男鹿行きのEV-E801‐3の車内から 土崎で待機中の4061レ
交流電化区間に付き前のパンタグラフを下ろしている。
海岸部の羽越本線を離れ内陸の奥羽本線を北上 して東青森までがEF510-1の行路。4061レはEH800に牽引されて青函トンネルを経由して札幌貨物ターミナルに向かう。
男鹿行きのEV-E801‐3の車内から 土崎で待機中の4061レ
交流電化区間に付き前のパンタグラフを下ろしている。
海岸部の羽越本線を離れ内陸の奥羽本線を北上 して東青森までがEF510-1の行路。4061レはEH800に牽引されて青函トンネルを経由して札幌貨物ターミナルに向かう。
夏の朝、農家の方々は野菜の収穫や水田の水の見回りに余念がない。朝はいくらか涼しいがすぐに高温になってしまう。
この日は親族の初盆のため寺院へ。読経、法話、お斎と行われた。蒸し暑い一日で少し厳しかったが無事にお勤めが終わった。
法話後にふるまわれた精進料理 手前から豆腐、野菜天ぷら、野菜と車麩と油揚げ煮付け、豆腐の味噌汁、一番奥はキュウリからし漬け、たくあんこのほかにご飯である。
冷房の効いた庫裡で参列者各位と静かに頂いた。精進料理は肉や魚を用いないが日常生活では食べる機会はない。葬儀でも肉が出るご時世となってしまった・・・・
2025年7月26日 E653系「しらゆき」92号柏崎行き 全車指定席 花火の観客で混んでいたようだった。臨時「しらゆき」本年最初の運転となる。
ことしの春の高田観桜会関連では臨時「しらゆき」はなかった。
気が付くと水田の稲には穂が出て、あと1ケ月で収穫をする時期が来ることを知らせていた。
しょうしょう 残念ではある。しかし久しぶりにきれいなEF510-509を見ることができ良かった。
秋田総合車両センターでポツンと1両583系クハネ583が。引退はかなり昔と思うがまで解体されないで残っていた。左手には直流電車E233系中央線色も。ほかに255系やE701系の中間車らしきものも・・・・
かつては国鉄色電気機関車もこの付近で見かけることがあったようである。JR東日本移行後は工場に関しては直流や交流の区別を行っていないようで首都圏を走る列車が入場して修繕や改造を受けることは当たり前に行われているという。
羽後亀田は映画「砂の器」に登場する駅。東京の蒲田で起きた殺人事件を羽後亀田まで捜査のために訪れると設定。実際には山陰の木次線「亀嵩」であった・・・・
東北の訛りのある声で「カメダは相変わらずか・・・」という発言を手掛かりに操作する刑事・・・
羽後亀田の駅舎は映画「砂の器」のロケで行われたころと同じ木造駅舎のままだった。
ミニ新幹線である秋田新幹線E6系「こまち」が一路東京へ向かう。秋田と首都圏をつなぐ最重要路線である。かつて485系特急「たざわ」が果たしていた役割は1997年3月22日ミニ新幹線としてスタートした。盛岡乗り換えが東京直通となって利便性が向上した。しかし、メインから外れた奥羽本線や羽越本線は特急減便となった。
会津鉄道お座トロ 会津田島行き AT350型
最後尾はキハ40からの改造 AT400型この季節あえて冷房のない車両に揺られ、開け放たれた窓からの風を感じながら走るのは気持ちがいいことであろう。
停車駅は東能代、鷹ノ巣、大舘、弘前、新青森、青森となっている。
山間部は夕立に見舞われているようだ。
新潟から特急「いなほ1号」2011M7時20分発秋田11時24分着そして青森行きの急行「むつ」613Dは秋田11時28分発 青森14時35分着。このダイヤで移動していたがDD51661〔秋〕牽引の20系がやってきたのを撮影してすぐに急行「むつ」に乗り換えた。
秋田駅8番乗り場はご覧の写真を撮影するしかなく、編成などを入れることは困難だった。
