2019年8月31日土曜日

EF641017牽引の20系寝台車急行「天の川」

1984年2月 上野に着いた寝台急行「天の川」 EF641017牽引寝台車は20系。
列車は狭い寝台だったが下段だったのであまり狭さを感じなかった。
雪の有る長岡~水上の区間は静かだったが雪がない渋川付近になると走行音がうるさくなり目が完全に冷めてしまった。

EF641017は新潟~上野間を牽引 
寝台急行「天の川」は1985年3月14日の東北・上越新幹線上野開業で役割を終えて上野~酒田間の臨時列車のみになり運転も年末年始やゴールデンウイーク、旧盆のあたりの運転となった。

2019年8月30日金曜日

中央本線高尾駅の201系と115系

2001年8月17日 中央本線高尾駅 都会と山岳地帯との接点。115系は松本から立川まで。201系は東京~高尾、青梅線、中央本線大月・河口湖が主な運用区間だった。
高尾の天狗と201系、115系横須賀線色。

2019年8月29日木曜日

東北本線115系

2001年8月16日 東北本線 115系の通勤電車が首都郊外へ向かう。
当時はまだ多数の115系が走っていたがこの頃からE231系の増備が進んで引退していった。
115系は上野~高崎線、東北線で通勤時間帯は15両編成が多数走っていて乗客で大混雑していた。

2019年8月28日水曜日

大糸線 大糸線色の気動車

1988年8月14日 大糸線南小谷 右手はキハ58、左手はキハ52とキハ58国鉄急行色!
糸魚川から乗ったのは急行色編成で、車内販売が来たのを記憶している。
洗練された塗装とは言えないが国鉄色を廃して新たな塗装を導入したことは新時代を象徴する出来事だった。当初は編成が長めだったが年々縮小し現在は単行が主力となっている。(このころでも3両は長すぎのようで利用者は多くなかった)

2019年8月27日火曜日

文豪たちの鉄道旅3

2019年8月19日 上越線浦佐付近 (上越新幹線から)
 上越線は1931(昭和6年)年9月1日開通。
全通に伴って長岡市では「上越線記念博覧会」が開催された。
長年の悲願だった首都への大動脈を手中にした。

水上滝太郎 「出張日記」 小説、評論、劇作家。
9月25日
上野9時~~長岡16時 長岡館で御馳走とありそのあと長岡市の大野屋で一泊
9月26日 西長岡より長岡鉄道で地蔵堂へ(大河津経由?)
大河津分水見学 長岡鉄道はまだ電化されていなかった。
地蔵堂から東三条までは自動車で移動信越本線で新潟へ。
萬代橋たもとの「しのだ」旅館で1泊(現在廃業)
新潟市古町の料亭行形亭(いきなりや)で会食。
9月27日
新潟~~長岡~~~上野の経路で帰京。

1941年(昭和16年) 歌人「斎藤茂吉」の旅
斎藤茂吉は「アララギ派」の歌人

4月24日上野8時~~~新潟14時30分 白山公園、万代、小林デパート見学など
新潟市の室長旅館に宿泊
4月25日 佐渡へ (佐渡汽船) 出港前に本町朝市見学
4月28日 両津8時10分新潟12時30分~~弥彦・・・・みの屋旅館(現在も盛業)
4月29日 弥彦10時40分~~新潟12時15分 新潟14時07~新津14時44分
坂町15時49分~~~山形県へ
当時は白新線はなかった。




2019年8月26日月曜日

文豪たちの鉄道旅2

有島武郎の旅~大正の磐越西線
2016年5月5日 磐越西線 後藤新平の「宝蔵興焉ほうぞうこうえん」の碑
1914年(大正3年)11月磐越西線郡山~新津間全通!(当初岩越線)
全通により新潟~上野間に直通列車が2往復。(昼行1 夜行1)
信越本線経由より急こう配区間が少ないため時間短縮となり磐越西線が上越線開通までの間新潟~東京の輸送を担うこととなった。

有島武郎は「或る女」「カインの末裔」などの名作がある。

1922年(大正11年)7月 「出張日記」の旅
7月1日上野21時40分 東北本線、磐越西線経由で7月2日10時に新潟に。
2等寝台車利用。

その日は新潟市内のイタリア軒で歓迎会。古町の「大鶴座」で講演会、宿泊は西堀4番町菊屋で1泊(イタリア軒は大正時代はイタリヤ軒という名称)
7月3日新潟19時5分の磐越西線列車で帰京

今はイタリア軒はホテルもあり盛業中である。

2019年8月25日日曜日

文豪たちの鉄道旅


新潟市新津鉄道資料館で「鉄道で旅する新潟~鉄道旅行と観光列車~」という企画展が開催されている」(2019年9月2日まで)
先日見学したのだが興味深いものがあったので紹介したい。

