2023年4月9日日曜日

新航1の旅路~荷物列車の記憶


1982年5月 信越本線鯨波を行く大阪発~青森行き荷4047レ

EF81〔東新潟〕に連なる荷物車の編成はマニ44大荷255、マニ36大荷53、マニ36名荷10、マニ50大荷54、マニ44大荷256、ワキ8000?大荷253、オユ大郵4、マニ大航2、大航1、金航1、新航1 以上の12両で運転。この画像は撮影名所を走る列車を単に撮っただけという代物で編成の欠落があるため資料として不相当となるが撮影当時はそんなことは考えていなかった。(今の私と撮影時の私がもう全くの別人になっている一例)

大荷、大航、大郵は大阪鉄道管理局所属で 宮原客車区所属。名荷は名古屋鉄道管理局米原客貨車区所属、金航は金沢鉄道管理局敦賀客貨車区、新航は新潟鉄道管理局直江津客貨車区所属の荷物車等 荷は荷物車。郵は郵便車、航は青函連絡船航送を表す。

管理局の頭文字と車種を組み合わせ、大荷いくついくつという運用番号が作成された。行先も1両ごとに異なり、200番代の運用番号はパレット式(荷物を積むかごで台車付き)の取り扱いを意味した。

新航1は1980年当時で直江津客貨車区のマニ50(2108、2109、2131~2136)が荷4047レで直江津7時32分発~青森 22時51分着、青函連絡船1便青森港0時35分出航、函館4時25分着、函館14時45分発125レ札幌23時48分荷44レで岩見沢へ。返しは岩見沢荷44レで函館21時49分、青函連絡船2便0時40分出港青森に4時30分、荷4048レで青森を0時57分発、秋田4時40分、秋田から834レ新津15時37分着。新津19時26分発荷2042レで長岡20時53分着ここで切り離されて信越本線522レで長岡4時40分発直江津は6時27分着で長い旅路を終える。上りは定期普通列車に連結されローカル輸送中心だったようだ。

下りは北陸から北海道を急ぎ、上りは北海道から時間を駆けて帰るダイヤだった。上りのダイヤは細かい切り離しが多く運用経路を見つけるのに難航した。 

1982年11月15日改正で稚内往復に変更され1984年2月改正で廃止された。