新たに登場した上沼垂色E653系。前面の黒い部分を省略した関係で正面のスペースが大きく相手ヘッドマーク部分の形状からしてにこやかな雰囲気となった。
上沼垂色もJR東日本新潟支社の塗装では傑作と言えるものでありよみがえったことをうれしく思う。
新たに登場した上沼垂色E653系。前面の黒い部分を省略した関係で正面のスペースが大きく相手ヘッドマーク部分の形状からしてにこやかな雰囲気となった。
上沼垂色もJR東日本新潟支社の塗装では傑作と言えるものでありよみがえったことをうれしく思う。
長編成の特急型車両が行き交う姿は遠い時代まだ在来線特急が主流だったころを思い出す。
短尺レールの降ろし場所で多数あったことから深夜のレール交換に使われるのであろう。
E653系H02編成が上沼垂色に変更された。今後の楽しみである。
このあと30度越え猛暑の日があり壊滅的な散り方でソメイヨシノは終わった。但しヤマザクラ、八重桜は今は盛りである。水田もしろかきが始まって5月初旬の田植えを目指して農家の奮闘が続いている。
レールを降ろして返空。エンジンの音が丘の上からも聞こえる。春霞のなか走り去っていった。この列車を見かけたとき冬が完全に終わったことを知る。
今年の4月は花冷えではなく高温になった。この時期雪が舞うことが多いが、本年は真夏のようになった・・・・
EF510-502 4076レ 桜の花越しに・・・
EF510-18 4075レようやく待ちわびた桜満開。しかしその時間は極めて短い。朝のひととき貨物列車と満開の桜を楽しむ。
桜のころを待ち望むのはつらく厳しい冬があってこそ。ひと月前は雪煙を上げて列車が走っていた。その後も寒い日ばかりで4月初旬後半にようやく開花してその後の初夏のような陽気で一気に満開になった。
12系客車は車内の冷暖房などサービス電源はスハフ12(この編成ではスロフ12も含む)のディーゼル発電機で行うが室内灯、保安機器は車軸発電機による。台車にベルトがあり発電した電気は蓄電池に蓄えられる。KS3N交流発電サイリスタ制御とされている。
14系以降の車両は省略されている。
逆光に沈む銀色の車体。銀色と言えば九州地区のEF510-300番台もすでに8両が造られ運用に入っているという。残りは本年度末と言われ九州もEF510が集うことになる。300番台もレッドサンダーを継承しているが銀色の車体。
検査は広島で行われるためEH500のように当地で見かけることはない。
コンクリートポールをやめてH型鋼柱の架線柱、懸垂碍子をやめて長管碍子を架線柱に直接取り付け、トロリー線のみの直接吊架方式の架線。国鉄らしからぬ異様な電化方式だった。
この電化で恩恵があったのは新潟~内野間の越後線新潟市内のみ。直接吊架方式の架線がある区間では列車本数は増えず、減便されたりした。
主力は115系初期型が中心で中間車に運転台を取り付けたものが多数集結して国鉄末期を走っていた。
それから40年、新潟市内は新駅が誕生するがそれ以外の区間は短編成のワンマン列車がはしり合理化も進んでしまった。
12系客車の送り込み。
スロフ12他 客車編成 客車の大方は歴史の彼方に消えたが当地ではまだ見ることができるのがうれしい!C57180〔新潟〕 満を持して現れた役者。新鋭GV-E400を背に。現役時代をイメージして。
会津若松15時46分発新津18時36分着の客車列車。
この日はオハフ33、スハフ32、オハ47、スハフ32 スユニ50の編成。
2両目のスハフ322357に揺られて秋の磐越西線を楽しんだ。新津付近は日没を迎え夕焼けがきれいだったことを記憶している。
オハ472296は当時仙台運転所の所属だったが借入車となって郡山にいたようだった。
客車扉はHゴム大型タイプでオハ47ではこれが標準だったようで、直江津のオハ472029のような木製扉は例外だったという。近代化工事時点ではHゴム扉に交換することになっていたが客車の廃車が進むにつれ余剰が出てときに近代化工事が行われていてもこれらの扉に帰られることがあったという。さらに履歴票にも記載される項目でもないためいつから変更されたかもわからないという。
昨日の研究会のオンラインでの発表はなんとかこなせたが、先輩各位のようなあか抜けた発表はできなかった・・・・
多くの人が利用したこの旧バスターミナルは新しい場所に移転し3月30日その歴史を閉じたという。またBRTの標記はBUSに変更されている。