2021年4月25日 115系N33編成弥彦線色 3481M
E653系「しらゆき」4号 乗車人数は低迷で存在意義が疑われる。
気温が4度くらいの寒い朝。しかし稲作の暦は田植に向かって動いている。
早朝の冷気を浴び代掻きの終わった水田を見ながらEH200‐3牽引の2088レを見送る。
神社の杉林を背に。この付近も間もなく水が張られると思われる。桜としては最後の八重桜。この花が散ると初夏がやってくる。気候的にはまだ朝と昼の間の温度差が多く体調の管理には気を付けなければならない。
2021年4月16日 信越本線下り線 つるべ落としに闇が迫る中時刻表の上では列車が無い時間帯なのに踏み切りが鳴り遮断機が下りた。
列車進行方向を見るとライトが見慣れない位置に光っている。しばらくして黄色い車体が現れた。キハE195形式という自走式車両で定尺レール運搬の工事車両。(ほかに長尺レール輸送のタイプもあり車体が若干異なる)
暗くてよく見えなかったがレールが積まれていた。機関車牽引の工事車両の時代が終わって自走式車両の時代になりつつある。(他に砕石輸送車両も存在する)工事車両はエンジンを闇に響かせて視界から消え、あたりは再び静寂に戻った。
防風林を走る。この防風林の隙間からは上越新幹線が望める。
EH200-1牽引の2088レは側面に朝日を受けて走り去っていった。
下り始発電車。この列車の後下りの貨物列車もやってくるが通勤の途中であり見ることは難しい。朝のすがすがしさのみを楽しみ場所を後にした。
EH200-18牽引 2071レ 隅田川~富山貨物間運転 化学薬品のコンテナが目立つ。
上り6082レはEH200-21牽引 焼島~隅田川間 紙ロール輸送列車上越線で明るい時間に見ることの可能な貨物列車は朝の2088レ、夕方の6082レ、2071レとなっている。2009年に機関車運用の関係で日中に一部貨物列車が運転されていたこともあったが2015年のダイヤ改正で見直しがされ現在は午前と午後の3本だけとなった。上越線貨物列車のほかは普通列車のみが走るローカル線である。
越後滝谷付近は2004年10月23日の中越地震で上越線が被災し越後川口の区間まで単線運転を行ってしのいだことが知られている。
今はないトワイライトエクスプレスの食堂車と展望室を再現したものである。
ここは土足厳禁で、キハ52を眺めた後こちらを見学しようとうっかりそのまま上がろうとしたら先輩に注意されてしまった・・・
再現された食堂車スシ24のイメージ。上品な配列の食堂車内。ディナーも高級なものだった。展望室のイメージ
モックアップは通路側はガラスが入っていない。通路から室内を見ることもできる。
このトワイライトエクスプレスの車体は木製で糸魚川市内の職人さんの木工技術の粋を集めた作である。
トワイライトエクスプレス大分という字幕が掲示。札幌運用終了後一時西日本を「特別なトワイライトエクスプレス」で走っていたことを思い出した。
キハ52の内部から・・・モックアップは台車が無いのでキハ52から見下ろす感じになる。
背後にトンネルが迫ると山越えを感じさせるがここはまだ上越線では始まったばかりの場所で山岳トンネルが多い区間は北堀之内付近まである。そこから魚沼の盆地を過ぎて石打付近からは20‰のこう配区間上越国境となる。上越線の峠越えは国境付近が知られているがこの付近の小さな峠も山岳路線の険しさを伝えてくれる区間である。
この駅の待合室に越後線と越後交通長岡線の資料が展示されている。地元の方々の寄贈によるもので以下の通り。
寺泊駅跨線橋改築のため一時的に構内に踏切が設置され渡る人々の様子とキハ45(朱5号1色)
キハ58キハ28の急行「ひめかわ」越後線を走る唯一の急行列車だった。
弥彦山を背にキハ35キハ17キハ20キハ35(朱5号)午前中列車のようだ。
DE10牽引のワフ、ワム、トキ、ヨの短編成の貨物列車。
寺泊駅で気動車列車の交換の様子
485系中越地震の迂回快速列車
越後交通長岡線さよなら列車
他に越後交通長岡線寺泊新道駅や大河津駅付近のようす。大河津駅跨線橋設置工事、年表など数は多くないが濃い内容のものが展示されていた。
越後交通長岡線があったころはこの界隈拠点駅ということで賑わっていた。駅付近には多くの店が並びこの駅を拠点に各地へ移動する人の流れがあった。
越後線が電化になったのは1984年4月8日 電化は極めて簡易のもので行われH鋼や直接吊架式架線、多くは改造車の115系 国鉄時代末期の緊縮財政を映し出していた。それよりもこのような輸送の少ない路線が電化になったのが不思議なくらいだった。
寺泊駅前にはタクシーや旅館兼割烹などがあり賑わった時代を伝えているがかなり立派な建物が廃墟になっていて衰退しつつあるローカル線の駅前の深刻さを思わせていた。
駅前のバイパス道路には菜の花がさいていた。遠くに見える山桜とともに。
仕事帰りの1カット。新潟平野部の桜は散ってしまったが上越線ではまだ咲き誇っていた。
異常気象のためか桜の開花時期が早まりそのあと気温が乱高下し25度に迫ると思ったら朝は氷点下から一けた台で日中は高温。そのあと冬のような気候が現れて冬と春と初夏が同居する農家には厳しい季節となっている。
