2017年8月31日木曜日

583系急行「きたぐに」米原~1987年4月

1985年4月29日  東海道本線米原~彦根間  583系「きたぐに」502M大阪行き
夜の闇を走り抜けた急行「きたぐに」は朝を迎える。側面には朝日を受けて終着を目指す。

2017年8月30日水曜日

北陸鉄道「小松線」1985年8月

1985年8月14日 北陸鉄道小松線  色づき始めた水田の稲に青空と小松線の単行電車。

小松と鵜川遊泉寺を結ぶ路線。1986年5月31日の運行を最後に廃止された。

2017年8月29日火曜日

スハフ322357 現役の頃~1983年磐越西線

1983年9月  会津若松  現役時代のスハフ32 2357 〔仙コリ〕
会津若松~新津間の1233レ  仙52運用。
DD51に牽引されて新津に向かう1233レが会津若松駅で発車待ちである。この列車にはスハフ32が2両連結されていた。会津若松は15時46分発新津着は18時34分であった。(現在運転のばんえつ物語と似たような時間であるが本列車は普通列車でかつ長時間停車もない。
スハフ322357 仙コリ  1938年(昭和13年)スハフ34658 という形式で梅鉢車輛で製造。
1941年(昭和16年)スハフ32357 1964(昭和39年)年10月土崎工場で電暖改造 スハフ322357となる。

当初は新潟に配置のち品川、大館、秋田、福島、 郡山と移動。郡山への移動は1978(昭和53年)年10月では磐越西線の運用が中心となった。
 1985年3月ダイヤ改正で休車となったが動態保存目的で高崎に転属して現在も運転されることがある。


1978年頃TVドラマ「太陽にほえろ」のCMにサントリーのウイスキーのCMがあり古い客車に揺られて温泉旅館に行くものがあった。ゆったり走る旧型客車の車内でウイスキーを・・・・・
大人の世界を覗き込んだ気分が・・・・一度はやってみたかったが旅のお供はビールであった。
磐越西線沿線は駅前旅館も多数あるし、ばんえつ物語でもいいので・・・・・


この1233レも喜多方まで立ちが出るほど混んでいたが野沢あたりではがらがら、列車はのどかに阿賀野川沿いを走り日の暮れた新津に到着をした。飽きもせずあまり乗り心地がいいとは言えない古い客車に揺られていたのであった。

2017年8月28日月曜日

485系特急「鳥海」1983年

1983年9月 485系特急「鳥海」上野行き 青森運転所の12連食堂車付き。 上越新幹線の開業で日中の上越線の特急はこの「鳥海」を除いてすべて廃止された。
この列車のみ上越、東北新幹線の恩恵を受けない地域の為青森~上野間に運転となった。
おもに山形~秋田の区間の日本海沿岸地域のための残存となった。

下り2041M上野10時30分→新津14時30分→青森21時13分
上り2042M青森07時56分→新津14時31分→上野18時34分


2017年8月26日土曜日

485系「北越」~1979年8月

1979年8月 485系特急「北越」金沢行き 向日町の485系12連 食堂車の営業もあった。
1978年10月ダイヤ改正までは大阪までの運用が2往復あったが特急「雷鳥」の新潟乗り入れに関連して廃止されている。「北越」が増発されるのは1982年11月15日のダイヤ改正で上野~長岡~金沢間の特急「はくたか」2往復の長岡~金沢間の残存運用部分を新潟駅発着として上越新幹線の接続に特化した列車が設定されるまで1往復の時代であった。もっともそれ以降完全廃止まで複数往復しているので1往復の時代が貴重なようだ。 このころは新幹線もなく単なる地域連絡輸送だったためである。

