2018年7月7日 新潟市南区の旧新潟交通電車線の月潟駅 濃い緑と雨にたたずむモハ11。西日本各地は梅雨末期の豪雨で各所に被害がTVのニュースも崩れた山や水没した人家の光景が映し出されていた。新潟県では2004年と2011年に水害が起きて大きな被害そして犠牲者が多数出た。そのときは出勤できなくて自宅TVで濁流と化した信濃川の光景に恐怖していた。
鉄道の被害では東日本大震災で燃料輸送の重責を果たした磐越西線と上越線が線路が流されたなどで不通になってしまった。只見線は最も被害が甚大で現在も只見~会津川口間は不通になったままである。
お目当ては駅構内の七夕飾り 保存会の方々の尽力でこのように見事な飾りが。
あいにくな雨であるが七夕を楽しむことができた。こんな天気でも見学に来る人は多い。
何名かの方がやってこられていた。このあと新潟市西区へ。
2018年7月8日日曜日
2018年7月7日土曜日
ラベンダーと115系N40編成
2018年7月7日 115系N40編成の224M 燕駅付近
1984年に廃止になるまで燕駅の吉田寄りには貨物扱い所があり画像の右手部分の空間は線路跡である。貨物扱い所は現在公園になっている。貨物は3往復あり東三条で信越本線に継承して各地に出荷されていった。工業製品が多かった。
踏切りの警報器のところにラベンダーがあったので・・・・
実際の大きさ・・・梅雨のない北海道のラベンダー畑を連想するが実際はごくわずか。
通りかかった女性にうまくいったかと尋ねられたが一眼レフを持っていれば目につくのであろう。その方は自転車の荷台に魚が入った発泡スチロール容器を積んでいた。
行商人風に見えたが今の時代では貴重な光景だった。
通学の高校生が多い
跨線橋から・・・粟ヶ岳が背に入ったが曇りの日限定と言える。
燕駅前には燕中等学校の送迎バスが待機していた。
1984年に廃止になるまで燕駅の吉田寄りには貨物扱い所があり画像の右手部分の空間は線路跡である。貨物扱い所は現在公園になっている。貨物は3往復あり東三条で信越本線に継承して各地に出荷されていった。工業製品が多かった。
踏切りの警報器のところにラベンダーがあったので・・・・
実際の大きさ・・・梅雨のない北海道のラベンダー畑を連想するが実際はごくわずか。
通りかかった女性にうまくいったかと尋ねられたが一眼レフを持っていれば目につくのであろう。その方は自転車の荷台に魚が入った発泡スチロール容器を積んでいた。
行商人風に見えたが今の時代では貴重な光景だった。
通学の高校生が多い
跨線橋から・・・粟ヶ岳が背に入ったが曇りの日限定と言える。
燕駅前には燕中等学校の送迎バスが待機していた。
2018年7月6日金曜日
2018年7月4日水曜日
越後線粟生津付近の115系N40編成
2018年6月30日 越後線南吉田~粟生津 115系N40編成の柏崎行き。弥彦線の226Mとは接続をしない。
柏崎方向にうっすらと越後三山のひとつ駒ヶ岳が望めた。
足回りが雑草に隠れたが雰囲気が良かったのでもう1カット。
意外な発見であった。景色のいい場所より生活感が感じられる場所で撮影するものにとってはよい報酬だったといえよう。
柏崎方向にうっすらと越後三山のひとつ駒ヶ岳が望めた。
足回りが雑草に隠れたが雰囲気が良かったのでもう1カット。
意外な発見であった。景色のいい場所より生活感が感じられる場所で撮影するものにとってはよい報酬だったといえよう。
2018年7月1日日曜日
115系N40編成~弥彦線の朝
2018年7月1日 近所の丘陵地にて 朝食を作っていたら雲がかかっていたのでもしかして雲海になるかと思って・・・それほど規模は大きくなかったが標高が100mに届かい丘陵地でもまれに・・・・
115系N40編成 225M 近くのグランドでは野球チームが練習に汗を流していた。
寺泊行きの224M 古い跨線橋と115系
燕駅に停車中 柵の手前は1993年7月に廃止された新潟交通電車線の線路跡。
吉田方面に向かう
ほどなく吉田方面から115系N35編成とN38編成のペアが。
日曜なので混雑はない・・・
燕駅ではE127系とならぶ。ひっそりしている燕駅では最も忙しい時間帯かもしれない。平日だと高校生や通勤客が多数乗降する。
E127系の吉田行き列車。
8時前なのに気温が急上昇。日中は35度に。 関東はすでに梅雨明け・・・不吉なことだ。2011年の豪雨災害を思い出してしまう・・・
さて弥彦線も東三条と吉田の区間は街続きとなり撮影向きの区間は存在しないように思えるが雑然とした生活感のある光景が特徴と考えられる(都会から来たお客様はつまらないと思うのですが)
今日はここで撮影終了。あとは愛車の定期点検と壊れたエアコンの修理である。金欠!
