2024年1月31日水曜日

平穏


 2024年1月27日 EF510-510 4076レ

雪がわずかに残る。重い曇り空の中列車は定刻に走り去っていく。

雪のないおだやかな新年が暗転し苦しみが襲う。険しい年の始まりから1ヶ月が経過していく。 ごくごくわずかであるが日常が戻りつつあるという・・・

20年前の当地の光景と重なるものがある。

今月の最大の収穫は首都圏への往復を果たしたことだった。事故も豪雪も余震もなく曇り空だっただけ、無事に目的を達成できた。ささやかなことであるが。

2024年1月30日火曜日

新津キハ110一部運用離脱

2024年1月27日 新津 キハ110‐215
キハ111‐203とキハ112‐203 
E129系と並ぶ

3月のダイヤ改正で気動車の運用が見直される。磐越西線で4両で新潟駅から直通するものが新津で運用を分けて2両で行うということだ。またキハ110系も登場して30年になる。


2024年1月29日月曜日

EH200-10+DD200-5 配給8788レ


 2024年1月27日 配8788レ EH200-10とDD200-5

冬枯れの平野をゆっくりと進む。 土曜午後の配給。1月20日は富山のEF510-20がこの列車で新鶴見へ移送された。その後静岡にも入ったという。

2024年1月28日日曜日

冬枯れと積雪が行ったり来たり

2024年1月21日 EF510-510 4091レ

 EF510-18 4060レ

今年の冬の特徴として雪が長続きしない。暖冬といっても雪は必ず相当量積もるが降雪期間が短く雨の日も多くすぐ消えて冬枯れに戻る。生活しやすいので結構なこと出るが。

雪は23日から降り出したが近畿北部に豪雪が行ったようで当地は多くはなかった。平野部はもう消えかかっている。

EF510-510は汚れが目立つ。

2024年1月27日土曜日

HD300-2 武蔵野線新座貨物ターミナル

2024年1月20日 武蔵野線 新座貨物ターミナル HD300‐2

ハイブリッド機関車。登場してから相当経つが今頃初見。ヤードの奥には武蔵野の風景が広がる。

新秋津で209系2連とクモヤ145を見かけた。怪しい車両に心を惹かれる。

八王子に着いたE231系はすぐに折り返し大宮行きになる。右手はE353系「かいじ」

 この日見かけた貨物列車

大宮東北下り EF210〔新〕 3083レ

大宮東北上り EF210-328  5582レ 石油 300番代初見 

武蔵野線  EH500 南浦和方面

八王子 上り EF210 86レ 石油

      EF210-170  石油間合い

      EH200-4   80レ石油

      EH200   8092レ石油

2024年1月26日金曜日

雑踏の旅愁 中央特快E233系 山手線E235系

 

2024年1月20日  サロE233 中央線豊田

E233系特快で西八王子から新宿経由で山手線大崎に向かう。西八王子駅はみどりの窓口はなく遠距離切符も指定券も自動券売機で買わなければならなくなっていた。東京都内の駅も窓口がなく不便になったと叔母が言っていたことを思い出した。スマホでの購入が増え窓口もあまり利用されなくなりそれにコロナが加わって合理化が一気に進んでしまった。

西八王子からの乗車はさほど多くないが、八王子から大勢の乗り込みがあり通路も立ち客で埋まった。やや緩めの通勤電車の風情。その先もこのような感じで新宿まで続くことになった。途中豊田でサロE233を見つける。両開き扉の通勤型グリーン車。料金は通常のグリーン車と同じ。ただ東京~高尾の短距離区間。101系、103系、201系と通勤型の主戦場であり、東海道線や横須賀線のようにグリーン車が繋がれることはなかった。もちろん中央線の国電のグリーン車など想像したこともない。「国電区間」の通勤型グリーン車はこんど中央線に来たときは乗車してみたい。(青梅鉄道公園を見てみたいと思うがまだ実現していない)

E233系は「特快」ということで気前よく中間駅を通過して主要駅のみの停車。ロングシートの通勤型から外を見ることは難しいが建て込んだ街並みと時折見える雑木林に武蔵野を走っていることを実感した。叔母は前日はきれいに晴れてあったかだったと言っていた。この日は曇り空で雨が時折降る冬の東京とは思えない天候。

車窓進行方向はE233系と特急の「あずさ」「かいじ」のE353系とすれ違うのみ。三鷹からは緩行線の黄色い帯のE231系も加わってにぎやかになる。(他私鉄の電車もある)

かつて関西へよく行っていたころは207系や223系から485系や683系などを眺め、同じような近郊区間の雰囲気を感じていたことを思い出していた。こちらはもう12年もご無沙汰になってしまった。(当方の好みが秘境でも大都会でもなく近郊という事か?)

