2022年5月27日 上越線下り長岡行き普通列車 E129系
信濃川と上越線列車。E129系は榎峠トンネルに入る。
榎峠トンネルを出たところ。トンネルは上下別で1967年の複線化の際に上り線が新設されている。下り側が当初の上越線だった。スノーセットも連なって険しい難所だったことを示している。手前の道路はかつての国道17号線でありこの一帯が大動脈だった。
信濃川と上越線列車。E129系は榎峠トンネルに入る。
特に急がない列車。
EF510-1 3093レ 曇り空に映える艶姿。
深夜の上越線を走り越後平野で朝を迎える。水田の稲も成長して緑が濃くなった。
4時25分隅田川発新潟貨物ターミナル行きの2081レはまだ寝静まる新潟平野に走行音を響かせて走り去っていった。空は濃い雲が多数あり路面は先ほどまで降っていた雨でぬれたままだった。
榎峠を抜けた列車は平野部に降りて長岡に向かう。山岳用機関車EH200は南長岡で役割を終えて富山までの区間は EF510が担う。
このあたり錦鯉の養殖が盛んで多数の養鯉池を見かける。右手が養鯉池。
夜の帳が始まった。運転停車をしている4094レ。わずかな停車後すぐに発車していった。
貨物列車の後部には尾灯が。最近は合理化のため反射板に切り替わりつつある。
貨物列車の尾灯もそろそろ貴重になるのかもしれない。
4094レは短い停車時間の後静かに発車していった。
DD200-7 新潟貨物ターミナル付近を走るDD200の交換のための列車で週末の運転である。
夏至近くの宵闇をゆっくりと走る。
越後滝谷を通過した列車は平野部から信濃川沿いの谷間へ入っていく。小千谷までに超える小さな峠が榎峠で戊辰戦争の激戦地だった。
無人踏切が多いこの区間EH200は汽笛を鳴らし山間に消えていった。
榎峠は峠としては小さいが山間と信濃川に挟まれた狭隘な地形を通過するため思った以上に道のりは険しい。
珍しくEF641000番代が庫の外に出ていたので・・かつて客貨輸送で上越線の主力機関車として走り回った当該形式もいまは配給輸送などわずかな運用があるだけになっている。
ふだんは機関庫の奥側にいることが多くこのあたりで見かけることは多くない。
私的にはもうずいぶんとEF641000番代が動いているところを見ていない・・・
先頭はEF510-509 後部のコンテナも積載は多い。梅雨が近いのかもやがかかった丘陵地を背に走り去るコンテナ貨物4076レ この列車の始発は青い森鉄道(東北本線)八戸でありここが始発駅だったのはEF81が活躍していた時代からで20年近くになるのかもしれない。
かつてカシオペアをけん引してこの区間を走っていたEF510-509は貨物牽引で里帰りをしているようだ・・・時には旅塵にまみれた姿で
夜が明けても雲に覆われてまだ暗いこの時間。貨物2081レは寝静まった界隈に轍を響かせて走り去っていった。
後ろの道路の向こうには何台かの車が見えたが県外者であり沖縄県や九州のものもあった。長旅の途中の方々がお休みになられているようだった。
12時1分観光客を乗せた3両編成が信濃川を渡る。乗車率は70~80%に見えた。
列車に向けて手を振ると乗客の一人が手を振ってくれた。列車は加速しカーブの彼方の森の中に消えていった。
いまは見かけることが少なくなった長大編成の列車。上越線では定期列車ではE129系の4両編成が最高である。上越新幹線に長距離客が移り、沿線の人口減少とマイカーに利用を奪われ上越線では長大編成の列車は必要なくなった。
13時30分E001系「四季島」がのんびりと下って行った。豪華観光列車ゆえ高速運転は必要されない。車内では乗客たちが信濃川や魚沼の風景をを楽しんでいるのだろうか。
「四季島」が駅を通過するときに「特急列車が通過します」という放送が流れるが速度は遅く特急というイメージではない。この列車が激走する箇所はごく限られた区間のみで多くはゆったり走り乗客は車窓や食事を楽しむのであろう。
