1986年5月3日 奥羽本線の寝台急行「おが」 福島駅で機関車の交換(DE75からEF71)を終えて発車を待っているところ。右手にはワキ5000らしき貨車も見える。
20系寝台車の臨時急行「おが」はJRになっても運転されたが1994年~1995年の年末年始を最後にには運転はなくなったようだ。
2016年2月28日日曜日
2016年2月27日土曜日
113系800番台 福知山線
1988年8月15日 尼崎 福知山線篠山口に向かう113系800番台。黄色と青の外観。ホロンピア88のヘッドマークの取り付けがされていた。また側面にも広告が。
福知山線の電化開業は特急が485系で各地からの寄せ集め。113系も同様だった。
113系も冷房のある編成はまだ少なくご覧のように窓全開で暑さをしのいでいた。
大阪の近郊でありながら2連の編成もあった。
電化に当たって各地から車両寄せ集めは新潟の越後線の電化を彷彿ささせた。尼崎の付近も当時はまだ開発もされてなく都会の田舎駅であった。
片町線と合体して福知山線から京橋方面に直通となり尼崎も接続駅として整備されこの界隈のひなびた風情も今は過去のものとなった。
この113系800番台はその後塗装変更がされまた一部は七尾線の電化のため北陸に転属している。
福知山線の電化開業は特急が485系で各地からの寄せ集め。113系も同様だった。
113系も冷房のある編成はまだ少なくご覧のように窓全開で暑さをしのいでいた。
大阪の近郊でありながら2連の編成もあった。
電化に当たって各地から車両寄せ集めは新潟の越後線の電化を彷彿ささせた。尼崎の付近も当時はまだ開発もされてなく都会の田舎駅であった。
片町線と合体して福知山線から京橋方面に直通となり尼崎も接続駅として整備されこの界隈のひなびた風情も今は過去のものとなった。
この113系800番台はその後塗装変更がされまた一部は七尾線の電化のため北陸に転属している。
2016年2月21日日曜日
2016年2月20日土曜日
EF71 13〔福〕牽引 427レ
1984年7月 福島8時10分発米沢9時37分着普通列車
客車は福島客貨車区の旧型4両。土崎工場に廃車回送されるスエ7112が連結されていた。
仙32という運用で福島から米沢は427レさらに米沢から1427レで山形そして2427レで秋田まで運用されていた。牽引は福島から山形はEF71(福島機関区)で山形から秋田はDE75(秋田機関区)であった。
奥羽本線福島~米沢間は赤岩、板谷、峠、大沢とスイッチバックが連続することで知られていた。
しかし停車時間は短かったが峠で後続の福島発8時42分発秋田行きの特急「つばさ」1号に抜かれるため先頭まで眺める時間があった。
「つばさ」1号は米沢着が9時23分である。秋田到着は13時16分。東北新幹線「やまびこ」11号
(大宮7時発、福島8時28分着、盛岡10時17分着)に接続をしていた。
奥羽本線をゆく上野行きの特急「やまばと」2号
1984年7月 福島8時10分発米沢9時37分着 427レとすれ違う1032M「やまばと」2号
427レは客車4両で「やまばと」2号は485系9連。
特急「やまばと」は1982年11月改正以降は上り1本と下り2本が上野~山形間にて運転されていた。1985年3月の東北新幹線の上野開業で廃止された。
すれ違い個所は急峻で名高い板谷峠の区間である。荒涼とした山間は旅愁をそそる。
やまばと2号1032M 山形7時41分上野12時36分
やまばと1号1031M 上野15時20分山形20時6分
やまばと3号1033M 上野18時20分山形23時4分
427レは客車4両で「やまばと」2号は485系9連。
特急「やまばと」は1982年11月改正以降は上り1本と下り2本が上野~山形間にて運転されていた。1985年3月の東北新幹線の上野開業で廃止された。
すれ違い個所は急峻で名高い板谷峠の区間である。荒涼とした山間は旅愁をそそる。
やまばと2号1032M 山形7時41分上野12時36分
やまばと1号1031M 上野15時20分山形20時6分
やまばと3号1033M 上野18時20分山形23時4分
2016年2月14日日曜日
ED62 17牽引お座敷「白樺」
1985年7月撮影 大糸線にて 梅雨の早朝のため全体にかすんだ景色。撮影時も絞り解放の為ぼやけてしまった。手前に農作業に励む女性が・・・
信濃大町駅の中線にて。 右手に115系が見える。 ED62は10号と17号が松本運転所北松本支所に1984年2月改正で配置されていた。のちに大糸線の貨物が廃止され篠ノ井機関区に転属する。JRになってからはEF64に牽引機関車が変わった。
信濃大町を発車したED62と12系白樺
白と黄緑の車体そして一部欧風の編成は人気があった。
1983年に長野工場にて落成している。
1号車 スロフ12 819 すいせん
2号車 スロ12 837 つつじ
3号車 スロ12 838 かきつばた
4号車 スロ12 839 れんげ
5号車 スロ12 840 くろゆり
6号車 スロフ12 820 りんどう
