2024年3月31日日曜日

桜はまだ咲いてはいない

2023年4月2日 臨時特急「しらゆき96号」 

年々桜の開花が早まり3月末に桜が満開となった2023年。高田公園の観桜会も早い開催となっている。

暖冬といわれた本年であるが梅がようやく見ごろ、桜は早咲きの河津桜が5分咲き位となっている。ソメイヨシノはあと数日後といったところ。

本年は3月に入って寒い日が多くなり山間部では彼岸過ぎの大雪に見舞われたところもあった。そのため桜の開花もそれほど早くはならなかった。つぼみがいくらか大きくなりかかっている程度。

観桜会への列車も特急に格上げされ「しらゆき95~96号」が割り振られている。通常の「しらゆき」編成ではなく「いなほ」編成が単調な当地に華を添えている。

2024年3月30日土曜日

越後線の春~線路沿いの紅梅

2023年4月1日 越後線

すでに115系はすべて引退。残ったE129系が走り回る。撮影に訪れる人もなく、静かな春のひと時が過ぎていく。遠くにはトラクタが動き、田起こしが行われていた。沿線で見かけた紅梅とE129系。
 

2024年3月29日金曜日

長岡車両センター留置線

2009年4月8日 長岡車両センター留置線

廃車となったEF81127、JR貨物EF510-6、115系訓練車

EF510以外は引退している。EF510もこの付近まで来ることはいまあるのだろうか?

この年のダイヤ改正で上越線の機関車運用を合理化するため貨物列車の一部を日中に運転することになった。長岡車両センターでも運用がないEF64などが留め置かれていたが、上越線の貨物列車が日中に運転を開始した関係で見かけなくなった。
 

2024年3月28日木曜日

信越本線高速化

2023年5月6日 信越本線  51M

2015年3月ダイヤ改正で日本海縦貫線を失い、この区間は実質直江津駅で終りのような状況となった。さらに北陸新幹線敦賀延伸で新幹線同士の乗り換えも必要となり、日本海縦貫線の痕跡は消滅に至った。「つるぎ」は関西方面接続、「はくたか」「かがやき」は関東方面接続の2点に絞られ日本海縦貫線区間の機能はもうない。

現在新潟市~上越市方面の高速化やミニ新幹線、北越急行「ほくほく線」改良などでアクセスを向上させる案につき議論が行われているようだが1200億~2000億円ほど費用が見込まれるほか工期も7~10年かかるとも試算されている。

これらの費用、期間をかけても効果はあるのか・・・・

 

 


 

2024年3月26日火曜日

魚沼の春

2009年4月8日 上越線

雪の季節が終わってようやく春が始まったころ。115系の普通列車が走り去っていく。

手前の水田にトラクタが入って耕作が始まる少し前の時期。

2024年3月25日月曜日

旧型客車の窓枠金属化

1984年2月19日 オハ47 2029
オハ47 2102
オハ472172
 1984年2月に直江津駅で撮影したオハ47型。客車履歴票の写しを眺めていると窓枠金属化の記載がある。

オハ472029 窓枠金属化は1978年7月8日 長野工場

オハ472102 窓枠金属化は1978年3月9日他に室内仕上げ材交換も施行 長野工場

オハ472172 窓枠金属化は1980年5月30日 長野工場

かなり遅い時期まで行われていたことがわかる。これら3両は近代化工事と体質改善工事は行われていてそれよりもあとに窓枠金属化されたことになる。

運用終了は1985年3月ダイヤ改正。

2024年3月24日日曜日

旧型客車の台車TR23とTR47

2019年10月 オハ47の台車TR23 オハ47はTR47を履いたスハ43からTR23に交換して軽量化をした客車。TR23は戦前のオハ35系などで多く用いられていた。
スハフ42の台車 TR47 乗り心地の良い台車であり戦後の特急、急行型車両というべきスハ43系につかわれた。

スハ43に用いられるTR47は重いのが欠点。TR23に替えるだけで3トンちかく軽量化できる。またスハ43も徐々に軽量のものが作られてこれはオハ46となった。

TR23は スハ43に使われる際心皿を合わせる必要がありTR23Fといわれ、コロ軸受けを用いたTR23Hに改良されていった。乗り心地TR47と比べて幾分堅かったとされる。

当方の旧型客車の記憶は台車の揺れより列車が動き出す時の連結器の激しい振動のことの方が記憶に残っている。これは恐怖を感じるほどのものだった。粗雑運転と言われている。

