1991年10月 弥彦線 普通列車 165系3連
1984年4月8日の電化当初は弥彦線は吉田~弥彦間115系2連。吉田~東三条間は通勤時間帯115系2連+4連、日中4連、早朝と夜間2連だったがJR東日本へ移行後は減車となり朝方の3往復が165系3連に置き換わった。(1993年12月改正では115系2連にさらに減車)
115系の4連は信越本線などに振り向けられて編成増強に使われていった。この傾向は各地に見られ閑散区間は165系、混雑が多い区間は113系、115系となった。
かつてキハ30、35の通勤型気動車が走り抜けて多くの乗客でひしめいていた路線に急行型が走る光景はこ利用者が相当に減少したことを物語っていた。
弥彦線も燕三条での接続がよくなく結果マイカー乗り入れが上越新幹線利用の中心となり、乗り換え客は多くない。
JR東日本移行時はワンマン化が行われたが一方で行楽時期の増発もされたことがあったが成果には結びつかなかった。