2024年10月27日日曜日

すすきとセイタカアワダチソウ

2024年10月20日 EF510-509 4091レ 
EF510-22 4090レ

 E653系 H202 54M しらゆき4号

秋も深まりすすきもセイタカアワダチソウも見ごろである。これらが終ると紅葉になる。秋は短くすぐに冬になるであろう。

2024年10月25日金曜日

夜明けが遅くなりました

2024年10月20日  421M  巻行き 始発
EH200-2  2088レ  前日の雨雲が抜けきっていない。
E129系 2連×2  先頭はラッピング

秋も深まって夜明けが遅くなり撮影しにくい列車が多くなってきた。時雨の日も増えて気分も落ち込むそんな時期。
 

2024年10月24日木曜日

EF510-507 4059レ 北越コーポレーション




 

2024年10月19日 EF510-507  4059レ

北越コーポレーションのコンテナが連なる。最高速度100Km/h 

寝台特急を思わせる走行音を響かせて走り抜ける。


2024年10月22日火曜日

EF510-509 3098レ 深まる秋を走る

2024年10月20日 EF510-20 3097レ
EF510-509 3098レ

 3098レ  斜光を側面に受けて走る。

2024年10月21日月曜日

四季島風雨を走る

2024年10月19日 下り「トランスイート四季島」E001

急がない旅のためゆったりと走っていく。

降り出した雨と風の中を「四季島」が走る。この後さらに風が強くなり夕方からは本降りとなった。季節を分ける寒冷前線が通過して朝方は暑いくらいの陽気が一気に下がって冬の始まりを思わせる気温となってしまった。

2024年10月20日日曜日

夜明け~スーパームーン 嵐の前の静けさを走る EH200-2 2088レ

2024年10月19日  三条市安代付近 夜明け
西の空には満月~スーパームーン すでに佐渡沖に雨雲が接近し月は雲に消えた。
晴れと曇りの狭間の空 朝の光を側面に受けてEH200-2 2088レ
天気はすでに下り坂。青空は広がらず曇りに変わった。朝焼けは雨が近いという印。

この日の予報は昼から雨ということだった。寒冷前線通過で朝は夏日でも午後から一気に気温が下がるという。

タンクコンテナとかつてのカーボンブラック
同和通運の緑の無蓋コンテナ
秋の深まったEH200貨物は毎日見られるものは朝の2088レと午後の6082レ。梅雨入り前は2081レもあるが今の時期は闇を走る・・・

コンテナ貨物もかつての車扱い列車を統合してコンテナ化したため私有貨車が多くなってきた。どことなく車扱い列車を思わせる編成も多くそれを見るのが楽しみである。

ただ、コンテナに関してはあまり知識もないので調べていく必要がある。


 



2024年10月19日土曜日

弥彦山と信越本線列車

2024年10月14日 E129系 同じような列車ばかりだが今は鉄道があることをありがたく思わなければいけない。各地で存廃問題が起こっており近い将来いくつかの路線は消えていくことになると思われる。その中にはかつて幹線だった路線も含まれている。

信越本線のこの区間比較的人口の多い長岡と新潟を結びその間に中小の町が控え貨物列車も通過ということでまだ幹線の風格を備えている。当面存廃の話題はないと思われる。

E653系 51M 「しらゆき」1号 刈り取られた水田と弥彦山
EF510-18 下り貨物 11両と短い 列車番号不明 長さ的に4059レだが休日の翌日は運転されていない。時間的に2時間の遅れ。東三条にて定期列車をやり過ごし動き出した。時刻は4095レより数分はやく??だったがこの列車通過後4095レがとおっていったので別物だった。4095レも普通列車に譲って30分遅れだった。

2024年10月18日金曜日

上沼垂色E653系「しらゆき」2号

2024年10月14日 E653系 52M 「しらゆき」2号 H202編成 上沼垂色
無人の東光寺駅通過。

青空を背に平野を駆け抜ける。

特急「しらゆき」貴重な優等列車であるが利用は多くない。高速道路を走るマイカーに完全にやられた状態に推移している。今後どうなっていくのか?

