2024年11月23日土曜日

また冬へ向かう

2024年11月10日 EF510-2 4060レ

晩秋の雲一つない澄み切った空を背にEF510‐2 4060レが通過する。暑い日が終わって短い秋のひと時を過ぎると時雨の日が多くなる。

2024年11月22日金曜日

無蓋車でコンテナを運ぶ


 1993年 信越本線 EF64とその後ろのトキ25000無蓋車にはC20型などのコンテナが。冷静に考えると不思議な光景である。

2024年11月21日木曜日

当たり前に見られたものが当たり前ではなくなる時


 2008年8月14日 新大阪 0系こだま博多行き 6連

このころ見られた0系はJR化以降の塗装変更車で、この編成は終焉末期で塗り戻されたもの。1970年代末期以降の製造で1964年の東海道新幹線開業時のものではない。

この日新大阪では塗装変更された6連の100系、300系、700系も見ている。

現在それらはすべて廃止され見ることは不可能である。日常当たり前に見ることができるものも見ることがかなわなくなることが必ずある。

 

関西以西というより市振以西は行かなくなってもう13年になろうとしている。北陸新幹線は首都圏と北陸だけを結ぶ「単機能」であり日本海縦貫線の機能はない。そもその敦賀から先をどうするか紛糾していつできるかもわからない。これが現実である。

 

2024年11月19日火曜日

EF510-510 ブルボンルマンド


 2024年11月16日 EF510-510 3093レ

ブルボンルマンドコンテナ。久しぶりの機関車次位の大きなコンテナ。

荒天まえの小春日和の日。翌日は雨となった。遠方からの来客があってEF510との対峙はできなかった。

2024年11月18日月曜日

配8799レ EH500-67


 2024年11月16日 EH200、DD200、EH500-67 

門司機関区のEH500-67が大宮車両所に入場。

2024年11月17日日曜日

霧と紅葉の弥彦

2024年11月16日 弥彦駅 E129系 吉田行き
弥彦駅に隣接する弥彦公園 紅葉が進んだ。
楓のグラデーション
観月橋1

観月橋2 早朝で人が少ないように見えるがすでに多くの人が撮影や散策をしていた。
針葉樹を背後に

弥彦駅で見かけた資料。戦後間もないキハ41600型。弥彦線東三条駅付近。戦前から戦後に走ったガソリンカー。機械式気動車である。晩年はエンジンをディーゼルに換装して走っていた。

戦前のキハ41000型 軌道が脆弱な越後線と弥彦線では主力として使われていたようだ。

 6250型蒸気機関車。

2024年11月15日金曜日

飯豊初冠雪


 2024年11月10日  EF510-500番台  4076レ

数日の冷え込みで高い山には雪が積もっているところを確認できた。飯豊連峰のほか、妙高山や北アルプスの山も山頂は白くなっていた。

EF510の手前の黄色い水田は稲を刈った後再び生えてきた「ひこばえ」が再び実ったものである。

ことしは米は豊作だったが昨年の不作などの影響で価格が上昇してしまった。

EF510といえば一部に能登半島地震復興を願った表示がされたもの登場したという。

 

2024年11月14日木曜日

冬を前にした晴れの一日


 2024年11月9日  晴れた日。遠くの高い山は冠雪して冬が始まったことを告げていた。数日前の冷え込んだ日の影響か平地でも樹木の色づきが確認できた。冬囲いをしているお宅もあり冬が近づいたことを知る。

2024年11月11日月曜日

晩秋を走る「四季島」

2024年11月9日 下りトランスイート四季島E001

 青空と黄色い水田。稲を刈った後再び実る。これはひこばえと言い、穂に中には実は入っていないという。これが見られると晩秋である。

トランスイート四季島はゆっくりと晩秋の越後平野を走り去っていった。

2024年11月10日日曜日

EF510-1 3098レ  残照

2024年11月9日 EF510-1 3098レ
西日を受けて車体の上部は金色に変わる。
残照を側面に受けて一路福岡貨物ターミナルへむかう。これから闇の中に進路をとる。

2024年11月8日金曜日

枯れ野EF510 貨物

2024年11月4日 EF510 4061レ  

振替休日の朝の貨物列車はこの1本だけ。4076レと4075レは運休となっている。

稲刈りが終わった水田地帯。枯れ野に変わってもうすぐ積雪で白くなる越後平野。わずかなひとときを列車は走る。毎年繰り返される季節の移ろい。

丘の上から列車を眺めるが空気が澄んでいるのか踏切りの音も、列車の走る息遣いも感じることができる。
 

2024年11月7日木曜日

晩秋の越後平野


 2024年11月4日 E129系 426M

永明寺展望台から 本来であれば通勤時間帯なのであろうが眼下を見ても混雑は少ない。晩秋の休日。黄色く実った大地は枯れ野のようにかわった越後平野。

展望台からは見附、長岡方面を見ているが、こちら側は人家も少ない秘境のように感じというより一歩手前なのであるが少し行くと郊外型商業地や、工業地帯、倉庫群などに突き当たる。

国道に沿って産業が開け、山すそは衰退して活気が失われている。地方の特徴と言える。この一帯は生産が中心で観光には乏しい。

ただそんな中にも知られざるものがいくつか存在してそれらを見聞することも楽しい。

 

2024年11月5日火曜日

11月3日は晴れの特異日という

2024年11月3日 文化の日 55M しらゆき5号
E129系 上り 442M

文化の日は「晴れの特異日」という。秋が深まって日本海側では冬の走りが見られるまでのわずかな期間秋晴れが長く続くことがあり、そのころを現していたのかもしれない。

週間予報では雨は朝までで、7時ころは霧が立ち込め、雲が消えていった。この日は鮮やかな夕景が望めた。冬囲いなどにはうってつけでありそろそろ紅葉も見ごろなのかもしれない。

 

2024年11月3日日曜日

朝霧を走る


 2024年10月29日 雨上がり E129系 425M

三条市の永明寺山から長岡方面。朝霧の彼方からE129系425Mが。

ここは明治期に日食の観測が行われた場所で。周辺に記念碑がある。また春の桜を愛でつつ越後平野を展望し、日没から夜間(20時以降は立ち入りできない)の夜景も最近「日本夜景遺産」に選定されている。

国鉄型485系やEF81貨物、EF81トワイライトエクスプレスを見送ったのもいい思い出である。幼少の頃はキハ82系「白鳥」もここで見ている。

2024年11月2日土曜日

211系顔特集


 2024年2月11日 中央本線 上諏訪

鉄道ファンの特集に211系顔の車両たちが取り上げられている。

211系が登場したのは1985年度であり暖地向き0番台、ロングシート2000番台、寒冷地向け1000番台、ロングシート3000番台。以降JR東海の5000番台である。

鋼製の113系や115系を見慣れた者にとっては新時代の訪れを感じさせる車両であった。ただ、ロングシート近郊型には少々違和感があったが。

これら211系は在来の113系や115系とともに首都圏の輸送を支えたが2001年にE231系が登場すると脇役に回ることとなった。もちろん113系や115系は引退への花道を進むが。

いまは211系も北関東と長野県の中央本線などの運用が中心で編成も短く全盛期の勢いはない。ただ、風光明媚な地域を走る光景は秀逸と言えよう。

話題にならぬうちに攻めてみたいところである。