1986年に黄緑が濃い緑になり1987年秋に全体に濃い緑と金帯に塗装が変更1997年に14系座席「浪漫」に置き換えられるまで活躍が続いた。
信濃大町駅の中線にて。 右手に115系が見える。 ED62は10号と17号が松本運転所北松本支所に1984年2月改正で配置されていた。のちに大糸線の貨物が廃止され篠ノ井機関区に転属する。JRになってからはEF64に牽引機関車が変わった。
信濃大町を発車したED62と12系白樺
白と黄緑の車体そして一部欧風の編成は人気があった。
1983年に長野工場にて落成している。
1号車 スロフ12 819 すいせん
2号車 スロ12 837 つつじ
3号車 スロ12 838 かきつばた
4号車 スロ12 839 れんげ
5号車 スロ12 840 くろゆり
6号車 スロフ12 820 りんどう
1986年に黄緑が濃い緑になり1987年秋に全体に濃い緑と金帯に塗装が変更1997年に14系座席「浪漫」に置き換えられるまで活躍が続いた。
2016年2月11日木曜日
EF58 103〔宇〕牽引 20系急行「おが」
1984年12月29日 上野駅13番線季節運転の 6401レ EF58103牽引の20系急行「おが」
寝台専用ではなく自由席が3両あった。本来は1982年11月15日ダイヤ改正で急行「津軽」(上野発山形、秋田経由青森行き)に使用されたが2往復あった急行「津軽」が1本に減らされ(1往復は寝台特急あけぼのに格上げ)のこりも自由席が3両の20系編成で乗れない客が多数発生し混乱したため1983年7月2日に14系の座席編成の「おが」と編成を交換したものであった。(どちらの形式も10両編成である)
1982年2月改正では「津軽」にも寝台車が復活しているが1985年3月改正で廃止となった。
「おが」は上野から東北・奥羽本線経由で男鹿へ向かう夜行列車であった。
上野21時12分、福島1時35分から59分終点男鹿は10時9分(秋田~男鹿間は8131レ普通列車)
1885年3月改正で季節運転を廃止秋田どまりとなる。座席なし20系編成となりのままJR時代に引き継がれ運転された。
8403レ臨時急行「おが」上野は22時3分福島は2時15分~35分終着秋田は8時16分着〔1985年12月27~30日運転)20系寝台車のみ
宇都宮運転所にはEF58の 89、103、114、116、122、141、145、151、154、168、172が配置され、おもに荷物列車に運用。旅客列車では402レ「津軽」103レ「八甲田」と季節列車の6401レと6406レにも運用されていた。
寝台専用ではなく自由席が3両あった。本来は1982年11月15日ダイヤ改正で急行「津軽」(上野発山形、秋田経由青森行き)に使用されたが2往復あった急行「津軽」が1本に減らされ(1往復は寝台特急あけぼのに格上げ)のこりも自由席が3両の20系編成で乗れない客が多数発生し混乱したため1983年7月2日に14系の座席編成の「おが」と編成を交換したものであった。(どちらの形式も10両編成である)
1982年2月改正では「津軽」にも寝台車が復活しているが1985年3月改正で廃止となった。
「おが」は上野から東北・奥羽本線経由で男鹿へ向かう夜行列車であった。
上野21時12分、福島1時35分から59分終点男鹿は10時9分(秋田~男鹿間は8131レ普通列車)
1885年3月改正で季節運転を廃止秋田どまりとなる。座席なし20系編成となりのままJR時代に引き継がれ運転された。
8403レ臨時急行「おが」上野は22時3分福島は2時15分~35分終着秋田は8時16分着〔1985年12月27~30日運転)20系寝台車のみ
宇都宮運転所にはEF58の 89、103、114、116、122、141、145、151、154、168、172が配置され、おもに荷物列車に運用。旅客列車では402レ「津軽」103レ「八甲田」と季節列車の6401レと6406レにも運用されていた。
EF65PF牽引急行「銀河」大阪到着
1984年12月30日大阪駅 AM8:00東京からの寝台急行「銀河」到着。
大阪駅3番線着 牽引機関車のEF651000番台(PF)にも雪がついていた。
20系の寝台編成で撮影者に人気のあった「銀河」ではあったが52センチ幅の狭い寝台はすでに時代遅れであり1985年3月ダイヤ改正で14系に変更されることが決定していた。
最後尾のナハネフ22の行先表示もうまもなく見納めだった。 星ひとつは3段式寝台車を表す表記。
最後尾。テールマークはイラスト入りであったが関ケ原越えで雪が付いたようで見ることができなかった。なお、窓上の線が消去されコミカルな顔つきになってしまった。
101レ 銀河 東京22時45分発 大阪8時0分着 102レ大阪21時20分発東京6時35分着
20系寝台車12両編成(電源車含む)1号車はA寝台、2~11号車は52㎝の3段式B寝台
牽引のEF65PFは1128~1139が宮原機関区に配置。20系客車は宮原客車区所属。
大阪駅3番線着 牽引機関車のEF651000番台(PF)にも雪がついていた。
