2019年12月31日火曜日

大晦日弥彦線朝練~ハコ乗り!

2019年12月31日大晦日!2010年代最後そして令和元年最後の大みそかでもある。
平成生まれ1996年製のE127系V12編成が信越中線に待機。7時37分弥彦線吉田行き。
 この列車はワンマン運転ではない。
東三条駅0番線に到着は115系N35編成 225M 折り返し寺泊行きとなる。
(雨のため本日の朝練は乗車=ハコ乗りにしました)
モーターの音を楽しみたいので吉田より先頭へ。大みそかであればほとんどの会社も学校もお休みのようで誰も乗っていない。この列車は燕三条で上越新幹線とき308号東京行きの接続しているがそちらの客もいなかった。

7時37分定刻に発車!列車は信越本線と少し並走してから右にカーブして高架線に入る。
車窓にはくすんだ三条の街が広がる。薄暗い車窓から見る町はまだ眠っているような感じだった。
北三条で2名乗車しよどんだ町並みに背を向けて信濃川を渡って国道沿い商業地を横切って燕三条着。東京方面の客はおりてまた空車状態に。

燕三条は水田にできた駅で開けたのは1990年代平成に入ってから。
ショッピングセンター、マンション、アパート群をながめ中ノ口川を渡って燕到着。
櫛の葉が抜けたように空き地が目立つが洋食器産業が華やかな時代は多数の町工場がひしめいていた。
1964年10月の時刻表を見ると 20往復以上列車があり廃止となった東三条~越後長沢の区間さえ11往復あった。この時代の弥彦線は幹線であり混雑が激しい故通勤仕様のキハ30、35が導入された。
いまの燕の街中はひっそり静まり返っているが随所に面影を見ることができる。
燕は職人の街・・・三条は商人町と言われているが正直高架線からは想像しえない。
単なる住宅街か寺院が多いので寺町のように見える・・・

燕では西燕~吉田間で強風のため 徐行運転することを案内が告げていた。
弥彦線の運転速度も東三条~燕間はモーター音を高らかに走り抜けたがそこから先は・・
2分遅れで西燕へ。そこで列車から降りて柏崎からの6連の115系に乗り移る。

東三条~西燕は建物がつらなり小さいながら町を形成しているが西燕~ 吉田間は水田を走り何もないため季節風が強いのかもしれない。
線路わきに風力計が設置されている。

吉田駅からの放送が西燕駅に流れ6分の遅れで発車したという内容だった。
寺泊行きの編成 N35編成
柏崎からの227M 115系N34編成とN38編成 
強風で体が流されれるが
足を広げて1カット!

吉田~西燕間は強風で遅れが出て10分以上となったが、西燕~東三条間は所定の最高速度で走るためか遅れは6分程度に縮まって東三条に到着した。
Mt54の重厚なサウンドが楽しめた。






2019年12月30日月曜日

弥彦線朝練!!~115系N38編成

2019年12月30日 弥彦線225M 曇天の中守門岳を背に走る115系N38編成
天候が間もなく悪くなる直前。
国上山を背に・・・禅僧良寛が過ごした五合庵がある。

青髭の第一次新潟色のN37編成と第三次新潟色N34編成の227M
雪山に向かって走るN34編成 

飯豊連峰の方角 曇天で遠望は難しい
一旦帰宅して灯油を買ったり、散髪したり、仏壇や神棚の掃除をして・・・
信越本線快速 3481M 第一次弥彦線色 
白煙はバイオ発電所のもの 
入れ違いにE653系「しらゆき4号」
天候悪化前の 曇天を走る列車たち。曇天になることで越後の冬を実感する。




2019年12月29日日曜日

朝焼けを走る

2019年12月29日 三条市から見た守門岳 朝6時30分頃 赤みを増した空と守門岳の山容 すでに冠雪している。
弥彦線225M 115系N34編成 7時代・・・やっと明るくなった。いよいよ本格的な冬が来るようで快晴の空とは当分お別れになりそうだ。
寺泊行きの224M 無人踏切(第4種)をいれて
227Mは115系N33編成とN37編成 朝日を正面に受けて走る。この界隈の水田は茶色くなって荒野のようになった。
冬のこの時期順光で6連を楽しめる。撮影者は見かけなかった。
第一次弥彦線色も3連だと印象が異なる。
第一次新潟色のN37編成を後追いで・・・

新潟生え抜きキハ47の第一次新潟色編成も新型GV-E400型の導入で廃車が始まった。
羽越本線、信越本線、磐越西線での運用は本年度ですべてなくなるようだが首都圏色のキハ47514と515はすでに線路上から離れて遠くミャンマーへ行くために新潟東港に待機している。次なる使命を与えられた幸運な例と言えるが高温の東南アジア途上国ゆえ厳しい闘いが待ち受けている様に想う。






2019年12月28日土曜日

EH500-1 五稜郭

2000年8月16日 函館本線五稜郭 本州からやってきた貨物列車の先頭はEH500が中心だったが一部にED79牽引のものもあった。現在は北海道新幹線が青函トンネルを経由する関係で復電圧のEH800に切り替わり北海道ではEH500を見ることはできない。

