2017年10月29日日曜日

機械式気動車

2017年5月5日 くびき野レールパーク 機械式気動車ホジ3  いまでは希少価値の高い機械式気動車。クラッチとシフトレバーで変速するマニュアル車。(DB92も含む) くびきのお宝のこす会の古参の方によると相当な貴重品との事であった。
ホジ3の運転席  左側にシフトレバー 中央にクラッチペダルがある。

鉄道博物館のキハ41307  キハ41000型は機械式気動車でガソリンカーであった。
昭和の初期から活躍を開始している。
機械式気動車内部  座席間隔の狭い小さなボックス席が並ぶ。
鉄道博物館のものは筑波鉄道から引き取られたもので1987年3月31日廃止。
すでに液体式気動車に改造されていたと思われる。

新潟県内では戦前から気動車の運転が始まっている。昭和11年(1936年)4月1日越後線及び弥彦線に気動車を運転する(写真集新潟の鉄道百年 年表より 1978年新潟日報事業社)
さらに戦時中の昭和18年(1943年)11月1日 信越本線貨物線が新潟~越後線関屋間開通。越後線と信越本線の区間に貨物列車の運転が開始。臨港地帯の工場労働者の輸送のため越後線から東新潟港まで旅客列車の運転が開始( 越後の停車場 朝日新聞新潟支局編  朝日新聞社 1981年)
この運転に使われたのがキハ41000型機械式気動車だった。 写真集 新潟の鉄道百年 P79には戦前のキハ41103の写真が。気動車の前には女性車掌3名も。
機動性に優れた機械式気動車は昭和26年(1951年)4月1日 新潟~新津~新発田~馬下に天然ガス気動車の運転を開始してさらに越後線などにも運用を拡大している。
昭和26年12月15日 信越本線貨物線新潟~関屋間は越後線に編入、従来の関屋~白山の区間は廃止された。12月31日白山機関区廃止で翌年1月1日西吉田機関区を新設。昭和29年5月1日には越後線はすべて気動車になった(貨物列車と他線区から関屋に乗り入れる列車を除く)

 西吉田の機械式気動車はキハ41614~41619とキハ42523と42538が配置されていた(鉄道ピクトリアル938 2017年11月号 P152 絵葉書の中の国鉄ローカル線 第33回 弥彦線 白土貞夫)
これらは昭和31年(1956年)キハ45000系(キハ17系)に置き換えられている。

さて機械式気動車は私鉄に引き取られることも多かったが
新潟交通のクハ37はキハ41080で1934年3月28日新潟鉄工にて製造され大館機関区に1944年7月22日には新潟交通に。

蒲原鉄道のクハ10はキハ41120で1935年9月 川崎で製造され大館へ1949年9月30日蒲原鉄道へ。

新潟交通の方はロングシートだったが蒲原鉄道はクロスシートで廃車まで勤めている。

現在どちらも解体されて現存していない。