戦後復興期列車の需要が目覚ましかったころの産物である。

*ついに研究会から会報が送られてきた。最初の発表である。(競馬の1レース未勝利戦、落語の前座といったところか?)会報を見るとレベルの高い文章が多数である。極めて厳しい展開になりそうだが先輩各位の胸を借りるつもりで挑戦してみたい。

2024年3月23日土曜日

115系原型座席車の終焉

2022年3月6日 越後線吉田  115系N40編成懐かしの新潟色とN33編弥彦線色が並ぶ。

終焉の数日前の光景。3月11日をもって115系は全て運用が終わる。


 115系N33編成とN40編成懐かしの新潟色の車内は更新がされずほぼ原形だった。115系1000番台はそれまでの0番台や300番台と異なり座席間隔を広げたため比較的ゆったりして座り心地はよかった。またモケットが原型なのは昭和の国鉄時代を偲ぶ重要なアイテムであった。走る鉄道史料的な存在だったが保存されることなく解体となったのは残念ではある。もっとも晩年の115系はすべてE127系のえちごトキめき鉄道への転用の穴を埋める目的で長野から転属してきたもので新潟生え抜きではないこととすでに新津鉄道資料館にて保存車があるためそのような話題もなかった。


 

2024年3月22日金曜日

115系が引退してすでに2年が過ぎた

2022年3月6日 快速3481M 115系N38編成湘南色

この年のダイヤ改正で115系の運用が終わった。何の予告もない静かな幕引きであり、地道に走り続けた115系にふさわしい最後であった。以降はイベント運用もなく、有料撮影会を行った後解体されていった。

すでに2年が経過して115系のことも記憶から消えつつある。それでも1日1往復の快速列車の活躍は忘れえないものがある。
 

2024年3月21日木曜日

2014年3月22日 只見線はまだ深い雪が残っていた

2014年3月22日 只見線越後須原

盛岡色と東北色のキハ48の2連が越後須原付近を走る。豪雪地のこの付近は3月22日でもこれだけの雪があった。
 

2024年3月20日水曜日

新潟駅開業120周年記念列車

2014年3月25日 EF641030牽引高崎車両センター旧型客車

本年の5月中旬に越後湯沢~新潟の区間に画像のような編成で新潟駅開業120周年号が運転される。

田植えの終わった初夏の水田地帯を旧型客車が走る場面を見ることができそうだ。時刻表に時間は出ているが下りは昼前後、上りは午後となっている。
 

2024年3月19日火曜日

スハフ422173


 2014年3月23日 新津 スハフ422173 1953年8月日車(名古屋)品川に配置

1959年4月 電気暖房改造スハフ422173となる。1669年7月蛍光灯化、1972~1974に特別修繕実施、1976年3月体質改善工事C3を大宮工場で施工。落成時品川、1955年6月に尾久、1973年9月に水戸、1987年3月高崎。

2024年3月18日月曜日

オハ472266


 2014年3月新津

1952年7月スハ43221として日立製作所で落成。尾久に配置され1959年7月に電気暖房改造されスハ432221 、1968年7月台車をTR47からTR23に交換、オハ472266となった。

1969年7月台車を平軸からコロ軸受けTR23Hに1973年10月体質改善工事B6施工、1987年3月イベント用として高崎に転属して現在に至る。

2024年3月17日日曜日

オハ472261~夕暮れの新津駅(SL村上ひな街道号入れ替え)

2014年3月23日 新津駅 オハ472261

1952年4月日立 スハ43138(笠戸) 広島に配置 1960年代に電気暖房設置スハ432138(1964年までに施行 履歴票に欠落あり)

1968年8月台車をTR47からTR23に交換してオハ472261となる。

TR23は43系に合わせて心皿と側受を改造したTR23F平軸受けの台車で1969年6月コロ軸受けのTR23Hに改造。 1973年12月に体質改善工事(B6)を施行。Bの体質改善工事ということであれば近代化改造されていてその時点で車体は青15号とされていた。

移動歴は広島、品川、1968年9月尾久、1982年11月水戸(常磐線方面普通列車など)、1987年3月高崎(JR東日本移行 イベント用のため)このころ色をぶどう色に復刻。
C57180は木立に隠れて見えない。蒸気機関車の次位は人気のオハニ3611。古い客車には目もくれず足早に家路を急ぐ女性2名。気温がさがって寒さが戻ってきた。
汽笛とともに入れ替えが始まり、客車編成は動き出した。日没間近な駅構内に蒸気機関車と客車が佇む光景は1972年頃の蒸気機関車の終焉気を思わせた。

