2025年8月31日日曜日

御館って? クモハ412‐6のヘッドマーク


 2025年8月23日  直江津駅 クモハ412‐6

この日の観光急行は謙信公祭の輸送に413系が使われるため「御館」ヘッドマークがついた。

ちなみにクハ455‐701は「出陣」で あった。

この「御館」は直江津駅を降りてひすいライン沿いに1キロくらい行った場所にある小さな公園にちなんだものである。

上杉謙信が関東管領上杉憲政を迎えた際にその居宅として建設された関東管領の館のこと。

春日山城下に設けられてのちに上杉謙信も政庁として使用したという。

上杉謙信が急死したあと家督相続の争いが養子上杉景勝と上杉景虎の間で勃発した「御館の乱」(越後の内乱)で「敗死」した景虎の本拠として用いられた。

現在は住宅地の小さな公園で石碑があるだけである。ちかくにえちごトキめき鉄道はねうまラインと ひすいラインの分岐点がありその向こうに春日山が見える。

2025年8月30日土曜日

えちごトキめき鉄道はねうまラインET127V1編成

2025年8月23日 ET127-1 V1編成 田島ルーフィング
2021年の8月下旬よりこの塗装が登場。新潟県内の旧型国電色をイメージしたもの。

このころは115系N40編成もこの塗合わせだった。 N40編成は2022年3月をもって引退した。

鉄道むすめのヘッドマーク付き編成
 北越急行の復刻塗装と並ぶ。

鉄道娘のヘッドマークを持つHK100と並ぶ

 

 

えちごトキめき鉄道はねうまラインET127系V1編成、現在はこの編成がかつての新潟県内を走った70系旧型国電と115系の「懐かしの新潟色」の記憶を伝えている。 

2025年8月29日金曜日

先頭車両からの撮影~EH200-901、EF510-514

2025年8月23日 配8788レ EH200‐901とDD200 押切駅手前


 EF510-514 3098レ 古津

E129系先頭車は展望が聞くためすれ違い列車の撮影を楽しむことができる。 

電気機関車はJR東日本のEF64とEF81はこの秋でイベント列車牽引後に引退でおそらく解体処分されるものと考えられる。今後信越本線(新潟貨物ターミナル~南長岡間)は電気機関車はEF510とEH200だけとなる。 

 

 

2025年8月28日木曜日

熱波の柳都shu*kura

2025年8月24日 下り柳都shukura
柳都shukuraは上越妙高~新潟間運転 

刈り取られる直前の水田。黄色く色づいた水田を見ながら列車は通過していった。

今年の稲の作柄はいかに・・・・

昨年9月1日重い腰を上げて乗車した。もう1年が経過・・・・

2014年に登場した越乃shukuraもう11年が経過。そろそろ後任の話題が出そうであるが今のところそう言った話題もない・・・・」 

2025年8月27日水曜日

EF510-1 4076レ


 2025年8月24日 EF510-1   4076レ

赤い車体が側面に朝日を受けて走るEF510-1コンテナ4076レ。

EF510-1 2001年に登場して25年が経過。もはや古豪と言えるかも。

まもなくEF64やEF81も完全に引退すると電気機関車はEF510とEH200だけになる。 

*復興マークは無くなっていた。 


2025年8月26日火曜日

えちごツーデーきっぷ 糸魚川から豊栄

2025年8月23日 えちごトキめき鉄道ひすいライン 糸魚川駅 遠くに親不知が見える。左手は北陸新幹線。


 ET122‐6 1631D 泊発はねうまライン新井行き 先頭は横綱大の里ラッピングET122-3途中手を振る女性に遭遇!!大の里のファンに違いない。

浦本駅 ここからトンネル区間 エンジンが車内に響く。2両編成だがあまり空いていない。

直江津駅でクハ455‐701を 本日観光急行は運休。代わりにはねうまラインにて謙信公祭の輸送列車にあたる。出陣とは上杉謙信が出陣する光景を再現するもの。本年は時代劇大スター松平健が馬上の上杉謙信を務めた。猛暑にかかわらず大勢の見学客で盛り上がった。