2017年8月25日金曜日

湘南色が当たり前だったころ~1986年篠ノ井線

1986年6月 篠ノ井線 115系6連の普通列車。ごく当たり前の編成。このころは新宿や立川、高尾からやってくる横須賀色の115系の運用が消滅して寂しくなったと思っていた時代。
湘南色115系はどこにでもある編成であった。
いまとなっては湘南色6連というのも長い編成になるようだ。また長野オリンピック誘致のシールを貼付したところも時代を反映している。
この編成は冷房はなく民営化後を待たなければならなかった。(新潟も同じである 新潟でも上越線の冷房付きの115系の上野~長岡間直通が消滅している)

2017年8月24日木曜日

381系 特急「しなの」

1986年6月 篠ノ井線聖高原~坂北 381系の9連による特急「しなの」国鉄末期の時代である。
JR移行後は改造がされて増発に伴う編成短縮なども行われたがこの時代長大編成で最後の輝きを放っていた。JR東海に承継された381系は短命でしばらくして383系に置き換わっていく。

2017年8月23日水曜日

信州の今を走る列車~長野駅・篠ノ井付近

2017年8月14日 長野総合車両センター~長野駅への回送電車。211系信州色。この編成は職員輸送だったようだ。すべて行先表示が回送となっていた。(長野駅から営業に供する列車は行先を既に表示している)

黒姫方面から来たしなの鉄道の115系3両+2両。編成が長くなると迫力も倍増。かつて新潟県内でも当たり前に見られた編成パターンもいまは見ることができないので久しぶりに見分した。新潟の115系も大半が長野から2013年以降転入した編成である。3両のものが残っているだけで編成のバリエーションも多くはない。
篠ノ井機関区でのEF641046〔愛〕と1025の重連とEH200-19〔高〕 いまや信州山岳路線の貨物列車の主役たち。
EF641046は伯備線での運用で岡山機関区にいたので高崎機関区とは異なった塗装であったが2010年以降岡山、高崎、愛知の各機関区のEF641000番代は愛知機関区に統合されて現在にいたっている。岡山機関区色のEF641000番代も東日本大震災による迂回貨物輸送で新潟県内を走ったことがある。
篠ノ井の駅を発車した篠ノ井線長野行き普通列車。E127系100番代で外観は東北地方を走る701系電車と同じ。新潟県内を走るE127系0番代(ET127系)の方が変形車だと思う。
 しなの鉄道の115系横須賀線色。この色の故郷である篠ノ井~中央本線へは原則走らないが懐かしい塗りわけである。1985年3月改正の運用変更まで新宿・立川・高尾~松本・長野方面に多数運用があった。中央本線の東西の電車が合流する篠ノ井線では風物的存在であった。
EH200-20〔高〕牽引の石油返空の2084レ 新潟県内では見ることのできない石油タンク車の専用列車。坂城~篠ノ井~根岸への運用である。
383系名古屋行きの「しなの」 こちらも長大編成の在来線特急。善光寺平を後に姨捨の山を越えて名古屋に向かう。
北陸新幹線E7系の「はくたか」 いまや信州の最重要路線。篠ノ井の駅を高速で一気に通過していく。
篠ノ井駅付近は在来線よりすこし高いぐらいの位置である。駅の広場のはずれから・・・・



2017年8月22日火曜日

塩田平の記憶~1985年上田交通別所線

1985年11月3日 上田交通別所線 上田原車庫にて
この場所で長野県の鉄道研究の大御所 故小林宇一郎氏と会う。
天気も良く最高の撮影日和であった。
 1985年10月10日 稲刈りが終わってはさがけの稲が並ぶ。電車は丸窓の5250型と東急5000系改造のクハ290型 1983年に東急5000系中間車のサハ5358と5371を改造して制御車にした。「平面ガエル」の愛称で親しまれた。
1985年10月10日 クハ250型他  みごとなはさがけの中を走る。
別所線はそれほど風光明媚渡いわけではなく住宅も沿線に迫っていた。なので隙間を狙って。
すでに「あおり雑誌で」700Vから1500V に昇圧されて丸窓電車もあと1年で消え去るということが記載されていたため結構撮影者は多かった。 この年蒲原鉄道の加茂~村松間が廃止で私鉄愛好家たちが次に注目した路線だったようだ。
単行でのんびり・・・・
霧の朝


