2016年12月28日 2084レ EH200-14牽引 隅田川に向かう紙輸送列車。
夜の帳が下り始めた・・・・枯れすすきを見ながら走る。
2016年12月28日水曜日
2016年12月18日日曜日
昭和天皇御召列車全記録
2016年12月11日 「昭和天皇御召列車全記録」という書籍。行きつけの書店の鉄道コーナーを通るたびに探したが見つからなかった。欠品続きかと思い政治コーナーを見ると・・・・しかし新潮社という大手出版社が長期にわたり欠品はありえないだろうし・・・鉄道愛好家が多数購入?でないのか?と思っていたがなんと「昭和天皇実録」の隣に2冊あった。
御召列車は天皇陛下(皇后様、皇太后様をふくむ)が御行啓のときに鉄道利用される際に運転される専用列車である。
この書籍は昭和天皇の皇孫時代から晩年までの記録を記したものである。
明治の皇孫時代、大正の皇太子・摂政時代、昭和戦前、戦後巡幸、象徴天皇時代で構成されている。
「昭和天皇実録」から 鉄道乗車記録を抜き出して年表形式で編集され牽引機関車や編成、日程、同行者、宿泊所が記載されている。
1984年9月27日運転の福島県の磐梯熱海から原宿まで運転のEF5861〔東京〕牽引の新1号編成による昭和天皇・皇后両陛下の御召列車である。
当時の行程は 9月25日原宿~福島、26日福島~翁島、27日は磐梯熱海~原宿で原宿と黒磯の区間が写真のEF5861で東北本線黒磯~福島間がED75121、郡山~翁島(列車は回送で会津若松まで)ED7712という構成。
この列車は「フルムーン御召列車」と呼ばれ昭和天皇・皇后両陛下が1924年(大正13年)の皇太子時代に皇太子妃とともに行啓された地を再び訪問されたことにちなんでいる。
この書籍は昭和天皇の87年のご生涯の24万キロの鉄道利用そしてその目的も記載されているので20世紀の鉄道そして社会史を知ることにつながるようである。
御召列車は天皇陛下(皇后様、皇太后様をふくむ)が御行啓のときに鉄道利用される際に運転される専用列車である。
この書籍は昭和天皇の皇孫時代から晩年までの記録を記したものである。
明治の皇孫時代、大正の皇太子・摂政時代、昭和戦前、戦後巡幸、象徴天皇時代で構成されている。
「昭和天皇実録」から 鉄道乗車記録を抜き出して年表形式で編集され牽引機関車や編成、日程、同行者、宿泊所が記載されている。
1984年9月27日運転の福島県の磐梯熱海から原宿まで運転のEF5861〔東京〕牽引の新1号編成による昭和天皇・皇后両陛下の御召列車である。
当時の行程は 9月25日原宿~福島、26日福島~翁島、27日は磐梯熱海~原宿で原宿と黒磯の区間が写真のEF5861で東北本線黒磯~福島間がED75121、郡山~翁島(列車は回送で会津若松まで)ED7712という構成。
この列車は「フルムーン御召列車」と呼ばれ昭和天皇・皇后両陛下が1924年(大正13年)の皇太子時代に皇太子妃とともに行啓された地を再び訪問されたことにちなんでいる。
この書籍は昭和天皇の87年のご生涯の24万キロの鉄道利用そしてその目的も記載されているので20世紀の鉄道そして社会史を知ることにつながるようである。
2016年12月17日土曜日
冬枯れを走る
2016年12月12日 485系3000番代の糸魚川からの快速列車。2015年3月のダイヤ改正で特急「北越」の廃止を受けて糸魚川~新潟間に1往復設定。 2017年3月4日のダイヤ改正では廃止されることが決定した。485系の老朽化によるものであろう。 E129系2連の土曜休日運転の臨時快速電車が直江津~長岡間に運転されることとなった。(A編成2連)長岡で上越新幹線に接続して新潟方面連絡となる。
2016年12月11日日曜日
719系0番代
2016年5月3日 磐越西線広田にて 719系会津若松行き快速列車。 東北色とあかべぇ色(磐越西線色)との混成4連。磐越西線のローカル輸送は本形式が務める。
磐越西線の電化区間(喜多方~会津若松~郡山間)は東北本線をコンパクトにした感じの路線で車種も豊富で非電化区間より本数が多く幹線らしい印象があった。
