2021年8月29日日曜日

直江津晩夏

2021年8月28日 直江津 D51827と車掌車 D51レールパークと駅構内手前まで体験乗車の乗客を乗せて走る。車掌車は内部を改造して乗客が乗車可能になっている。

 


日本曹達ET127系と旧型国電色ラッピングの田島ルーフィング ET127系

抜け殻状態だったえちごトキめき鉄道に現れた新星。イメージはクハ68型旧型国電で1978年6月に115系と置き換えられるまで健在していた。115系N40編成懐かしの70系新潟色より凄みを感じるラッピングである。

クハ455-701他 急行3号 ヘッドマークは「オリンピア」

この色の電車が直江津に姿を見せるようになったのは1985年3月14日ダイヤ改正から。それまで走っていた旧型客車の置き換えで583系からの改造の419系とともに北陸本線の輸送に従事した。国鉄分割民営化後は塗装変更され2015年3月ダイヤ改正まで走り続けた。一時期国鉄急行色になった編成も存在したがダイヤ改正で「えちごトキめき鉄道ひすいライン」となって姿を消していた。輸送量が極めて少なく気動車の単行で賄えるためだった。本年の3月29日JR西日本より413系を購入観光列車の急行1~4号として運用されている。


 街路樹とクハ455-701 この車両は413系の制御車として改造され急行型の471~475、457系とは連結できないとされる。内部はほとんどがロングシートの近郊型となっているが座席の座り心地はよく、窓にはひじ掛けがあり、洗面所が残っていて急行型の時代を伝えてくれている。

黒井駅前の頸城鉄道の記念碑 かつて頸城鉄道が出ていた。記念碑はいったん撤去されたが橋上化により復活した。

黒井駅はこの時間帯人の気配はなかった。北長岡駅と同様な工業地帯の駅である。

暑い日ではあったが海側から吹いてくる風は冷たく秋が近いことを告げていた。



えちごトキめき鉄道 ET127系 田島ルーフィング


 

2021年8月28日 直江津 ET127系V1 田島ルーフィングのラッピング列車

かつて新潟県内を走っていた旧型国電のイメージのラッピング電車。 

旧型国電戦前型クハ68のイメージを模したもので宣伝は少な目で旧型国電にイメージを重視した秀作に仕上がっているのがうれしい。形式の部分はクモハET127‐1 クハET126-1、所属は越トキの表示もされて旧型国電風味に花を添えている。内部はET127系のロングシートのままであることに注意。

2021年8月28日土曜日

静寂と轟音~信越本線北長岡記念碑


 2021年8月26日 信越本線北長岡駅 通勤時間帯が終わって静かな時間が来た。駅前は工業地帯と住宅地が混在する地域。工業地帯(北越紀州製紙やツガミなど大きな工場が多数ある)へはマイカー通勤が一般的なのか?北長岡駅は無人駅であり一日の乗車も500人に満たないという。しかし国鉄時代は貨物輸送もあり盛況だった、北長岡駅からは専用線が北越紀州製紙の工場まで伸びていて200m程度西に行ったところを走る国道8号線(いまは国道352号線)に踏切もあってそこも工場が複数存在し工業都市長岡を象徴していた。


 城岡停車場記念碑 1898年(明治31年)6月に開通した当時の北越鉄道は長岡駅の次は押切に駅を設置北長岡・・・当時の城岡地域には駅を設置しなかった。工業地帯や住宅がひしめく現在と異なりこの時代は水田が広がっていたという。その後北越鉄道が国有化されたころからこの地区にも工場や住宅が増え始め駅の設置が求められるようになった。それまでは長岡駅まで3キロをを歩いて鉄道利用するしかなかったという。1915年(大正4年)11月1日城岡停車場として開業した地元の方々の請願により設置された駅で大きな石碑が駅前に建てられて今に至っている。北長岡の駅名に変わったのは1951年(昭和26年)7月20日。戦前の昭和12年から駅名変更の請願が行われたが理由は工場進出が進んだこの地域が長岡市外と誤解されることを恐れてのことだった。長岡という「ブランド」が重要な意味を持っていた時代。更なる発展の願いがあった。工業地帯の駅ということで紙、パルプ、石油、鉄鋼の輸送は専用線経由で行われていた。しかし国鉄末期の貨物列車合理化で1984年(昭和59年)2月1日貨物輸送は廃止され翌年分岐器の無い棒線駅となり 1995年(平成7年)4月1日無人駅となった。南長岡駅への移管や鉄道からトラック輸送に移ったためだ。

北長岡駅は同じ信越本線の今も有人駅の三条駅付近よりも住宅が密集しているように感じる。ただ三条駅付近は高等学校が2校あるが北長岡駅付近には高等学校が見当たらない。(中越高等学校の最寄り駅らしいが)このあたりが有人駅と無人駅の分水嶺となったのであろうか?工業地帯の駅のため通勤通学時間帯以外は人の流れもなく静寂に包まれ、時折それを破るように駅舎に隣接する上越新幹線の通過する音が雷鳴のように聞こえるだけだ。


 


 