2024年3月16日土曜日

オハニ3611 鋼体化改造車

2014年3月25日  「SL村上ひな街道」の代走運用を終えて帰路に就く。12系は改造工事で入場中のため旧型客車編成が羽越本線を走った。

鋼体化客車は木造客車の台枠や台車のみを利用して車体を新製した物を用いた客車。主だったものではオハ61、オハフ61、これを改造したスロ62、スロフ62、お座敷客車スロ81、スロフ81がよく知られている。

この荷物合造のオハニ61は1955年12月オユニ26289を汽車会社でオハニ6311として改造。車体構造は特急、急行に使用するため座席間隔はスハ43系と同じとした。当初TR11台車だったが1958年1月に長野工場で10系用の台車TR50と交換オハニ3611となって品川に配置以降伊勢、福知山と渡り歩いた。福知山では山陰本線の行商人輸送で活躍し1986年に高崎に移動しJR東日本に承継現在に至っている。上越線の臨時列車に運用されたとき乗車したことがあったが高崎に転属してきてから10年くらい経過していたにもかかわらず磯の香りが微量に漂っていたことが思い出された。

車内構造はニス塗りで白熱灯、貴重な荷物室もあって人気が高い。福知山にいたころは山陰本線の客車廃止で解体されると思っていたがそれから30年以上たってまだ健在なのがうれしい。5月の新潟駅開業120年号に運用されるかどうか?

2024年3月15日金曜日

上沼垂色復刻


 2014年7月 485系北越 1054M

本年4月下旬よりE653系H202編成において上沼垂色が復刻する。短編成で越境しないため魅力をあまり感じない特急「しらゆき」であるがいくらか注目されるのであろうか?

 

2024年3月14日木曜日

北陸新幹線E7系F13編成

2017年4月3日 北陸新幹線上越妙高駅 E7系F13編成

2015年3月のダイヤ改正で北陸新幹線が金沢に延伸。もう9年もの歳月が経過した。新潟県上越地域と北陸、関西は利便性が向上したが、並行在来線は第三セクターとなり在来線特急も廃止されて抜け殻状態となった。もちろん日本海縦貫線も旅客に関しては実質廃止状態となった。その後新型コロナで利用低迷となり現在に至っている。

北陸新幹線は本年3月16日敦賀に延伸する。上越地域から関西は完全に日帰りエリアとなる。しかし中越、下越地域はその恩恵はない。関西はおろか北陸も首都圏より遠い印象が残るままであろう。それは今後もさらに続く。


 

2024年3月13日水曜日

EF81718 3097レ 早春の斜光

2013年3月10日 EF81718   3097レ

長駆、山陽本線からのコンテナを引き連れて新津に到着。わずかな停車ののち終点に向けて動き出す。

EF81の側面には夕方の斜光が当たって日が暮れていくことを現していた。誰も関心を持たない日常の列車。

2024年3月12日火曜日

何気ない日常

 

2013年3月10日 キハ40560 馬下行き普通

誰も注目してない、日常を走る列車。列車内には休日を過ごした方々が家路に向かう。静かな休日の夕方を走る。

キハ40系にとっては通いなれた道を何度も走る。多くの客を乗せて・・・キハ40系がこの区間から去ることになるのは2020年3月。この時も静かな引退だった。日常に生き日常に散る。今は異郷の地で日常を過ぎしているのであろう。

2024年3月11日月曜日

EF81303〔門〕白新線を行く


2011年4月10日  新潟貨物ターミナル付近 

EF81303〔門〕東日本大震災によって東北本線が被災し一部列車は上越線、羽越本線経由で迂回輸送を行わなければならなくなった。そのため不足分機関車を補充する目的で門司機関区から当該機関車の借り入れがされたものである。


 酒田への851レを牽引して、春まだ浅い白新線を行く。このほか各地からDD51が多数東新潟に集結して東北方面への燃料輸送に用いられた。

2024年3月10日日曜日

EF510-17+DE103503 3097レ 冬将軍の逆襲

2014年3月10日 EF510-17次位DE103503 3097レ
3月中旬であるが積雪があった。この年も雪はあまり多くなかったがその代わりいつまでも雪が降った。気候不順の春。
EH200-13 2084レ 紙輸送列車 まだ北越コーポレーションコンテナはなかった。

この時代の機関車は国鉄型と新鋭機がせめぎ合う時代だった。電車ではE129系はまだなく115系が主流。485系特急「北越」が残りの1年を懸命に走り続けていた。旅客の「日本海縦貫線」が消滅する前夜のこと。