このDD51661牽引の 20系客車は季節急行「おが」であり、上野21時24分発6401レ秋田着8時34分秋田から8131レとなって9時発で男鹿着は10時9分。男鹿を10時24分発8132レ秋田着11時26分着の運用だった。上りは男鹿18時36分上野着6時54分である。男鹿線内は普通列車で一部通過駅ありであった。
運用番号は北東1で尾久客貨車区受け持ちで、車両は1980年10月改正まで10系寝台車(A寝台あり)と旧型客車、1980年10月改正以降14系10両編成で運転、1983年7月1日より急行「津軽」の混雑緩和のため「津軽」に使用している20系と交換した。男鹿線の乗り入れは1985年3月14日改正で終了し秋田~上野間の急行「おが」としてJR東日本に引き継がれた。
参考までに手持ちの1992年7月時刻表によると上野22時23分発9405レ北上発5時50分、秋田着は8時49分着 。秋田20時発9406レ北上23時1分、上野到着6時54分であった。すでに山形新幹線があり北上線経由となった。運転日数も少なく旧盆や年末年始の運転であった。
*20系客車としては1992年春臨までで、以降14系に置き換わったものの1994年冬で運転を終えたようだった。最晩年は14系の寝台と座席の混合だった。
参考資料 国鉄客車ガイド 1983年交通新聞社、時刻表各号
2025年7月19日 HB-E300「あいづSATONO」 8251D会津鉄道AT700型 会津田島行き普通 8216D
キハ111‐203 4254Ⅾ 飯豊の山に残雪が見える。山に雪があっても盆地は真夏日を超えた。
わずかにまだ雪がある飯豊の山を背にC57180「ばんえつ物語」煙はもう薄くなった。
架線やブラケット、き電線が外され非電化路線に戻った喜多方~会津若松間
いくらかはすっきりした風景をあまり煙を上げないで走り去っていった。猛暑の日でも撮影者は10名以上あった。
残雪の飯豊の山々・・・
会津坂下町から見た磐梯山
3連休となったので会津へ出かけてみた。猛暑であっても観光客は多い。
秋田駅における701系並び・・・わずかに写っているN11編成弘前行き、N30編成湯沢方面行き、折り返しのN33編成酒田行き。先頭のクモハ701はモーターをうならせてすっ飛ばし95キロ運転。酒田~秋田間は1時間50分程度の運転。ちなみに客車時代は酒田でかなり待たされて秋田到着が14時台だった・・・・新津始発と酒田乗り継ぎでいなほ1号より酒田に早くつけるので普通乗り継ぎを選択した。
701系が登場当初は かなり非難されたが今はもうローカル輸送の主力として大活躍をしている。気が付くともう30年が経過・・・
昨年の長野県諏訪地域のJR東海213系5000番台に続き、JR東日本管内を走る変な電車ということで本年はかねてから関心のあった男鹿線のEV-E801系を訪問することにした。運用開始からまだ10年も経過しておらず特に話題になっていない現在がいい機会ととらえ25年ぶりの秋田地域とともに見聞することとした。
男鹿線はかつては原油輸送や上野からの直通急行~快速列車「おが」号の運転でも知られていた。通勤のピーク時にはDD51牽引の客車列車も走る亜幹線であった。キハ40系が存在の頃は6~7連の長大編成も運転されていた。
いまは秋田市近郊路線として架線のない区間を行く電車が走る路線となっている。
家事の合間に貨物列車の見聞をするのが休日の楽しみであるが、今回は勝手が少し違う。
券売機では買えない切符のエリアを訪れてみたいと前々考えていた。今回はそちらに移動するため検討をした結果特急を利用しなくても日帰りができることが判明!そこで一日普通列車の乗車を楽しむことにした・・・・
新津から羽越本線の始発に乗るためこの界隈にきてみた。最近は駅の窓口の閉まるのが早く、開くのが遅い、あるいはみどりの窓口が廃止され乗車券購入が不可能となった駅も多い。新津は指定席券売機がありこれで遠距離切符を買うことにした。