1978年6月 長岡にて 115系1000番代電車が投入され廃車間近の70系に乗った際に撮影。
70系電車の全盛時代は横須賀線でありのちに111系が投入され玉突き的に地方に転出した。
横須賀線は1等車連結で知られサロ75や85が中間付近に連結されていた。
新潟70系全盛時代にはクハ76モハ70サハ75モハ70モハ70クハ76など横須賀線全盛期そのままの編成を新潟色に塗り分けたような編成が多数あった。
1976年の10月改正以降でも
←新潟
クハ76モハ70サハ85モハ70モハ70クハ76
クハ76モハ70サハ87モハ70モハ70クハ76
クハ76モハ70サハ87モハ70モハ70クハ75
クハ76モハ70 モハ70クハ68
クハ68モハ70モハ70クハ76
クハ76モハ70モハ70クハ76
クハ76モハ70モハ70クハ75
このような編成があった。クハ68はサハ48からクハ47さらに扉を増設したものが、クハ75はサロ75を普通車(2等車)に格下げさらに運転台を設置したもの。サハ85はサロ85の格下げ(80系)、サハ87も湘南電車80系の一党。
このころの楽しみはサロ格下げに乗ることだった。
当時見た映画「ボルサリーノ」にこんな感じの列車が出ていた。映画のワンシーンに引き込まれたためだろう・・・・(もしかしたらボルサリーノ2かもしれない)
クハ68211 サハ48012(1931年1月24日日車)を1959年8月18日に大井工場で改造クハ47073に。1963年9月26日大船工場でクハ68211に。当初大船電車区配置で長岡第二機関区には1964年2月19日転入。廃車は1979年1月24日
クハ68210 サハ48014(1930年11月3日汽車支店)を 1959年8月18日大井工場で改造クハ47072に。
1963年10月21日大船工場でクハ68210に。当初大船電車区配置で1964年12月22日長岡第二機関区転入。廃車は1978年6月14日である。115系1000番代転入とともに真っ先に廃車。
参考文献鉄道ピクトリアル713号 P47~54 新潟地区で活躍したモハ70系電車の思い出 瀬古龍雄
これらクハ68は非貫通型運転台が採用(他には便所設置)の為他のクハ68より車齢が古いのにかかわらず廃車が後になった。(51系、40系クハ55改造グループは1976年廃車 便所無し)
冬の隙間風は相当なものだったのであろう。なお、クハ76は1976年時点では廃車はなかった。
クハ75は002、005、006、008、017があった。最後まで残ったクハ75017は1955年5月14日日車支店で製造サロ46018としてデビューし2等から1等に変更1955年12月22日サロ75017となり1967年5月31日新津工場(車両管理所?)でクハ75017となっている。クハ75のうち唯一内部が薄緑に塗装されている。それ以外はニス塗りであった。
クハ75になる際に運転台側の扉は大型化されロングシート設置(従来座席流用)
1976年以降は長岡よりに奇数偶数関係なく連結。 (新潟よりが奇数で長岡よりが偶数ex信越本線)
広々ゆったりでヨーロッパ風の車内はお気に入りであった。
2017年1月22日日曜日
2017年1月21日土曜日
懐かしの 新潟色越後ぐるっと周遊号
2017年1月21日 弥彦線吉田~矢作間にて 115系N3編成
「懐かしの新潟色越後ぐるっと周遊号」ついに39年ぶりに復活を果たした 70系新潟色である。
弥彦~矢作間を走る 弥彦線は1984年に電化の為この色の電車が走ったことはない。
越後線吉田駅にて E129系と並ぶ。115系は赤と黄色 E129系はピンクと黄色
弥彦~矢作間を走る 弥彦線は1984年に電化の為この色の電車が走ったことはない。
越後線吉田駅にて E129系と並ぶ。115系は赤と黄色 E129系はピンクと黄色
新潟県内に70系が登場したのは1962年の信越本線新潟~長岡間の電化の時である。
明石電車区と高槻電車区からクハ68とモハ70が10両(クハ68が5両とモハ70が5両)長岡第二機関区に転入し電車時代の始まりとなった。
当初は関西の葡萄色で走っていたが1964年9月13日に 赤と黄色の塗りわけが開始された。
モハ70112とクハ68015から新潟色となった(参考文献 鉄道ピクトリアル713号特集モハ70系電車~新潟地区で活躍したモハ70系電車の思い出 瀬古龍雄 P48)
以降長岡第二機関区→長岡運転所に転入した70系電車(クハ68、サハ85、サハ87含む) は当初転入時の色だったが随時新潟色になり地域輸送に貢献した。(当然 横須賀色や湘南色(サハ87)との混色もあった)
1976年10月115系0番代が転入したが湘南色のままそして1978年に115系1000番代転入により消滅した。
それ以来の復活である。115系はすべて湘南色で運用され1984年の越後線と弥彦線の電化の際の転入車も湘南色に統一されていた。(一部は赤と白の身延線色があった)
70系新潟色は雪国の暗いイメージを吹き飛ばすというコンセプトで用いられたこの塗りわけも結局のところ115系には採用されることはなかった。 国鉄末期で塗装の合理化が進んだことやそもそも退色しやすいなどの原因があったことなどが考えられるが詳しいことはわからない。
115系電車も引退がちかくなりついに伝説の塗装まで持ち出されることになった。この70系色の編成は春の臨時列車でも活躍することになっている。
2017年1月9日月曜日
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