鉄道関連の資料のある場所のはしごをするため直江津に来たので謙信公祭は見に行けなかった。(夏バテのため炎暑の屋外が苦手になった)

*この日は先に糸魚川のジオパルでキハ52を楽しみそのあと模型レイアウトとコレクション、蔵書を見学。雑誌が中心だが現場で使われた教科書も置いてあった。各地の愛好家の寄贈品であるという。糸魚川も直江津も資料見聞が目的であった。

ここで改札を出てセンチュリーイカヤに併設の「直江津学びの交流館」へ。1階は直江津駅のジオラマとコレクションが少々・・・ほか直江津エリアの写真もごくわずかであるが展示されていた。糸魚川に比べると少なく印象に残りずらい・・・・

図書館は3階・・・鉄道図書は糸魚川とは比べ物にならないくらい多い!国有鉄道百年史は全冊あった。また明治からの時刻表も多数・・・リファレンスには事欠かない様子だ!冷房の効いた館内フロアは割とすいていて快適だった。ここでは一癖ある書籍を見かけたのでつまみ読み・・・・

図書館の中はゆったりした時間が流れている。


 

ET127V3とならぶ長岡行きのE129系A17 直江津12時26分発長岡13時53分着。

黒井でコキから降ろされたカマボココンテナを発見。80レ~85レはEF510-509


 直江津からの乗車はすくなく2両でガラガラ。柏崎は1番先着。ここで相当人数が乗り込んで座席のほとんどが埋まる。来迎寺と宮内でもかなり乗車があって立ちが出て長岡に到着。長岡で改札から出て一息入れようかと思ったが駅到着前に上沼垂色E653系「しらゆき」6号、そのあと新潟行きの「しらゆき5号」や3093レEF510-5があるのでそれを狙う。暑いのでお茶を買うが買い物は今回それだけ。(ほかに直江津売店でパン1個 昼は眠くなるのであまり食べない。もちろん業務の時も)

長岡駅5番線 E129系B22編成 この列車で新潟へ・・・えちごツーデーはトキ鉄の市振から羽越本線府屋、上越線は宮内~越後中里間、磐越西線新津~野沢間、トキ鉄直江津~妙高高原間、上越新幹線新潟~越後湯沢間(新幹線料金は必要)他飯山線越後川口~津南、米坂線坂町~小国(現在バス代行 この切符の利用可否はJRにお尋ねください)只見線小出~大白川間 価格2800円 2日有効である。ワンデーきっぷが廃止されているのでこの切符もいつまで存続されるか不透明である。あまり先がないように思う。来年は運賃の値上げがありそれと同時か・・・・

東光寺付近  

列車は6連であり快適に移動。三条駅でかなり乗車し東三条で三条駅より少ない人数乗車があった。加茂で乗車が多めのほかは新津まで変動なし・・・新津からの各駅は乗車が多く立ち席発生。新潟車両センターにキヤE195が多数停まっていた。

新潟駅1番線 白新線 豊栄行き B16編成

新潟駅発車時は空席が目立つ。


 

新潟駅高架から・・紅白煙突は北越コーポレーション 上沼垂信号所から白新線に入ってやがて新潟貨物ターミナルの線路が見えてきて東新潟。


 新崎~早通間 阿賀野川  泰平橋を遠く望む その向こうは国道7号があり阿賀野川河口となる。左に新潟空港がある。現在新潟~大阪間の移動は空路が主流である。

豊栄駅改札口 糸魚川を午前に出て途中直江津の図書館で一息・・・16時台に豊栄に着く。この切符だと府屋~市振の日本海沿いの移動が可能。ツーデーが無くならないうちに行ってみたいものである。このあといなほ10号を捉えて乗ってきた編成で新潟に。途中駅で乗り込みが多数。わずか1分弱で直江津行き快速に乗車した。 

 

2025年8月25日月曜日

晩夏そして実りの秋へ


 2025年8月24日 EF510-513 3093レ  蒸し暑い晩夏の午後

E653系「しらゆき」8号 58M H02編成

炎暑が続いていても稲は黄金色に実りつつある。季節は収穫の秋へと移りつつある。残念なのは気温があまりに高温で野菜の不作が続いていることであろうか?


