2019年6月16日日曜日

白新線豊栄駅の石碑「歓天喜地」

2019年6月15日 豊栄駅 「歓天喜地」の石碑。
石碑のいわれを記した解説板。
昭和27年(1952年)12月新発田~葛塚(現:豊栄駅)間が開通したときに建てられたもの。写真はC11牽引の客車列車とそれを喜び迎える町の人々が写されている。
今では新潟市のベッドタウンそして県北、庄内、秋田、青森方面の大動脈である白新線であるが最初は新発田~葛塚間の短距離路線としてスタートした。
新潟~新発田間は鉄道国有法が明治25年(1882年)に公布された際「新潟県下新潟及び新発田に至る鉄道」と記載されていたが具体化したのが大正2年(1913年)6月に私鉄「両新鉄道」敷設願いが新潟市の小出清七ほか56名から出され8月に免許が得られた。しかしその後の大水害などで株の募集があつまらず何回も工事施行の延期がなされその後の「新潟電気」が敷設権を取得するも実現はできなかった・・・
県庁所在地新潟と軍都新発田を結ぶ重要路線ということで昭和2年(1927年)予定線に繰り入れられた(大正14年(1925年)公布「改正敷設鉄道法 」の追加)
工事開始が第二次世界大戦にかさなったため戦前に開通したのは昭和18年(1943年)の関屋~新潟間のみで戦後の昭和27年12月に新発田~葛塚間開通、全通は昭和31年(1956年)4月に新潟~葛塚間が開通で実現、以降大動脈に成長していく。(参考 羽越本線の100年 P206 新発田~葛塚間(現豊栄)開業 瀬古龍雄)
 歴史にもまれてなかなか実現しなかった路線だっただけに街の人々の喜びも相当なものだったようで「白新=はくしん」の響きのいい呼び名は人々に愛されて町名や企業名にも用いられることも多かったようだ・・・
白新線全通記念・・・「歓天喜地」の裏側
豊栄駅は平成18年(2006年)に橋上駅となった。自由通路で利便性が増してかつて水田だったところにも大型店が進出。この石碑の有る場所は葛塚の本来の街である。
白新線列車も豊栄~新潟間は日中20分ヘッドで運転新潟市北区の拠点駅となっている。
今の豊栄駅  新津、内野とともに新潟市内のターミナルとなっている。
豊栄が新潟市と合併する前は急激に人口が増えた街であることでも知られていた。