2014年1月 485系T18編成 クハ481-1508以下「北越」1号
北陸新幹線金沢開業を1年後に控え最後の活躍をする485系。
2020年1月30日木曜日
2020年1月29日水曜日
251系スーパービュー踊り子
2014年1月1日 新宿 251系スーパービュー踊り子編成
今年3月のダイヤ改正でE261系サフィール踊り子と交替して引退する。
当初は白い車体だったがこの写真の時点では更新工事がされ塗装も変更されている。
新宿寄り先頭車の展望席に乗車したことがある。2000年1月で伊豆急下田から終点新宿までの区間である。前面展望を楽しめたが特急といっても速度は遅く物足りない印象だった。ただ冬でも温暖で青く穏やかな伊豆地方の海を楽しめたのはよかった。
置き換え車両となる新鋭E261系は全てグリーン車で構成され麺類を提供する食堂車を備えた編成となる。こちらも楽しみな列車と言える。
今年3月のダイヤ改正でE261系サフィール踊り子と交替して引退する。
当初は白い車体だったがこの写真の時点では更新工事がされ塗装も変更されている。
新宿寄り先頭車の展望席に乗車したことがある。2000年1月で伊豆急下田から終点新宿までの区間である。前面展望を楽しめたが特急といっても速度は遅く物足りない印象だった。ただ冬でも温暖で青く穏やかな伊豆地方の海を楽しめたのはよかった。
置き換え車両となる新鋭E261系は全てグリーン車で構成され麺類を提供する食堂車を備えた編成となる。こちらも楽しみな列車と言える。
2020年1月28日火曜日
115系N34編成
2020年1月19日
かつては当たり前に見られた編成。
長野で更新された。更新車のため古めかしさはないが場所によっては傷んである個所もかなり見受けられる。
弥彦線高架部分からの三条市街地。都会と異なり木造住宅や低層建築が目立つ。
トイレ脇のボックスシート。
北三条駅付近 車窓には寺院が。三条は仏教の街と言っていいほど寺院が多数存在する。
燕付近 乗客も幾分増えた。
西燕にて 115系N34編成 222Mは寺泊へ向けて走り去っていった。
かつては当たり前に見られた編成。
長野で更新された。更新車のため古めかしさはないが場所によっては傷んである個所もかなり見受けられる。
弥彦線高架部分からの三条市街地。都会と異なり木造住宅や低層建築が目立つ。
トイレ脇のボックスシート。
北三条駅付近 車窓には寺院が。三条は仏教の街と言っていいほど寺院が多数存在する。
燕付近 乗客も幾分増えた。
西燕にて 115系N34編成 222Mは寺泊へ向けて走り去っていった。
2020年1月26日日曜日
時刻表昭和39年9月号(1964年)
2020年1月26日 書店にて時刻表復刻版1964年9月号を購入。
前の東京オリンピックの1か月前のもので東海道新幹線開業直前のものである。
東海道本線には特別急行「こだま」「つばめ」「はと」「富士」「おおとり」「ひびき」が最後の活躍をしていた。
さて日本海縦貫線や上越線は・・・
気になるものを見つけた。それは急行「日本海」の新潟経由の記載のある1964年9月号と新津から羽越本線へ直通する1964年10月号のことである。(終点青森は17時29分)
1964年9月版は新津7時44分着48分発新潟は8時9分着で8時20分発白新線経由で青森へ向かう。(新発田着は8時48分)
1964年10月号 東海道新幹線開業後。 日本海は現在羽越本線経由になっています。という記述に注意。
新津は7時41分到着で8時1分発。新津で車両の一部を切り離す。(上り大阪行きは連結をする。新津には客車基地があった)日本海は12両編成で寝台車が3両連結され青森行きでは12号車の2等寝台車と10号車の1等寝台車が切り離された。(新潟経由の場合は編成向きが逆となり機関車が1号車に連結される)新津から羽越本線直通の場合は新発田が8時34分着である。
さて急行日本海は1961年10月改正で新潟経由となっているがどうして羽越本線経由に戻ったのか?
1964年6月6日に新潟地震があり新潟駅周辺は大きな被害を受けた。それが理由だろうか?