 

E129系6連普通列車 

水田の稲の色も黄金色となりすでに収穫が始まっている。作柄はどうなるのか?新米の価格は下がらないと考えられる。

 

2025年8月24日日曜日

お盆も終わって四季島が再び走り始めた・・・1泊2日コース

2025年8月23日 E001トランスイート四季島  信越本線 加茂
ゆったりと通過。日没が早くなってきたため2番ホーム上屋の影が車体にかかる。
長岡寄りには低い山が見えるが列車は保内まで山沿いを走り、そこから平野を突っ切って長岡に向かう。四季島は長岡には停車せず3番線と4番線の間の通過線を通るが18時を過ぎてかなり暗くなっていると思われる。


2025年8月22日金曜日

羽越本線の駅~府屋

2025年7月12日 羽越本線 府屋
府屋駅上り線と跨線橋 この駅は特急「いなほ」停車駅

府屋駅の駅名標 背後に大きな建物が見える。

ひすいライン市振まで続く新潟県内の日本海沿いの駅。新潟県内で日本海に沿って走るのは羽越本線の府屋~村上間、信越本線の柏崎~柿崎間、えちごトキめき鉄道ひすいライン直江津~市振間である。越後線の関屋分水の橋梁や、えちごトキめき鉄道はねうまラインの二本木~関山間で遠く日本海を遠望できる。

1924年7月31日 羽越線鼠ヶ関~村上駅開通時に開業。1965年3月現在の駅舎に改築、1984年2月1日業務委託駅となる。(1月20日に貨物扱い廃止)1984年3月14日荷物扱い廃止、1987年4月1日JR東日本の駅となる。2022年3月11日「みどりの窓口」廃止、3月12日無人駅となる。現在の利用数は乗車が56名(1日平均)

この周辺は国道7号、府屋漁港、村上市山北支所 、村上消防署山北分署、ほか、金融機関や郵便局もある。新潟県北部の駅でありうみぞい駅としては糸魚川市市振駅と類似するが市振が難所を超えて切り離された場所にあることに対しこの駅は合併前の山北町の中心でとなりの温海町(現鶴岡市)にほど近い。また新潟県と山形県の県境はつぎの鼠ヶ関駅近くであるため場所によって県境が分かりにくいようだ。市振駅と異なり秘境ムードはほぼない。

個人的に県境駅で秘境駅的な場所は上越線土樽、米坂線越後金丸、磐越西線豊美、只見線大白川、だいたいこのあたりであろうか? 

 

松尾芭蕉 奥の細道

酒田のなごり日を重ねて、北陸道の雲に望む。遙遙の 思い胸をいたましめて、加賀の府まで百三十里と聞く。鼠の関を越ゆれば越後の地に歩行を改めて、越中の地市振の関に到る。この間九日、暑湿の労に神を悩まし、病おこりて事をしるさず。 

 

 この界隈の記述では出羽の鼠ヶ関から越後に歩みを進めた時点で心はすでに加賀の金沢にあり出羽から加賀への長移動中に憂いを見せているように記されている。途中病気を発症し越後でもあまりいい印象もなかったようで「荒海や佐渡に横たふ天の河」の句が出雲崎付近でよまれ、以降越後路の果て、芭蕉は厳しい親不知を抜けて市振にたどり着いたのでそこが越中だと感じていたようだった・・・・「一つ家に遊女も寝たり萩と月 」越後で詠まれた句はこの2つだけ・・・

芭蕉は遠く加賀金沢に思をはせながら日本海沿いに歩みを進んで行ったことに間違いないようだった。 

2025年8月21日木曜日

羽越本線酒田駅のオブジェクト(酒田機関区の模型ジオラマ)

2025年7月12日 羽越本線酒田  1番線  酒田機関区の模型
かつての蒸気機関車時代をイメージしたものか
扇形機関庫、転車台、蒸気機関車 ペーパークラフトらしいが精度が高い
酒田は北前船の寄港地 このような光景が見られた。庄内の米が北前船で津軽海峡や、北陸、山陰を経由して江戸や大阪に運ばれた。


 

現在の酒田運輸区のなごり。庄内総括センターとして2022年3月12日発足。酒田駅、鶴岡駅、酒田運輸区を統合したもの。

 

