2016年5月5日木曜日

C57180~ばんえつ物語

5月4日撮影 雨の朝。以前から気になっていた磐越西線の大正時代にかけられた鉄橋が気になりまた日出谷付近で撮影をしたかったので出かけてみた。
会津若松と塩川の区間の平地。昼過ぎに雨がやんで残雪の飯豊が姿を見せた。
この区間電化区間であるが有名らしく各地から多くの撮影者が。
会津盆地のこの界隈私鉄買収線のような小さな駅があり大糸線あたりを思い出す。
雪山と列車だと大糸線の安曇野をはしる旧型国電であるが。
冗談はともかく遠目にまず1カット!

 みごとな煙。この場所にいた方々大満足だったと思う。
ここでの撮影の後は磐越西線の歴史遺産(現役であるが)めぐり。
山都の鉄橋と釜の脇橋梁を眺めていったん国道49号で西会津に。ここで大きな栗の入った饅頭を土産に徳沢へ。そのあと国道459号線で日出谷に。
当麻橋梁を通過した下りの「ばんえつ物語」橋の右手には通信線(はえたたき)が残ることで知られている。
代掻きの澄んだ田んぼを入れて。この場所の撮影者は30人ほど。撮影の女性はミラーレス機がメインのようだ。
三川駅にて。津川で給水のため長く停車するのでのんびり走っても楽に追い抜ける。
停車中煙が上がったが・・・・

動き出すと煙はなくなる。三川駅のホームには見送る方々が多数。蒸気機関車は人気者である。
馬下駅を通過。編成がきれいに入り煙もそこそこ出してくれた。
キハ110の会津若松行きの普通列車と交換。キハ110223とキハE120そしてキハ110224のへんせいだった。かつて秋田リレーとして走った気動車たち。
ここで撮影を終了!

一般的にはこの近くの水田地帯で夕日で車体が赤く染まる画像を撮影するのが人気が高いようだ。

磐越西線 徳沢橋梁

2016年5月4日 磐越西線徳沢~豊美間に架かる「徳沢橋梁」をゆく233Dのキハ47型2連。
1978年11月に新潟日報事業社より刊行された「写真集新潟の鉄道百年」のP42~P43「岩越線全通」に記載された写真の一番最後に出ていた場所である。

ちなみにこの本では釜の脇橋梁と記載されていた。しかし実際には釜の脇橋梁は尾登駅と荻野駅との間に架かる橋梁であった。

大正(1914年)11月1日に津川と野沢の区間が全通して岩越線は新津~郡山間が1本の線路でつながった。新潟から東京へはそれまでの信越線経由15時間40分が岩越線経由では12時間47分となってこちらが幹線として脚光を浴びた。(大正13年にはまた信越線経由が早くなり昭和6年(1931年)には上越線が開業して7時間10分で新潟から東京に行けるようになった。
大正6年(1917年)に 磐越西線と改名して今に至るが上越線開業後は新潟と東北との幹線として機能することになる。

この岩越線は阿賀野川に沿って走るため多くの橋梁が作られたが水深が深く(15m)流れも速いため 架空式架桁法という工法が用いられたとある(P43の一番上の写真)

この一番最後の写真はキハ45とキハ20など5連の気動車で蘇生された列車が撮影されている。
またダムも作られて流れは穏やかになっているので急流ではない。

撮影場所は国道459号線から。この徳沢橋梁のあたりは流れの合流点で橋が架かっていてそこからの撮影。すこしいくと新潟県境である。 徳沢というとトラスではない橋梁の方が有名である。
撮影者にとってはトラスは車両が隠れるので好まれない。(もっともいまの「ゆる鉄」ブームでそれもうすまってきたようであるが)