各種資料を引っ張り出してもこの件について記載したものがなかった。
そこで図書館で「国有鉄道新潟支社三十年史」を閲覧することにした。
加茂市の図書館にあることを知っていたので係の方に郷土資料室を開錠してもらい閲覧する手続きをして第1編総説を開いて昭和39年の箇所を見ると1964年6月16日(昭和39年)
新潟地震発生M7.7 震度5 死者26名 液状化で信越本線、越後線は甚大な被害。
白山駅の築堤崩壊、新潟駅の東側の跨線橋が入れ替え中の気動車を押しつぶし、万代貨物駅は液状化で使い物にならなくなり復旧できなかった。(新貨物駅設置)
鉄道以外では昭和石油のコンビナート火災、信濃川にかかる昭和大橋の崩落、鉄筋コンクリート造りのアパートの倒壊など・・・・
復旧は6月19日に笹口の仮駅に70系普通電車が、6月24日には仮復旧した新潟駅に列車が乗り入れた。新潟の鉄道100年P115には夜行急行列車「越後」165系が到着するところが載っている。復旧当初は地下道が被災しているので遮断機のある地平を利用するほかなかった。越後線復旧は7月12日。羽越本線全通は7月29日であった。
さらに追い打ちをかけるように豪雨災害も起きてダイヤは混乱を続けた。
こちらも大災害で死者13名、浸水家屋6000戸。
1964年10月ダイヤ改正は東海道新幹線開業と東京オリンピックの華やかな話題に注目が集まったが地震や水害などの復旧は苦戦を極めていたようだった。
当地では急行「赤倉」に1等車1両増結、磐越西線急行「いいで」に1等車新設、急行「天の川」の座席を廃止して寝台車増結し完全な寝台専用列車となった。
1964年の年始から3月は雪が少なかったようだが年末は雪が多かったとされる。
新潟地震の復旧が完全に終わったのは12月26日で復旧の式典が行われている。
この時点で「日本海」のダイヤも所定に戻ったと思われる。
新潟地震復旧のため時刻訂正
1964年10月号の付録と思われる
1964年9月号もこれらの付録が添付されていたのかもしれない。
前の東京オリンピックの1か月前のもので東海道新幹線開業直前のものである。
東海道本線には特別急行「こだま」「つばめ」「はと」「富士」「おおとり」「ひびき」が最後の活躍をしていた。
さて日本海縦貫線や上越線は・・・
気になるものを見つけた。それは急行「日本海」の新潟経由の記載のある1964年9月号と新津から羽越本線へ直通する1964年10月号のことである。(終点青森は17時29分)
1964年9月版は新津7時44分着48分発新潟は8時9分着で8時20分発白新線経由で青森へ向かう。(新発田着は8時48分)
1964年10月号 東海道新幹線開業後。 日本海は現在羽越本線経由になっています。という記述に注意。
新津は7時41分到着で8時1分発。新津で車両の一部を切り離す。(上り大阪行きは連結をする。新津には客車基地があった)日本海は12両編成で寝台車が3両連結され青森行きでは12号車の2等寝台車と10号車の1等寝台車が切り離された。(新潟経由の場合は編成向きが逆となり機関車が1号車に連結される)新津から羽越本線直通の場合は新発田が8時34分着である。
さて急行日本海は1961年10月改正で新潟経由となっているがどうして羽越本線経由に戻ったのか?
1964年6月6日に新潟地震があり新潟駅周辺は大きな被害を受けた。それが理由だろうか?
各種資料を引っ張り出してもこの件について記載したものがなかった。
そこで図書館で「国有鉄道新潟支社三十年史」を閲覧することにした。
加茂市の図書館にあることを知っていたので係の方に郷土資料室を開錠してもらい閲覧する手続きをして第1編総説を開いて昭和39年の箇所を見ると1964年6月16日(昭和39年)
新潟地震発生M7.7 震度5 死者26名 液状化で信越本線、越後線は甚大な被害。
白山駅の築堤崩壊、新潟駅の東側の跨線橋が入れ替え中の気動車を押しつぶし、万代貨物駅は液状化で使い物にならなくなり復旧できなかった。(新貨物駅設置)
鉄道以外では昭和石油のコンビナート火災、信濃川にかかる昭和大橋の崩落、鉄筋コンクリート造りのアパートの倒壊など・・・・
復旧は6月19日に笹口の仮駅に70系普通電車が、6月24日には仮復旧した新潟駅に列車が乗り入れた。新潟の鉄道100年P115には夜行急行列車「越後」165系が到着するところが載っている。復旧当初は地下道が被災しているので遮断機のある地平を利用するほかなかった。越後線復旧は7月12日。羽越本線全通は7月29日であった。
さらに追い打ちをかけるように豪雨災害も起きてダイヤは混乱を続けた。
こちらも大災害で死者13名、浸水家屋6000戸。