国鉄時代は貨物、客車列車がED77、特急あいづ485系、急行ばんだいが455系、急行いいで、あがのがキハ58系これらが入り乱れて走り抜けていった。
JR移行後もそのまま引き継がれたが徐々に形式の単一化が進み、いまは719系だけが走る。
719系は2007年7月からそれまでの455系を置き換え主流となった。
719系そのものは1989年より東北本線(仙台周辺)で使用開始その後急行型455系などを置き換え その後奥羽本線用5000番代(1435㎜)タイプが1991年に登場している。
211系風の顔立ちで3扉近郊型であるが集団見合い型クロスシートとなっている。(一部のみボックスシートで他は固定式ロマンスシート)
近時新津でE721系1000番代が作られ719系も30年近い車齢がある関係で去就が注目される。
磐越西線の電化区間(喜多方~会津若松~郡山間)は東北本線をコンパクトにした感じの路線で車種も豊富で非電化区間より本数が多く幹線らしい印象があった。
国鉄時代は貨物、客車列車がED77、特急あいづ485系、急行ばんだいが455系、急行いいで、あがのがキハ58系これらが入り乱れて走り抜けていった。
JR移行後もそのまま引き継がれたが徐々に形式の単一化が進み、いまは719系だけが走る。
719系は2007年7月からそれまでの455系を置き換え主流となった。
719系そのものは1989年より東北本線(仙台周辺)で使用開始その後急行型455系などを置き換え その後奥羽本線用5000番代(1435㎜)タイプが1991年に登場している。
211系風の顔立ちで3扉近郊型であるが集団見合い型クロスシートとなっている。(一部のみボックスシートで他は固定式ロマンスシート)
近時新津でE721系1000番代が作られ719系も30年近い車齢がある関係で去就が注目される。
2016年12月4日日曜日
SLクリスマストレインなど
2016年12月4日 新津駅 DE101680が12系客車から切り離された。冬の晴れた朝太陽の位置がまだ低くまだらな日当たりになっている。
グリーン車スロフ12の座席 3列座席となっている。最後部は展望室。 行先票は新潟~会津若松となっている。
新潟駅へ送り込むためのEF81151〔長岡〕が連結された。
EF510-510〔富山〕牽引の4061レが新津駅に到着。ここで乗務員が交替する。
羽越本線への115系6連の新発田行き。湘南色N2編成。
キハ47とキハ48の編成が待機
主役C57180が庫を出て編成に連結する。
115系N33編成
新潟に向けて回送。
これで今年C57180のシーズンは終了である。
グリーン車スロフ12の座席 3列座席となっている。最後部は展望室。 行先票は新潟~会津若松となっている。
新潟駅へ送り込むためのEF81151〔長岡〕が連結された。
EF510-510〔富山〕牽引の4061レが新津駅に到着。ここで乗務員が交替する。
羽越本線への115系6連の新発田行き。湘南色N2編成。
キハ47とキハ48の編成が待機
主役C57180が庫を出て編成に連結する。
115系N33編成
新潟に向けて回送。
これで今年C57180のシーズンは終了である。
2016年12月3日土曜日
キハ40 560新ニツ
2016年11月26日 キハ40 560 1980年2月富士重工で製造 郡山、小牛田、八戸を経て新津に転入。現在新津では青新潟色キハ40500番代唯一の一両となった。(只見線用は2000番代また残りは赤新潟色と越乃Shu*Kura用である)
2016年11月30日現在 キハ40560、585~587、2020、2023 他552
キハ48の転入と引き換えにキハ40 502、526、534、582~584は郡山(会津若松)転出。
2016年11月30日現在 キハ40560、585~587、2020、2023 他552
キハ48の転入と引き換えにキハ40 502、526、534、582~584は郡山(会津若松)転出。
キハ48 554とキハ48 1545
2016年11月26日 新津 キハ48554
キハ48 554内部 |
キハ48 554は2015年7月2日 小牛田より転入 |
キハ48 1545 2015年7月2日小牛田より転入 |
