2024年7月23日火曜日

梅雨はまだ明けないが稲は色づく~EH200-14 2088レ

2024年7月20日 EH200-14 2088レ
下り 421M
上り420M

 EF510-512 4059レ 北越コーポレーション

弥彦山と信越本線の列車たち。水田の稲は早稲米が色づく。8月下旬には稲刈りとなる。昨年は異常高温と渇水で不作。主力のコシヒカリと一等米が少なく特に不作だったという。

 

このあと下り貨物を別の場所で撮影。合間にNHK朝ドラ「虎に翼」のダイジェスト篇(土曜日はまとめて6日分を構成)そのあと新津でC57180「ばんえつ物語」の入れ替えを眺め、行きつけの直売所で野菜を購入し、三条の図書館「まちやま」で気になっていた資料を借りる。

あたらしい展示施設歴史民俗博物館「別館」の名誉市民のギャラリー「ほまれあ」が開業するためのイベントが開催され大勢の人々でごった返していた。「ほまれあ」は旧三条市立図書館でありまだ築40年のため解体せず別の用途に転用された。(ここの開業もあって駐車場がなかなかあかなくて・・・)

「ほまれあ」は三条市の名誉市民6名「諸橋徹次」(漢学者 大漢和辞典で知られる)「岩田正巳」(画家) 「渡邉義雄」(写真家)「小林ハル」(ごぜ)「鶴巻三郎」(染色工芸家)ジャイアント馬場(巨人軍野球選手・プロレスラー)の展示品が置かれている。

諸橋徹次氏は大漢和辞典、渡邉義雄氏は愛用の機材(蛇腹式、ライカ型キャノンレンジファインダー機(レンズ交換可能)、一眼レフ(Nikon製)岩田正巳氏はアトリエ、小林ハル氏は三味線、鶴巻三郎氏は人形作品、ジャイアント馬場氏はキャデラックが印象深いアイテムである。

またNHK朝ドラ「虎に翼」の展示もあり「猪爪寅子」の伊藤沙莉と新潟編の重要な役どころの弁護士杉田太郎の高橋克実のパネルやドラマで使われた資料の展示も多数あった。ドラマもビデオが流されていた。

ドラマ中杉田太郎役高橋克実の新潟弁に驚かれた方も多かったと思う。「~らて!」は「~です」という意味。ドラマ中容赦なく当地の言葉が出てくるのにはびっくり!


遠い未来には高橋克実氏も名誉市民となってここに資料が置かれる時代が来るかもしれない。いまや元気な「三条を紹介する重責を担うタレント」であるから。(三条市のPRアンバサダーもお勤されている)

さて、三条の新潟地裁の支部といっても実際は弥彦がロケ地であるがまちやまで事前に資料「写真集ふるさとの想い出 明治・大正・昭和 三条」を調べると戦後しばらく三条市の中心に裁判所支部が置かれ、のちに東三条駅近くに移転となる。ドラマは移転前の裁判所をイメージしたのか当時の写真を見ると雰囲気も弥彦のロケ地にわずかに似ていた。

またレンジファインダーカメラが猪爪寅子を歓迎する杉田太郎の弁護士の弟が携えていたことも注目である。カメラは一眼レフ時代になるのは昭和40年以降でありこのころはライカ型レンジファインダーが主力だった。このころ多くのメーカーによりライカ型が国内製造されていた。コピーライカという呼び方が用いられた。これらは高価であり庶民は2眼レフや蛇腹などを使っていたと思われる。

せっかくなので「本館」にも行ってみると展示内容が大幅に変わっていた。テーマ展示は学校関連ほかに在来の展示品も今までなかった古文書や写真が増えて、金属加工関連はなくなっていた。これはまちやまミュージアム(図書館)に移転したためである。

「本館」にも乾板式カメラや昭和40年代のフイルムカメラ(キャノネット、・Ricohオートハーフなど)と初期のデジタルカメラが展示されていたのが注目される。

歴史民俗資料館の展示品はそんなに多くはないがこれが無料の限界と思う。新津の鉄道資料館のようにたくさん展示されているわけではない。ただこの界隈の歴史は図書館、鍛冶道場、と歴史民俗資料館を回ることで理解可能になると思われる。歩き回らないと行けなくなり効率が悪いかもしれないが食事処も多いので疲れたらそこでひとやすみするのもいい。

カメラや自動車は民営で有料の資料展示がミズベリング(水害防災資料を展示)する場所近く(国道8号線沿い)にありそこではさらに多くの資料を見聞できると思う。KYOWAクラシックカー&ライフステーション 入館料1300円。

歴史民俗資料館別館の「ほまれあ」の最寄り駅はJR東日本弥彦線北三条駅である。

参考文献 写真集「ふるさとの想い出 明治・大正・昭和 三条」 国書刊行会 荒木常能著 (新潟地方裁判所三条支部の写真の出典)