中野を過ぎてビルだけが車窓を支配するようになると新宿に到着ここでE235系に乗り換え午後のメインミッションの大崎に向かう。山手線も土曜午後のせいか朝の通勤時間帯並みに混雑していた。原宿や渋谷で人の入れ替えがあったが乗車人数は変わらなかった。

雪の積もる「さいはての地」に住む者は高層ビル群と雪のない冬と都会の雑踏に旅愁を感じる。 

西八王子を出てから50分余り大都会のど真ん中の駅大崎に降りる、会場はすぐ最寄りのゲートシティ大崎で行われる。改札を出て連絡通路を会場へ急ぐ。途中「市」が開かれていてアンバランスに感じる。各地から出てきた方々が各地の水産品や農産品を販売されていた。時間が無いので見るだけ。

会場はわかりにくくあちこち降りたり登ったり警備員や警察官に聞き直してようやく会場にたどり着いたときは完全に遅刻していた。

会場に着くとすでに発表は始まっており7名のメンバーが会報をてに発表を聞いていた。いつもはオンライン参加であるが今回はアウェー会場にてライブ参加である。後ろのすいている机に荷を置いて発表を聞く。

商業誌をにぎわしているメンバーがここに3名、オンラインに数名で雲の上の方々。

*当方のこの会合への参加はたとえが悪いが地方競馬の最低クラスの馬(当方のこと)が中央競馬オープンクラス=最上級(会場にいらっしゃった方)のレースに参加するようなものである。(もしくは相撲の序の口が幕内力士と取り組むようなこと)

最初の発表は宮内庁文書館で入手された資料関連の発表で明治天皇の時代の件。

15時に休憩この際に主催者に遅刻したことを詫び、西八王子で作成した自己紹介を記した資料を参加者に手渡す。主催者は叱責するようなこともなく、遠方からの参加を歓迎する旨と自己紹介をお願いします。との指示があった。自己紹介は苦手なのでとにかく資料に記載したとおりに行ったが机の上には冷や汗が多数たまっていた。

今回ライブ参加にしたのはオンラインで解決できない問題がありその解決方法を相談することだったがその件についても解決できた。ふだん聞いているだけで声も上げないものがやってくるとは思ってもおられなかったようだった。会合は17時前に終了し帰宅の途に就く。懇親会のご案内も頂いたが翌日の予定もあり今回は見合わせた。再び遅刻したことをお詫びし再会できることを願い会場を後にした。


E235系 モハE235‐1

新宿方面に走り去るE235系 山手線大崎

会場から大崎の駅に向かう道すがらまだ市が開いていたので、野菜を買う。価格はグラム単位なので市の女性にはかってもらい値段を確定してもらった。

市の裏手には東海道新幹線そして品川の町が広がっていた。日没しイルミネーション点灯し大都会の華やかな夜が始まった。大崎でE235系トップナンバーを見聞。

品川からは東海道本線に並走。慣れ親しんだ電車区や客車区、機関区はなくなったが留置線にはE257系やサンライズ285系があった。山手線の電車は東海道線上り電車や東海道新幹線とひっきりなしにすれ違い東京に到着。

東北新幹線E5系やまびこ 東京駅

東京駅17時40分「とき」337号で帰路に就く。車内に荷物を置いて売店で職場の女性たちへのお土産を買い車内に戻った瞬間扉が閉まり列車は動き始めた。車窓には大都会の街灯りが広がった。あわただしい道中の記憶をさらに脳裏に刻むため車窓を眺める。長編成の電車が走る光景とはお別れ、荒涼とした雪原に帰らなければならない。

東京発後車内放送後車内販売の案内がありまだ車販があるとは思わなかったが高崎を出ると車販がやってきたのでコーヒーを飲みながら旅の終わりを感じた。

東京~燕三条間は1時間50分程度。料金のことを考えなければ糸魚川、会津若松、黒姫、小国、村上市山北と同じくらい。もっとも車で下道であれば毎日これくらいの時間をかけて通勤しているが・・・おかげで休日は家事雑用とごろ寝タイムのみでおわってしまう。

