2018年6月10日日曜日

記憶の中の残影

2018年6月9日 新潟市南区月潟にて かぼちゃ電車保存会で不断の保存活動が続けられている旧新潟交通電車線のモハ11、モワ51、キ116

所用で新潟市中央区に出向いた帰りに。行の道中東関屋付近を通ってみたがかつての駅の有った場所は大幅に変貌していた。

帰りに月潟の図書館で新潟交通電車線関連の書籍や資料を楽しむ。この図書館は一般の鉄道関連書籍は少ないが(というか多いのは新津だけ?)新潟交通電車線がらみは多数あり、かぼちゃ電車保存会の会報のファイルもあるので廃線後のことも知ることが可能。

東三条駅にて 115系N40編成の3374M「新井快速」 この塗装の電車の人気は高く降りられた方が撮影をされていた。
東三条駅から車で10分(弥彦線北三条駅前)の図書館で見かけた本。
「新潟県の100年交通産業編」は新潟日報事業社の刊行(1985年) 新潟県内の産業と交通関係の写真集で明治、大正、昭和の頃のものが多数。戦前は石油が大量にとれた時代があった。また信濃川も川幅が広く蒸気船が行き交った時代があったが大河津分水ができてからは水深が浅くなり衰退していった。そのほか農業関係も貴重な写真が多い。現在と違って人手を要する農作業で行われていて代掻きは牛馬が用いられていた。はさがけも主流なので新潟平野一面に存在して収穫した稲が干される光景は圧巻だった。

「三條百景」は 三条市の印刷会社の創立70周年を記念して地元の画家の作品集を出版したものである。1978年に刊行。
1970年代後半 まだ人口は増加傾向で街の郊外に大型店舗もなく市街地の商店街が元気だったころで行政機関も市街地にあった時代。まだ高速道路も新幹線もなかったころである。現在よりは活気があった。1980年代になり郊外の国道沿いに大型店が進出し新幹線開業で人の流れが変化、商店街の活性化が求められて再開発が始まる。しかし流出の流れは食い止められず1993年頃燕三条駅近くに大型店が多数でき市街地が崩壊する・・・

そんな時代が来る少し前の光景である。水彩画で表現されていてそれが郷愁をそそる。
よく利用した映画館や放課後や休日に訪れた商店街の光景が懐かしい。

1977~1978年 70系電車が最後の活躍をしていた。上越新幹線は工事中高速道も新潟から長岡までつながったころだった。弥彦線もまだ高架にはなっていない・・・
三条市の中心部にある真宗大谷派三条別院通称「御坊さま」門前は繁華街が広がり夜の街で知られる寺院の後ろに弥彦線の高架が走っている。左手付近に北三条駅がある。
いまはかなり空き地が目立ったりしているがまだ良き時代の面影が残っている場所がある。