2020年6月20日 猪苗代~川桁 E721系 快速「あいづ」1号
今年のダイヤ改正で一部指定席が導入。最後部の一部に指定席を示すラッピングが。
ラッピングのほかヘッドマークも取り付けられている(指定席車のある編成に限る)
かつて455系の快速「ばんだい」に一部グリーン席と座席指定を設置した時代があったが455系の引退とともに消えた。今回の指定席はそれ以来ということになる。
快速あいづを見聞後は喜多方市の「日中線記念館」へ。ここでオハフ612752を。
現役時代よりきれいな熱塩駅舎と保存の客車たち。
タチアオイが咲いていた。前回は桜が終わったころなので1年以上経過したことになる。
オハフ612752の内部。列車の走行音を聞くことができる。遠い蒸気時代の日中線のものであろう。スイッチを入れると一部の室内灯が点灯し現役の頃を思わせた。
木製の背摺りの客車は快適ではなかった。ただ昭和の頃はこんな編成が当たり前だったようで磐越西線ではよく見かけた鋼体化改造車だった。
日中線記念館にここで挙式された方のアルバムがあり新郎新婦がオハフ612752の内部で撮影された写真が展示されていた。おそらく鋼体化客車の現役時代を見たことが無かった世代の方かもしれない・・・・渋く決まっていた婚礼画像だった。
最後は一の戸橋梁でキハ110系の画像を・・・「ばんえつ物語」という主役が不在で、国鉄型気動車もすべて潰えた磐越西線であるが明治から大正に造られた古典的な橋梁たちは健在である。遠景に飯豊連峰をあしらって・・・
原則として撮影者の集まる「ネタモノ」から足を洗い今は鉄道史を楽しんでいるので人ごみのないこの時期は最高の遠征だった・・・最近は図書館などで地方史の資料を見たして過ごすことが多い・・・
2020年6月30日火曜日
2020年6月29日月曜日
明治のレンガ庫と平成の電機
2020年6月28日 EF510-506 4091レ 45分程度の遅れ 三条駅
レンガの建物はランプ小屋で油脂類を保管する倉庫だった。まだ客車に電燈が無かったころランプで明かりをつけていたそんな時代
信越本線の機関車も蒸気機関車からEF15、EF16、EF58など旧型機関車がかつて主力だった。EF16も上越国境だけではなく新潟までの貨物列車や一部の旅客列車も昭和40年代までは担当していた(長岡第二機関区の運用)。
昭和40年代前半はDF50の牽引する客車列車などもあった。
時代が進んで電化区間が北陸方面につながるとEF81がやってきた。さらにEF15やEF16、EF58をEF641000番代が置き換えていったがEF64は信越本線のこのあたりでは主役になることはなかった。一部の上越線からの列車の先頭に立つにとどまっていた。
国鉄からJRに変わり30年経過。今はEF510とEH200の二大勢力となっている。EF510は下積みが長く主力になるには時間がかかったがEH200は突如やってきて勢力を広げた感がある。
三条駅のレンガのランプ小屋はそんな移ろいをみながらたたずんでいる。
梅雨空を走る~115系N40編成
2020年6月28日 寺泊行き普通列車 115系N40編成
小雨が降る中やってきた。懐かしの70系新潟色も登場して3年以上が過ぎた。
思えば先達の70系は弥彦線を走ることはできなかった。電化されていないので当たり前だが。70系を置き替えた115系はすでになく2014年以降長野からやってきた115系たちが最後の活躍をしている。遠く過ぎ去った時代へのオマージュを描きながら・・・
小雨が降る中やってきた。懐かしの70系新潟色も登場して3年以上が過ぎた。
思えば先達の70系は弥彦線を走ることはできなかった。電化されていないので当たり前だが。70系を置き替えた115系はすでになく2014年以降長野からやってきた115系たちが最後の活躍をしている。遠く過ぎ去った時代へのオマージュを描きながら・・・
2020年6月28日日曜日
高原列車はゆく~沼尻軽便鉄道 その2
2020年6月20日 JR磐越西線川桁駅前 日本硫黄沼尻軽便鉄道はこの駅から出ていた。
終点の沼尻まで15.6kmの軽便鉄道だった。 開業が1913年(大正2年)で耶麻軌道と称し日本硫黄の子会社で硫黄鉱石輸送が中心だった。
