年以上前免許取得のためである。かつては試験場がこの近くにあり受験生や更新に来た人で賑わっていた。個人経営の自動車教習所や写真屋、代書屋(行政書士など)、さらに「合格屋食堂」などどいう格安の食堂まであった。食堂も数件あって道路一帯が小さな町の様だった。撮影に来たついでにこれらの食堂で食事をしたこともあった。コンビニなどが多くなかった頃だ。

免許は午前に試験が終わり合否を待つ間に食事をした。焼肉定食を食べたが500円くらいだった。
試験場からは信越本線と上越線が見えてオール冷房の飯山線直通の急行「野沢」を見送ったのも懐かしい記憶である。
いまは試験場は前川駅から500メートルくらい行った場所に移動して旧試験場は住宅地となってかつての面影は消えた。

そこから400メートル程度進んだ場所が撮影地である。宮内よりは前川の方が近い。
ここで朝練をして貨物が80レと4076レ、E129系普通電車、E653系「おはよう信越」、キハ40系shukura回送などを見聞。
前川からは上越線列車も見ることができた。上越線は急行「野沢」はもうないがキハ110の単行気動車が見えた。その後ろには上越新幹線のE2やE4が走り抜ける。
この界隈は丘陵地が迫り鉄道が込み入った地帯であり東海道線の近江長岡に界隈を思い出す。「長岡」というつながりである・・・・あちらも山あいで新幹線と在来線が輻輳しさらにセメント工場の専用線もあった。(現在は廃止)
当地も越後交通の貨物列車が来迎寺まで来ていたので雰囲気が近い。

復活直流機80レはEH200-2牽引で貨車は9両程度の短編成だった。4076ㇾはEF510-513牽引。

雨が降ってきたので場所を前川駅に移して・・・
こちらでは快速3371M 直江津~長岡間快速 115系N33編成弥彦線色(1988年採用のもの)を。平成の初期弥彦線でしょっちゅう見かけたものにつきこれという思い入れはないが終わり間近な115系運用で「第一次弥彦線色復活後撮影第1号」となるので・・・
このあたりでこの塗装もちょっと不思議な気分となる。
弥彦線では2両ワンマンだったが復刻編成は3両であり感触も異なる。

このあと4095レと特急「しらゆき」1号を・・・
しらゆき1号の自由席は立ちが出ていた。北陸新幹線の台風被災による不通区間発生で上越妙高から乗り継がれた方々だろうか・・・
所定なら8時30分から9時30分には東京に着けるが乗りつぎのため長岡経由だと10時30分頃になってしまう・・・
全線で運転再開後も長野の水没車両が10編成ということで車両不足のため減便が多数発生したり所定ダイヤには簡単に戻れそうもないようだ。
今日は朝食なしだったので近くのコンビニへ・・・免許センター近くにセブンイレブンがあるのでそこで買うことにする。
今の試験場=免許センター長岡支所の前を通過。駐車場には更新にこられた方々の車が。長岡でも日曜日の更新ができるようだ。今度はこっちで更新をしてみようと思う。
免許センター前は個人教習所(届出教習所=道路交通法98条1項の公安委員会に届け出をした教習所で具体的には技能試験も試験場で受けなければならない教習所のこと)
が多数あり旧試験場=旧免許センターの通りと変わらないが代書(行政書士事務所)や食堂が全くない。このあたり時代を感じた。
40年前は無事試験に合格しても免許証を受け取るのは数週間待ちという時代だった。即日交付の今とは全く異なる。食堂は免許センターにはなく、申請書も代書のきれいに整ったものが優先されたらしい。申請の書式も書きにくかった。(免許試験の申請書は教習所で作成してもらったものを持参して受験した。たまたまそれで合格できたが不合格の時は代書を利用するほかなかったのだろうか?なお、昭和の頃は免許更新は警察の脇の免許更新の事務所で書類を提出して行った。更新費用にはタイプ使用料というのがあり申請書は手書きで持って行ってたかもしれない。日曜日の更新ができるのは平成になってからだった)


今のの試験場=免許センター長岡支所は近くにラーメン屋やコンビニもあるし、申請書も簡単になったので代書の必要もないそうである。手続きがすべて免許センター内で完結して写真も必要ない。(免許センター長岡支所内の食堂は廃業したようだ)

コンビニで朝食を済ませ南長岡界隈の取材に・・・・