自由民権運動の人 西潟為蔵の功績をたたえる記述。明治から大正の歴史の本に出てくるそうそうたる政治家たちや財界人とかかわりがあった旨が記載。田中角栄の書による石碑 西潟為蔵の功績は自由民権運動、政治活動、八十里越道路など。
磐越西線が開業するまえは八十里越えは大動脈となって越後と会津を結び交易がおこなわれた。鉄道開通後は廃道状態だったが現在工事が行われ新しい国道289号の越境ルートとなる。
明治31年に開通した「北越鉄道」は関東への幹線として重宝されたがこの時代はまだ2軸客車が中心だった。開業時は長岡~上野間15時間(新潟からは当日着ができなかった)明治37年三社協定(北越、鉄道院、日本鉄道)で16時間50分、明治40年国有化で15時間40分となっている。令和の現在上越新幹線で2時間台のことを考えると信じられない話である。
信越本線は日本海側の縦貫鉄道として機能し、西日本と東日本、北日本への重要幹線へと発展した。
西潟為蔵は上越線にも尽力されたとあり115系湘南色の写真が一番下に掲載されている。
ほか大河津分水や新潟大学の前身となる旧制高等学校、盲学校の設置にも尽力されているとの事だった。
このような偉人であるがあまり知られていないのが残念である。 活躍ぶりは回顧録「雪月花」に詳細に記載されているという。これは自由民権運動の聖典と言われている。
現在三条市歴史民俗資料館で西潟為蔵展が10月27日まで開催され資料が展示されている。
主な資料
回顧録「雪月花」
八十里越え道路開墾のための調査日誌抜粋
八十里越絵図
保安条例による退去状
為蔵晩年の詩
為蔵古希祝の寄せ書き屏風
(原敬、高橋是清、大倉喜八郎ほかの名前があった)