梅雨末期。雨は降っていないが曇天で蒸し暑い不快な日。
そのなかを上沼垂色のE653系が走り去っていった。涼しげな塗装で不快感を一時忘れることができた。梅雨が終ると猛暑の日がやってくる。
梅雨末期。雨は降っていないが曇天で蒸し暑い不快な日。
そのなかを上沼垂色のE653系が走り去っていった。涼しげな塗装で不快感を一時忘れることができた。梅雨が終ると猛暑の日がやってくる。
山形県の水害のため編成が短く8両くらいしか繋いでいない。梅雨末期の豪雨のため東北の各地で川が氾濫してしまった。20年前の2004年は新潟福島豪雨でこのあたりも被災している。
水害の次は10月23日の中越地震で震度6の揺れをこの界隈で観測している。
雲が多くすっきりしないうえに湿度が高くて蒸し暑い梅雨末期。そんな中でも稲には穂が出ていた。来月の今頃は稲刈りである。
本日は研究会の発表であった。
当方は北陸線関連を。
リーダーF氏は12系の屋根の話と、救援車の話。
大御所W氏は北海道オホーツク海沿岸の地域の話題、そして宮内庁に精通するK氏が今の上皇様が皇太子だった戦前の碁乗用列車ご利用の話題、Y氏は只見線、蒲原鉄道、赤谷線、郡山工場、東北北部の話題だった。当方以外はその道のエキスパートであり貴重なお話を伺うことができ退屈することが無かった。
当方は発表直前にエラー箇所が見つかった。平身低頭となってしまった。
(今回も未勝利に終わった たとえが悪いが地方競馬の馬が中央競馬の馬と走るようなものである。)
後ろに北越コーポレーションコンテナが連なる。この色との組み合わせは2003年に試運転でワム380000の車扱い列車を牽引していた時代を思わせる。2001年に登場して2年経過であった。主流になるまではまだ時間がかかり長い下積みが続いた。
EF510の増備は年に数量のスローペースで行われ、最終グループとの車齢が20年以上開いている。
EF510-1にとって九州の300番台は年の離れた兄弟の様である。
苦労して日本海縦貫線の主流となったEF510。1号機も末永く走ってほしいと願う。
主流となったGV-E400であるが単独で草原にたたずむ姿は侘しさを感じる。しばらくして独特のエンジン音を響かせ庫の方へ戻っていく。
ここ数年は駅構内の雑草が恐ろしいことになっている。害虫などの発生源になるので除草していただきたいところである。国鉄時代は草刈りは適切になされていたが今は・・
C57180〔新潟〕とキハ112‐202
C57180のマークは25周年マーク。雨模様にも鮮やかに映えていた。
車齢を30年過ぎたキハ110系まだ運用されていた。このキハ110系も一部は運用を外れ廃車や転籍を待っているものがあるという。
弥彦山と信越本線の列車たち。水田の稲は早稲米が色づく。8月下旬には稲刈りとなる。昨年は異常高温と渇水で不作。主力のコシヒカリと一等米が少なく特に不作だったという。
このあと下り貨物を別の場所で撮影。合間にNHK朝ドラ「虎に翼」のダイジェスト篇(土曜日はまとめて6日分を構成)そのあと新津でC57180「ばんえつ物語」の入れ替えを眺め、行きつけの直売所で野菜を購入し、三条の図書館「まちやま」で気になっていた資料を借りる。
あたらしい展示施設歴史民俗博物館「別館」の名誉市民のギャラリー「ほまれあ」が開業するためのイベントが開催され大勢の人々でごった返していた。「ほまれあ」は旧三条市立図書館でありまだ築40年のため解体せず別の用途に転用された。(ここの開業もあって駐車場がなかなかあかなくて・・・)
「ほまれあ」は三条市の名誉市民6名「諸橋徹次」(漢学者 大漢和辞典で知られる)「岩田正巳」(画家) 「渡邉義雄」(写真家)「小林ハル」(ごぜ)「鶴巻三郎」(染色工芸家)ジャイアント馬場(巨人軍野球選手・プロレスラー)の展示品が置かれている。
諸橋徹次氏は大漢和辞典、渡邉義雄氏は愛用の機材(蛇腹式、ライカ型キャノンレンジファインダー機(レンズ交換可能)、一眼レフ(Nikon製)岩田正巳氏はアトリエ、小林ハル氏は三味線、鶴巻三郎氏は人形作品、ジャイアント馬場氏はキャデラックが印象深いアイテムである。
またNHK朝ドラ「虎に翼」の展示もあり「猪爪寅子」の伊藤沙莉と新潟編の重要な役どころの弁護士杉田太郎の高橋克実のパネルやドラマで使われた資料の展示も多数あった。ドラマもビデオが流されていた。
ドラマ中杉田太郎役高橋克実の新潟弁に驚かれた方も多かったと思う。「~らて!」は「~です」という意味。ドラマ中容赦なく当地の言葉が出てくるのにはびっくり!