桜の見どころの時期に休んでいた115系N40編成が4月度になり登場。
色使いがこのたびえちごトキめき鉄道にお目見えした413系に類似しているので稽古をつけてもらった。
結論から言って原型の115系N40編成に軍配となる。413系は以前にも記した通り471系の流用が多いし座席もくたびれたまま・・・1988年の夏乗車の機会を得たがあまりの安普請に心が折れてしまった。直江津駅で購入した決して安くない弁当をむなしい思いで食べた記憶がよみがえってしまった。テーブルなどが未装備で471系流用の座席がかなり傷んでいた。
しかし、えちごトキめき鉄道で案内されているように テーブルの装備はされるらしい。
1両の急行型残党クハ455のために現役時代纏ったことのない急行色になった413系。どのような活躍を見せるのか・・・
願わくば類似色の115系N40編成との並びも見てみたいが・・・
413系は早くても運転開始が6月下旬とのことである。
1984年4月8日に電化開業したころは住宅もまばらだったが現在はかなりの数の住宅がひしめいてかつての面影はない。
満開の桜であったが冷たい雨の日人通りもなく静かに咲いているだけだった。このあたり公園があり晴れていれば賑わうのであろうが・・・
2021年3月21日 長岡で発車を待つ快速3481M10時29分発。 新潟へはお昼前(11時29分)に着く列車ということと前の列車9時7分の439Mとの間隔が約1時間半のため利用が集中する。その間に直江津方面、越後湯沢方面から各2本ずつの接続を受けるためである。
一時期はかなり混雑していたが昨年の緊急事態宣言が出たあたりから混雑が緩和していったようだった。
2021年4月10日 E653系瑠璃色 乗車率はそこそこ。密になるほど混雑していなかった。
桜も散ってしまい寂しい春の日が続く・・・
トンネル区間が多いため車窓を楽しめないため天井に動画を映し出す仕様の列車。
車内はイベント仕様のため転換クロスシートでデッキ代わりの仕切りが設置、ロングシートはない。
列車の乗客は多くない。ひとボックス1名程度だった。列車はトンネルが連なる丘陵地帯を一気に駆け抜けまつだいへ。ここから上越新幹線に乗り継ぐと思われる客が増えてくる。
十日町では相当数乗ってきて新幹線接続特急のようになった。多くの人は天井の動画を見るため向かい合わせになっていた座席を転換し進行方向に改めていった。動画を楽しむイベント電車から日常みられる列車に変化したようだった。
HK100のゆめぞらは実質JR東日本185系特急と変わらない設備であり、185系特急をしのぐ速度で走り「超快速」の名に恥じることはなかった。料金不要の特急列車といってもよい。
高速運転がされても軌道状態が良いため座っている分にはあまり揺れを意識しなかったが連結面を見ると結構揺れていた。
六日町からも多数乗り込んで定刻に越後湯沢到着。乗客は足早に降りていった。上越新幹線そして上り水上行き普通列車に接続していた。放送案内はワンマン運転のため自動放送で超快速越後湯沢行きというアナウンスでくわしい接続案内はなかった。
転換クロスと高速運転の「超快速」を堪能し上越線長岡行きに乗り換え帰途に就いた。
ふと後ろを見ると見学会でご案内いただいたえちごトキめき鉄道の方が。しばらく話し込む。市振まで往復してきたと告げたら喜んでおられた。またお世話になりますのでと挨拶して別れる。
ほくほく線「ゆめぞら」仕様 HK100型 ビデオシアター搭載。車内は転換クロスシートで仕切りがある。豪華な車内。
HK100型 一般車 クロスシートとロングシートの車内 ほくほく線はトイレが無いので注意。新潟県央に住んでいるとほくほく線やえちごトキめき鉄道は乗る機会がほぼ無い。もちろん北陸新幹線も。みなマイカーを使う。
さてしめはキハ40系shu*kura これは見ただけだった。キハ40系のshu*kuraも一度は揺られてみたい車両・・・・
撮影はできなかった。理由は朝から激闘?したのでバッテリーは切れていたため。機材たちもおなかが減ったと言うことだった。メモ代わりの画像も相当撮影した。
そんな思いを持ちながら快速で帰途に。柿崎まで各駅停車で先は柏崎、来迎寺、宮内、長岡、見附、東三条と停まっていく。今はない快速くびき野を思わせる走りっぷりだった。
うす曇りの日本海を眺め列車(気動車ET122型1両)は西に進路をとる。この区間は戦後まもなく建築されたであろう木造駅舎の宝庫である。
糸魚川駅のレンガと赤い梅。かつて存在した機関庫の名残。
1月から2月は大雪に見舞われ厳しい冬を過ごしたが梅の花を愛でて遅い春の訪れを感じた。
糸魚川小学校のC1288 かつて大糸線を走った蒸気機関車。屋根のない保存のため傷みが目立つ。
説明のプレート
市振駅にて ET122気動車の右手に見えるのはレンガの油脂保管庫。馬下、三条、二本木、そして市振 新潟県内に残る貴重な建物である。
市振の駅舎 駅前の国道8号線から
駅前の国道8号線から糸魚川方向を。新潟市までは196キロ 遠い道中。
折り返し時間が取れなかったため16時43分発直江津行きで帰路に就く。