新津駅5番線に停車しているキハ48554とキハ481545 |
これも米坂線が奥羽本線の新在直通(山形新幹線開業)に関連する工事で米沢で終着となった関連で山形から転入してきた関係で1992年に新津に配置となっている。
その後大きな変化はなかったが只見線が2011年7月の水害で寸断され小出~只見間が新津所属(長岡運用)となりキハ48551が2013年5月22日、キハ481547が2013年5月17日郡山(会津若松)より転入。冷房無の東北+盛岡の組み合わせで走っていたが、小牛田よりキハ48ワンマン仕様が多数転入し只見線用も冷房が取り付けられたものに変更され廃車となった。
小牛田からはキハ48503、538が2015年9月9日、545が9月8日、1513が9月9日、1533と1535は9月8日 554と1545は7月2日であった。 545と1533はデッキ付で只見線用それ以外はワンマン仕様デッキなし、1掛けボックス席有りで新潟近郊用(磐越西線など)
これに伴いいったん消えた青新潟色キハ48が多数復活することとなった。
古株のキハ48523は2002年春まで青新潟色で赤に変更され、2014年3月に急行色になっている。
2016年11月29日火曜日
鐡道ピクトリアルの2017年1月号は勾配線区を行く
奥羽本線を行くED782〔福島〕とEF71の重連による貨物列車。1984年7月28日撮影である。現在この区間は標準軌(1435㎜)に改められて山形新幹線列車「つばさ」の通り道となっている。山形新幹線は1992年7月1日開業している。
庭坂をでた列車はここから米沢手前まで険しい最急勾配38‰「板谷峠」を走ることになる。赤岩、板谷、峠、大沢の各駅はスイッチバック駅であったが1990年山形新幹線乗り入れ工事に際して廃止されている。 頂上は峠駅付近標高は625m(スイッチバックの各駅は1949年(昭和24年)9月に通過線がさらに1968年9月22日に直流から交流に変更庭坂~赤岩と大沢~関根の区間が複線化
1970年(昭和45年)6月30日赤岩~板谷間複線化残りの板谷~峠間複線化は1971年(昭和46年9月17日であった。(直流電化は1949年4月24日でEF16 1~12が投入のちにEF64に代わった)
この区間の列車に乗った際の感想は庭坂を出たところの大カーブの展望と次々やってくるスイッチバックの駅そして無人の山間の風景であろう。旧型客車の列車で振り回されたのも今は楽しい記憶。
仙山線山寺付近を行く455系「仙山」 1984年11月3日
山形~宮城県境の面白山付近にサミットがある。最急勾配は33‰
1983年10月 奥羽本線庭坂付近 485系「つばさ」福島と秋田の区間を結ぶ東北新幹線とのアクセス列車が中心だった。(一部上野直通あり他山形~上野間の「やまばと」もあった)
1982年7月 信越本線関山付近 EF62 6牽引普通列車がスイッチバックを出て長野に向かう。
直江津~長野間の322レ 新井から豊野まで25‰の勾配がある。サミットは黒姫付近。 標高は672m関山駅は手前の二本木駅とともにスイッチバックで明治19年(1886年)8月15日 直江津~関山間の直江津線開通と同時に設置。1985年10月28日長野寄りに新駅が作られスイッチバックは廃止。2015年3月の北陸新幹線開業後「えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン」として再出発。妙高高原と長野の区間は「しなの鉄道北しなの線」となっている。
上越線を走る特急「とき」183系 町並みは越後湯沢付近。石打と水上の区間清水峠越え。勾配は20‰ 標高は677m土樽~土合間の茂倉信号場付近がサミット。
現在貨物列車はEH200がすべて牽引しているがそれまではEF641000番代重連それ以前の1980年10月ダイヤ改正前はEF16とEF15重連 一部旅客列車はEF16とEF58重連であった。戦時中はEF13などが使われていた。清水トンネルは1931年(昭和6年)9月1日完成で延長は9,702m。湯檜曾と松川のループ線がある。半径は400m。1967年(昭和42年)9月28日新清水トンネル13,500mが開通勾配は20‰ この区間のEF16は20~31で20~29が水上機関区に配置。長岡運転所に11と12そして30と31が配置されていた。1978年のダイヤ改正までは直江津~長岡操車場間運用があり昭和40年代には新潟付近にも運用されていた。