上田では珍しい赤い電車。後ろの緑は東急のデハ3300型など。

上田原も珍品ぞろいで非常に楽しめた。いまは廃止となり(車庫は下之郷に移転)そんな時代も遠くなってしまった、

好天の中の撮影と合間に入った別所温泉の外湯の記憶である。

2017年8月21日月曜日

キハE130系500番代

2017年8月19日  八戸線のキハ40系置き換え用のキハE130系500番代が新潟トランシスより落成した。隣には先輩格のキハE120が。水郡線用がごってっとした塗りわけだったが八戸線用はすっきりした印象である。また3扉の為都会的に見える。国鉄時代であれば寒冷地の東北地方に3扉の車両が配置されることはなかったがもはや東北本線などに701系通勤型が多数配置されて主力となっている昨今は特に抵抗はないのかもしれない。このあたりが国鉄と今の民営JR東日本との違いかもしれない。デッキのない3扉故通勤輸送は真価を発揮するものと思われる。

2017年8月20日日曜日

上田城~ろくもん


2017年8月14日  上田城のお堀の遊歩道。  まるでトンネルのような立派な橋が見えるがこれは本丸に向かう通りになる。撮影した場所はなんとなく廃線の匂いが・・・・?




とおもったらごらんの案内板があった。かつてここに電車が走っていたということである。
本丸へは橋のたもとの階段を上っていったのだがその付近に駅があってホームの名残だった。
上田温電北東線の跡・・・・1928年(昭和3年)に本原~真田間開業で1972年(昭和47年)2月廃止。
上田温電とは上田温泉電軌ということでのちの上田交通の真田傍陽線となった。

上田城から見た上田の市街地・・・ちょうど「しなの鉄道」の115系が通過。横須賀色に変更された編成だった。この色の115系は新宿から長野への長距離普通電車のイメージが強い。
信越本線=しなの鉄道だと115系ではなく旧型国電の時代に見られた色になってしまう。
上田城を見学後長野方面へ。戸倉駅の裏手には「ろくもん」が待機。
115系JR東日本長野色が通過。この色ももう1編成だけになったらしい・・・・
塗装もかなり汚れていた。

115系天国「しなの鉄道」・・・JR東日本長野支社では115系はすでになく一部が新潟に流れていま最後の活躍をしている。

2017年8月19日土曜日

上田の丸窓電車


 2017年8月14日 上田電鉄別所温泉 前日の探訪の疲れを別所温泉で癒し朝から保存車用を見学。別所温泉の湯は熱いがじわっと効いてくるようで体が軽くなっていくのが分かった。
身体の疲れも霊気もみんな持って行ってくれたのかも。

別所温泉駅には丸窓電車こと5252型が展示。この電車は1928年(昭和3年)に日本車両で製造された


 チャームポイントはこの楕円の窓! 走る工芸品という印象だった。
今から30年以上前に電圧の変更で廃車になった。1986年(昭和61年)10月にそれまでの750Vから1500Vに変更されたためである。

こじんまりした別所温泉駅 優美な外観。

駅舎内部 古典的な風情が漂う。

保存電車も駅舎も清潔に保たれているのがよかった。
 現在の主力1000系。 画像のものは「自然と友だち号」だが丸窓仕様のもの「まるまどりーむ mimaki」号もある。

現在の主力  東急の1000系を改造したもの。塗装をかつての丸窓電車に合わせている。
1000系の前照灯に照らされて闇に浮かび上がる。







2017年8月17日木曜日

坂城駅保存の169系

2017年8月13日 信濃川田で朽ち果てていく車両たちを記録した後千曲市(更埴地区)の体育館に保存されているD511001を見に行ったがすでに体育館の本体の解体が開始されて大きなフェンスが取り囲み、見ることはかなわなかった。そのまま国道18号線に入り一路坂城町へ。