戦後は石油精製から硫黄を得る技術が発達しコストのかかる硫黄採掘が敬遠され閉山。1967年(昭和42年)9月1日鉄道部門は磐梯急行電鉄として独立したが1968年(昭和43年)10月14日営業を休止しその後1969年(昭和44年)3月27日廃線となった。
川桁駅前にある石碑の裏側には沼尻軽便鉄道の歩み・・・経歴が刻まれている。
駅前の建物・・・・ちかくに沼尻鉄道の駅舎があったと思われる。左の建物もどこか旅館のような雰囲気があった・・・・
この沼尻鉄道を知ったのは1993年(平成5年)の鉄道ダイヤ情報が「磐越西線」の特集を組みその一環として紹介がされてた。
この記事の中にはかつて運転士だった男性と乗客だった女性が廃止後同じ職場に勤務するという記述があり胸を熱くした覚えがあった。
沼尻の保存車両が見たくて磐越西線の列車を撮影したあと(朝方は貨物列車、客車列車が運転されていた)沼尻までドライブをしたが保存車を見つけることができず戻ってきて保存車が沼尻ではなく猪苗代の磐梯山のふもと側にあることを聞いてそちらに向かった。
白津駅の停車場跡 文章の一部が欠落・・・停車場跡は道に面していた。かなり道路わきを走る区間があるようだ。今回は探索をしなかったのでここまでである。(違う目的もあるので今回はここでおしまい)
まだ沼尻駅の元駅舎が残っているようなので機会を作って訪れてみたい。
記念碑の表側 古関裕而作曲の「高原列車はゆく」の歌詞が表示。
この歌が沼尻鉄道沿線だとわかったのはつい最近だった。(朝ドラ エール)
それまでは高原=信州と思い込んでいたので良い発見だったと思う。
併用軌道から終点に近づくと磐梯山が背後に見えて高原のような地形のところを走る。。
DC121や客車たちの姿も沼尻付近の風景によく映えていたと言われている。
硫黄の輸送のほかは中ノ沢温泉や沼尻温泉に向かう観光客や沼尻スキー場に向かう乗客に 愛されていた・・・・
現在は静まり返った川桁の駅前であるが沼尻鉄道があった時代は線路が多数入り組んでにぎやかだったようだ。
客車のほかは気動車も保有していた。(ガソ101型 雨宮製作所の単短式二軸ガソリン車)さらに1968年(昭和43年)廃止になった仙北鉄道から気動車キハ2401、キハ2402、DC103も入線している。(参考文献 軽便鉄道 松本典久著 保育社 1983年 P9)
川桁駅前に桜の木が多数ありさらに小川が流れているが保育社のカラーブックスのP6~P8には桜並木とDC121牽引の客車2両が小川を渡りバックに残雪の山が見える写真が出ていた。一度は見てみたかった場面である・・・
磐梯山とE721系の列車。この日梅雨前線の北側に東北地方が入ったためか乾いた冷たい風が磐梯山の方角から吹いていた。稲は緑が濃くなり、夏蕎麦の花も咲いているのが確認できた。盆地のへりのこのあたりでも高原列車的な風情を楽しめた。このあたり冬が厳しいのでトタン屋根の住宅が多く北海道にいる気分だった。
軽便は無理でも最新鋭の電車と磐梯山で・・・ここも春は桜が見事のようだ・・・
(E721系ばかりの磐越西線は撮影者を見かけることもない・・・騒がしくなくてありがたい・・・なお東日本大震災で1番の編成と19番の編成が被災して廃車となっている。最新鋭であっても不慮の事故や災害で命を落とすことを忘れてはならない)
このあと磐梯山を愛でながら熱塩駅跡へ向かった。
参考文献 軽便鉄道 松本典久 1983年 保育社カラーブックス
会津路ローカル線物語 1981年 金田善一監修 歴史春秋社
終点の沼尻まで15.6kmの軽便鉄道だった。 開業が1913年(大正2年)で耶麻軌道と称し日本硫黄の子会社で硫黄鉱石輸送が中心だった。
戦後は石油精製から硫黄を得る技術が発達しコストのかかる硫黄採掘が敬遠され閉山。1967年(昭和42年)9月1日鉄道部門は磐梯急行電鉄として独立したが1968年(昭和43年)10月14日営業を休止しその後1969年(昭和44年)3月27日廃線となった。
川桁駅前にある石碑の裏側には沼尻軽便鉄道の歩み・・・経歴が刻まれている。
