2023年4月30日日曜日

キハ48523 磐越西線


 1999年4月29日 磐越西線 新関付近

この日ばんえつ物語下り新津行きを待っている際に先行してやってきたキハ48523ほか40系気動車5連。このころは気動車5連が当たり前に見られた。これ以降年を追うごとに編成は短くなっていくが。この列車は新津と馬下の区間の夕方の通勤通学向けの列車だった。退勤者を乗せて各駅に届ける重責を担っていた。

現在キハ40系はなくなり、GV-E400の4連がその使命を引き継いでいる。

2023年4月29日土曜日

代掻きが終わった水田と新緑の塚山峠~485系「雷鳥」


1990年5月 信越本線 長鳥~塚山間 485系〔上沼垂〕 4013M

柏崎から開眼を離れ信越本線は平野を目指す。長岡に向かう間に小さな峠越えがある。塚山峠で信越本線の前身「北越鉄道」はこの区間の工事で資金を使い果たし、新潟駅まで乗りいれることができなくなったと言われている。

複線電化の線路は塚山トンネルで一気に峠を貫くが明治の頃の土木技術ではトンネル工事は厳しいものであった。現在も旧線のトンネルが残っている。

画像は並行する道路で塚山峠を越えてきて長鳥駅を見下ろす見晴らし台から。新緑の山峡と水田、代掻きが終わって田植えを待つばかり・・

長鳥駅は秘境駅の風情があるが駅前には人家が多数あり、この画像撮影の頃は商店もあったように記憶している。平野部の東光寺と同等レベルだったようだ。

特急「雷鳥」はグレードアップ編成となり収容人数を担保しなければならない自由席はそのままだったが指定席は座席が改善されハイデッカー構造となっていた。この区間多くの乗客でごった返し長岡で上越新幹線に乗り継ぐ混雑区間。それは1997年3月の北越急行開業前まで続いた。

2023年4月28日金曜日

EF6442〔長野〕信越本線


 1986年10月 信越本線 EF6441 〔長野運転所〕

EF64一般型が信越本線に姿を見せるようになったのは1985年11月。以降臨時列車牽引で各地のEF64が現れるようになった。長野運転所には41号と42号が在籍し、時折現れていた。

現在直江津で信越本線は切られ、長野方面も北陸方面も直通が無くなり信越本線の宮内~直江津間もローカル線になってしまった。他の線区からの旅客列車の入込はなく、まして機関車牽引の客車列車などありえないこととなった。

 現在の信越本線宮内~直江津間は輸送密度も2000人台まで落ち込みこれは国鉄時代の廃止基準と同じになってしまった。

2023年4月27日木曜日

583系「はつかり」


2000年8月15日 青森 583系

臨時「はつかり」 すでに583系の定期運用はなかったが多客期に運転がされていた。新潟から485系「いなほ」で6時間かけて青森駅に到着。出迎えてくれたのはこの列車だった。

 

2023年4月26日水曜日

建築限界測定車オヤ311

1985年6月 DE10に牽引されて建築限界測定車オヤ311が運用された。

1949年スロハ3149を改造し、ワイヤー式腕木で測定し、1966年牽き棒式に改造。1987年1月廃車。ながらく保存を目的に新津車両所の敷地に保管されていたが新津車両所の車両新造工場への移行に伴い保管場所を失い解体されてしまった。

2023年4月25日火曜日

ED771 会津若松


 1983年3月 会津若松構内での入れ替え 

新津からDD51牽引客車列車で会津若松に到着すると交流機関車ED77や455系急行ばんだいの姿があり、東北地方に来たことを実感した。磐越西線非電化区間は郡山所属の客車列車のほか新潟のキハ35、キハ45なども使われていて会津若松はちょうど信越と東北の結節地点を印象付けた。

ED771は国鉄末期に余剰車両となり廃車されJRには引き継がれなかった。現在は解体されて現存しない。

参考資料 沖田祐作著機関車表から

 ED771 日立製作所水戸工場=194091-1 1967-05-12 E75.0tB2B(1067)
車歴;1967-05-12製造→納入;国鉄;ED771→配属;東北支社→配置;福島→
1987-02-07廃車;福島→保存;宮城県利府町「JR東日本利府駅」;ED771→2005-03-00移管保存;宮城県利府町「仙台総合車両センター」;

