上り普通 この季節この位置からは日差しを受けることはない。
下り普通 左手には枯れすすき この踏切りも冬は閉鎖される。師走に入ると一気に冬らしくなる。この冬も雪は多いようだ。
上り普通 この季節この位置からは日差しを受けることはない。
小雨をついてEF510-6牽引の3093レが通過。日中は鮮やかに見えた背後の丘陵地帯の紅葉も茶色くくすんでもうすぐ散ってしまうことを告げていた。薄暗い景色の中機関車の赤が鮮明に見えた。
午前中に東京まで1往復して、午後の1往復の始まり。この列車の前に時刻表に無いE7系の編成が通過していった。
冬枯れの水田を前景に新潟平野を貫く上越新幹線の高架。高速で駆け抜ける新幹線列車。
1982年11月15日行動様式を変更することを迫られた交通革命がおこった日。首都圏は遠くの町ではなく、越後路は首都圏の移動範囲に取り込まれていく。
ただし上越新幹線が主役となったわけではなく、隣を走る高速道路がメインルートとして主流になっている。多くの人々は多少時間がかかっても費用が少ないマイカー移動を選ぶことが多い。
E2系J66編成 200系色を纏う 落葉が進む越後平野を走る。
200系色は落ち着いた配色で越後平野の風景に溶け込んでいた。本年は上越新幹線開業40年の節目。
1985年3月31日限りで廃止され、同年に国道289号バイパスに生まれ変わった弥彦線越後長沢駅跡。左奥のホームセンターの手前の道路が国道289号。その手前に越後長沢駅があった。
ホームセンターの隣には大手スーパーもあり買い物客でにぎわっていた。右手の建物は越後長沢駅があったころから存在している商店。信号の道路はかつての国道289号線で弥彦線に沿う形で三条市内まで通じていた。
廃止直後の弥彦線越後長沢駅に発着する列車は朝2本、夕方から夜間3本で、土曜日のみ弥彦線吉田方面からの間合い運用で1往復乗り入れていた。この列車が越後長沢駅方面列車で最長の5両編成で帰宅する高校生で賑わっていた。
越後交通長沢駅バス待合所 かつての駅後長沢駅の跡地に設置された。現在東三条駅から八木鼻温泉まで直通するバスが主流で日中この場所でバスを見かけることはない。
バス停の左手に国道289号がありさらに左にスーパーとホームセンターの駐車場が広がる。
この界隈では鉄道が廃止されたことで利便性がよくなった成功例と言える。越後長沢駅があったころは水田が広がるだけで北海道の原野のような風景が展開していた 。
五十嵐川対岸から越後長沢駅方向。鄙びた集落が広がるが実際は役場や信用金庫など金融機関、商店や、給油所がある下田村の拠点であった。今もその時代と大きく変わっていない。
五十嵐川の橋を降りると水田地帯。奥には休火山の守門岳。この日は噴火跡が見えた。火山活動は有史以前だったと思われ、地域史には記述はない。もしかしたらマグマが枯れたのかもしれない。
粟ヶ岳と低山 広がる集落 冬枯れの山。
国道290号の橋 右手を進むと丘陵地帯に入り加茂市に至る。
清流大橋 かつての弥彦線の橋梁跡に建設された。後ろを振り向くとイチョウの木があり紅葉真っ盛り。