2024年1月7日日曜日

七尾線の記憶(能登地方)


 1983年8月16日 国鉄金沢駅 急行「能登路」 地平時代

この頃は急行がキハ58とキハ28 普通列車はキハ53、キハ20、キハ26 他にキハユニ26とキユニ26が七尾線と能登線に運転されていた。気動車の配置は七尾機関区(金ナナ)

2011年5月4日 JR西日本金沢駅 415系 七尾行き 単色塗装が進行中だったがまだこの旧塗装があった。金沢駅は高架になっていた。


 

1990年2月10日 七尾線 キハ58など 国鉄色とJR移行の色の混合編成

七尾線能登二宮付近 キハ58など 4連 通勤改造車

津幡から七尾の区間は平野部を走るため単調な区間が中心だった。この区間で蒸気機関車列車(C571とC56160重連のSLやまぐち号編成)を狙ったが激しい雨の日で苦戦を強いられた。露出も上がらない眠い写真ばかりが残るだけ。

七尾線はいまに至るも乗車歴はない 。輪島へ行ったことがあるが「社員旅行」という仕事の一環であり写真撮影などをしている余裕は全くなかった。バスでの移動であり世話役をするため車内の状況を監視したり、イベントをしたり、バスガイドさんと打ち合わせをしたりで気が休まることはなかった。宿に着いたらすぐに宴会の段取りに入りそれらに忙殺され疲れだけがたまっていく最悪な状況だった・・・・自己管理できない方々が多数のため苦労が絶えない。ケガ人でも出たら大変なことになるわけで・・・

行程は北陸自動車道経由で富山市内で昼食(ますのすし)夕方和倉温泉泊 翌朝和倉温泉から輪島朝市 ここで朝市を見学しやっと旅らしい気分を味わう。 輪島から能登金剛を経由して金沢市のはずれから北陸自動車道経由で帰路に就いた。柏崎の手前で「トワイライトエクスプレス」に抜かれたから帰宅は20時近かったかもしれない。

このような劣悪な旅行だったがこれ以降はいくことはなかった。転職しこのようなイベントもなくなってしまったからである。バブルが崩壊し雇用体系も大きく変化しこのような旅行をする余裕などなくなってしまったと考えられる。それが今日にも至っている。思えば一時のはかない夢だったと思う・・ただなぜか帰路に就く際は鮮やかな晴れの空が広がりそのことが思い出される。いまは行くことの叶わぬ北陸への憧憬となっている。

1日の地震でこの地方は瀕死の状況となってしまったが再び復活することを夢見ている。朝市や千枚棚田、穏やかな内海と激しい外海、能登の素朴な光景がよみがえってくることを願って。