森鴎外の旅 1882年(明治15年)山椒大夫などの名作で知られる鴎外は当時軍医であり、その年の2月13日から3月29日にかけ東京から古河、栃木、太田、前橋、安中、追分、上田、川中島、長野、牟礼、関川、高田、柿崎、青海川、柏崎、妙法寺山、長岡(ここで3月11日)新潟、新発田 新発田、新潟、長岡、五日町、六日町、三俣、三国峠、渋川、高崎、東京(3月29日着)
ほぼ徒歩と考えられるが一部区間蒸気船など利用。
利根川水系が通運丸、信濃川が豊丸、安全丸、通船川、加治川も舟運利用。
峠区間は馬車の記述もあった。(軽井沢付近)

経路はざっくり東北道、北関東道、上信越道、北陸道、日東道、関越道の各高速道路をイメージ。
鴎外の旅の目的は北関東と信越地方の徴兵に関する用務とされる。

鉄道は1893年(明治31年)12月に北越鉄道が開業し関東と新潟県が結ばれる。
それ以前は厳しい徒歩中心の旅だったようだ。
2018年8月13日 碓氷峠鉄道文化むら ラックレール模型

尾崎紅葉 1899(明治32年)年7月 療養のための旅行。
経路は日本鉄道、官設鉄道直江津線

尾崎紅葉は名作「金色夜叉」で知られている。

7月1日上野6時(日本鉄道線=今の高崎線)高崎(官設鉄道)田口(今の妙高高原)17時
人力車で赤倉鉱泉泊 香嶽楼2泊

主な記述
2019年8月19日 JR東日本上野駅

上野駅で水害のため田中以北は不通の掲示
日本鉄道車内で熊谷名産の御家宝を食べる
官設鉄道は車両が汚く取り扱いが不親切
アプト式に言及




2006年8月5日 信越本線妙高高原駅(旧駅名 田口 )現えちごトキめき鉄道


7月3日は田口(7時53分)~直江津~人力車~春日新田9時35分~沼垂15時10分(新潟泊)
2017年5月5日 信越本線 右手の単線トンネルが北越鉄道で造られたもの
米山峠のトンネル
長岡以北の水害に言及
*この時代未だ沼垂までで新潟までは1904年5月3日に開通。また1907年8月1日には鉄道国有法により国有化されている。譲渡額は7,776,887円

7月8日に佐渡へ

令和の今 同じコースをたどると
上野5時43分~高崎~横川バスで軽井沢~(しなの鉄道線)長野~(しなの鉄道線)妙高高原11時26分
今も新幹線開業により一部廃線や経営分離でJRと第三セクターに分かれてしまったが高崎から妙高高原は信越本線だった。
時間的には普通列車のみでも大幅時間短縮でまるで急行で移動したような感じになる。

*北越鉄道は客車はすべて2軸車で売店付き客車があった。座席は1等、2等がロングシートで3等がクロスシートだった。
機関車は重油専燃式が主流だった。
参考 国会図書館デジタルコレクション




2019年8月24日土曜日

EF6644 寝台特急「さくら」

1994年5月 東海道本線吹田信号場 大幅遅れの寝台特急「さくら」EF6644〔関〕牽引14系寝台車。終点東京まではまだ前途遼遠。

2019年8月23日金曜日

車販が来ることはなかった・・・

2019年8月19日 MAXとき302号 4号車の売店すでに営業はしておらず列車内では何も買うことができなかった・・・

2019年8月22日木曜日

EF8195~田端操車場

2019年8月19日 田端付近 新幹線MAXとき302号から。新幹線車両基地の彼方にEF8195が停車していた。久しく見なかった機関車である。
遠くから見てもよくわかる機関車である。
この日EF8195は工事用車両を牽引して新潟県へ向かった。

2019年8月21日水曜日

E4系MAXたにがわ321号+MAXとき321号

2019年8月19日 越後湯沢 MAXとき321号とMAXたにがわ321号の編成切り離し作業。
わずか数分の間に切り離しがなされる。新潟行きは9号車から16号車のMAXとき321号の8連である。団体客が多く混んでいた。

2019年8月20日火曜日

東京メトロ 日比谷線 

2019年8月19日 東京メトロ日比谷線 六本木 東武鉄道直通の東武動物公園行き列車。
ラッシュ時間帯が終わった後も混みあっていた。首都のダイナミズム。

2019年8月19日月曜日

ラッシュの上野駅

2019年8月19日 上野駅 地平ホームは常磐線特急E657系と東北線・高崎線のE231系、高架ホームはE231系常磐線 到着した列車からは多くの人々が。首都のラッシュ時間帯のすさまじさ。ただ9時近くでありピークは過ぎていた。