1964年10月ダイヤ改正は東海道新幹線開業と東京オリンピックの華やかな話題に注目が集まったが地震や水害などの復旧は苦戦を極めていたようだった。
当地では急行「赤倉」に1等車1両増結、磐越西線急行「いいで」に1等車新設、急行「天の川」の座席を廃止して寝台車増結し完全な寝台専用列車となった。
1964年の年始から3月は雪が少なかったようだが年末は雪が多かったとされる。
新潟地震の復旧が完全に終わったのは12月26日で復旧の式典が行われている。
この時点で「日本海」のダイヤも所定に戻ったと思われる。
新潟地震復旧のため時刻訂正
1964年10月号の付録と思われる
1964年9月号もこれらの付録が添付されていたのかもしれない。
WEST EXPRESS 「銀河」117系7000番代
2012年1月1日 湖西線 117系300番代普通列車
さくじつ117系を改造したWEST EXPRESS 「銀河」が登場し報道公開された。
新快速で登場し京阪神を駆け抜けて40年以上経過した現在「新鋭車」に役目を渡し山陽西部や湖西線などで隠居生活している117系であるが、改造により「新たな長距離列車」というコンセプトの WEST EXPRESS 「銀河」として週2回程度関西から山陰方面に走ることになった。グリーン車や簡易寝台、個室寝台など興味を引く設備が揃えられている。運賃と特急料金(グリーン車利用の場合それら料金)程度なのでリーズナブルな価格で楽しめる。乗車して非日常的世界を楽しんでみたいと考える。
参考:583系寝台 2012年に乗車した急行「きたぐに」583系車内である。
さくじつ117系を改造したWEST EXPRESS 「銀河」が登場し報道公開された。
新快速で登場し京阪神を駆け抜けて40年以上経過した現在「新鋭車」に役目を渡し山陽西部や湖西線などで隠居生活している117系であるが、改造により「新たな長距離列車」というコンセプトの WEST EXPRESS 「銀河」として週2回程度関西から山陰方面に走ることになった。グリーン車や簡易寝台、個室寝台など興味を引く設備が揃えられている。運賃と特急料金(グリーン車利用の場合それら料金)程度なのでリーズナブルな価格で楽しめる。乗車して非日常的世界を楽しんでみたいと考える。
参考:583系寝台 2012年に乗車した急行「きたぐに」583系車内である。
2020年1月24日金曜日
115系天国!越後線
2001年12月 越後線吉田 第2次新潟色の編成。2+5両の編成と電留線には1編成待機している。
越後線の新潟近郊区間とローカル区間の境目の吉田駅はこのような光景がE129系主流の現在も日常的にみられる。
越後線の新潟近郊区間とローカル区間の境目の吉田駅はこのような光景がE129系主流の現在も日常的にみられる。
2020年1月23日木曜日
第二次弥彦線色並び
2001年12月 弥彦線吉田 左が4番線弥彦行き右手3番線東三条行き
この時代は当たり前の光景であった。
弥彦線ワンマンカーはすべて初期型の電動車を運転台取り付けで改造したものだった。
全部で3編成存在した。
この時代は当たり前の光景であった。
弥彦線ワンマンカーはすべて初期型の電動車を運転台取り付けで改造したものだった。
全部で3編成存在した。
2020年1月22日水曜日
新津車両所 キハ35体験運転
1985年10月 新津車両管理所(総合車両製作所新津事業所) 鉄道記念日に関連して廃車となった気動車を体験運転で使用した。キハ35は1984年4月8日の越後線などの電化で余剰車となって転属または一部が廃車となった。青い帯はこの運転会に際して行われた特別塗装だったかもしれない。
2020年1月21日火曜日
夜行特急「鳥海」
1991年6月 奥羽本線陣場~白沢 寝台特急「鳥海」2021レ
EF81牽引の24系24型寝台特急 前身は寝台特急「あけぼの」1号、4号でさらにさかのぼると2往復あった急行「津軽」となる。こちらは青森を遅い時間に出て午前の遅い時間帯に上野に到着する列車だった。
406レ青森20時55分上野着10時6分 405レ上野22時41分青森12時10分
これらは1982年11月15日ダイヤ改正で寝台特急「あけぼの」5号、6号となった。
1990年9月に奥羽本線の新在直通工事で上越線・羽越本線経由となった寝台特急「あけぼの」が「鳥海」として再編され1997年3月のダイヤ改正で廃止されるまで上越線・羽越本線の寝台特急として走ることになった。
本年6月13日
青森~新潟間にE653系7連で(水戸所属 擬似国鉄特急色編成)2往復運転され上り2号が青森17時45分新潟7時3分の時刻で運転される。
下り3号は新潟13時37分青森21時10分となっている。