2023年4月24日月曜日

盛夏加治川~EF81111長岡

1991年8月 羽越本線加治川橋梁 EF81111牽引3780レ

化学薬品主体の専用貨物列車。EF81もタンク車も今はない。2008年のダイヤ改正で廃止された。

EF81111は僚機152とともに赤色2号に塗装された。当時は目立つ存在だった。

参考資料 沖田祐作著機関車表から引用

 EF81111 日立製作所水戸工場=10310-1 1974-08-29 E100.8tBBB(1067)
車歴;1974-08-29製造→納入;国鉄;EF81111→配属;関西支社→
1974-08-29配置;敦賀二→1984-02-01富山二→1986-11-03長岡→
1987-04-01JR東日本;EF81111→配置;長岡運転所→
1997-09-05改称;長岡運転区→2003-08-06廃車;長岡運転区

2023年4月23日日曜日

朝霧のED77牽引50系客車

1990年5月6日 ED7715 磐越西線 磐梯町

会津盆地の霧はこの付近まで及んでいた。気温差のある春はこのような光景が見られる。

郡山行き上り普通列車が霧の中から現れた。ED7715に牽引された50系4連。

 参考資料 沖田祐作著機関車表より引用

ED7715 三菱重工業三原工場=1784/990=三菱電機 1970-04-28 E75.0tB2B(1067)
車歴;1970-04-28製造→納入;国鉄;ED7715→配属;東北支社→1970-04-28配置;福島
1987-04-01JR東日本;ED7715→配置;福島運転所→1993-09-07仙台電車区→
1993-11-01廃車;仙台電車区

2023年4月22日土曜日

残り僅かな残雪の磐梯山を背に~ED7715


 1990年5月6日 磐越西線 磐梯町 

ED7715(福)牽引50系 郡山行き普通列車

春から初夏に移り変わるころ、快晴の空とわずかに雪が残る磐梯山を背に走る。うららかな春の陽気の磐越西線。この日は磐越西線に「サロン会津路 」14系欧風サロンエクスプレス東京の臨時列車を目当てに訪れた。ED7715は当該形式の最終番号機。50系は4両中トイレ付緩急車のオハ50が3両はいる編成だった。客車ではJRマークは緩急車と電源車に貼付されていた。(欧風客車などイベント車は違う規則のようで貼付されていないものも多かった)ED77はJRマークが省略され奥羽本線EF71もなかった。

この日は貨物の運転はなかったが快速あがのは新津のキハ5連が郡山まで運転され急行色と新潟色(115系N37編成色)の混色だった。サロン会津路撮影後猪苗代の書店で「磐越西線」という書籍とアーネストヘミングウェイの遺作「エデンの園」を見かけたが帰りのガソリン代の関係で買うことができなかった・・・・「磐越西線」の書籍は後年入手、アーネストヘミングウェイの遺作「エデンの園」も入手できたが1961年に亡くなってから30年近くなってまだ作品が出版されたことに驚いたものだった。

2023年4月21日金曜日

169系第一次信州色~上沼垂

1995年4月 上沼垂運転区

並行する道路から169系が見えたので・・・この編成は車両不足で借り入れたものだった。この年E127系の導入が開始され、165系も検査が切れたものから廃車になっていった。その間のつなぎとして169系を長野から借りてしのいでいた。

169系は165系の碓氷峠対応車でEF63と強調運転できる車両。長野~上野間の急行「信州」などで運用された。

2023年4月20日木曜日

167系海水浴臨時列車

1992年 信越本線 長鳥付近

167系4連の海水浴臨時列車。7月の後半から8月上旬の運転で信州や首都圏から日本海沿岸に多くの海水浴利用者を乗せて臨時列車が運転されていた。

この編成は信州から日本海を目指す「スカイビーチ」で 小諸~柏崎の運転。167系は田町電車区所属。

167系は修学旅行電車として知られたがいったん湘南色となったあと画像の塗装に変更。車内もリクライニング席となっていた。クハ167の前面も補強がされたりライトが旧型前照灯の台座を流用したものがあった。167系「スカイビーチ」は当初湘南色の編成だったが1990年代に改造車に変わった。
 

2023年4月19日水曜日

115系変形車

1995年6月 山陽本線 先頭クハ115はクハ111からの改造車、中間の2両は2つ扉の3500番代車で117系からの改造。
クハ115の600番代 ライトが原型でまるで115系にグローブベンチレーターのある初期車のようなスタイルだったが1984年度改造のクハ111からの編入車。