燕三条駅には定刻到着。叔母のところに謝辞をつたえるメールを入れるとおつかれさまのへんじが返ってきた。



2024年1月25日木曜日

EH200-4 中央線西八王子

2024年1月20日  EH200-4  上り貨物石油返空 西八王子
E233系 高尾行き 特快

 高尾行き特快 右手は高尾山 

「むさしの号」 を降りてバスで近隣の大規模団地へ。親戚が住むところである。叔父と叔母が住んでいたが叔父は6年前に亡くなりもう7回忌となってしまった。法要はもう終わったが、しばらくここも訪れていないので線香を上げにやってきた。

西八王子の駅前は多数の店舗があり一部がシャッターを降ろしているがほぼ営業中であった。都会のはずれの光景で朝は相当混雑すると言っていた。バスは10人程度乗車、郊外に向かうにつれ乗客は減少した。大きな高層住宅が多数並ぶ台地に出ると目的地である。バスを降りて親戚の住む高層住宅へ。バスの降り口を取り違えたためか変なところで出迎えの叔母に合うことになった・・・

今はない叔父に線香をあげお茶を飲みながら久しぶりに近況などを懇談する。

叔母はミニマニストではないが不要なものは持たないのか室内は家具も少なく、まるでモデルルームのようにしていた。このあたり性格なのかもしれない。ものに囲まれるのがいいのか最小限がいいのか人それぞれの判断かも知れない。

清掃が整った室内から小雨が降る団地が望めた。日中は静かで人の声も聞こえない。引っ越してきた50年前は何もない田舎だったが急激に建物が増えたと言っていた。叔父はここから都心へ2時間かけて通勤をしていた。本当は都心に近いところを希望したがかなわなかったとの事だった。

70歳台になった叔母は日中は散歩をしたりプールに行って体を鍛えているという。公共交通も格安に利用できありがたいとか。買い物場所も多く不自由はないとの事だった。従兄弟も時折夕食を食べに来ると言っていたが休みが週末だけとは限らずバラバラだという。もう何年もあっていない。

12時前に次の会場に行くため叔母のところを出てバス停に向かい西八王子に戻る。叔母は小雨の中バス停まで送ってくれた。今度はいつここに来れるのか?

駅前のコンビニで資料をコピーし、特快で大崎へ向かう。目的の電車が来る前に貨物列車80レが通過。牽引のEH200-4はこう配区間用で信州からの石油返空列車。平坦用のEF210は八王子までしかこない。

新津で造られたE233系はこの界隈の主役。新製された配給を見送ったのも2000年代初頭ずいぶん遠い過去のことになった。中央線など首都圏で生涯を終え新津には戻ることはないのだろう・・・

多摩川の橋梁を渡るが山側は遠く日本海まで連なる山塊となる。もちろん山塊に間に他県がある・・・越後の地はずっと山塊の奥に存在する。かつて都心まで通勤していた今はない叔父も、現在乗車しているE233系もこのあたりの区間で見る山地の移ろいを見ながら生まれ故郷に思いを寄せていたのであろうか・・・

 

2024年1月24日水曜日

EF210-170 中央線八王子


 2024年1月20日 EF210-170 中央線八王子

大宮からE231系の「むさしの号」の終点。ここで親戚のある西八王子へ。

乗り換え時間のわずかな間八王子駅構内を眺める。平坦用のEF210がタンク車をけん引してきて切り離されて待機しているようだった。石油基地が八王子にありここから多摩地方各地に輸送されるのであろう。根岸とこの区間には石油輸送が設定され、甲信へも中央線経由で石油列車があるのは承知の通り。EF210は八王子まで これ以降甲信地域はEH200牽引。EF210の留置場所は横浜線に併設でありなんとなく窮屈そうである。

2024年1月23日火曜日

今を走り今を生きる

2024年1月20日 大宮 東武100系スペーシア

登場してから30年近くなるはずだが現役 走る区間も東北本線。かつては対決関係がいまは共闘関係となる。

東武野田線とE231系

 蛇のように身をくねらせて大宮駅に到着。E233系との併結もある。これらは越後生まれ!

115系が全盛期だったころは15両編成が次々発着していた。京浜東北線は103系であり、川越線は気動車が走っていた。そんなことも遠い記憶になる。

E231系は東京へ向かう大勢の客を乗せて発車していった。発車メロディーが流れ扉が閉まり、VVVFインバーターがうなり列車は静かに動き出す。

これが当たり前の光景。だが当たり前の光景もいつまでも当たり前ということではない。

今を走り今を生きる姿を目に焼き付けておきたい・・・・

2024年1月22日月曜日

E257系臨時特急「下田水仙まつり」号

2024年1月20日 E257系 「下田水仙まつり」 大宮

上越新幹線「とき」302号を降り在来線乗場に。八王子行きの「むさしの号」に乗り換えるのであるが、乗場の案内に特急「下田水仙まつり」が表示されていた。

当地ではE653系以外見かけないので久しぶりに直流型特急列車の見聞となる(ダイヤ情報などの購読をやめてさらに電車には国鉄型を含めてあまり関心が無いので正直なところどんな形式かはわからないので推測ということ)