2019年8月18日日曜日

色づく水田

2019年8月14日 E129系 越後線
早稲米はそろそろ稲刈りが近い。

2019年8月17日土曜日

115系N31編成

1995年 信越本線の下り普通列車425M 115系3両編成が3つ連なる長大編成。
新潟よりにつながっていたのは115系N31編成。当時のJリーグジェフ市原の応援電車だった。(スポンサーがJR東日本と古河電工〉
ユニフォームそのままの塗装で登場したがなぜか短期間で塗装変更されている。

2019年8月16日金曜日

サロ169-12

1980年11月2日 165系のグリーン車サロ169-12 
今年はグリーン車登場50周年。等級制運賃を廃止してモノクラスとし別料金として利用できるようにした。

グリーン車も運用の都合で料金が不要の時がありその時は狙い目。
筆者が一番最初に乗ったのは高校時代1970年代最晩年、梅雨末期の水害で運用が乱れて165系急行の編成が普通列車に入ったことだ。
 165系グリーン車のサロ165は料金不要の通勤仕様になっていたのでシートカバーはなかったがそれ以外の設備は使えた。リクライニングを倒しフットレストに足を置いた。初めて乗る現役グリーン車に興奮した。今となっては貴重な記憶である。

2019年8月15日木曜日

EF6019とEF551

1999年6月 高崎機関区 JR東日本の電気機関車も同じ構内に待機。EF551はパンタグラフを上げて前照灯も点灯しているが動くことはなかった。

2019年8月13日火曜日

蒲原鉄道保存電車とところてん~短い夏休み

2019年8月12日 新潟県中心エリア鉄道整地巡り終点は蒲原鉄道保存車
冬鳥越 モハ1 午後になって蒸し暑くなってきた。
木造車モハ1と最後まで現役だった半鋼製モハ61 
モハ61内部

草生してむさくるしいがここの電車たちも現役時代の記憶をよく伝えてくれている。
この地に生まれて今は首都圏から来られた家族連れ様が懐かしんでおられた。
七谷の旧郵便局 今はカフェとして使われているが長期休業の張り紙が・・・
お目当ての善作茶屋・・・初夏から秋の営業 ところてんが名物。
水で冷やした缶飲料やゆでたまご、瓶飲料など・・・
お座敷も完備!そして駐車場も。さらに加茂氏の市営バスのバス停もある。
蒲原鉄道の電車は加茂川をはさんだ対岸を走っていた。その当時の写真が飾ってあった。
お品書きと駄菓子など・・・以前NHKの取材も受けたようだ。担当は現在のニュース7の女性キャスター。
名物のところてん・・・酢醤油とからし 箸は1本で食べる。300円税込み!
蒲原鉄道が走っていたころは電車を見ながら味わうことができた。
この区間の廃止は1985年4月1日。もう34年の歳月が経過した。
お店の人と歓談して後にした。

加茂川のでは水遊ぶを楽しむ小学生が・・・・遠い夏の日の記憶がおぼろに脳裏に浮かんだ・・・











真夏の新津鉄道資料館~短い夏休み

2019年8月12日
新津鉄道資料館にて 485系クハ481-1508 
復活したC57180の「ばんえつ物語号」とおもったが祝日にもかかわらず運転が無いので鉄道資料館へ。
ここで室内で企画展示の「鉄道で旅する新潟 ― 鉄道旅行と観光列車 ―」が行われていた。明治以降令和の今までの鉄道旅行のあゆみが記されていた。
展示品では懐かしいカヌ座=新潟支社所有のお座敷列車の表示灯やお座敷列車やNO.DO.KAなどの記録写真、DD51(東新)牽引の12系野沢臨などの解説、新潟県を訪れた文学者たちの鉄道利用の行程、1984年の選抜高校野球出場校の運転データ、沿線案内などが展示。

鉄道友の会コーナーは只見線で地元S氏の写真が蒸気機関車から現代までほか季節を走る列車たちも会員各氏の力作多数だった。
ビデオは只見線のC11325牽引の旧型客車と真冬の除雪列車。
35度以上の猛暑を除雪映像を見て過ごすのもいいかも。6か月後は豪雪の中にいるのだし・・・