山陽本線岡山付近は画像の115系変形車(600番代)が 多数走る路線で見ていて飽きることが無かった。

2023年4月18日火曜日

117系サンライナー~梅雨入り前の山陽本線

1995年6月 山陽本線 庭瀬~中庄

117系サンライナー 岡山~福山間を結ぶ都市間連絡快速列車。1989年3月11日SUnライナーとして運転開始。115系と213系が用いられた。117系が導入されたのは1992年のこと。京阪神の頃とは異なる塗装で快速運転の使命を担っていた。30分に1本の運行。2016年に画像の塗装から黄色1色となり2021年に大幅減便、2022年ダイヤ改正で運転が終了。

この列車は都市型ワンマン列車とされ車内では運賃の収受を行わなかった。自動改札機が設置された駅のみに停車する処置がとられていたためである。

山陽本線も岡山から福山の区間は人口も多く人の移動も旺盛に行われて列車者利用も多かった。

2023年4月17日月曜日

381系やくも

1995年6月 伯備線 上り岡山行き

先頭はクモハ381 中間車の先頭車改造で前面に関通路があり多客時に増結がされた。

紀勢本線の特急「くろしお」用の485系にもクハ481に同様の仕様がある。

2023年4月16日日曜日

さみだれやくも

1995年6月 山陽本線 庭瀬~中庄 出雲市行き「やくも」

岡山から出雲市に向かう381系「やくも」4連に編成が減車されたがグリーン車サロ381が健在な頃。伯備線では振り子運転をするためパンタグラフを2上げて高速運転に供えていた。

閑散期のため4連や3連の特急であり物足りない印象だった。しかし繁忙期には編成が増結された。

田植が終わったばかりの水田地帯と特急「やくも」ほかに貨物列車が頻繁に走り115系や103系の普通列車、117系快速サンライナーもあり大動脈風格の衰えない山陽本線で初夏のひと時を過ごした。
 

2023年4月15日土曜日

スハ402102

1985年2月 北陸本線

1950年10月18日 日車、1960年3月30日土崎 オハ36102に改造、1963年5月30日長野工場スハ402102となる。用途廃止は1985年ダイヤ改正後。

スハ42は35系客車の一員だったがオハ36に改造する際 車内も一新され43系と同等となった。軽量化で一旦はスハからオハになったものの電気暖房改造でスハに戻った。

1950年の落成時は大阪の宮原客車区に置かれ、その後1952年に品川に移動、1953年新潟に転入し長岡、酒田、新津の各区を渡り歩いた。

 

2023年4月14日金曜日

もう桜の季節は終わった


 2022年4月19日 国道17号線 妙見 信濃川とソメイヨシノ

2022年4月13日 EH200‐21 2071レ

桜と電機 多くの人に好まれるであろう組み合わせ。列車と桜は相性がよく多くの作品を見ることができる。

もう桜は全て散ってしまい来年の楽しみになってしまった。今年はEH200と桜の組み合わせは実現していない。
 

2023年4月13日木曜日

雨に散る桜

2022年4月19日 小千谷市高梨 セメントプラント脇の道 鋪装が切れたあたりに魚沼線高梨駅があった。1984年4月1日魚沼線廃止。あれから30年以上経過し線路跡もわからなくなりつつある。セメントプラント脇に桜の木があり花びらが道路に散乱していた。

2023年の桜は3月下旬爆発的に開花しすぐに散っていった。
 

2023年4月12日水曜日

魚沼線西小千谷キハ47

1983年6月 魚沼線西小千谷  125D~126D

朝の魚沼線列車。来迎寺から121D~122Dで西小千谷往復後、123D~124Dで片貝まで、125D~126Dで西小千谷往復したのち来迎寺から長岡へ回送され機関区で待機し夕方再び回送されて129D~130D、131D~132Dと走り長岡に回送。客車列車1323レ最後部に連結されて新潟に回送する運用。朝の列車は前日の急行「うおの」に連結され長岡にて切り離して機関区取り込みであった。 1983年の時点では十日町快速、信越本線下り普通455Dに変更されている。画像の西小千谷は小千谷市街はずれで人けもない場所だった。現在は商業地となっている。

魚沼線運用は気動車2連でキハ58、キハ52、キハ47が末期に用いられていた。

 

2023年4月11日火曜日

冬の夜に蒸気が舞う~EF5860廃車解体から30年

1981年1月 大阪駅 荷32レ EF5860〔浜松〕 

荷物列車の先頭に立つEF5860からは暖房の蒸気が見える。大阪22時40分発汐留行き。1983年に廃車解体されるまでお召列車予備機という栄光を捨てひたすら荷物列車の牽引の従事していた。