有名な撮影ポイントでしばらく待つ。誰もいないので185系ではないようだ。E231系やE233系が走り去った後E257系がやってきた。

ふと見ると若い撮影者ががっくりきたように「E257系なんですね」とつぶやいて引き上げていった。到着ホームの7番線には撮影者が数名いた。

続行できたE257系「団体列車」表示はparty 

この時間帯に寝台特急「北斗星」「カシオペア」があった時代は多くの人で混雑していたがそれももう遠い日の話。

臨時列車も国鉄型183系などが用いられたが今は新型化されている。時代の流れを感じながら3番線のE231系「むさしの号」の乗り場に向かう。


 

2024年1月21日日曜日

E7系でちょっと東京へ

2024年1月20日 燕三条  とき302号 2番電。

 E7系車内 高崎までは混雑はない。

2018年に死去した叔父の七回忌であり、線香を上げに上京。つまりのところ疎遠している親族の現況確認。

大宮でむさしの号に乗り換え東京多摩地方八王子市へ。ここで今はない叔父に合掌し、線香を手向け早いお昼を頂き叔母と雑談した。

亡くなった時は葬儀の参列がかなわなかったので日時をずらして老母とともに駆けつけたが、もうそれから6年が過ぎてしまった。

上越新幹線はMAXのE4系が平屋のE7系に変わった。武蔵野線もE231系になった。中央線はE233系にグリーン車が投入されるため豊田に多数集結していた。

国鉄型の車両は「大宮工場 」付近に211系が留置されていたものと中央線内で信州へ向かう211系長野色と1回すれ違ったのみ。機関車はEF210、EH200、EH500の新鋭機だけだった。

中央線特急はすべて353系となりE257系は臨時列車で見かけただけ。このあたりに時間の経過を感じた。

2024年1月20日土曜日

E259系成田エクスプレス


2015年1月5日  E259系 成田エクスプレス

次のダイヤ改正で255系を置き換えるため仕様変更された編成が登場した。新鋭車両たちも変化が激しい。

2024年1月19日金曜日

総武本線 255系


 2015年1月4日 総武本線 市川

たまたま泊まった宿からの光景。 貨物列車は見なかったが209系、E217系、E231系、255系、E257系、E259系とバラエティーに富んだ列車たちを眺めることができた。

255系は引退し、塗装変更したE259系に置き換わるという。

2024年1月18日木曜日

京浜東北線E233系

2018年1月20日  大宮 E233系

 誰も目もくれない日常を走る列車。首都圏の大動脈を走り抜け大量輸送に精を出すことが鉄道の本来の使命。その重責と意味を見聞し考えることも時に必要であろう。

2024年1月17日水曜日

ゆきしぶき

2024年1月8日 E653系 55M
列車の後部は雪しぶき。この日の午後気温が上がり雪はかなり重くなっていたが、列車が通過すると雪しぶきが発生する。

2024年1月16日火曜日

冬の夕暮れ


 2024年1月14日 EF510-19 3097レ

朝積もった雪は溶けてしまった。陽が西に傾いた時間。夕陽を側面に受けて列車が行く。

2024年1月15日月曜日

夕陽に向かって走れ

2024年1月14日 EF510-510  3098レ

 飯豊連峰を背にEF510-510牽引3098レがやってきた。日没間近のこの時間、朝までの雪は消えてまた枯れ野が現れた。夕陽に向かって列車は走り去っていった。終点福岡貨物ターミナルまでの長い道のり。

2024年1月14日日曜日

雪がある冬は当たり前

2024年1月9日 446M E129系6連

松の内が明けて平時が始動。もう冬休みも終わった。受験生にとっては最重要な大学入学共通テスト。地震や豪雪にはならなかったがそこそこに積もって寒い。時間に余裕を持って動くことは必要である。

