2021年6月12日土曜日

イザベラバード恐るべし

2021年5月8日 米坂線 越後金丸~小国 キハ110の2連

日本奥地紀行の著者イザベラバードは明治11年に来日。東京から青森まで日光、会津、津川、新潟、小国(山形県)手の子、赤湯、山形、新庄、横手、秋田、大館、青森と旅をする。(地名は主要な場所で実際はもっと多い)

新潟県内は津川から阿賀野川を船で移動し新潟市内で過ごし木崎、築地、黒川、花立と今の国道113号線の経路で山形県へ。蚤や蚊さらに外国人を珍しがる多くの人々やなじめない食事にきれいではない宿、馬や牛の背に揺られてときに悪路を歩いて北上する旅である。

イザベラバードが来日した時の年齢は40代後半、案内人は伊藤鶴吉を伴い旅をする。

さてこの日本奥地紀行を読もうと思ったきっかけは江戸期から明治にかけての旅の形態が理解しがたがったからである。この時代鉄道はまだなく移動は歩きか馬の背、都市部は人力車。町の様子も村の様子も現代とは全く違う。イメージしにくいことだらけ。

本書を読むことで当時の様子が氷解できたことである。宿場町の様子、宿の様子、県庁所在地の様子など・・・

まだまだ奥地は江戸時代かそれ以前の状態・・・衛生面も悪く人々は疥癬や疱瘡などに苦しみ食べるものも粗末・・・・イザベラバードもおいしい食事ができたときは文面が明るくなる。しかし逆もあり・・・・

プライバシーの欠如と様々な悪臭、蚤と蚊という苦痛の種だけは改善されることがないだろうと恐れつつの旅であった。