上越新幹線の確認車 夜間の保線作業を終えた後異常がないか検査をするために走る車両。早朝で車体も小さく目にするのは難しい。平成後半に造られたがすでに廃車になってもう展示されている。後ろに写るDD14よりも短い生涯だったが展示されることで親しみを持ってもらえるであろう。
ついこの間まで主力の115系 クモハ115-1061(N15)
入り口付近にはエアコンがあって涼しいが場所によっては暑い箇所も。
車内には115系を写した作品が多数ある。じょっくり眺めて撮影方法を研究するのもおつなもの。
家族連れ様が見学中で思い出すのは高校時代の通学電車だろうか・・・・
筆者も若いころ通学は言うに及ばず撮影地上越線方面の移動や新潟市への買い物など日常的な移動に使っていたことを思い出す。
昭和53年(1978年)に導入当初は冷房はなかったが昭和(1980年代)より一部冷房化がされ平成になってしばらくたった平成5年(1993年)冷房化が完了した。
今思い出すのは暑い夏窓を開けて乗っていたことだ・・・・
したがって急行型の165系がうらやましくてしょうがなかった・・・
485系 クハ481-1508の運転台
公開されていたので見学を(今回は客室にはいれるだけでも良かったのであるが)
家族連れ様が多数お待ちなので2~3分で撮影して退室。電車の運転台を除く機会もないので皆うれしいのでは・・・
係員様の解説はありませんでした。
クハ481-1508(T18)内部 北海道旭川~九州鹿児島まで走った猛者!
晩年は特急「北越」で活躍。115系より485系の方が一般受けするようだ。
めったに乗れない特別な列車だからか・・・・
485系の短い6連では猛暑の日本海側を走る羽越本線特急「いなほ」で新潟から青森まで往復したのが懐かしい・・・・6時間越えの長い道のりだった。
ミニSLは運休になりました。車両不具合のため?猛暑のため?





2019年8月12日月曜日

さるすべり~短い夏休み

2019年8月12日 月潟駅 さるすべりがみごろ!
今日は山の日の振り替え休日に付き休み。遠征はできないので近所の鉄道の聖地をぶらりと眺めることにした。
キ116 秋の字は消去されていよいよ本来の新潟交通社紋を記すのであろうか?
秋の字は試験的に書いてすぐに社紋にするはずだったが週末に悪天候が続いてできなかったとの事だった。
キ116とモワ51、モハ11 キ116は再塗装中らしくすべての文字が消去されていた。
月潟駅舎・・・
さるすべりと信号機

春の桜、夏のさるすべり、初秋のコスモス、晩秋の紅葉と季節を彩る花に囲まれる旧新潟交通の電車たち・・・





2019年8月11日日曜日

弥彦線の115系各種~臨時快速弥彦山ナイトクルーズ

2019年8月11日 115系N40編成 226M 吉田経由寺泊行き
黄色みが刈った水田は早稲米。8月下旬には刈り入れが始まる。
雲がかかる弥彦山を背に柏崎からの227M 115系N38編成とN37編成
115系N36編成 臨時快速「弥彦山ナイトクルーズ」
新潟から信越本線・弥彦線経由で運転。弥彦からは弥彦山山頂へあがって越後平野の夜景や日本海に沈む夕日さらに天体観測を楽しむイベント。ヘッドマークは弥彦山からの夜景が描かれていた。
信越本線の115系N38編成 3374Mは新井行き快速
ちょうど居合わせた農家の方と雑談。台風が近づいているので水田の管理が大変との事だった。かつて(今から60年くらい前)は10月頃杉の葉が台風で落ちてそれを拾い集めて市で売ったことがあったとのことだった。貴重な燃料だったようだ。






2019年8月10日土曜日

EF641041とEF6556

1999年6月 JR高崎機関区 鉄道愛好団体の行事に参加して・・・
EF64はこのころは国鉄時代の色だけだった。後ろにはEF6556が見える。
茶色車体であるが国鉄時代のEF65に茶色のものはなくどういった理由でこの塗装が使用されたのかは不明である。

2019年8月9日金曜日

DD53と185系

1995年7月 長岡運転所にてたたずむ。DD53と185系電車。185系電車は快速「くじらなみ」として午前に関東から日本海を目指し、終点柿崎から長岡に回送されてきたものである。午後柿崎に回送されてその後関東に戻る運用となっている。
いっときは185系で運転されていたが2000年代の一時期165系で運転され165系が全廃後は183系で運転されたこともある。

2019年8月8日木曜日

421系 マイタウン

1985年12月 鹿児島本線 421系8連のマイタウン。 関東では姿を消した初期型の421系が元気に走っていた。しかしその活躍も国鉄の分割民営化前までだった。

2019年8月7日水曜日

特急「はまかぜ」

1991年8月16日 播但線を走る大阪方面特急「はまかぜ」181系気動車を8連連結し紫煙を噴き上げて通過していった。国鉄型特急の意地を思わせた一瞬。