EF16とEF15そしてEF16とEF58が汽笛を鳴らして協調運転する光景が 印象深い。夜の石打の光景である。今はそれもないが。
1981年1月3日 山陽本線瀬野 列車から撮影
瀬野八越えである。22.5‰ EF59重連の貨物列車の後押しで知られている。
置き換えにEF60改造のEF61200番代もあった。 いまは瀬野機関区は痕跡もないようだ。
EF59の置き換えはEF67が担ったがEF60からの改造車はすでになくEF65からの改造車が少し残っているようだ。あとはEF210-300番代「押し太郎」が重責を担っている。
1980年12月31日福山から広島まで乗った普通列車。福山の時点では満席の列車も気が付くと筆者だけ。暗闇に浮かぶEF59の姿は不気味ではあったがいよいよ広島まで遠路やってきた実感というか旅愁を感じたのも思い出。その日は広島で夜行列車の撮影を深夜まで行った。 蒸気を空に吐き出して移動するEF58やEF61のすがたが印象に残っているが闇にたたずむEF59のすがたも見事であった。
以上がピクトリアルの特集にまつわる個人的な雑感
庭坂をでた列車はここから米沢手前まで険しい最急勾配38‰「板谷峠」を走ることになる。赤岩、板谷、峠、大沢の各駅はスイッチバック駅であったが1990年山形新幹線乗り入れ工事に際して廃止されている。 頂上は峠駅付近標高は625m(スイッチバックの各駅は1949年(昭和24年)9月に通過線がさらに1968年9月22日に直流から交流に変更庭坂~赤岩と大沢~関根の区間が複線化
1970年(昭和45年)6月30日赤岩~板谷間複線化残りの板谷~峠間複線化は1971年(昭和46年9月17日であった。(直流電化は1949年4月24日でEF16 1~12が投入のちにEF64に代わった)
この区間の列車に乗った際の感想は庭坂を出たところの大カーブの展望と次々やってくるスイッチバックの駅そして無人の山間の風景であろう。旧型客車の列車で振り回されたのも今は楽しい記憶。
仙山線山寺付近を行く455系「仙山」 1984年11月3日
山形~宮城県境の面白山付近にサミットがある。最急勾配は33‰
1983年10月 奥羽本線庭坂付近 485系「つばさ」福島と秋田の区間を結ぶ東北新幹線とのアクセス列車が中心だった。(一部上野直通あり他山形~上野間の「やまばと」もあった)
1982年7月 信越本線関山付近 EF62 6牽引普通列車がスイッチバックを出て長野に向かう。
直江津~長野間の322レ 新井から豊野まで25‰の勾配がある。サミットは黒姫付近。 標高は672m関山駅は手前の二本木駅とともにスイッチバックで明治19年(1886年)8月15日 直江津~関山間の直江津線開通と同時に設置。1985年10月28日長野寄りに新駅が作られスイッチバックは廃止。2015年3月の北陸新幹線開業後「えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン」として再出発。妙高高原と長野の区間は「しなの鉄道北しなの線」となっている。
上越線を走る特急「とき」183系 町並みは越後湯沢付近。石打と水上の区間清水峠越え。勾配は20‰ 標高は677m土樽~土合間の茂倉信号場付近がサミット。
現在貨物列車はEH200がすべて牽引しているがそれまではEF641000番代重連それ以前の1980年10月ダイヤ改正前はEF16とEF15重連 一部旅客列車はEF16とEF58重連であった。戦時中はEF13などが使われていた。清水トンネルは1931年(昭和6年)9月1日完成で延長は9,702m。湯檜曾と松川のループ線がある。半径は400m。1967年(昭和42年)9月28日新清水トンネル13,500mが開通勾配は20‰ この区間のEF16は20~31で20~29が水上機関区に配置。長岡運転所に11と12そして30と31が配置されていた。1978年のダイヤ改正までは直江津~長岡操車場間運用があり昭和40年代には新潟付近にも運用されていた。