酒田の車両基地は1914年12月14日設置の酒田機関庫のち統廃合を行い1936年9月1日酒田機関区となって蒸気機関車1972年10月の電化完成後電気機関車EF81の基地となった。EF81は国鉄分割民営化直前の1985年3月長岡運転所に転属するが酒田機関区の札をつけて活躍をした。

1951年4月1日酒田客貨車区設置。客車の基地で1978年10月には新潟鉄道管理局で最初に50系客車が投入された。

1986年3月3日 酒田機関区と酒田客貨車区を統合して酒田運転区、国鉄分割民営化後JR東日本に移行後の1989年10月16日酒田運輸区となった。

1989年7月1日  客車列車廃止で50系は転出して配置車両はなくなった。

酒田機関区の区名札は「酒」 客車の表記は「新サカ」であった。

今は規模も縮小したがかろうじてわずかに残る車庫に往年をしのぶことができる。 

2025年8月20日水曜日

羽越本線 交直切り替え地点

2025年7月12日 羽越本線 村上~間島間 切り替えの文字が

 村上駅を出て少し行った場所に直流1500Vと交流2万V 50㎐の切り替えデッドセクションがある。

電源切り替えはEF510牽引貨物列車とE653系「いなほ」のみ。普通列車はすべて電気式気動車GV-E400の運転であり 架線電流の切り替えが問題になることは無い。

2025年8月19日火曜日

えちごトキめき鉄道はねうまラインの駅~南高田

2025年8月9日 えちごトキめき鉄道はねうまライン 南高田
ホーム1面の簡易な駅 

はねうまライン(直江津~妙高高原間)は南高田駅のほか交換できない駅は春日山、北新井の2駅となっている。

南高田駅は駅舎の前に踏切があるどこか私鉄風味の駅である。1961年12月10日に設置された請願駅で当初は気動車のみ停車の駅だった。(設置理由が磐越西線の堂島、笈川、会津豊川、姥堂などの小駅に似ている)

市街地に近く学校や金融機関もある駅で2024年時点で1日790名ほどの乗車がある (WIKIから)

2025年8月18日月曜日

GV-E-400 秋田色


 2025年7月12日 奥羽本線 秋田 GV-E400‐9 秋アキ 1654D

五能線から東能代そして奥羽本線普通列車1654Dとして秋田まで戻ってきたGV-E400‐9

このあとは車両センターへ回送される。

このGV-E400の運用は奥羽本線の新庄~院内間でも運用される。この区間も災害復旧に当たり電化設備を廃止して非電化路線として今年の春運転再開をしている。

秋田駅周辺も日中は電車またはEV-E801系だけと思ったら気動車の姿も見ることができた。

五能線も一度は揺られてみたいがかなうときはあるのか・・・・ 

2025年8月17日日曜日

盆の終わり

2025年8月16日   E653系「しらゆき」6号 

かつてお盆の頃は帰省客のための列車が多数増発されていたがそれは過去のものとなった。

普段通りの時間が過ぎていくだけ。特急「しらゆき」も乗客は少ない。かつて多数運転されていた特急も首都圏と北陸の輸送を担うためのものにすぎずそれが北陸新幹線へ移行してしまい日本海縦貫線は貨物列車の路線となった。その貨物列車も決して多い本数ではない。

それでも鉄道が走っていることは非常にありがたく感じる。何かを望むのではなく常に感謝をしつつ乗ったり眺めることになる。 鉄道は今後地方路線は縮小していくことは確実である。もはや公共交通が生き残れるのは大都市圏だけになると考えられる。

夕方のNHKのニュース番組で新潟県内の鉄道旅が再放送されていた。

羽越本線、越後線(吉田~柏崎間)、大糸線(糸魚川~平岩間)いずれものどかなローカル線であり1両から2両の短編成が行き交うだけ。女性キャスターと沿線住民が触れ合う光景は楽しそうに見えるがこれら路線は経営実態はもはや予断を許さない現状が映し出されていた。 

 

 