EF81牽引の24系24型寝台特急 前身は寝台特急「あけぼの」1号、4号でさらにさかのぼると2往復あった急行「津軽」となる。こちらは青森を遅い時間に出て午前の遅い時間帯に上野に到着する列車だった。
406レ青森20時55分上野着10時6分 405レ上野22時41分青森12時10分
これらは1982年11月15日ダイヤ改正で寝台特急「あけぼの」5号、6号となった。
1990年9月に奥羽本線の新在直通工事で上越線・羽越本線経由となった寝台特急「あけぼの」が「鳥海」として再編され1997年3月のダイヤ改正で廃止されるまで上越線・羽越本線の寝台特急として走ることになった。
本年6月13日
青森~新潟間にE653系7連で(水戸所属 擬似国鉄特急色編成)2往復運転され上り2号が青森17時45分新潟7時3分の時刻で運転される。
下り3号は新潟13時37分青森21時10分となっている。
2020年1月20日月曜日
見慣れた編成ももうすぐお別れ
2020年1月12日 新津にて 入れ替え中のキハ47とキハ40の2連。見慣れたこの列車ももうすぐ見ることができなくなる。
ダイヤ改正以降は各地への臨時列車もGV-E400型が担当することが決定している。
具体的には春の只見線への臨時快速や5月3日の津川の狐の嫁入り臨など・・・・
ダイヤ改正以降は各地への臨時列車もGV-E400型が担当することが決定している。
具体的には春の只見線への臨時快速や5月3日の津川の狐の嫁入り臨など・・・・
2020年1月19日日曜日
115系N40編成~越後線142M
2020年1月19日 越後線岩室付近 115系N40編成昨日115系N38編成と組んだ後夕方3374Mで新井へ。本日3371M~3481Mで信越本線快速運用をこなして越後線へ入った。
午後は弥彦山を背にではなく守門や飯豊の方向が順光だがこの編成で弥彦バックをしてみたかったので軽く1カット。
今朝の4061レ EF510-17牽引 雪はないが雨ばかりでうっとおしい
115系N38編成とN35編成 本日センター試験後半戦のため受験生の乗車があった。
午後は弥彦山を背にではなく守門や飯豊の方向が順光だがこの編成で弥彦バックをしてみたかったので軽く1カット。
今朝の4061レ EF510-17牽引 雪はないが雨ばかりでうっとおしい
115系N38編成とN35編成 本日センター試験後半戦のため受験生の乗車があった。
2020年1月17日金曜日
臨時特急「雷鳥」92号
2002年1月3日 臨時特急「雷鳥」92号 JR西日本 京都運転所485系の9連
2001年3月のダイヤ改正で特急「雷鳥」新潟~大阪間は廃止されたが多客期に限って臨時運転がされた。
雪原を切り裂いて走る国鉄色の485系編成は往年の全盛期を思い出させた。この「雷鳥」92号の時間は特急「白鳥」の時間帯と同等であったため順光で雪原を走る姿を見ることができた。
さて本年2020年1月 本格的な降雪はまだなく雨ばかり降り続く冬となっている。
そこに来てフィリピンのタール火山噴火があり更なる異常気象の発生が危惧される。
2001年3月のダイヤ改正で特急「雷鳥」新潟~大阪間は廃止されたが多客期に限って臨時運転がされた。
雪原を切り裂いて走る国鉄色の485系編成は往年の全盛期を思い出させた。この「雷鳥」92号の時間は特急「白鳥」の時間帯と同等であったため順光で雪原を走る姿を見ることができた。
さて本年2020年1月 本格的な降雪はまだなく雨ばかり降り続く冬となっている。
そこに来てフィリピンのタール火山噴火があり更なる異常気象の発生が危惧される。
2020年1月16日木曜日
2020年1月15日水曜日
EF210-163
2018年8月13日 高崎機関区 新鶴見所属のEF210-163が静かに待機。
沖田祐作著 機関車表より
EF210-163 川崎重工業兵庫工場=/=三菱電機 2009年度 E100.8tBBB(1067)
車歴;2009年度製造→納入;JR貨物;EF210-163→配置;新鶴見機関区→
2013-04-01現在;新鶴見機関区
沖田祐作著 機関車表より
EF210-163 川崎重工業兵庫工場=/=三菱電機 2009年度 E100.8tBBB(1067)
車歴;2009年度製造→納入;JR貨物;EF210-163→配置;新鶴見機関区→
2013-04-01現在;新鶴見機関区
2020年1月14日火曜日
115系N33編成快速
2020年1月12日 3481M快速 大混雑で新潟に向かう115系N33編成第一次弥彦線色の長岡からの快速列車。本年は雪が無くまるで関東のような景色となっている。
わるいことにフィリピンのタール火山が噴火して噴煙が1万メートルを超えたそうだ。
気候に悪影響が出ることは間違いなさそう。