EF16とEF15そしてEF16とEF58が汽笛を鳴らして協調運転する光景が 印象深い。夜の石打の光景である。今はそれもないが。
1981年1月3日 山陽本線瀬野 列車から撮影
瀬野八越えである。22.5‰ EF59重連の貨物列車の後押しで知られている。
置き換えにEF60改造のEF61200番代もあった。 いまは瀬野機関区は痕跡もないようだ。
EF59の置き換えはEF67が担ったがEF60からの改造車はすでになくEF65からの改造車が少し残っているようだ。あとはEF210-300番代「押し太郎」が重責を担っている。
1980年12月31日福山から広島まで乗った普通列車。福山の時点では満席の列車も気が付くと筆者だけ。暗闇に浮かぶEF59の姿は不気味ではあったがいよいよ広島まで遠路やってきた実感というか旅愁を感じたのも思い出。その日は広島で夜行列車の撮影を深夜まで行った。 蒸気を空に吐き出して移動するEF58やEF61のすがたが印象に残っているが闇にたたずむEF59のすがたも見事であった。
以上がピクトリアルの特集にまつわる個人的な雑感
2016年11月28日月曜日
日本国有鉄道百年写真史
2016年11月26日 新潟市秋葉区の書店にて購入。 1972年(昭和47年)10月14日に発行。
日本国有鉄道が刊行元。発売は交通協力社。
カバーは表がC6245で裏はC622で見開きには日本国有鉄道路線図その生い立ち一覧が。
最後の方には電化区間と複線区間が記載されている。
創業100年を迎えた国鉄の文面が当時の国鉄総裁 磯崎叡により記載
その後、第1章創業時代、第2章幹線伸長時代、第3章鉄道院時代、第4章興隆期の国鉄、
第5章戦時・戦後の国鉄、第6章創業100年を迎えた国鉄
総ページ数は450ページの大作である。
この写真集は日本国有鉄道百年史(19巻)の一部であり写真によって解説が創業時代から100年の節目までの時代までされている。
一例として創業時代では「蒸気車の渡来」つまり 鎖国時代の日本に鉄道が伝わった由来、
さらに創業時代になり 新橋~横浜間開業、京都~神戸間開業、そして釜石鉄道、
北海道開拓鉄道、中山道幹線鉄道、東海道線全通が記載されている。
(明治の富国強兵、殖産興業の時代)
資金不足で官営では建設できなかった日本鉄道や山陽鉄道などのちに幹線として国鉄の一部に加わる私設鉄道の写真も多数ある。
さて本書籍との馴れ初めは1982年新潟県立図書館でのことだった。それ以来の再会ということになる。県立図書館は当時はまだ新潟交通電車線の白山前駅の近くにあった。 そこの2階に交通関係の書籍の場所がありそこにこの写真集があった。
写真は記録写真が中心であるが一部風景を行く列車のものがある。415ページに電化前の羽越本線仁賀保付近を走る気動車特急キハ82系の白鳥が日本海を背に走る姿が印象に残っていたが再び見ることができることとなった・・・・
創業時代から幹線伸長時代、戦前の全盛時代、戦中、戦後復興、戦後全盛時代・・・
体系的にまとまった資料を保有していなかったのでいい買い物となった。
できれば国有鉄道百年史がほしいところであるが・・・・
こちらは1997年に復刻版が31万円で出たがそれも見当たらないようである
日本国有鉄道が刊行元。発売は交通協力社。
カバーは表がC6245で裏はC622で見開きには日本国有鉄道路線図その生い立ち一覧が。
最後の方には電化区間と複線区間が記載されている。
創業100年を迎えた国鉄の文面が当時の国鉄総裁 磯崎叡により記載
その後、第1章創業時代、第2章幹線伸長時代、第3章鉄道院時代、第4章興隆期の国鉄、
第5章戦時・戦後の国鉄、第6章創業100年を迎えた国鉄
総ページ数は450ページの大作である。
この写真集は日本国有鉄道百年史(19巻)の一部であり写真によって解説が創業時代から100年の節目までの時代までされている。
一例として創業時代では「蒸気車の渡来」つまり 鎖国時代の日本に鉄道が伝わった由来、