盆だからと言って会食をすることもなくなった。普段通りのルーティーンで生活するだけ。

お盆参りに来た客も仏前に手を合わせると短い歓談をし次の家に向かう・・・

静かな時を過ごす盆であった。(さすがに最後の客が帰った後は疲れが出てきた)

盆最終日はこづゆを温めて食べた。会津地方の料理で国道49号線の福島県内の道の駅で買ったもの。

商品の 包装の写真はのっぺに似ているみたいだが当地の「のっぺ」とは異なった味わいだった。 

2025年8月16日土曜日

四季島はお盆は走りません~E001トランスイート四季島

2025年8月9日 E129系4連 3374M 直江津行き快速
9012M 上り四季島 水田地帯をゆっくり通過
E001

 側面に西日を受ける。

 

週末の楽しみである「E001 トランスイート四季島」お盆は走りません。

かつてお盆期間は多数走る帰省関連臨時列車や同時期に運転の甲子園応援列車を追って出歩いていたがもうそんなものはどこにもなく、今はお盆にやってくる「盆参り客」の対応やそれに関連する準備に追われ、それがすむと急に疲れてしまう。線路派と言えば貨物列車は軒並み運休。この時期は人並みに体を休めている。 

7月後半に暑い日が続くと8月のお盆頃は天候が悪化することが多くぐずついた盆を過ごした。

マイナンバーカード更新に市役所に出ていくと大勢の人混みが・・・手続きはそれほどかからないが人が多すぎて待たされた。図書館も観光地状態・・・・しかたなく田舎の分館へ。

ここはゆったりすごせちょっと気になる本を借りてみた・・・・ 

2025年8月15日金曜日

信越本線黒井で見かけたかまぼこ型コンテナ

2025年8月9日 信越本線黒井 コキ104
 

大同特殊鋼のカマボココンテナに遭遇。4095レの最後部に連結され、富山貨物を出る写真が出回っているが当地で見かけたことは無い。どこで切り離していると思ったら黒井貨物駅だった。

この日は貨物列車は大幅遅れであり東光寺付近でEF510-21 3093レ? 南長岡でEH200-3の2088レ (定刻)EF510-2 パンタグラフおろした状態で構内貨車には反射板装着済み

黒井ではEF510-509銀ガマが入れ替えをしていたが・・・ 

ほかえちごトキめき鉄道ひすいラインでEF510-(赤)クロネコヤマトコンテナありの遅れ4061レとすれ違った。日本列島を襲った豪雨のためで、異常高温から豪雨災害と自然災害が連発する夏である。お米の作柄もあまりよくなさそうで高額になるかもしれない。 

お盆は貨物列車から解放されて役所に行ったり墓参りしたりして過ごす。 

2025年8月14日木曜日

越後線の駅~上所 それにまつわるお盆のおはなし


2025年3月29日 越後線 上所 今年開業した新駅。

駅名標 この駅が開業した事で新潟駅方面への混雑が解消した。
改札口

 新潟駅方向 跨線橋からの俯瞰アングルが有名。 

新潟駅に向かっての上り勾配

 特徴のあるベンチ

路線図

 乗り換え口


 エレベーター 

通路

 モダンな外観の駅舎 近代化されつくした無人駅 乗車利用は1日およそ4000人程度。柏崎より多い。

駅前はまだ整備途上でしばらく完成まで時間がかかると思われる。上所駅は現状では住宅地の秘境駅だが今後の発展に期待。 

整備途上のためか新潟まつりでは利用を控えてほしいという案内がされた。

さて当方の親族の新盆が菩提寺で営まれ大勢の参列者でにぎわっていた。読経の後は法話であるが、今回の担当は中央区上所の真宗寺院の住職であった。

上所駅の開業を大いに喜んでおられた。

さて、法話でお盆参りのことが出てきたが、この地域ではお墓参りに来た門徒(檀家のことで真宗ではこう呼ぶ)の墓前で読経をするという。嘆仏偈とい短いお経を唱え供養とする。 新潟県央の筆者のところでは寺の住職以下が13日に門徒を回って読経を行うのであるが同じ真宗でも場所によって違うということを認識するのだった。お墓の前のお勤めも一家総出で子供たちも読経を行って盆の始まりの繁忙期をしのぐという。