フィリピンのタール火山 *余談だがフィリピンには14系寝台車やキハ52(旧新津運輸区)キハ59こがねが渡っている。キハ59こがねはきれいに修復された。キハ52はマニラのカローカンの基地におさまったまま、14系寝台車も「ビコールエクスプレス」の運休で休車状態らしい・・・・
タール火山はカルデラ湖を形成していて噴火したのは後ろの陸地にある火口からである。
写真はタガイタイから撮影。この付近は降灰の被害が出ている。
わるいことにフィリピンのタール火山が噴火して噴煙が1万メートルを超えたそうだ。
気候に悪影響が出ることは間違いなさそう。
フィリピンのタール火山 *余談だがフィリピンには14系寝台車やキハ52(旧新津運輸区)キハ59こがねが渡っている。キハ59こがねはきれいに修復された。キハ52はマニラのカローカンの基地におさまったまま、14系寝台車も「ビコールエクスプレス」の運休で休車状態らしい・・・・
タール火山はカルデラ湖を形成していて噴火したのは後ろの陸地にある火口からである。
写真はタガイタイから撮影。この付近は降灰の被害が出ている。
2020年1月13日月曜日
弥彦線朝練~115系N40編成
2020年1月13日 弥彦線225M 雨の朝で薄暗いので乗車することに。予測通り115系N40編成の運用。
車端部のクロスシート トイレ脇はクロスシートにするのが国鉄時代の流儀だった。
オールロングシートのものでもトイレ脇はクロスシートとしトイレ利用者と 座席着席者が顔を合わせないようにしていた。
115系N40編成は原型車内であり国鉄の頃の面影を今も見ることができる。
(キハ47も車站のトイレ脇はクロスシートとなっている)
近郊型電車の車内光景。115系は3扉でキハ47は2扉であるが車内の様子は類似している。
座席形状やシートピッチも同様となっている。
列車は定刻に東三条を発車。しばらく信越本線と並走後右にカーブを切り高架線に入る。
この日車掌は女性で終着寺泊までの停車駅と到着時刻を案内していた。(吉田、分水、寺泊)平日は出雲崎まで運転する。
雨で薄暗い三条の街を眺めながら北三条へ。暗くくすんだ町並みが連なり成人の日の休日のため列車の乗車も振るわない。筆者のほかは親子連れの男性のみだった。
三条は金物の街と言われるが弥彦線列車から見る光景は単なる住宅街にしかみえない。
工場や倉庫、商社も郊外に移転し商業地もさびれてしまったた。
昨日は撮影が定期市を眺めてきた。弥彦線北三条付近が活気を見せるのはその時だけのようだ。(ほか駅前には図書館や民俗資料館、ステージえんがわ、三条鍛冶道場がある。また東三条寄りに少し進むと真宗大谷派別院がある。多くの門徒を抱える寺院であるが県都新潟市中央区には別院クラスの寺院はないようだ)
冬枯れの田畑と信濃川を渡り切って燕三条。県央地域の一大商業地だがまだ眠りの中。
マンション、ホテル、大型ショッピングセンターや家電量販店、衣料品店舗、外食チェーン店がひしめく。昭和の頃は水田だったが今は旧市街地にとって代わってしまった。
燕三条の旧線跡。燕三条駅ができる前は左手に線路があった。
ショッピングセンター街を通り抜けて中ノ口川を渡ると燕に到着。
ここから燕まではスピードをかなり出しているようでモーターの音も勇ましく感じた。
燕三条のショッピングセンター街は渋滞が慢性化して移動しにくいが休日のこの時間は通る車も少なく快適であった。
燕駅付近は洋食器などの町工場が目立つがこれらも実際は燕駅から南側の暖地に拠点が移りそちらが主流となっているが、四季島で訪れる観光客が立ち寄る銅製品の工房は燕駅の近くにある。
燕市内もまだ眠りからはさめていないようで乗客は少ない。線路わきには倉庫や町工場、住宅が連なっている。
西燕に到着。ここでおりて115系N40編成を見送り227Mを待つことにする。
227Mは115系N38編成とN35編成との組み合わせとなる。
115系N38編成
短い折り返し時間の後すぐに227Mで東三条へ。
手持ちの鉄道ジャーナルNo153号(1979年11月号)P74に「ローカル線大集会」という記事があり、その記述にこんな文章が(鶴見線という出席者が ・・・要旨を記述するとローカル線は1、日本の隅っこをちょこちょこと走るイメージがあるがそれは違う
2、埋め立て地の工業地帯で客は定期券の通勤車のみで観光ガイドブックには取り上げられない。3、昼間や日曜に乗るとがらがらどんより濁った運河に沿って寂しく走る
4、先日も買い物袋を提げた奥さんが海芝浦で海を眺めて遠くに行きたくてもお金も暇もないので鶴見線に乗って旅情に浸っている・・・)
弥彦線の東三条~吉田間もローカルムードはあまりないが休日朝はがらがら!