115系N40編成 225M 近くのグランドでは野球チームが練習に汗を流していた。
寺泊行きの224M 古い跨線橋と115系
燕駅に停車中 柵の手前は1993年7月に廃止された新潟交通電車線の線路跡。
吉田方面に向かう
ほどなく吉田方面から115系N35編成とN38編成のペアが。
日曜なので混雑はない・・・
燕駅ではE127系とならぶ。ひっそりしている燕駅では最も忙しい時間帯かもしれない。平日だと高校生や通勤客が多数乗降する。
E127系の吉田行き列車。
8時前なのに気温が急上昇。日中は35度に。 関東はすでに梅雨明け・・・不吉なことだ。2011年の豪雨災害を思い出してしまう・・・
さて弥彦線も東三条と吉田の区間は街続きとなり撮影向きの区間は存在しないように思えるが雑然とした生活感のある光景が特徴と考えられる(都会から来たお客様はつまらないと思うのですが)
今日はここで撮影終了。あとは愛車の定期点検と壊れたエアコンの修理である。金欠!
弥彦線~雷雨の跡の夕涼み 115系N40編成
2018年6月30日 E129系の吉田行き列車。242M 燕市の中ノ口川
下回りが隠れるため喜ばしい場所ではないが橋脚が歴史を感じさせるものなので1カット。
ここの橋もかつては小さなトラスで足回りも見えたようだった。
電化前は架線柱のところに通信線=ハエたたきが取り付けられていた。
思えば車両ばかりに目が行きしかも弥彦線は薄汚れた気動車ばかりだったので撮影する意義を見いだせず記録は残していない。大正時代の橋脚と新鋭平成最晩年生まれのE129系。
燕付近の115系N40編成 弥彦線を走る70系新潟色。245M 近くの小学校の建物の影がかかり微妙な雰囲気になっているが、うれしいことに雑草がきれいに刈り取られて下回りも良く見える。この列車は燕で列車交換をしたものである。午後は1回のみでこの列車は2番線での交換。
三条市の信濃川対岸から。244M 夕日を受けて走る115系N40編成。色も鮮やかに感じる。風景的には雑然としていているがこれも弥彦線の魅力の一つかもしれない。
ローカル線にしてはやや本数が多く時間帯によっては混雑し車窓から見えるものは金属加工の工場と倉庫、新興住宅や、ロードサイドのショッピング街とビジネスホテル・・・
別に最初からこんな風景が広がっていたわけでもなく時代によって変化していったものである。1984年4月の電化までは通勤型気動車が走っていたがその歴史的背景も燕市の洋食器産業の隆盛期と関連する。1970年代に工場街が燕市郊外に移転するまで 弥彦線は輸送の中心であった。その後は輸入品に押されて苦戦する時代になったり、人手不足や後継者難の問題など芳しくない時代に入り現在に至っているが、再び見直されている時代に入りつつあり今後期待される。
信濃川を渡って燕三条に向かう 右手に大きな積乱雲があったが画像に入らない。
1985年の架け替えでトラスになったがそれまでは中ノ口川と同じタイプの鉄橋だった。
進行方向左手には燕三条駅がある。この日国道8号線も289号線も渋滞。上流の
かつての競馬場脇を通る道路も渋滞していた。
下回りが隠れるため喜ばしい場所ではないが橋脚が歴史を感じさせるものなので1カット。
ここの橋もかつては小さなトラスで足回りも見えたようだった。
電化前は架線柱のところに通信線=ハエたたきが取り付けられていた。
思えば車両ばかりに目が行きしかも弥彦線は薄汚れた気動車ばかりだったので撮影する意義を見いだせず記録は残していない。大正時代の橋脚と新鋭平成最晩年生まれのE129系。
三条市の信濃川対岸から。244M 夕日を受けて走る115系N40編成。色も鮮やかに感じる。風景的には雑然としていているがこれも弥彦線の魅力の一つかもしれない。
ローカル線にしてはやや本数が多く時間帯によっては混雑し車窓から見えるものは金属加工の工場と倉庫、新興住宅や、ロードサイドのショッピング街とビジネスホテル・・・
別に最初からこんな風景が広がっていたわけでもなく時代によって変化していったものである。1984年4月の電化までは通勤型気動車が走っていたがその歴史的背景も燕市の洋食器産業の隆盛期と関連する。1970年代に工場街が燕市郊外に移転するまで 弥彦線は輸送の中心であった。その後は輸入品に押されて苦戦する時代になったり、人手不足や後継者難の問題など芳しくない時代に入り現在に至っているが、再び見直されている時代に入りつつあり今後期待される。
信濃川を渡って燕三条に向かう 右手に大きな積乱雲があったが画像に入らない。
1985年の架け替えでトラスになったがそれまでは中ノ口川と同じタイプの鉄橋だった。
進行方向左手には燕三条駅がある。この日国道8号線も289号線も渋滞。上流の
かつての競馬場脇を通る道路も渋滞していた。
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