2024年10月17日木曜日

霧に浮かぶ駅

2024年10月14日 E129系 423M 水田は霧に覆われていた。
信越本線 東光寺駅 左側に霧の塊がある。 休日の無人駅人けはない。
E129系2連と2連 425M  霧が消えた。
駅舎は霧の中。しかしこれもすぐに解消した。
EF510-508  4061レ 

鉄道の日 ここで上沼垂色E653系を待つ。県道沿いのコンビニで買ったコーヒーを飲みながら。いまは同じ車両だけが行き交う信越本線。しかし本数は比較的多く退屈はしない。
 

2024年10月16日水曜日

まとまりのいい貨物 EH200-5 2088レ

2024年10月14日 EH200-5 2088レ 月曜にしては積み荷が多い。まとまりのいい貨物。
記念コンテナが積まれていた。
タンクコンテナ、緑色コンテナ、無蓋コンテナなど

 最後尾は低めの緑色コンテナでしめ。コンテナの種類も多くでこぼこした姿は専用貨物列車の頃を思わせた。どこかまとまりのいい貨物編成。当地の貨物列車は列車ごとに編成が異なるのが特徴である。

 

2024年10月15日火曜日

五十嵐川と「自由民権運動の人」 西潟為蔵

2024年10月13日 五十嵐川 旧国道289号線 いまは1985年に廃止された弥彦線越後長沢区間が改修されてそちらがメインルートである。かつては川沿いの道が国道だった。
自由民権運動の人 西潟為蔵の功績をたたえる記述。明治から大正の歴史の本に出てくるそうそうたる政治家たちや財界人とかかわりがあった旨が記載。
田中角栄の書による石碑 西潟為蔵の功績は自由民権運動、政治活動、八十里越道路など。

磐越西線が開業するまえは八十里越えは大動脈となって越後と会津を結び交易がおこなわれた。鉄道開通後は廃道状態だったが現在工事が行われ新しい国道289号の越境ルートとなる。

E653系「しらゆき」5号 55M 西潟為蔵は信越本線の延伸にも力を注いだという。
EF510-13 3093レ 信越本線「北越鉄道」区間は貨物列車の動脈と言える。

明治31年に開通した「北越鉄道」は関東への幹線として重宝されたがこの時代はまだ2軸客車が中心だった。開業時は長岡~上野間15時間(新潟からは当日着ができなかった)明治37年三社協定(北越、鉄道院、日本鉄道)で16時間50分、明治40年国有化で15時間40分となっている。令和の現在上越新幹線で2時間台のことを考えると信じられない話である。

信越本線は日本海側の縦貫鉄道として機能し、西日本と東日本、北日本への重要幹線へと発展した。

西潟為蔵は上越線にも尽力されたとあり115系湘南色の写真が一番下に掲載されている。

ほか大河津分水や新潟大学の前身となる旧制高等学校、盲学校の設置にも尽力されているとの事だった。

このような偉人であるがあまり知られていないのが残念である。 活躍ぶりは回顧録「雪月花」に詳細に記載されているという。これは自由民権運動の聖典と言われている。

現在三条市歴史民俗資料館で西潟為蔵展が10月27日まで開催され資料が展示されている。

主な資料

回顧録「雪月花」

八十里越え道路開墾のための調査日誌抜粋

八十里越絵図 

保安条例による退去状

為蔵晩年の詩

為蔵古希祝の寄せ書き屏風

(原敬、高橋是清、大倉喜八郎ほかの名前があった)

2024年10月14日月曜日

深まりゆく秋~霧の朝

2024年10月13日 EH200-18 2088レ 背後に霧が
E129系4連 421M 越後線巻行き
濃い霧を背に長岡行き 420M E129系2連 (この列車はワンマンではない)
近隣の丘陵地帯は霧に飲まれていた。
E129系4連 423M
三条市(旧栄町付近)の水田地帯は気温差のためか朝霧が深くなって運転に支障するようだった。

気が付くとわずかであるが紅葉が見られたり、白鳥の姿も見ることができるようになっている。

日中は快適な気温となって秋の日を満喫できた。ただ3連休のため車の往来が増えているようだった。
 

2024年10月13日日曜日

EF510-503 3093レ 名残の黄金色

2024年10月6日 EF510-503 3093レ 黄金色と青空の午後

 E129系 442M 切株と青空  広がりのある空間。

午後は青空が広がった。今週の3連休は秋らしい爽やかな日和となる。気温が少し高くなり、所によって雨が降ることも。

昨日仕事を終えて帰宅する際極めて鮮やかな夕焼けが見られた。夏の頃の夕焼けと違って空気が澄んでいるため鮮やかに感じた。ほとんど雲はなかったが高い山は雲に隠れこのあたりは雨が降っていたかもしれない。 短いひと時の秋すぐに冬がやってくる。

2024年10月12日土曜日

EF510-509 4059レ




 2024年10月5日 EF510-509 4059レ

刈り取られた水田の稲はふたたび初夏の頃のような緑豊かな水田になった。

EF510-509は北越コーポレーションのコンテナを従えて足早に走り去っていった。

 4059レは高速貨Aであり100キロ運転が特徴。比較的大きめなコンテナを多数載せて走る光景は寝台特急亡き今新たな魅力となっている4.