もちろん鶴見線とは違い単なる地方交通線の本物のローカル線であるが車窓も関東のはずれのような特長のない近郊地域で住宅街と町工場や倉庫さらにショッピング街が連なるだけで風光明媚ではなく無機質な眺めがあるだけ・・・一般的なイメージのローカル線とは異なる。
燕三条を出た227Mはショッピングセンターやホテルの連なる場所から信濃川を渡って三条市街地へ。木造住宅や低層の建物が続く旧市街地を眺め北三条へ。いくらかの乗車があって東三条に着いた。旧市街地は北陸地方の街並みを感じるが燕三条付近の新興市域は関東のはずれの近郊地域に見えた。
首都圏から来られた方々が弥彦線に乗っても面白みは感じないと考える。しかし115系が潰えかけているいま115系を存分に楽しめる路線となったのは言うまでもなく、それまで話題に上ることのなかった路線が一番輝いている時代であると言えよう。115系の時代もあと1年程度で終焉する。
車端部のクロスシート トイレ脇はクロスシートにするのが国鉄時代の流儀だった。
オールロングシートのものでもトイレ脇はクロスシートとしトイレ利用者と 座席着席者が顔を合わせないようにしていた。
115系N40編成は原型車内であり国鉄の頃の面影を今も見ることができる。
(キハ47も車站のトイレ脇はクロスシートとなっている)
近郊型電車の車内光景。115系は3扉でキハ47は2扉であるが車内の様子は類似している。
座席形状やシートピッチも同様となっている。
列車は定刻に東三条を発車。しばらく信越本線と並走後右にカーブを切り高架線に入る。
この日車掌は女性で終着寺泊までの停車駅と到着時刻を案内していた。(吉田、分水、寺泊)平日は出雲崎まで運転する。
雨で薄暗い三条の街を眺めながら北三条へ。暗くくすんだ町並みが連なり成人の日の休日のため列車の乗車も振るわない。筆者のほかは親子連れの男性のみだった。
三条は金物の街と言われるが弥彦線列車から見る光景は単なる住宅街にしかみえない。
工場や倉庫、商社も郊外に移転し商業地もさびれてしまったた。
昨日は撮影が定期市を眺めてきた。弥彦線北三条付近が活気を見せるのはその時だけのようだ。(ほか駅前には図書館や民俗資料館、ステージえんがわ、三条鍛冶道場がある。また東三条寄りに少し進むと真宗大谷派別院がある。多くの門徒を抱える寺院であるが県都新潟市中央区には別院クラスの寺院はないようだ)
冬枯れの田畑と信濃川を渡り切って燕三条。県央地域の一大商業地だがまだ眠りの中。
マンション、ホテル、大型ショッピングセンターや家電量販店、衣料品店舗、外食チェーン店がひしめく。昭和の頃は水田だったが今は旧市街地にとって代わってしまった。
燕三条の旧線跡。燕三条駅ができる前は左手に線路があった。
ショッピングセンター街を通り抜けて中ノ口川を渡ると燕に到着。
ここから燕まではスピードをかなり出しているようでモーターの音も勇ましく感じた。
燕三条のショッピングセンター街は渋滞が慢性化して移動しにくいが休日のこの時間は通る車も少なく快適であった。
燕駅付近は洋食器などの町工場が目立つがこれらも実際は燕駅から南側の暖地に拠点が移りそちらが主流となっているが、四季島で訪れる観光客が立ち寄る銅製品の工房は燕駅の近くにある。
燕市内もまだ眠りからはさめていないようで乗客は少ない。線路わきには倉庫や町工場、住宅が連なっている。
西燕に到着。ここでおりて115系N40編成を見送り227Mを待つことにする。
227Mは115系N38編成とN35編成との組み合わせとなる。
115系N38編成
短い折り返し時間の後すぐに227Mで東三条へ。
手持ちの鉄道ジャーナルNo153号(1979年11月号)P74に「ローカル線大集会」という記事があり、その記述にこんな文章が(鶴見線という出席者が ・・・要旨を記述するとローカル線は1、日本の隅っこをちょこちょこと走るイメージがあるがそれは違う
2、埋め立て地の工業地帯で客は定期券の通勤車のみで観光ガイドブックには取り上げられない。3、昼間や日曜に乗るとがらがらどんより濁った運河に沿って寂しく走る
4、先日も買い物袋を提げた奥さんが海芝浦で海を眺めて遠くに行きたくてもお金も暇もないので鶴見線に乗って旅情に浸っている・・・)
弥彦線の東三条~吉田間もローカルムードはあまりないが休日朝はがらがら!
