2024年2月23日金曜日

事実を突き止める~スハ402105(新ナオ)


 1982年11月 信越本線鯨波 旧型客車列車

昨日の写真を編集して客車を目立たたせてみた。形式は左側オハフ33、茶色はオハ35、右手の切れているものはスハ40のようだ。

スハ40はオハ35のアップグレード版と考えられる。1948年から製造開始。車内の構造はオハ35と同様だが台車が重いTR40に代わったためスハ42という形式があてがわれた。緩急車はスハフ41という同様の構造の車両だったが、一等寝台車へ台車を交換して重量が軽くなりオハフ33となって形式消滅した。

スハ42は1960年前後に車体を軽量化してオハ36と改められるが電気暖房化することで重くなりスハ40となった。このためオハ36には電気暖房の2000番台は存在しなかったが標記の記載ミスでオハ362000の番号を持ったものが一時あったという。

スハ40の外観は扉が軽量客車10系のものと同じ「日の字」窓、窓がサッシ、台車TR40で区別がついた。

急行「妙高」9号と10号の石打疎開と廃車回送は2編成あり、この回送はスハ40の組まれた位置でオハフ332329、オハ352601、スハ402105、オハ352046、オハフ332530だった。石打への疎開は11月13日。この日の急行「妙高」はオハ35系ばかりでほとんど普通列車レベルの急行だった。

もう1編成はオハフ332438、オハ532793、オハ472238、スハ402084、オハフ332034で11月14日に石打に疎開がされている。

直江津にはスハ40がもう1両あり、スハ402102が北陸本線旧型客車普通列車の電車置き換えまで走り続けることになる。

雑然とした見映えのしない写真であるが事実関係を深く追求すると意外なことが見えてくることを感じた。