右手も左手もかなり高い山が迫っていてその間のわずかな平地に建物がぎっしり、水田ばかりの越後路とは大きな違いである。すくなくとも息苦しさはない。
坂城では駅で入場券190円を払って順光側から。廃車になってだいぶたつがきれいな車体である。
防犯関連の機器が取り囲み不審者を入れない、また時折保存活動もされているようである。
もしかしたら現役時代よりきれいかも。

編成は長野寄りがクハ169-27、モハ168-1、クモハ169-1であった。
 久しぶりに見る急行型湘南色に感動。これら形式が走り回っていた時代を思い起こす。
今の主役は115系。JR線では引退に向けて置き換えが進んでいるがしなの鉄道ではまだ主力。
1997年当初のこの塗りわけも違和感がありまくりだが、いまは信州の115系の色として見慣れた存在となっている(個人的に)169系もこの塗装で活躍したが一部が湘南色に塗り替えられて引退を迎えた。

 169系の車輪
クモハ169-1
坂城駅の駅舎

とりあえず目的の車両は抑えられた。あとは上田電鉄の丸窓電車だけだ。
このあとは上田に向かった。



2017年8月16日水曜日

信濃川田駅跡~この世とあの世のジャンクション?

2017年8月13日 旧長野電鉄屋代線信濃川田駅の木造駅舎。 長野電鉄線にはこのような木造駅舎が多数あった。 私鉄のこじんまりした駅舎は郷愁をそそる。
駅舎内のようす。改札口からホームを見る。 電車が止まっていて現役の駅のようだ。もう列車は来ないが時刻表も残っていた。
モハ1003型茶色の電車が佇む。 側面は塗装が剥げて痛々しい。かつてはながでんのひろばに置かれていた。
電車そのものは全面も原型である。
反対側は塗装剥がれはない。車両は2扉で中央寄り。旧型国電とは違った様式だがどことなくそんな車両を思い出す。
2000系電車。もっとも初期の時代の塗装。大きな窓と白線の塗りわけがEF58を思い起こさせる。
しかしかなり傷んだ状態である。生殺し状態で留め置かれた状態が長期にわたり塗装も傷んでいる。
今後どうなるのか?

重苦しい気分で眺めていた。時折撮影している人もあるようで若い女性が撮影しているのがちらりと見えた。

廃車になった列車から出る「霊気」のせいか体が重くなってきたので見学を終了して次の目的地に向かう。(昼抜きで水も飲んでないので熱中症になり掛けたのやら?)
ただこれらの電車たちも人間が作ったものでその分身ともいえる要素もあるので霊が宿っても不思議ではないかもしれないですね。

信濃川田の車両たちは内部は公開していないので見ることはできません。



2017年8月15日火曜日

長野電鉄「スノーモンキー」と「ゆけむり」そして「りんご色」 2000系~小布施ながでんのひろば



2017年8月13日 長野電鉄小布施にて 手前はかつての成田エクスプレスの253系である。奥は小田急の10000系。今は長野と湯田中の区間の特急として走る。
2000系が保存されているので中に入ってみた。(入場券を買って入ること)
りんご色が褪せてきているがまだ鮮やかさを失っていない。
車内は公開されている時間がある。 回転式のクロスシートで一部ロングシート。
晩年は冷房化されていた。
りんご畑と腕木式信号機を絡めて・・・・・
つい最近まで名車OSカー0系も長野電鉄に存在したがすでに解体された。
駅構内の踏切りから・・・・普通列車  私鉄の駅のこじんまりした光景を楽しんだ。
今はない新潟交通線もこんな雰囲気だった。

小布施の駅から廃線になった長野電鉄屋代線の信濃川田の駅跡に向かう。