沖田祐作著機関車表より引用
EH500-1 東芝府中工場= 2000-02-00 E134.4tBBBB(1067)
車歴;2000-02-00製造→納入;JR貨物;EH500-1→2000-02-21発送→
2000-02-25着;JR貨物→配置;長町機関区→2000-04-01改称;仙台機関区→
2000-08-02改組移転;仙台総合鉄道部→2001-10-01現在;仙台総合鉄道部→
2002-06-21現在(仙台/位置検知取付);仙台総合鉄道部→
2009-04-01現在;仙台総合鉄道部→2013-04-01現在;仙台総合鉄道部

2019年12月27日金曜日

185系新特急「あかぎ」

1997年9月 高崎線 高崎と上野の区間を運転する「新特急あかぎ」 踊り子色185系の編成。右手にはダイヤ改正後見られなくなる長野色115系が待機。

2019年12月25日水曜日

各年代並び~吉田駅

2019年12月22日 左から弥彦線E127系、115系N40編成、右手E129系
越後線の電車の歴史を物語る並び。昭和59年(1984年)の電化開業時の115系、平成時代になるとE127系が (1995年=平成7年)そして現在の主力E129系(2014年=平成26年)

2019年12月24日火曜日

EF510-5 115系N37編成

2019年12月22日 226M 115系N37編成 第一次新潟色
EF510-5牽引の4075レとすれ違う。通常はこの位置では4075レが115系を飲み込んでしまう。
EF510-5が115系を飲み込んだ。


2019年12月23日月曜日

浪漫shu*kura弥彦線

2019年12月22日 キハ40系「浪漫shukura」新潟から越後線経由で弥彦へ。休憩後は弥彦~東三条~新津~新発田~新潟のコースを走る。
弥彦線との合流地点
吉田を発車して弥彦へ向かう。エンジンをうならせて一気に加速する。
蛇行する線路がローカル線らしい・・・
弥彦から東三条経由さらに羽越本線、白新線経由で新潟に向かう。
西燕を通過する「浪漫shukura」
弥彦線とshukuraの組み合わせはレアでは?
一気に加速して西燕を通過。東三条からは信越本線に入る。





2019年12月22日日曜日

弥彦線N40編成と北三条駅朝市

2019年12月22日 暮れも押し迫ってきた。令和元年も残り10日あまり。EF510-502牽引の4061レ
EF510-2と弥彦線E127系
本日は冬至。朝練開始の7時代も天気が悪いとまだ暗い。日の出はまだ遅くなり1月1日の時点では7時ころになる。
E127系 224M吉田行き ワンマン運転ではない。背後の樹木は落葉してしまった。
115系N40編成とN36編成 227M 雨が上がって明るくなってきた。
115系N36編成
北三条駅前の定期市(六斎市)年内はあと2回。野菜、鮮魚、果実、焼き立てパン、コーヒー、乾物、隣接する「ステージえんがわ」では朝食も頂ける。
食材を求めて賑わっていた。高級果実「レクチェ」も格安で入手できる。
弥彦線高架下にて 女性たちの販売する野菜は人気が高い。和菓子店もあったので仏前に供える菓子を購入した。






2019年12月20日金曜日

弥彦線 115系N35編成+N40編成

2019年12月15日 弥彦線 115系N35編成とN40編成後ろ 227M
115系N40編成日常的にみられる115系の列車。

2019年12月19日木曜日

忘れ柿~115系N33編成

2019年12月15日 115系N33編成 快速3481M 弥彦線第一次色

12月も後半に入ったが雪はまだない。柿の実と列車。葉はもう落ちて柿の実だけ。
柿も熟して落下を待つ状態となってしまった。
水田の色も薄い茶色となって荒野のようになってしまった。
特急「しらゆき4号」快速とは異なり乗車は少ない。




2019年12月18日水曜日

改札口のクリスマスツリー

2019年12月14日 東三条駅 コンコースにクリスマスツリーが設置。間もなく今年も終わろうとしている。

2019年12月17日火曜日

暗闇に向かって走る

2019年12月14日 EH200-17牽引 6082レ 北越紀州製紙の紙輸送。 夜がはじまったばかりの時間帯の通過。
停止信号がかかりいったん停車 
しばらくして信号が青になり動き始めた。

E653系「しらゆき8号」 新井までの短距離特急。
わずかな乗客を乗せて発車していった。

この日は時折暴風雨がある天候だった。




2019年12月16日月曜日

115系新井快速と弥彦線普通

2019年12月14日 3374M 快速新井行き 115系N33編成キハ47の「国鉄色美食旅」を見送った後は新井快速を。東三条は17時40分発。ちょうど帰宅時間帯のため混雑した状態で到着し東三条駅でも降りる客は多かった。
編成は第一次弥彦線色N33編成  この塗装が登場したのは1988年(昭和63年)10月のことだった。ワンマン運転が弥彦線一部列車で開始された。この塗装は1999年まで使われ非冷房から冷房が取り付けられたのが1993年(平成5年)であり以降弥彦線では諸力として活躍した。

いまのこの塗装は本年9月に復活したものである。車内は原型であって、原型車内の消滅しつつある今乗車する価値はある。
弥彦線普通 湘南色N38編成 首都圏色キハ47を見送った後に現れた湘南色。
雨が降り続くなか待機する 首都圏色キハ47が消滅後は国鉄時代の記憶を残す唯一の存在となる115系N38編成。
乗客が降りてがらんとした構内にたたずむ115系。115系3連は午後3往復後翌日の朝の運用に入り越後線寺泊まで向かう。

首都圏色キハ47と湘南色115系を同じ日に見ることができたことに感謝し構内を出て帰宅した。