上越線で12両編成の特急列車群がひっきりなしに走破していた時代が終わって今年の11月で40年となる。この頃の特急列車は移動のための列車であり多くの乗客で混雑し列車も限界まで速度を上げて轍の音を響かせて行きかう時代だった。
18時57分 少し遅れた特急「しらゆき」7号が通過。特急「しらゆき」下り列車としてはこの列車が最終列車である。21時台の列車は廃止されてしまった。
北陸新幹線とのアクセスを目的に設定された列車だったがその役割も喪失しいまはわずかな新潟市周辺と上越市方面を結ぶ列車に成り下がってしまった。この列車の先行きは明るくはない。(新潟市周辺から上越市への移動はマイカーが95%ほど残り5%が鉄道での移動であるという)
日没から少し経ったこの時間水田にライトが反射しまだ小さい稲が水面に列車を映し出していた。
2022年6月4日 越後線吉田 新潟方面列車 GV-E400系
この日は新潟駅構内切り替え工事のためき電停止となった関係で越後線は新潟~内野間は始発から21時ころまでGV-E400系による運転。内野~吉田間は新潟駅直通列車のみGV-E400系となった。弥彦線は新津からの車両受け渡しが行われ一部列車がGV-E400系に振り替えられた。E129系の運用も普段とは異なっていて所定両数ではなかった。
弥彦線との分岐点の公園の桜の木も緑が深くなっていった。越後線が電化されたころはこの付近に住宅は無く水田だけだったが今では建物が多数建ち並び商業地に変貌している。国道116号線を利用する車利用者のための商業地で従来の商店街は閑散としている。
機関車や電車などは帳簿となっているが客車は一枚の書面でありそこに形式、構造、整備歴、改造箇所、移動歴が記載される。様式はA5判とB4判のものがあり後者は主に新系列の車両で見かけることが多いようだった。というより機関搭載などの複雑な機構を持つ新型客車もこの1枚書面で管理されていることは驚きであった。
先日所属している研究会の会合にオンラインZOOMで参加した。Web画面には何名かの方々が映り、さらに会場参加の各位も映し出され、事前に配布された資料に基ずいて討議がなされていた。
テーマは履歴票の討議で、改造歴のある車両の検討であった。
履歴票によっては記載が抜けている箇所があったり、同じ車両であっても同様の記載内容が2部存在するものがあったりと様々であった。
抜けがある部分を推測したり、疑義のある記載内容を踏み込んで検討していくとさらに新たな発見がある楽しい会合であったが画面上から名前を呼ばれ自己紹介をするように指示があった時は驚いたものだった。
車歴票については鉄道ピクトリアル2002年7月号特集スハ43系Ⅱ P28「客車履歴票とのかかわり雑感」を参照した。
2022年6月5日 北東の方向 水田に朝焼けが映る
信越本線下り方向
4時30分 EH200-21牽引 2081レ通過 250分の1 解放4.5 数分前まで赤い光が下り方向まで見られたが朝焼けが弱まると薄闇に戻った。
キハ110‐223とキハ110‐204 只見線運用のため長岡に常駐。キハ110‐223は1996年から1997年秋田新幹線工事のため運転された特急「秋田リレー」のために使われたキハ110系300番代キハ110‐301の履歴を有する。
榎峠を降りてきた下り貨物列車。魚沼盆地の北堀之内から山間と信濃川沿いに走ってきた上越線はこの付近から平地に出る。
隅田川に向かう6082レ EH200-15背後の長岡の街を背に信濃川沿いの山間に向かう。上越国境の峠越えに比べれ勾配は緩いが重量級貨物列車にとってはカーブも多く視界の悪い区間が多数ある難所である。
EH200はモーターを響かせ一気に駆け上がっていった。多数の貨車がカーブを切り山間に消えていくと静寂が戻った。