2025年5月30日金曜日

会津点描


 2025年5月24日 磐越西線 山都~喜多方 一ノ木橋梁 キハ110系2連
 




 

 広田駅付近のE721系 駅舎と列車交換、快速「あいづ」など。現役車両であり注目度は少ない。快速「あいづ」のヘッドマークはなくなっていた。この区間を走るE721系の編成も2または4連となっている。それなりの乗車はあるが全盛期と比べるとかなり減少したように思う。それでも架線の撤去をまぬかれた会津若松~郡山間は都市間移動も多く幹線の面目を保っているように思う。

2025年5月26日月曜日

架線が取り払われた線路の悲哀~磐越西線喜多方~会津若松間


 2025年5月24日 磐越西線塩川~会津若松間(笈川)

架線が取り払われたが架線柱に送電線?を残した状態。非電化の幹線でも山陰本線や函館本線、高山本線(地方交通線だが特急が多数走る)などはこのような区間がある。

笈川を通過する喜多方発会津若松行き普通列車 

この場所は国道121号線が背後にあって見通しのいい区間。すでに男性2名が撮影されていたので邪魔にならないように気を付けて・・・・

磐越西線喜多方~会津若松間には会津豊川、姥堂、笈川、堂島の小さな駅があるが、この駅は昭和戦前にガソリンカー運転に際し設置された停留場で原則ガソリンカーのみが停車。戦後も止まらない列車が圧倒的に多い。現在も通学時間帯中心に5往復の停車となっている。この例は両毛線にもみられたがそちらは昭和の時代に廃止されている。

磐越西線喜多方~会津若松間のこれら小駅は周辺に集落もあるが国道が並走してバスが多数運転のためか客はそちらに流れていくようである・・・
 



堂島付近 田植え間近。


 会津若松を出たあたりの新津方面(塩川~会津若松間) GV-E400系

堂島の集落にて 塩川方面 キハ111‐201とキハ112‐202ペア 228D
間もなく終点会津若松


キハ110‐203とキハ110‐213のペア いずれも新ニツ この区間が非電化となったため新潟の車両だけが定期列車として見られるだけになった?郡山のキハE120は入ることがあるのか?

 




GV-E401とGV-E402のトップナンバー編成


 架線柱から架線が消えて送電線?だけ残った状態で平坦地を走るGV-E400系は函館本線にいるような錯覚をしてしまう。

この架線柱は今後撤去されるのか?

喜多方市では電化廃止に猛反発もあったというが郡山直通列車でも乗り換えでも所要時間は変わらないこと、老朽化で消えた719系フルーティアがハイブリッドカーのSATONOに置き換わり観光列車が郡山に引き続き乗り入れていることもあり反発も収まり電化撤去は無事に完了したようだった・・・

JR東日本では災害復旧で奥羽本線の新庄~院内の区間も電化を廃止して気動車による復旧で運転を再開している。本数の少ない幹線の場合このような方式が今後も取られるのであろうか?

2025年5月25日日曜日

電化廃止後の磐越西線喜多方~会津若松間の今

2025年5月24日 喜多方駅 架線が撤去された。トラスビームだけが残る
塩川~喜多方間(会津豊川) 架線設備は架線柱のみ。
架線柱は残ったが送電の部分は撤去されない。架線柱にケーブルが設置の区間があった。
塩川駅近くの踏切から喜多方側を見る。
塩川駅を望む。架線撤去されたトラスビーム
塩川駅にて。喜多方行き普通列車
喜多方方向を見る。 キハ110系2連
塩川~会津若松間(堂島) C57180 8226レ ばんえつ物語

2024年に磐越西線喜多方~会津若松間の電化が廃止されて架線と設備一式が撤去され非電化された。会津若松駅の分岐付近から喜多方までのすべての区間で架線撤去が完了した。

最近では奥羽本線新庄~院内間でも災害復旧の際電化を廃止している。今後はこのようなことも珍しくないと考えられる。

Web上で検索をしても要領を得なかったので実際に出かけてみて確認を行った。


 