駅前の建物・・・・ちかくに沼尻鉄道の駅舎があったと思われる。左の建物もどこか旅館のような雰囲気があった・・・・
この沼尻鉄道を知ったのは1993年(平成5年)の鉄道ダイヤ情報が「磐越西線」の特集を組みその一環として紹介がされてた。
この記事の中にはかつて運転士だった男性と乗客だった女性が廃止後同じ職場に勤務するという記述があり胸を熱くした覚えがあった。
沼尻の保存車両が見たくて磐越西線の列車を撮影したあと(朝方は貨物列車、客車列車が運転されていた)沼尻までドライブをしたが保存車を見つけることができず戻ってきて保存車が沼尻ではなく猪苗代の磐梯山のふもと側にあることを聞いてそちらに向かった。
白津駅の停車場跡 文章の一部が欠落・・・停車場跡は道に面していた。かなり道路わきを走る区間があるようだ。今回は探索をしなかったのでここまでである。(違う目的もあるので今回はここでおしまい)
まだ沼尻駅の元駅舎が残っているようなので機会を作って訪れてみたい。
記念碑の表側 古関裕而作曲の「高原列車はゆく」の歌詞が表示。
この歌が沼尻鉄道沿線だとわかったのはつい最近だった。(朝ドラ エール)
それまでは高原=信州と思い込んでいたので良い発見だったと思う。
併用軌道から終点に近づくと磐梯山が背後に見えて高原のような地形のところを走る。。
DC121や客車たちの姿も沼尻付近の風景によく映えていたと言われている。
硫黄の輸送のほかは中ノ沢温泉や沼尻温泉に向かう観光客や沼尻スキー場に向かう乗客に 愛されていた・・・・
現在は静まり返った川桁の駅前であるが沼尻鉄道があった時代は線路が多数入り組んでにぎやかだったようだ。
客車のほかは気動車も保有していた。(ガソ101型 雨宮製作所の単短式二軸ガソリン車)さらに1968年(昭和43年)廃止になった仙北鉄道から気動車キハ2401、キハ2402、DC103も入線している。(参考文献 軽便鉄道 松本典久著 保育社 1983年 P9)
川桁駅前に桜の木が多数ありさらに小川が流れているが保育社のカラーブックスのP6~P8には桜並木とDC121牽引の客車2両が小川を渡りバックに残雪の山が見える写真が出ていた。一度は見てみたかった場面である・・・
磐梯山とE721系の列車。この日梅雨前線の北側に東北地方が入ったためか乾いた冷たい風が磐梯山の方角から吹いていた。稲は緑が濃くなり、夏蕎麦の花も咲いているのが確認できた。盆地のへりのこのあたりでも高原列車的な風情を楽しめた。このあたり冬が厳しいのでトタン屋根の住宅が多く北海道にいる気分だった。
軽便は無理でも最新鋭の電車と磐梯山で・・・ここも春は桜が見事のようだ・・・
(E721系ばかりの磐越西線は撮影者を見かけることもない・・・騒がしくなくてありがたい・・・なお東日本大震災で1番の編成と19番の編成が被災して廃車となっている。最新鋭であっても不慮の事故や災害で命を落とすことを忘れてはならない)
このあと磐梯山を愛でながら熱塩駅跡へ向かった。
参考文献 軽便鉄道 松本典久 1983年 保育社カラーブックス
会津路ローカル線物語 1981年 金田善一監修 歴史春秋社
EF510-1 3093レ
2020年6月28日 EF510-1 3093レ 全般検査でJRFの文字が消された。側面は特に何もない状態になった。本機はRed Tenderのイラストは無い。
EF510-1とE129系普通列車 3093レは本年のダイヤ改正で3時間程度遅くなり午後の通過となっている。
EF510-1とE129系普通列車 3093レは本年のダイヤ改正で3時間程度遅くなり午後の通過となっている。
2020年6月26日金曜日
高原列車はゆく~沼尻軽便鉄道 その1
2020年6月20日 福島県猪苗代町 緑の村 6月19日で県またぎの移動制限が緩和なので前々から見たかった沼尻鉄道の車両たちを・・・
NHK朝ドラ「エール」主人公古山裕一こと古関裕而の名曲「高原列車は行く」のモデルとなったのが沼尻鉄道の列車だ。硫黄を運んだ鉄道で高原列車という印象が持ちにくいが・・・
DC121・・・協三工業の機関車である。
ボサハ12という表記がされた客車たち・・・
軽便の車両らしくそれほど大きくはない。