さらに創業時代になり 新橋~横浜間開業、京都~神戸間開業、そして釜石鉄道、
北海道開拓鉄道、中山道幹線鉄道、東海道線全通が記載されている。
(明治の富国強兵、殖産興業の時代)
資金不足で官営では建設できなかった日本鉄道や山陽鉄道などのちに幹線として国鉄の一部に加わる私設鉄道の写真も多数ある。
さて本書籍との馴れ初めは1982年新潟県立図書館でのことだった。それ以来の再会ということになる。県立図書館は当時はまだ新潟交通電車線の白山前駅の近くにあった。 そこの2階に交通関係の書籍の場所がありそこにこの写真集があった。
写真は記録写真が中心であるが一部風景を行く列車のものがある。415ページに電化前の羽越本線仁賀保付近を走る気動車特急キハ82系の白鳥が日本海を背に走る姿が印象に残っていたが再び見ることができることとなった・・・・
創業時代から幹線伸長時代、戦前の全盛時代、戦中、戦後復興、戦後全盛時代・・・
体系的にまとまった資料を保有していなかったのでいい買い物となった。
できれば国有鉄道百年史がほしいところであるが・・・・
こちらは1997年に復刻版が31万円で出たがそれも見当たらないようである
キハ47 522
2016年11月26日 キハ47522他 キハ47の3連
1980年8月6日に新潟鐵工で製造され新潟県内を走り続けるキハ47も36年の歳月を生きている。
塗装が朱色一色から新潟色に変更され、2001年にエンジンをカミンズDMF15HSA300PS/2000rpmに取り替えて冷房AU26J-Aが取り付けられているが基本的な構造は変化がない。
1980年8月6日に新潟鐵工で製造され新潟県内を走り続けるキハ47も36年の歳月を生きている。
塗装が朱色一色から新潟色に変更され、2001年にエンジンをカミンズDMF15HSA300PS/2000rpmに取り替えて冷房AU26J-Aが取り付けられているが基本的な構造は変化がない。
2016年11月26日土曜日
EF81 151~ばんえつ物語の影武者
2016年11月26日 EF81151〔長岡〕 新津駅にて
日本海縦貫線では見かけなくなったEF81であるが長岡車両センターのEF81は「ばんえつ物語」の編成を新津駅~新潟駅の区間で回送のため牽引する運用を受け持つ。早朝に長岡を出て新津駅到着後「ばんえつ物語」編成を新潟に送り込み、新潟を発車した「ばんえつ物語」の後を追って新津到着後しばしの休息。夕方18時過ぎ新津駅を発車して新潟駅に。ここでばんえつ物語が新潟駅に到着後編成を新津駅に回送する運用をこなしたのち長岡に帰区する。
日本海縦貫線では見かけなくなったEF81であるが長岡車両センターのEF81は「ばんえつ物語」の編成を新津駅~新潟駅の区間で回送のため牽引する運用を受け持つ。早朝に長岡を出て新津駅到着後「ばんえつ物語」編成を新潟に送り込み、新潟を発車した「ばんえつ物語」の後を追って新津到着後しばしの休息。夕方18時過ぎ新津駅を発車して新潟駅に。ここでばんえつ物語が新潟駅に到着後編成を新津駅に回送する運用をこなしたのち長岡に帰区する。
新津駅夜景~下り「ばんえつ物語」
2016年11月26日 新津駅にて EF510-4牽引 貨物4070レとC57180「ばんえつ物語」
8233レが交換。 新旧の日本海縦貫線の機関車たち。
「ばんえつ物語」 8233レは新津を18時42分に発車。停車時間は3分ほど。小休止を利用して眺めにやってくる乗客も少なくない。
気が付くとC57180にはスノープローが取り付けられている。 来週運転の「クリスマストレイン」で全日程を終えるのであるが雪の中を走る光景が実現するか?
汽笛とともに発車。次は終点の新潟。煙を高く吐き出してC57180は新津を後にした。
8233レが交換。 新旧の日本海縦貫線の機関車たち。
「ばんえつ物語」 8233レは新津を18時42分に発車。停車時間は3分ほど。小休止を利用して眺めにやってくる乗客も少なくない。
気が付くとC57180にはスノープローが取り付けられている。 来週運転の「クリスマストレイン」で全日程を終えるのであるが雪の中を走る光景が実現するか?