 沖田祐作著機関車表から

 EF5860 東芝府中工場=301256-1 1953-07-30 E115.0t2CC2(1067)
車歴;1953-07-27東芝構内試運転→1953-07-14機関車試運転 国鉄EF5860・EF5861号機関車
品川~平塚駅間にて試運転実施→1953-07-30公式試運転実施→1953-07-30竣工→
1953-07-31納入;国鉄;EF5860→配属[達573];静岡局→1953-07-30配置;浜松→
1958-04-09事故東海道線 国鉄東海道線大垣駅にてEF5860号機関車電動発電機直列抵抗折
損→1967-05-25事故;東海道線浜松衝突事故第2位左台枠折損→
1983-04-01国鉄名古屋鉄道局 EF5860号機関車による「ミステリー401」列車運転
EF5860号機関車のお別れ運転→1983-05-17廃車;浜松


 

2023年4月10日月曜日

キハ58弥彦線

1984年4月29日  弥彦線大浦付近 五十嵐川橋梁

キハ58系越後長沢行き。この橋梁は現在国道289号線の清流大橋となっている。弥彦~東三条間が電化し、越後長沢~東三条間は同時に廃線となる計画だったが翌1985年4月1日にずれ込んでキハ58系が最後の活躍をすることとなった。主力だったキハ35などは転属もしくは廃車となっている。

2023年4月9日日曜日

新航1の旅路~荷物列車の記憶


1982年5月 信越本線鯨波を行く大阪発~青森行き荷4047レ

EF81〔東新潟〕に連なる荷物車の編成はマニ44大荷255、マニ36大荷53、マニ36名荷10、マニ50大荷54、マニ44大荷256、ワキ8000?大荷253、オユ大郵4、マニ大航2、大航1、金航1、新航1 以上の12両で運転。この画像は撮影名所を走る列車を単に撮っただけという代物で編成の欠落があるため資料として不相当となるが撮影当時はそんなことは考えていなかった。(今の私と撮影時の私がもう全くの別人になっている一例)

大荷、大航、大郵は大阪鉄道管理局所属で 宮原客車区所属。名荷は名古屋鉄道管理局米原客貨車区所属、金航は金沢鉄道管理局敦賀客貨車区、新航は新潟鉄道管理局直江津客貨車区所属の荷物車等 荷は荷物車。郵は郵便車、航は青函連絡船航送を表す。

管理局の頭文字と車種を組み合わせ、大荷いくついくつという運用番号が作成された。行先も1両ごとに異なり、200番代の運用番号はパレット式(荷物を積むかごで台車付き)の取り扱いを意味した。

新航1は1980年当時で直江津客貨車区のマニ50(2108、2109、2131~2136)が荷4047レで直江津7時32分発~青森 22時51分着、青函連絡船1便青森港0時35分出航、函館4時25分着、函館14時45分発125レ札幌23時48分荷44レで岩見沢へ。返しは岩見沢荷44レで函館21時49分、青函連絡船2便0時40分出港青森に4時30分、荷4048レで青森を0時57分発、秋田4時40分、秋田から834レ新津15時37分着。新津19時26分発荷2042レで長岡20時53分着ここで切り離されて信越本線522レで長岡4時40分発直江津は6時27分着で長い旅路を終える。上りは定期普通列車に連結されローカル輸送中心だったようだ。

下りは北陸から北海道を急ぎ、上りは北海道から時間を駆けて帰るダイヤだった。上りのダイヤは細かい切り離しが多く運用経路を見つけるのに難航した。 

1982年11月15日改正で稚内往復に変更され1984年2月改正で廃止された。

 

2023年4月8日土曜日

長岡駅で待機する魚沼線運用気動車

1983年7月 長岡駅 キハ58とキハ47の2連

長岡駅で待機する気動車2連。3番線と4番線の間にある通過線。長岡駅を通過する貨物列車や寝台特急「日本海」が通る線路。夕方入れ換えで長岡機関区から入線し来迎寺に向けて発車していく。魚沼線は翌年4月1日廃止されるのでこの光景は1年後見られなくなった。どこでも見ることができたキハ58と長岡駅ではレアな一般型キハ47。一般型はほかにキハ35、45、52もあったが1983年の時点では見かけなかった。