20系の寝台編成で撮影者に人気のあった「銀河」ではあったが52センチ幅の狭い寝台はすでに時代遅れであり1985年3月ダイヤ改正で14系に変更されることが決定していた。
最後尾のナハネフ22の行先表示もうまもなく見納めだった。 星ひとつは3段式寝台車を表す表記。
最後尾。テールマークはイラスト入りであったが関ケ原越えで雪が付いたようで見ることができなかった。なお、窓上の線が消去されコミカルな顔つきになってしまった。
101レ 銀河 東京22時45分発 大阪8時0分着 102レ大阪21時20分発東京6時35分着
20系寝台車12両編成(電源車含む)1号車はA寝台、2~11号車は52㎝の3段式B寝台
牽引のEF65PFは1128~1139が宮原機関区に配置。20系客車は宮原客車区所属。
2016年2月7日日曜日
キハ82 95~大阪発博多行き特急「まつかぜ」
1984年12月30日 大阪にて キハ82系特急「まつかぜ」1号5D。 大阪を8時に出て米子が13時54分終着博多は20時55分という長丁場。所定9連で食堂車の営業もある”特別急行列車”だった。
列車の前で記念撮影する家族連れ。中央の小学生の男児は長靴、撮影をしている女性も冬靴装備。大雪に見舞われた近畿北部か鳥取県内への旅行だろうか?キハ8295(向日町)の幌やスカートも雪が残っていた。前日からの残りの雪をつけたまま再び大雪の山陰へ向かう。
隣に見える14系座席車は東京からの「銀河」51号8115レで東京を22時に出て大阪には7時47分着。
名古屋では乗務員の交替だけであったが東京~米原~富山間臨時急行(運休した上野発の北陸方面列車の代替)が停車しているのを目撃している。岐阜県内の関ケ原の雪は結構あったが特に遅れることなく東海道本線を走り大阪に到着。この列車は新大阪駅は通過であった。(草津・京都~西明石・姫路間「新快速」もこの時代は新大阪は通過)
撮影順序としては14系の写っている画像が最初で(福知山線乗り場2番線)14系が出た後キハ82系の単独を撮影(すぐ後を101レ「銀河」が8時に到着するため)している。
101レ「銀河」到着と同時に「まつかぜ」は発車。ホーム上の荷物は?
隣に見える14系座席車は東京からの「銀河」51号8115レで東京を22時に出て大阪には7時47分着。
名古屋では乗務員の交替だけであったが東京~米原~富山間臨時急行(運休した上野発の北陸方面列車の代替)が停車しているのを目撃している。岐阜県内の関ケ原の雪は結構あったが特に遅れることなく東海道本線を走り大阪に到着。この列車は新大阪駅は通過であった。(草津・京都~西明石・姫路間「新快速」もこの時代は新大阪は通過)
撮影順序としては14系の写っている画像が最初で(福知山線乗り場2番線)14系が出た後キハ82系の単独を撮影(すぐ後を101レ「銀河」が8時に到着するため)している。
101レ「銀河」到着と同時に「まつかぜ」は発車。ホーム上の荷物は?
2016年2月6日土曜日
常磐線荷物気動車 キニ58
1985年5月6日 常磐線 キニ58の荷物列車。
キニ58はキロ58(2個エンジンのグリーン車で主に中央線急行で使用)を1978年にキニ581とキニ582は名古屋工場 キニ583は幡生工場で改造したものである。 車体はキハ47類似のスタイルとなっている。 1986年11月1日のダイヤ改正まで使用されJRには承継されず廃車となった。
キニ58-1は碓氷峠鉄道文化むらに保存されている。
キニ581は1978年7月25日キロ587を名古屋工場で改造78年8月22日水戸機関区に配置し1987年2月6日に廃車となっている。
キニ58はキロ58(2個エンジンのグリーン車で主に中央線急行で使用)を1978年にキニ581とキニ582は名古屋工場 キニ583は幡生工場で改造したものである。 車体はキハ47類似のスタイルとなっている。 1986年11月1日のダイヤ改正まで使用されJRには承継されず廃車となった。
キニ58-1は碓氷峠鉄道文化むらに保存されている。
キニ581は1978年7月25日キロ587を名古屋工場で改造78年8月22日水戸機関区に配置し1987年2月6日に廃車となっている。
EF58 100 回送「つるぎ」とEF65PF「サロンカーなにわ」
1983年12月30日 EF58 100〔宮原〕 回4005レ 向日町から宮原までの24系25型回送。 大阪からはEF81〔敦賀二〕牽引の新潟行「つるぎ」4005レとなる。
EF65PF〔宮原〕に牽引されてきた14系欧風客車サロンカーなにわ
大阪から西鹿児島への臨時特急「サロンカー明星」となる。
消えゆくEF58の寝台特急編成と欧風客車の多客臨時列車投入ということでホームは撮影者でごった返していた。
EF65PF〔宮原〕に牽引されてきた14系欧風客車サロンカーなにわ
大阪から西鹿児島への臨時特急「サロンカー明星」となる。
消えゆくEF58の寝台特急編成と欧風客車の多客臨時列車投入ということでホームは撮影者でごった返していた。
登録:
投稿 (Atom)