もちろん鶴見線とは違い単なる地方交通線の本物のローカル線であるが車窓も関東のはずれのような特長のない近郊地域で住宅街と町工場や倉庫さらにショッピング街が連なるだけで風光明媚ではなく無機質な眺めがあるだけ・・・一般的なイメージのローカル線とは異なる。
燕三条を出た227Mはショッピングセンターやホテルの連なる場所から信濃川を渡って三条市街地へ。木造住宅や低層の建物が続く旧市街地を眺め北三条へ。いくらかの乗車があって東三条に着いた。旧市街地は北陸地方の街並みを感じるが燕三条付近の新興市域は関東のはずれの近郊地域に見えた。
首都圏から来られた方々が弥彦線に乗っても面白みは感じないと考える。しかし115系が潰えかけているいま115系を存分に楽しめる路線となったのは言うまでもなく、それまで話題に上ることのなかった路線が一番輝いている時代であると言えよう。115系の時代もあと1年程度で終焉する。
2020年1月12日日曜日
115系N34編成とN38編成~弥彦線
2020年1月12日 弥彦線227M 115系N34編成とN38編成 小雨交じりの朝。
雪は全くなく気温も5度くらいで真冬という感覚ではない。
弥彦線高架下では六斎市が。2と7のつく日が市が行われる日で朝から混んでいた。
例のごとく仏前用の餅菓子と野菜を買い求めた。
熊本産のにらが2包み100円とは・・・市の女性かなりお安く提供してくれた。赤字覚悟だろう。
成果物もスーパーより安いものが多く鮮魚も捌きたてである。「美食旅」は市(いち)にあるといってよいだろう。
雪は全くなく気温も5度くらいで真冬という感覚ではない。
弥彦線高架下では六斎市が。2と7のつく日が市が行われる日で朝から混んでいた。
例のごとく仏前用の餅菓子と野菜を買い求めた。
熊本産のにらが2包み100円とは・・・市の女性かなりお安く提供してくれた。赤字覚悟だろう。
成果物もスーパーより安いものが多く鮮魚も捌きたてである。「美食旅」は市(いち)にあるといってよいだろう。
2020年1月11日土曜日
2020年1月9日木曜日
弥彦駅のE127系
2019年12月29日 季節外れの晴天の日。弥彦付近は古札や古いしめ縄を炊き上げに訪れたり一年の無事を感謝する参拝者で賑わいを見せていた。
帰途に就く際に撮影したE127系。現在の弥彦線の主力。
2015年のダイヤ改正で115系から引き継いで現在に至っている。弥彦線にワンマン車が登場したのは昭和63年(1988年)10月から。以降30年にわたってワンマン車が走る路線となっている。
帰途に就く際に撮影したE127系。現在の弥彦線の主力。
2015年のダイヤ改正で115系から引き継いで現在に至っている。弥彦線にワンマン車が登場したのは昭和63年(1988年)10月から。以降30年にわたってワンマン車が走る路線となっている。
2020年1月8日水曜日
おひるねshukura
2019年12月29日 キハ40系 shukura編成。ふだんは上越妙高~長岡~十日町の区間で運転の越乃shukuraで運用する当編成は久しぶりに新津運輸区でのどかな休息をしていた。
入れ替えのキハ110系と並ぶ
一般のキハ40系が新津からいなくなった後が気がかりだがしばらくは運用するのであろう。
新潟支社の重要な観光列車であることに間違いない。
入れ替えのキハ110系と並ぶ
一般のキハ40系が新津からいなくなった後が気がかりだがしばらくは運用するのであろう。
新潟支社の重要な観光列車であることに間違いない。
2020年1月7日火曜日
脇役E127系
2020年1月5日 吉田を出た127系が弥彦に向かう。5番乗場から越後線をまたいで(平面交差)築堤を上って弥彦に向かう。築堤は西川の橋梁につながる。
弥彦山の一部を入れて・・・カーブ右手は西川の橋梁があるがこの位置からは見ることができない。多数の住宅に囲まれて近郊列車の風情である。
