2024年2月28日水曜日

近代化改造と体質改善

1984年8月17日 オハ47 2022 豊岡

1961年9月9日に土崎工場でスハ4338のTR47台車をTR23に交換して落成。1969年9月13日に電気暖房改造されオハ472022となる。電気暖房改造されているためいっとき山陰本線以外で運用されたこともあるのかもしれない。車体は青、アルミサッシ改造されている。廃車は1986年3月31日。

 客車の近代化改造は軽量客車ナハ10の登場以降、旧態依然とした印象となったそれ以前の客車の室内を改造したもので白熱灯を蛍光灯、ニス塗りの車内を化粧板で明るくし、窓はアルミにした。後に扇風機も取り付けられて急行列車用として新型車に比べてもそん色ないものとなった。1963年度から1971年度の長期にわたって行われている。

ただし43系は1963年度改造車は、窓枠や扉は在来のものを再利用したものもあり、車体色もブドウ色1号だったとされる。(軽量客車10系も当初ブドウ色だった)

車体外観が大きく変わるのは1964年「車体標記方式規定」改正総裁達512号で接客設備が改良された客車は青15号に塗り替える。

座席車ではナハ11、オハ36、スハ40、スハ44、スハフ43、ナハフ11 近代化改造が済んだ、ナハ10、ナハフ10、オハ35、オハフ33、スハ42、スハフ42、スハ43、スハ45、オハ46、オハ47、スハフ44、オハフ45があった。

体質改善工事とは1970年に新しい検査方式を導入し、新型車両導入で部品の信頼性が部品の信頼性が向上したことから車両の検査周期を延長して保守の合理化を図る狙いで機関車から貨車まですべての車両で検査方式の見直しが行われた。旧型客車については必要な改良を加えることで検査の回帰延長を可能にする工事であった。

12系と20系はそのままの検査回帰、スニ40と41は若干の改造で旧型客車はこの改造が終わったものが新回帰となる。鋼体化客車とスハ32系は行われず、旧回帰のまま廃車としていくこととなった。

座席車では近代化改造済みが体質改善B、近代化工事されていないものが体質改善Cとされた。

近代化改造が接客設備改善が目的、 体質改善工事は合理化が目的だった。このあたり時代背景が大きく異なる。前者は拡大期、後者は縮小期という違いである。