今週は寒い1週間となるようだ。日本海側豪雪地ゆえ雪があるのは当たり前のことである。

E129系もデビュー10周年となった。当地の主力選手であり、本形式が雪原を切り裂いて走る姿を頼もしく感じる。
 

2024年1月12日金曜日

EF510-22 3093レ


 2024年1月8日 EF510-22 3093レ

午後になり曇り空になった。雪はだいぶ減ったがまだ白い世界。雪原に赤い車体が映える。

2024年1月11日木曜日

快速3481M

2024年1月8日 E129系 快速3481M

115系から当該形式に変わり2年経過。3連から4連に変わりぎゅうぎゅう詰めではなくなった。新潟着がちょうどいい時間のためかかなり混雑する。直前通過する特急「しらゆき」が空気輸送なことと対照的に。
 

2024年1月10日水曜日

雪原を切り裂く猫

2023年1月8日 EF510-508 4060レ
最後尾の宅急便コンテナ。雪原を切り裂いて果敢に走る猫。走り去った後には雪しぶきが残った。

2024年1月9日火曜日

松の内が終わって再び白い世界

2024年1月8日 E653系 54M

朝まで降り続いた雪がやんで一時の晴れ間が。松の内が終わって冬が帰ってきた。列車は雪煙を上げて走る。
 

2024年1月8日月曜日

貨物始動!

2024年1月7日 EF510-508 4061レ 雨で露出が上がらない。それでも貨物列車が動いている光景を見ることができるのはうれしいことだ。


 

4061レは宅急便コンテナが特徴。それにしても暗い朝。

4076レ 


 EF510-5牽引  4091レ

EF510-511 4060レ
 


午後からは雪が強まってきた。EF510-1 3093レ

夜間に冬型が強まって朝方の積雪は30センチ弱だった。月祝で貨物も運休が相次いだが信越本線で故障があったようで10時過ぎまで列車の運転が見合わせとなった。

2024年1月7日日曜日

七尾線の記憶(能登地方)


 1983年8月16日 国鉄金沢駅 急行「能登路」 地平時代

この頃は急行がキハ58とキハ28 普通列車はキハ53、キハ20、キハ26 他にキハユニ26とキユニ26が七尾線と能登線に運転されていた。気動車の配置は七尾機関区(金ナナ)

2011年5月4日 JR西日本金沢駅 415系 七尾行き 単色塗装が進行中だったがまだこの旧塗装があった。金沢駅は高架になっていた。


 

1990年2月10日 七尾線 キハ58など 国鉄色とJR移行の色の混合編成

七尾線能登二宮付近 キハ58など 4連 通勤改造車

津幡から七尾の区間は平野部を走るため単調な区間が中心だった。この区間で蒸気機関車列車(C571とC56160重連のSLやまぐち号編成)を狙ったが激しい雨の日で苦戦を強いられた。露出も上がらない眠い写真ばかりが残るだけ。

七尾線はいまに至るも乗車歴はない 。輪島へ行ったことがあるが「社員旅行」という仕事の一環であり写真撮影などをしている余裕は全くなかった。バスでの移動であり世話役をするため車内の状況を監視したり、イベントをしたり、バスガイドさんと打ち合わせをしたりで気が休まることはなかった。宿に着いたらすぐに宴会の段取りに入りそれらに忙殺され疲れだけがたまっていく最悪な状況だった・・・・自己管理できない方々が多数のため苦労が絶えない。ケガ人でも出たら大変なことになるわけで・・・

行程は北陸自動車道経由で富山市内で昼食(ますのすし)夕方和倉温泉泊 翌朝和倉温泉から輪島朝市 ここで朝市を見学しやっと旅らしい気分を味わう。 輪島から能登金剛を経由して金沢市のはずれから北陸自動車道経由で帰路に就いた。柏崎の手前で「トワイライトエクスプレス」に抜かれたから帰宅は20時近かったかもしれない。

このような劣悪な旅行だったがこれ以降はいくことはなかった。転職しこのようなイベントもなくなってしまったからである。バブルが崩壊し雇用体系も大きく変化しこのような旅行をする余裕などなくなってしまったと考えられる。それが今日にも至っている。思えば一時のはかない夢だったと思う・・ただなぜか帰路に就く際は鮮やかな晴れの空が広がりそのことが思い出される。いまは行くことの叶わぬ北陸への憧憬となっている。

1日の地震でこの地方は瀕死の状況となってしまったが再び復活することを夢見ている。朝市や千枚棚田、穏やかな内海と激しい外海、能登の素朴な光景がよみがえってくることを願って。

2024年1月6日土曜日

木漏れ日の午後


 2023年10月30日 E129系 442M

22日の雪でいったん真っ白になったこの界隈もその後、雨と晴れの日が交互にやってきて、雪が無くなった。茶色い大地と青い丘陵地帯、白い煙のようなものは発電所の蒸気。

平和そのものの光景が展開していた。