列車運転本数が多数あった1960年代に比べれば現在は相当減ってしまった。
E127系は無駄のないすっきりした外観が特徴。登場してから20年以上が過ぎて仲間たちの多くがえちごトキめき鉄道の妙高はねうまラインで活躍している。
弥彦山の一部を入れて・・・カーブ右手は西川の橋梁があるがこの位置からは見ることができない。多数の住宅に囲まれて近郊列車の風情である。
列車運転本数が多数あった1960年代に比べれば現在は相当減ってしまった。
E127系は無駄のないすっきりした外観が特徴。登場してから20年以上が過ぎて仲間たちの多くがえちごトキめき鉄道の妙高はねうまラインで活躍している。
2020年1月5日日曜日
115系順列と組み合わせ
2020年1月5日 115系N34編成と33編成 227M
予想とは異なった編成になっていた。また寺泊行きはN38編成だった。
115系N33編成 昨日の3374M~本日の信越本線3371M~3481Mとなるとおもったらまだ弥彦線にいた・・・相方になると思われたN37編成のすがたは?
115系 N38編成 寺泊発新潟行き列車。雪の少ない弥彦山を背に走る。湘南色は115系の原点。
115系N36編成 3481M快速 年末は弥彦臨深夜の「行く年令和元年」「来る年令和元年」で運用されていた。本年初撮影。冬枯れに黄色が映える。
吉田12時33分発柏崎行き 明日の弥彦線経由寺泊行きの運用に入ると思う115系N35編成
さて気になっていた115系N33編成~N38編成とN40 編成の組み合わせは
たとえば新潟寄りN33編成で柏崎寄りN34編成があったばあいこの逆の新潟寄りN34編成と柏崎寄りN33編成でも1種類ととらえすべてで21通り。(組み合わせという)
また 上記の新潟寄りN33編成と柏崎寄りN34編成と新潟寄りN34編成と柏崎寄りN33編成を別物ととらえた場合全部で42通りとなる。(順列という)
理論上の話題に過ぎず、実際は運用の都合などですべて出揃うかどうかはわからない・・・ただ順列はともかく組み合わせはあるかもしれない。
筆者の場合ひいきのN40編成との相手関係を中心に考えているが、他には新旧の弥彦色の組み合わせや湘南色とそれ以外の組み合わせも興味深い・・・
予想とは異なった編成になっていた。また寺泊行きはN38編成だった。
115系N33編成 昨日の3374M~本日の信越本線3371M~3481Mとなるとおもったらまだ弥彦線にいた・・・相方になると思われたN37編成のすがたは?
115系 N38編成 寺泊発新潟行き列車。雪の少ない弥彦山を背に走る。湘南色は115系の原点。
115系N36編成 3481M快速 年末は弥彦臨深夜の「行く年令和元年」「来る年令和元年」で運用されていた。本年初撮影。冬枯れに黄色が映える。
吉田12時33分発柏崎行き 明日の弥彦線経由寺泊行きの運用に入ると思う115系N35編成
さて気になっていた115系N33編成~N38編成とN40 編成の組み合わせは
たとえば新潟寄りN33編成で柏崎寄りN34編成があったばあいこの逆の新潟寄りN34編成と柏崎寄りN33編成でも1種類ととらえすべてで21通り。(組み合わせという)
また 上記の新潟寄りN33編成と柏崎寄りN34編成と新潟寄りN34編成と柏崎寄りN33編成を別物ととらえた場合全部で42通りとなる。(順列という)
理論上の話題に過ぎず、実際は運用の都合などですべて出揃うかどうかはわからない・・・ただ順列はともかく組み合わせはあるかもしれない。
筆者の場合ひいきのN40編成との相手関係を中心に考えているが、他には新旧の弥彦色の組み合わせや湘南色とそれ以外の組み合わせも興味深い・・・
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