2024年3月9日土曜日

スハフ322357 新津

2014年3月 スハフ322357

大まかな履歴 (近代化改造はされていない)

1938年12月  スハフ34658 梅鉢車輛 新潟配置(以降品川、大舘、秋田、福島に配置)

1941年    称号変更 スハフ32357

1964年10月 電気暖房改造 土崎工場 スハフ322357

1973年   室内灯を蛍光灯に改造

1978年10月 郡山客貨車区転属  磐越西線の運用が中心

1985年3月 休車

1986年  高崎運転所 

参考資料旧型客車の時代 P15  JTrain25 (2014年イカロス出版)

この車両は羽越本線の「村上ひな街道」運転のため新潟県内にやってきたものである。


 


2024年3月8日金曜日

今から10年前の3月

2014年3月10日 磐越西線 キハ48523 新ニツ
津川駅
雪が疎らに残っていた。
新津寄りからキハ47519、キハ471515、キハ48523

郡山車両センターで急行色に塗り替えられたキハ48が登場したころ。
 

2024年3月7日木曜日

E653系「しらゆき」雪煙


 2024年3月2日 E653系 52M

凍てついた朝わずかな乗客を乗せて走る。列車の後ろには雪煙が連なる。3月になり冬が戻ってきた。気候不順の春の始まり。

 

2024年3月6日水曜日

テールライトと雪しぶき


 2024年3月3日 下り普通 

桃の節句であっても北国はまだ厳冬の名残りを残す。雪しぶきをあげて列車は走る。雪しぶきの中にテールライトがかすかに見えた。名ばかりの春。

2024年3月5日火曜日

雪煙の朝


 2024年3月3日  EF510-1 4076レ

弥生3月しかし越後の地の空気は冷たく雪の朝を迎えた。夜が明けるころ雪はやんで日が差した。積雪は多くはないが氷点下の気温。

冷気に耐えながらやってくる列車を待つ。赤い車体のEF510-1が雪煙を背に現れた。壁のように連なる雪煙は列車とともに大きくなりあたりを包み込んでいった。雪しぶきが視界を遮りやがて列車とともに彼方に去っていった。再び太陽が辺りを照らし何事もなかったような朝の風景に戻った。

2024年3月4日月曜日

EF510-506とEH500-23


 2024年3月3日 EF510-506+EH500-23 3093レ

門司機関区に遠征していたEH500-23が帰ってきた。いったん新潟に出て上越線経由で仙台に帰区する。

2024年3月3日日曜日

オハフ332372


 1985年2月 北陸本線 東滑川

EF8199〔酒〕の次位 オハフ332372 1948年2月新潟鐵工所 台車はTR34 台枠はUF116  当初新潟に配置、1963年に長岡、1967年9月8日直江津客貨車区

電気暖房改造 長野工場 1963年3月11日

近代化改造  長野工場 1965年12月25日

体質改善工事 長野工場 1973年6月8日

最終全般検査 長野工場 1982年6月21日

この客車にとっては最後の冬。

2024年3月2日土曜日

スハフ422234~近代化改造済み客車の車内


 1999年8月 スハフ422234車内

室内の化粧板化、床のリノリューム化、座席は枠の部分を塗装、白熱灯を蛍光灯に交換して、扇風機を取り付け。これが近代化工事の大まかとされる。一部は窓枠をアルミサッシに交換し10系客車や153系電車なみの室内に改められることになった。急行列車用にふさわしい設備とされた。今では郷愁をそそるであろう車内も当時は前時代的であり急行料金が必要な列車の水準に整備する必要があった。

スハ43系の近代化改造工事が開始されたのは1963年から1966年、オハ35系は1964年から1966年とされる。

1964年の「車両塗色車両標記方式規定」が改正され近代化改造工事が終わった車両はブドウ色から青に車体塗装が変更されている 

スハフ422234は国鉄末期にJR東日本に引き継がれ高崎運転所に配置、イベント用に用いられることになった。その際に青をブドウ色に変更して使用されている。現在は再び青い車体になっている。

2024年3月1日金曜日

富山平野に雪煙を上げて走るEF70牽引旧型客車列車1228レ


 

1985年1月27日 北陸本線 1228レ 旧型客車列車

EF70を先頭に10両編成 富山客車区の5両(金付2)と直江津客貨車区の5両(新21)の併結。早朝は長大編成がみられた。

雪原を雪煙を上げて長大編成の客車列車が行く光景は圧巻であった。