客車内部・・・暖房は無く冬は火鉢が置かれていた。(参考文献 会津路ローカル線物語)
列車は川桁から沼尻まで16km 所要時間は約1時間、一日8往復の運行。 川桁駅には事務所と機関庫が設けられ蒸気機関車が3両、客車が10両、貨車が60両ほど配置されていた。(蒸気機関車は1953年からDC12型に交代)
この小さな列車が磐梯山のふもとの高原を走る光景は牧歌的だったと言われている
1981年に刊行されたこの本には混みあう車内の写真が掲載されていた。 大きな垂れ幕が・・・猪苗代の皆さんの期待の大きさを感じる。
朝ドラはコロナウィルスの影響でドラマも収録が遅れるという状況である。
高原列車は行くの舞台が福島県だと知らされたのがこの番組だった・・(汗
人影の少ない緑の村を後に川桁へ向かった・・・
参考文献 沖田祐作著 機関車表から
所 在 地 福島県耶麻郡猪苗代町大字長田字東東中丸344-4(電話;0242-65-2841)
記 事 猪苗代駅より車10分 ボサハ12・ボサハ13
掲 載 誌 協三リスト Rail fan=555
機関車情報
番号 製造所=製番 製造日 種別
DC121 協三工業=12069[73] 1953-00-00 D12tC(762)
車歴;1953-00-00製造(前C121=Porter/1920-11-00=6593/12tCt改造=
仙北鉄道C133→1949-06-13譲渡;日本硫黄沼尻鉄道C121→1953-04-18廃車→
協三工業SD改造)→納入;日本硫黄沼尻鉄道(福島県);DC121→
改称;磐梯急行電鉄(福島県);DC121→廃車→
保管;福島県沼尻町中丿沢温泉西村屋(福島県);DC121→
保存;福島県耶麻郡木地小屋駅跡(福島県);DC121→
移管(改称?)保存;福島県耶麻郡猪苗代町緑の村(福島県);DC121
NHK朝ドラ「エール」主人公古山裕一こと古関裕而の名曲「高原列車は行く」のモデルとなったのが沼尻鉄道の列車だ。硫黄を運んだ鉄道で高原列車という印象が持ちにくいが・・・
DC121・・・協三工業の機関車である。
ボサハ12という表記がされた客車たち・・・
軽便の車両らしくそれほど大きくはない。
客車内部・・・暖房は無く冬は火鉢が置かれていた。(参考文献 会津路ローカル線物語)
列車は川桁から沼尻まで16km 所要時間は約1時間、一日8往復の運行。 川桁駅には事務所と機関庫が設けられ蒸気機関車が3両、客車が10両、貨車が60両ほど配置されていた。(蒸気機関車は1953年からDC12型に交代)
この小さな列車が磐梯山のふもとの高原を走る光景は牧歌的だったと言われている
1981年に刊行されたこの本には混みあう車内の写真が掲載されていた。 大きな垂れ幕が・・・猪苗代の皆さんの期待の大きさを感じる。
朝ドラはコロナウィルスの影響でドラマも収録が遅れるという状況である。
高原列車は行くの舞台が福島県だと知らされたのがこの番組だった・・(汗
人影の少ない緑の村を後に川桁へ向かった・・・
参考文献 沖田祐作著 機関車表から
所 在 地 福島県耶麻郡猪苗代町大字長田字東東中丸344-4(電話;0242-65-2841)
記 事 猪苗代駅より車10分 ボサハ12・ボサハ13
掲 載 誌 協三リスト Rail fan=555
機関車情報
番号 製造所=製番 製造日 種別
DC121 協三工業=12069[73] 1953-00-00 D12tC(762)
車歴;1953-00-00製造(前C121=Porter/1920-11-00=6593/12tCt改造=
仙北鉄道C133→1949-06-13譲渡;日本硫黄沼尻鉄道C121→1953-04-18廃車→
協三工業SD改造)→納入;日本硫黄沼尻鉄道(福島県);DC121→
改称;磐梯急行電鉄(福島県);DC121→廃車→
保管;福島県沼尻町中丿沢温泉西村屋(福島県);DC121→
保存;福島県耶麻郡木地小屋駅跡(福島県);DC121→
移管(改称?)保存;福島県耶麻郡猪苗代町緑の村(福島県);DC121
2020年6月25日木曜日
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