2017年10月22日日曜日

なぜ人々の記憶から消えたのか? 頸城鉄道百間町駅舎

2017年5月5日  旧頸城鉄道の本社 現在は頸城鉄道の資料を展示した資料館となっていて一般公開の日に限って見学できる。(一般公開=保存車両などの運転のことで年5回)




本年の大きな収穫はこの頸城鉄道保存車両たち。2004年に神戸より帰還を果たし地道に整備がされ現在は復活運転をしている貴重な機械式気動車ホジ3


NPO法人「くびきのお宝のこす会」は今年設立10周年である。「くびき野レールパーク」がオープンしたのは2010年10月。

くびき野レールパークの存在は各種サイト、新潟日報など新聞記事、TVのニュースなどで存じてはいたが公開も年に5回と少ないためつい後手に。
しかし積年の疑問を解決すべくやっとの訪問となった。
動いているホジ3の姿を見たときは感動したというより幽霊に遭遇した気分だった。すでに復活して存在しているという知識はあるにしても。実物を眼前でみると・・・・
頸城鉄道の車両や駅舎はいずれも幽霊に遭遇的な出会い方をしている。

1981年7月今の県道33号新井~柿崎線が増田地区で通行止めになって迂回した結果百間町にでてしまい鉄道のない場所に残る駅舎に遭遇・・・・急いでいたので見る暇もなく走り去ったが・・・
1988年11月長野県須坂市井上の自動車解体店に鉄道車両みたいなものを発見(国鉄貨車とは違うもの)しかし急いでいたのとそもそも駐車場所が無いのでパスそしてホハ3型客車と判明したのは2年後1990年10月。
ほかに廃線跡を発見したのもそのころ・・・・
いずれにしても1969年の5月に全線廃止とくれば当時幼少の身とあってはその存在を知りえることもなかった。頸城鉄道の存在を知ったのは新潟日報事業社刊行の写真集「新潟の鉄道百年」に記載されていたことによるからである。
新潟県下越から上越は遠い場所でそこに私鉄があったことも知らなかったし子供時代はそれほど鉄道に関心があったわけでもないので・・・・・
新緑に輝く「くびき野レールパーク」の車庫(旧頸城鉄道の百間町車庫)


人々の記憶から百間町の旧駅舎が解体された時代のことが出てこない理由は駅舎と旧本社が棟続きでさらに車庫もきちんと存在していたからだろう。駅舎の建物は付属建物的な感じで壊されたとしても記憶に残らなかったのかもしれない。

古老の先生方も「さあていつだったかな?」という回答でほかの話題にすり替えられそうになったし。
地元の女性たちの答えも「あの建物じゃないの?」と車庫や旧本社を指さす・・・
長年にわたって残っていても影の薄いものだったのかもしれない。
1981年にここを通過したときはまだ駅舎が存在していたわけなので解体はそれ以降だとおもわれる。
1990年(平成2年)頃この付近を通った時は駅舎らしきものは見当たらなかった。
そのときは偶然頸城鉄道の廃線跡の橋梁(ごく小さなもの)を見つけてこのあたりを散策してその後信越本線を走る貨物列車でも撮影に行く途中通過したのかもしれない。


伝説のような存在だった軽便鉄道が構内だけとはいえ動き回る姿は感動的である。
本年の一般公開は終ったが来年も期待である。