キハ58の後ろの115系は新潟行き普通列車で14両の長大編成。実際客扱は8両のみで残り6両は回送だった。

2023年4月7日金曜日

海を渡って北を目指す

1986年10月26日 東三条駅 急荷4031レ 大航2の札を付けたマニ50

大阪~青森間に運転されていた荷物列車に連結されていた1両。大航とは大阪鉄道管理局の航送荷物車を現していた。急荷4031レに連結された大航2運用のマニ50は大阪~稚内間の運用だった。この荷物列車はあと1週間後に廃止されるがこの画像撮影時点では平常通りに運転されていた。

1984年2月改正までは直江津~稚内間「新航1」の運用もあり直江津のマニが稚内に向けて運用されていた。

2023年4月6日木曜日

早朝のお座敷客車~京都駅


 1984年8月 京都駅 留置線にスロ81お座敷客車 右手に奈良線の気動車列車。

今はこの付近に乗場が増設されて奈良線の乗り場となっている。

スロ81系は鋼体化改造客車60系客車からの改造車で品川と宮原の2編成が画像と同じ車体様式であった。(旧型客車であるが城帯を入れ12系と同様の塗装となったもの)この頃12系改造のお座敷客車も多く登場し今では古豪となって後継 の車両が登場するといううわさもあった。

この81系お座敷編成は1979年9月高砂工場にて落成している。1986年に後継の14系お座敷「みやび」に置き換えられ引退。

2023年4月5日水曜日

魚沼線回送

1983年6月 信越本線 前川

1984年4月1日で廃止となる魚沼線への車両送り込み回送。気動車の2連が長岡と来迎寺の区間を人知れず走る光景が見られた。
 

2023年4月4日火曜日

菜の花大蒲原

1983年5月3日 蒲原鉄道 大蒲原 モハ41

田植えを待つばかりの水田と菜の花畑。左手に鯉のぼり。春から初夏に変わるころ。
 

2023年4月3日月曜日

冬鳥越八重桜


 1983年5月3日 蒲原鉄道 冬鳥越 モハ12

五泉市の城跡公園に保存のモハ11型が塗装をされ鮮やかさを取り戻したようだ。モハ11はワンマン改造がされていなくて動いているところを見ることはできなかった。モハ12はモハ11の追番でワンマン改造され時々動いているところを見かけた。5月連休の初日代掻きが終わった水田を走るモハ11を八重桜越しに撮影したもの。

この頃の桜の開花はソメイヨシノが4月20日ころで八重桜が5月初めだった。それに比べると開花がかなり早くなってしまった。大災害の前触れにならないといいが・・・

2023年4月2日日曜日

1等格下げ車キハ26609~長崎本線

1981年1月1日 長崎本線 鳥栖 351D 

鳥栖15時34分発長崎20時17分着 

かつて準急型1等車キロ25の格下げ車キハ26400番代を通勤仕様としたもの。旧型国電クハ47のように全ロングシートであった。車体は朱色5号1色。長崎機関区配置。

履歴はキロ2540として1960年4月18日帝国車輛で落成し北海道の苗場機関区に配置。車内は回転式クロスシートで電車のサロ110など同様だった。

普通車に格下げされキハ26440に なるがその時点での配置は美濃太田機関区。1968年7月23日のこと。改造は名古屋工場。1976年6月30日小倉工場で通勤仕様の改造がされ、筑肥線の運用のため東唐津配置その後長崎機関区に転属し1983年10月30日廃車となっている。

この車両を見かけたときには朱色1色で優等車両の面影は窓の配列だけ車内ロングシートとあれた雰囲気が漂い近づく気にもならずにさっさとその場を立ち去った記憶がある。

当時の配置表によると長崎機関区には606~613と615、616と10両も配置があった。この改造はキハ26400番代だけ行われそれ以外はされなかった。また九州のみで行われたのみ。

優等車両格下げ車の通勤仕様変更は珍しいことではなく客車では旧1等車のオールロングシート改造のオハ41型が多数存在していた。

2023年4月1日土曜日

キハ40555長ナノ

1982年6月 飯山線十日町駅構内

入れ換え中のキハ40555とキハ55。キハ40はキハ20の置き換えに前年美濃太田機関区から転入。製造は新潟鉄工で80年2月8日。このまま長野でJR東日本に移行し1992年八戸に転出した。

キハ55は1982年以降各地からの転入キハ58に置き換えられてJR東日本に承継されたものはなかった。