2025年5月24日土曜日

EH200-3 2071レ 

2025年5月23日 EH200-3 2071レ
2071レは科学薬品コンテナが多く連結されている。

 

5分後北越コーポレーションの6082レが来ると思われたが運休となっていた。

 

2025年5月23日金曜日

地図にない池

2025年5月18日 421M E129系4連 水かがみ
EF510-500番代 4059レ

この日の朝農家の方々が除草作業されているところに遭遇。農地の整備を共同で行う作業である。朝6時の段階で終了されたようで解散されて各自の水田に軽トラックが消えていった。

今年も気候不順となりそうで農家の方々も気が気でないと思う・・・ 

田植えが終わった直後は稲も小さく、まるで池が出現したような光景になる。地図にない池である。それが数日たつと稲も成長して緑のじゅうたんへと変わっていく。

2025年5月22日木曜日

梅雨の走り~EF510-1

2025年5月17日 EF510-1 4075レ

水田には田植え機が多数。田植えの最盛期である。梅雨の走りの空を見ながらEF510-1 4075レが通過。


2025年5月17日土曜日

上越線の貨物列車を久しぶりに眺めた・・・

2025年5月16日 EH200-6? 2071レ
コキ200‐114 化学薬品コンテナ 富山県の化学薬品工場行き
EH200‐3 6082レ 
榎峠へ向かう 
北越コーポレーションコンテナ

 最後部・・・・尾灯が消えて3年近くになる。冬でも反射板のまま

 

退勤時に久しぶりにこの界隈に立ち寄って上越線の夕方の貨物列車を見聞した。無人踏切の多いこの付近EH200は鋭い汽笛を鳴らす。汽笛が山間に響き渡るのを聴いて峠にいることを実感した。 

ここのところ国鉄型機関車の廃車が進んでいるようで、旅客、貨物も同等である。間もなく、東海道・山陽本線はEF210だけ、日本海縦貫線がEF510,中央線、上越線はEH200,東北本線はEH500という体制が完成するのであろう。時代は刻々と移り変わっている。

2025年5月15日木曜日

キヤE195系構内移送

2025年5月11日  レール輸送キヤE195が東三条駅構内を移動する場面に遭遇。

キヤE195‐1113
乗り換えの跨線橋の付近で一旦停止
エンジンを加速 おろし場所へ

 おろし場所  背後は国道289号線  弥彦線廃線から・・・

レール輸送のキヤE195の構内移送を見聞した 。おろし場所に止まっている光景は何回か見ることができたが構内移送は初めてのことだった。

2025年5月11日日曜日

だしの風のばんえつ物語~羽越本線阿賀野川橋梁へ

2025年5月10日  磐越西線 GV-E400系
上り会津若松行き キハ110の2連 残雪は粟ケ岳 
C57180 8226レ 上りばんえつ物語 だしの風(この付近では阿賀野川の流域でふく風のこと 流域は深い谷間になって風の通り道になりやすい)で煙が背後に流れた。

急客機らしい速度で一気に駆け抜ける。 同じ機関車と客車でもその時の気象状況で表情が変化するのが蒸気機関車牽引列車の魅力。
磐越西線からすぐに羽越本線へ 15分くらいで阿賀野川河川敷に着く。

EF510-14 4091レ 


 

4091レのすぐ後にくる新発田行き普通  GV-E400系 後ろの山は弥彦山 この日は遠く佐渡も望めた。


 阿賀野川河川敷も農作業がおこなわれ水田では代掻きのトラクタが水田を行きかっていた。背後の山は左手が粟ケ岳で右手が守門岳 

このあと新津図書館で郷土資料を閲覧して帰宅。

2025年5月10日土曜日

雨の朝の貨物

2025年5月10日 EF510-5 4059レ 北越コーポレーションコンテナ
EF510-510 4061レ 定刻
クロネココンテナ 4061レ
EF510-2 4076レ コンテナは満載

EF510-7 4075レ 

大型連休が終わり、貨物列車の運転が復活。本日は2088レが来なかったほかは定刻であった。湿度が高く行き山がきれいに見えたが雨が時折降ってきて風も出てきた・・・・

不安定な初夏の始まり。