参考資料 越後の停車場 朝日新聞新潟支局 1981年(昭和56年)朝日出版社 

     五十年史   日本国有鉄道新潟鉄道管理局 1987年(昭和62年)

2021年8月26日木曜日

小雨~弥彦線115系N33編成

2021年8月22日 弥彦線226M 115系N33編成とN36編成

歴代の弥彦線の塗装の組み合わせ。115系弥彦線第一次塗装は1988年秋に登場した。1993年暮れに後ろの弥彦線第二次塗装に変更されるまでワンマン列車で走っていた。

燕駅でのE127系との交換。燕駅での交換は朝2列車と夕方1列車の3回行われるだけである。日曜日の朝乗客の姿はまばらだった。静かな休日の始まり・・・

2021年8月22日日曜日

隠れた長時間停車~115系N38編成

2021年8月21日 越後線吉田 115系N38編成 148M 柏崎行き

新潟13時20分発142Mで吉田到着が13時24分。そのまま15時44分発148M柏崎行きになる。車内放送もそのまま吉田から柏崎行きになることを告げていた。車内は締め切られずに空いたままで一旦下車して買いものに出たりすることもできる 。駅から少し行ったところにコンビニエンスストアや大型店があるのでそこで買い物は可能である。1時間を超える長時間の停車は国鉄時代、各地に存在した長距離列車を思わせるものである。


 

2021年8月15日日曜日

秋雨前線を走る~115系N40編成

2021年8月14日 朝から雨!午前は出勤予定となっていたがなくなったので朝の弥彦線へ。

寺泊行き222Mは115系3連N36編成。旧盆中日であって乗ってくる客は2~3名。高架下から見る寺院の霊園には花が多数備えられて盆であることを告げていた。雨雲が覆ってくすんだ町並みに見える三条市から信濃川を渡って燕三条へ。東京方面への新幹線の案内があった。上越新幹線ももう2年くらい乗っていない。ここで乗客は筆者だけに。燕三条の商業地を抜けて中ノ口川を渡って燕へ。広い1番線乗場からは部活の高校生と通勤の人数名が乗り込む。

燕貨物扱い所への線路跡を眺め、それが無くなると単調な近郊区間をすぎて西燕へ。ここで折り返し226Mを待つ。近郊ローカル線の宿命か115系の速度は遅くせいぜい最高時速70キロ程度だろうか。西燕も新しい住宅が立ち並び鄙びた感じが薄らいできているが駅舎は古びていて時代から取り残されてきているように感じる。

115系N40編成とN33編成の組み合わせで226Mがやってきた。外観はともかく内部は全て国鉄時代の素敵な編成である。当地115系は窓が開くので北三条を出たところの区間で窓を開けて懐かしの70系新潟色と弥彦線第一次色の編成を遠目に眺めた。

この後帰宅して家事をこなす。障子の張替や掃除をして盆参りの客を待つ。昨日13日は出勤だったので寺院の盆参りの読経はなかった。早めに墓参りを済ませてお布施を寺院におさめておいた。

午後はのっぺなどを作る。14時過ぎに来客があり30分ほどして帰られた。そのあとは後半戦となる115系N40編成快速3374M乗車をすることにした。


 

115系N40編成3374M新井快速 矢代田から東三条までの乗車。矢代田の発車は17時24分。改札は閉まっていた。

雨で薄暗く誰もいない1番乗場で列車を待つ。気温が上がらないので秋が近づいてきたことを感じる。矢代田の巨大な橋上駅舎は駅前もきれいに整備されたが出来てから10年以上が過ぎて傷みが出ているところもあるようだ。この駅に降りても行くところもない感じだった。晴れていれば石油の里まで歩いていくのもいいかもしれないし大規模な公園もあるが徒歩だと30分以上かかりそうだ。

矢代田は古い集落と新興住宅地が混在しているところで長岡寄り右手には白い蔵のある建物があった。また駅前旅館らしい建物も。

115系N40編成快速に乗車。1ボックス空いていたので腰を下ろす。先日乗った413系より座り心地はいいが台車がコイルバネでありときおり大きな揺れがある。スマートフォンで試験的に動画撮影。最高時速100キロで走るがモーターがそれほど勇ましく聞こえない。先週乗車した115系N35編成の快速もそんな感じだった。信越本線のこの区間はほとんどが継ぎ目なしのレールで平たん路のためモーターがうなる場面もないのかもしれない。トンネルも存在しないし・・・・モーターのうなりを楽しむには信越本線の宮内~直江津間を攻めるしかないかもしれない・・・

乗客も通勤客や学生が多く日常的な雰囲気で高速運転の快速列車を存分に味わえた。東三条で降りて弥彦線を眺める。やってきたのは115系N37編成だった。

15日は寺泊行きが115系N37編成 6連はN33編成とN36編成である。

 

2021年8月11日水曜日

8月の暦


生きているものは光っている みんなそれぞれの光をいただいて 

真宗大谷派のほのぼのカレンダーから

国鉄色のキハ58系が山里を走る。幕の部分に七尾とあるので七尾線のローカル列車をイメージされたのでは。このカレンダーはときどき列車が描かれている物もあり近江鉄道の電車に手を振る子供のものもあった。