遠い未来には高橋克実氏も名誉市民となってここに資料が置かれる時代が来るかもしれない。いまや元気な「三条を紹介する重責を担うタレント」であるから。(三条市のPRアンバサダーもお勤されている)
さて、三条の新潟地裁の支部といっても実際は弥彦がロケ地であるがまちやまで事前に資料「写真集ふるさとの想い出 明治・大正・昭和 三条」を調べると戦後しばらく三条市の中心に裁判所支部が置かれ、のちに東三条駅近くに移転となる。ドラマは移転前の裁判所をイメージしたのか当時の写真を見ると雰囲気も弥彦のロケ地にわずかに似ていた。
またレンジファインダーカメラが猪爪寅子を歓迎する杉田太郎の弁護士の弟が携えていたことも注目である。カメラは一眼レフ時代になるのは昭和40年以降でありこのころはライカ型レンジファインダーが主力だった。このころ多くのメーカーによりライカ型が国内製造されていた。コピーライカという呼び方が用いられた。これらは高価であり庶民は2眼レフや蛇腹などを使っていたと思われる。
せっかくなので「本館」にも行ってみると展示内容が大幅に変わっていた。テーマ展示は学校関連ほかに在来の展示品も今までなかった古文書や写真が増えて、金属加工関連はなくなっていた。これはまちやまミュージアム(図書館)に移転したためである。
「本館」にも乾板式カメラや昭和40年代のフイルムカメラ(キャノネット、・Ricohオートハーフなど)と初期のデジタルカメラが展示されていたのが注目される。
歴史民俗資料館の展示品はそんなに多くはないがこれが無料の限界と思う。新津の鉄道資料館のようにたくさん展示されているわけではない。ただこの界隈の歴史は図書館、鍛冶道場、と歴史民俗資料館を回ることで理解可能になると思われる。歩き回らないと行けなくなり効率が悪いかもしれないが食事処も多いので疲れたらそこでひとやすみするのもいい。
カメラや自動車は民営で有料の資料展示がミズベリング(水害防災資料を展示)する場所近く(国道8号線沿い)にありそこではさらに多くの資料を見聞できると思う。KYOWAクラシックカー&ライフステーション 入館料1300円。
歴史民俗資料館別館の「ほまれあ」の最寄り駅はJR東日本弥彦線北三条駅である。
参考文献 写真集「ふるさとの想い出 明治・大正・昭和 三条」 国書刊行会 荒木常能著 (新潟地方裁判所三条支部の写真の出典)
最近は自宅周辺の撮影が多く、家事の合間に貨物列車を見る程度だが、雨の日は蒸気機関車が似合うと考え新津へ。梅雨空の中C57180は煙を上げやってきた。
現在大型蒸気機関車が7両もの客車を牽引しているのは「ばんえつ物語」だけとなっている。
2022年の12月以来の珍編成!7月15日に3093レで新潟入りしたEH500‐49〔門〕の大宮車両所への移送とDD200-14の返空とレール輸送のチキ7000の返空。
1984年4月8日 小雪が舞う寒い日越後線と弥彦線の電化開業。この時点で朝の時間帯長岡発425M長岡6時37分発新潟8時5分着越後線内野着8時13分が新設となった。
1984年4月の越後線電化開業時点ではこの1本が越後線直通、気動車列車では磐越西線から越後線乗り入れが1本のみ。越後線から長岡に向かう列車はなかった。
1985年3月ダイヤ改正では下りは長岡発内野行き1本だったが、上りは午前に吉田発2本、内野発1本となって国鉄分割民営化を迎える。
JR東日本に移行後はこれが当たり前いう感じに越後線乗り入れが増え、東三条駅では吉田行きの案内だけに気を取られ信越本線の新潟経由吉田行きに誤乗するケースも時折あるようだった。行先表示器には新潟経由と表示されているのに・・・
乗客の流れはあくまで新潟駅でありこのころは新潟駅で乗客が一気に入れ替わる。万代などの商業地が目的地であり、越後線沿線には商業地はあまりなく通勤通学が中心であり、信越沿線から越後線沿線の大学や高校への通学には利便性が増した。
黒井と新潟貨物ターミナルの空のコンテナ車。かつては貨車にコンテナが載っていたこともあったが現在は空車となっている。 月曜日の特別な運転形態。(富山~新潟貨物ターミナルは機関車のみの運転 黒井~新潟貨物ターミナル間は移送の貨車が連結)
現在日本海縦貫線でのEH500の運用は奥羽本線秋田貨物~青森(信)のみでそれより南の区間にはない。日本海縦貫線は時折災害時の迂回運用をするための訓練で走る程度である。
1948年2月新潟鉄工で落成。新庄に配置、1963年8月長野工場で電気暖房改造。
以降直江津、長岡、新潟、長岡、新津、直江津という経歴を持つ。 近代化工事は1965年3月3日、体質改善工事B3を1974年5月30日に新津車両管理所で受けている。
2011年7月の水害で小出~只見間と会津川口~会津若松間に分断されていた時代。復旧はさらに9年後。
東北色キハ40と青髭の新潟色キハ40のペアという今考えれば異色の編成。これが当たり前の日常だった。東北色は只見線を運用する郡山の所属だったが小出方面での車両の不足で新津に転入ししばらく東北色で走っていた。
梅雨も終わって緑のじゅうたんのようになった水田地帯を走る。
2013年8月1日 EF81139〔青〕牽引 2022レ「あけぼの」カニ24102
本来深夜通過の寝台特急「あけぼの」であるが豪雨で架線が警戒水位を超えたため抑止され大幅遅れとなった。
いまは寝台特急はすべてなくなりこのような光景を見ることはなくなった。
この日は機次にフレートライナーの青いコンテナが。梅雨の中休みをコンテナ列車がゆく。
日本海縦貫線では列車ごとに編成が大きく違うことが特徴でそれが魅力と言えるであろう。
空梅雨気味の6月が終わって雨の季節となった。梅雨前線の南側は真夏日であり。異常な猛暑となっている。あと数週間で当地も異常な猛暑に見舞われることであろう。
日の長い時期の2081レも捉えるのがきつくなってきた。夏至も過ぎて今度は明るくなる時間が少しづつ遅くなる。梅雨が明けるころはこの列車は暗闇を走ることになる。