汽笛とともに発車。次は終点の新潟。煙を高く吐き出してC57180は新津を後にした。
2016年11月20日日曜日
E127系 V12編成~弥彦線西燕
E127系V12編成 弥彦線西燕 2015年のダイヤ改正で弥彦線での定期運用を開始した。
閑散時間帯の運用が中心である。ただし東三条~吉田間では朝の2往復の運用がある。
E127系は越後線、白新線、羽越本線、信越本線新潟~長岡間での運用が多かったが2014年年末よりえちごトキめき鉄道はねうまライン向けに転出して最終グループの2編成だけとなっている。
(V3編成は越後線の事故で廃車となっている)
西燕駅に停車。弥彦線もかつては9連の運用がありホームも長いがいまはもてあましぎみとなっている。 この列車228Mはワンマン運転ではなく車掌が乗務していた。
金属工業の街燕市を走る関係で沿線は中小の工場や倉庫、住宅地で平凡な沿線風景を見ながら走る。
閑散時間帯の運用が中心である。ただし東三条~吉田間では朝の2往復の運用がある。
E127系は越後線、白新線、羽越本線、信越本線新潟~長岡間での運用が多かったが2014年年末よりえちごトキめき鉄道はねうまライン向けに転出して最終グループの2編成だけとなっている。
(V3編成は越後線の事故で廃車となっている)
西燕駅に停車。弥彦線もかつては9連の運用がありホームも長いがいまはもてあましぎみとなっている。 この列車228Mはワンマン運転ではなく車掌が乗務していた。
金属工業の街燕市を走る関係で沿線は中小の工場や倉庫、住宅地で平凡な沿線風景を見ながら走る。
115系N33編成弥彦線227M~226M
11月20日 弥彦線 東三条からの226M 115系N33とN29の編成。弥彦線では最も長い編成。
227Mは越後線柏崎から東三条へ。吉田は7時40分着41分発で東三条は8時4分着。折り返し226Mは東三条を8時54分に発車し吉田には9時14分着となっている。通学向けの編成である。
先頭はN33編成。未更新であるがシングルアームパンタグラフが特徴の編成で2013年に長野から転入し長野色で運用されていたが2016年春に新潟色(未更新車)色で出場したため特異な姿となっている。(シングルアームは新潟支社では更新車に限定されていたため)
吉田駅に到着した226Mは10時57分新潟行きまで3番線で待機。クモハ115-1083が最後尾。
新潟色未更新色でありながらシングルアームパンタグラフのモハ114-1189
雪切室側から。行き先表示は吉田のまま。
クハ115-1230
ホームから窓越しに。シートの色はブルーの原型。窓枠には小型のテーブルがある。長野時代に取り付けられたものであろう。 ノスタルジックな雰囲気が漂う。
吉田駅3番線から新潟方向を。右手にはマルチプルタイタンパーが待機。
E129系の増備で影が薄くなった115系であるが最後の精鋭たちがまだ走っている。
227Mは越後線柏崎から東三条へ。吉田は7時40分着41分発で東三条は8時4分着。折り返し226Mは東三条を8時54分に発車し吉田には9時14分着となっている。通学向けの編成である。
先頭はN33編成。未更新であるがシングルアームパンタグラフが特徴の編成で2013年に長野から転入し長野色で運用されていたが2016年春に新潟色(未更新車)色で出場したため特異な姿となっている。(シングルアームは新潟支社では更新車に限定されていたため)
吉田駅に到着した226Mは10時57分新潟行きまで3番線で待機。クモハ115-1083が最後尾。
新潟色未更新色でありながらシングルアームパンタグラフのモハ114-1189
雪切室側から。行き先表示は吉田のまま。
クハ115-1230
ホームから窓越しに。シートの色はブルーの原型。窓枠には小型のテーブルがある。長野時代に取り付けられたものであろう。 ノスタルジックな雰囲気が漂う。
吉田駅3番線から新潟方向を。右手にはマルチプルタイタンパーが待機。
E129系の増備で影が薄くなった115系であるが最後の精鋭たちがまだ走っている。
2016年11月13日日曜日
165・167系~臨時急行「ちくま2号・くろよん」
1984年 東海道本線 165・167系の臨時急行「ちくま2号・くろよん」が大阪に向かう。夜行で大阪から南小谷と長野に向かい日中の列車で大阪に帰るダイヤであった。 8802M 165・167系は大ミハ(宮原電車区)4+4+4の編成で1980年代でも時代を超越した急行列車であったがさらにJRに移行後も運転されていた。
見送る
1986年10月 この年の11月1日ダイヤ改正で廃止される荷物列車が東三条を発車。駅員が直立不動で見送る。 JRへの移行前のダイヤ改正。もう30年の年月が過ぎた。
荷4033レ 大阪~青森間の運転。青森から一部は青函連絡船で北海道に航送された。
このダイヤ改正では駅員の見送りもなくなって今日に至っている。
荷4033レ 大阪~青森間の運転。青森から一部は青函連絡船で北海道に航送された。
このダイヤ改正では駅員の見送りもなくなって今日に至っている。
2016年11月6日日曜日
小出駅の只見線ホーム
1980年11月 小出にて 長岡発上野行きの115系(新前橋)普通列車から小出駅只見線ホームを。
左手にキハ58系、右手キハ55が待機。 どちらも3連で運転。左のキハ58は急行「奥只見」となる編成と思われる。
左手にキハ58系、右手キハ55が待機。 どちらも3連で運転。左のキハ58は急行「奥只見」となる編成と思われる。
登録:
投稿 (Atom)