2020年1月3日金曜日

115系N40編成+N33編成

2020年1月3日 正月も本日まで。年末年始撮影の掉尾を飾るのは115系N40編成とN33編成の6連
まずは115系N37編成の225M~222M寺泊行き 雨降りで薄暗い中の撮影。
お目当てのN40編成先頭の6連227M 懐かしの70系新潟色と3が日付き合うことができて幸運だった。後ろには115系N33編成が連なる。
第一次弥彦線色のN33編成.
弥彦のもみじの赤と菊の黄色をアレンジし1988年(昭和63年)秋に登場し弥彦線ワンマン列車として登場し1993年(平成5年)冬までこの塗りわけが見られた。朝の6連はこの塗りわけとN37編成の青髭こと第一次新潟色だった。

当初この色が出たときは70系色の再来かと思ったが今まじまじ見るとかなり違うことがわかる。
赤と記したが実際は朱であろう。

吉田行きE127系224M 2連であるが非ワンマン。 列車右手には1984年2月まで貨物扱い所へ向かう線路が伸びていた。DE10〔東新潟〕が貨車を直接牽引して乗り入れていた。
洋食器産業の重要拠点だった。
 1984年2月ダイヤ改正(昭和59年2月)で弥彦線の貨物扱いが廃止使命を終えて貨物扱い所は公園に。
右手のアスファルト道路は新潟交通電車線の廃線跡転用。



JTrain76号は昭和末期の貨物列車が特集でありこの時代の解説がなされている。
ヤード系輸送・・・各地の貨物駅からヤード(操車場)に集められた貨車を組成していくつかのヤード(操車場)経由で 目的地に送り届ける方式だったが非効率的という判断がされ赤字が頑強のため廃止された。車扱い列車は直行方式となってJR前に専用貨物列車となった。(大方はコンテナまたは民間のトラックに移行した)
使われなくなった貨車や機関車が多数操車場に留置されたのもこの頃である。